井庭崇のConcept Walk

新しい視点・新しい方法をつくる思索の旅

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竹中平蔵×井庭崇 対談:「政策言語」の提案とプロトタイピング

先週の土曜日(2010年11月27日)、僕の授業「パターンランゲージ」に竹中平蔵先生をお呼びして、対談を行った。タイトルは「政策のパターンランゲージに向けて」。授業時間2コマぶち抜きの3時間対談だ。

対談といっても、何か具体的な社会・経済のイシューについて議論するタイプの対談ではない。その場でひとつの「創造」を行ってみよう、という実にユニークな形式の対談である。

もう少し具体的にいうと、竹中先生に政策デザインについて自らの経験や考えをお話ししていただき、僕がそれをまとめていく。つまり、竹中先生が「素材」を提供し、僕がそれを「料理」するという、即興的コラボレーションなのだ。オーディエンスは、その場に立ち会い、ときにその創造に参加する。

事前打ち合わせや準備なしで、本当にその場でつくっていく。だから、本当に時間内にできるかどうか、非常にチャレンジングな試みであった。


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この対談で、僕らは何をつくったのか?

それは、僕が「政策言語」(Policy Language)と呼ぶものだ。専門的な言葉で言うと、「政策デザインのパターンランゲージ」。政策をデザインするときの問題発見と問題解決の知を言語化したものである。

「政策言語」という言葉は、僕がつくった言葉である。「政策パターン」という略し方も考えられるが、いくつかの理由があって、「政策言語」と略すことにした。その理由とは、「パターン」という言葉が専門外の人には強すぎる(「ワン・パターン」とか「固定的」なイメージが強い)という理由と、ここで強調したいのが「言語」性だという理由である。


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政策言語という新しい言語をつくる動機は、何だろうか?

それは、政策のデザインに必要な考え方のビルディングブロックを明示することで、政策をつくるプロセスを開いていきたいということだ。

現在、日本では、政策をつくっているのは、ごく一部の人たちに限られている。それ以外の人々は、政策について評価し、批判したり肯定したりすることぐらいしかできない。

そのような状況に陥った理由はいろいろあるだろうが、ここで僕が注目したいのは、政策デザインのための「道具」(ツール)の不在である。

このような背景から、「政策言語」という「政策デザインのための新しい道具」を提案し、実際にそのプロトタイプをつくってみよう、と考えたわけだ。


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それでは、政策言語では、何を言語化するのだろうか?

政策言語における各要素(パターン)には、二つの知識が埋め込まれている。まず第一に、どのような状況(Context)において、どのような問題(Problem)が生じるのか、という知識。そして第二に、その問題(Problem)をどう解決(Solution)すればよいのか、という知識。

政策をデザインするとはどういうことかを突き詰めていくと、その本質は、状況から問題を発見をし、その問題を解決することであるとわかってくる。それゆえ、政策言語では、「状況→問題」と「問題→解決」の両方を記述することになる。


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今回の対談では、まず、竹中先生に小泉内閣での経験を振り返っていただき、どのようなことが重要なポイントであったかを自由に語ってもらった。それを、僕が、状況/問題/解決のフレームに落としながら、書き出していった。


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その後、それらの要素(パターンの種)の関係性を考えていく。壁一面のホワイトボードをつかって、「感覚的に近い」要素同士を近くに配置していく。逆に「遠い」と思うものは遠ざける。何度も何度も貼り直しながら、要素間の関係をあぶり出していく(これらはKJ法の考え方/やり方に通じている)。

決して、トップダウンに「これは政策形成プロセスについてのもので、これは情報共有の話で・・・」というようなに既存の枠にはめていってはいけない。ここでやりたいのは、すでに持っているフレームに当てはめることではなく、今まで想像していなかったような、新しい関係性/新しいフレームワークを発見することなのだから。


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この関係性づくりのフェーズには、オーディエンスにも参加してもらい、一緒に悩み、考えた。要素が少ないこともあり、作業は難航したが、なんとかまとめることができた。

不思議なもので、関係性を考えるということは、全体像を模索しているように見えて、実は各要素の理解を深めるということでもある。そうなるのは、「全体は部分から成り立つが、部分は全体から影響を受ける」という循環構造があるからだ。だから、ここでやっている作業というのは、諸要素の空間的な配置替えをしながら、その循環構造に迫っていくということなのである。


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こうして、最終的には、政策言語の要素18個と、それらの関係性を紡ぎだすことができた。もちろん、これらは政策言語のほんの一部の要素にすぎず、しかもプロトタイプでしかない。今後、さらに要素を加えていくとともに、すでに出てきたものについてはブラッシュアップをしていきたい。


このようにして、今回の対談では、政策デザインのパターンランゲージである「政策言語」の考え方を提案し、そのプロトタイプをつくることができた。僕自身、かなり手応えがあったし、竹中先生にもかなり気に入っていただいたようだ。

今回の試みは、ステージでやっている本人としては「本当に時間内にできるのか」とドキドキであったが、無事できて本当によかった。竹中先生、どうもありがとうございました! そして、参加してくれたみんな、ありがとう!


