『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛)

2008.07.28 Monday 23:50
井庭 崇



「自己像の承認を暴力的に要求するのではなく、コミュニケーションによってその共同体の中で相対的な位置を獲得することへ------大きな物語が失効し公共性が個人の生を意味づけない現在、私たちは個人的なコミュニケーションで意味を備給して生きるしかない。だが、これは同時に私たちが生きるこの社会は、すべてがコミュニケーションによって決定されるつつある、ということだ。そして、公共性が個人の生を意味づけない社会に生きる私たちは、コミュニケーションから逃れられない。」(p.316)

「必要なのは、不可避の潮流に目をつぶり、背を向けて引きこもることではない。受け入れた上でその長所を生かし、短所を逆手にとって克服することだ。つまり、どのようなコミュニケーションこそがあり得る形なのか ――― それが現代を生きる私たちの課題として浮上してくる。」(p.317)


現在、僕が執筆している本『「想像の圏外」を想像する』(共著)の視点に通じるものがある。僕らは、宇野さんのように物語作品との関係ではなく、それを社会現象と結びつけて考えているので、まさに上の指摘の点から僕らの論が始まるのだ。ただし、僕らの場合は、排他性によるネガティブな視点ではなく、リアルな社会におけるコミュニティ形成のあり方を考えている。実はこの本、ここ2年くらい断続的に書いていてなかなか終わらないのだが、この夏にはケリをつけたいと思っている。そういう意味で、僕より若い宇野さんの『ゼロ年代の想像力』から、刺激と元気をもらった気がする。

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