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SFC「パターンランゲージ」特別対談 “政策のパターンランゲージに向けて”
対談:竹中 平蔵 × 井庭 崇
日時:2010年11月27日(土)3・4限(13:00〜16:15)
会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ(タウ)12教室

※ 当日の資料/映像は、SFC Global Campus の「パターンランゲージ」授業ページで一般公開されます(無料)。
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体験学習ゲームのパターン分析

学習パターンのカードゲームづくりの話に関連して、懐かしい話を思い出した。

井庭研の1年目(2004年)に、「体験学習のパターン分析」をするプロジェクトがあった。メンバーは、当時の学部3年生の3人チーム。もうみんな卒業してしまったが、個性的で面白いチームだった。

「ゲーミングのタイプとパターン分類:学習ゲームの作成を支援する」(赤石真依, 野田尚子, 斎藤卓也, 井庭崇研究室研究論文, 2004)

これは後に、以下の学会でも発表している。

「体験学習ゲームのパターン分析」(井庭崇, 赤石真依, 野田尚子, 斎藤卓也, 情報処理学会MPS研究会, 2006)


分析のプロセスとしては、自分たちで集められるだけ体験学習ゲームのやり方を集めて、それらがどのようなビルディングブロックで成り立っているのかを理解しようということだ。ここでいうパターンというのは、パターン・ランゲージのパターンという意味ではなく、一般的な意味での「パターン」として使っている(後にパターン・ランゲージ化しようという構想はあったが)。

文献を読んでは、とにかく、付箋(ポストイット)にそのゲームの重要な要素を挙げていく。それをたくさん出したのちに、KJ法のようなやり方で、全体のなかでの要素の関係性を見いだしていく。ここがこのプロジェクトの山場。一番大変なフェーズであり、創造的な瞬間でもある。

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体験学習チーム活動風景(2004)


当時はまだ共同研究室がなかったので、僕の研究個室の一角で活動をしていた。

模造紙にたくさんの紙や付箋を貼りながら、ああでもない、こうでもないと、思考とコミュニケーションの連鎖を続けていく。手をどんどん動かす。変化を起こし、変化を楽しむ。

こういうとき、ノートやパソコン上で、こちょこちょ作業してはだめ。目の前に広がる空間をめいっぱい使って、自分たちの考えていることをマッピングしていく。

考えるためのスペースの広さが、思考の大きさを決めるからだ。

ちょうど、昨日の「パターン・ランゲージ」の授業で話したね、これ。

↓ 昨日の板書。
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学習パターンのカードゲームを作成中

井庭研の Creative Media プロジェクトでは、現在、学習パターンのコンテンツを用いたカードゲームを作成している。今日のゼミの時間は、制作メンバー3人が試行錯誤しながら作ってきたゲームで、みんなで遊んでみた。

どうすれば学習パターンを用いる意味をしっかりともたせることができるかや、面白いゲーム設計とゲームバランスの関係など、考えるべきことは多々あるが、すでに知恵をしぼっていろいろな仕組みが考えられていて感心した。なにはともあれ、盛り上がったし、僕も楽しむことができた。

学習パターンが収まっている小さなカードを複数手に持ったり、机に並べたりすると、なんだかうれしい気持ちになる。今後の「詰め」のあと、どのようなゲームに仕上がるのかが、実に楽しみである。

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モバイル時代の英語力強化法:日本にいながらの環境構築(5)

2 . 3 「音」と「リズム」の習得

英語力を高める第三の方法は、コトバのもつ「音」と「リズム」を習得することである。

言葉は、単なる記号ではなく、音声として発せられ、音声として聴き取られる。だから、その言語がもつ「音」としての特徴を理解し、その音を身体的に生成できるようにならなければならない。

そして、いくつかのコトバをつなげたフレーズやセンテンスの場合は、さらに音をつなげる「リズム」が重要になる。リズムは、口先だけで生まれるのではなく、身体全体で生み出すものであるから、より身体性を意識する必要がある。

このように、「音」や「リズム」が重要なのはわかっているのだが、それをどうやって鍛えればいいのかについては、正直なところ、現在私自身も模索中である。すでに書いた「言語のシャワーを浴びる環境をつくる」や「表現のストックをため込む/使う」に比べて、まだまだ経験が浅いし、これは効果があると実感できるレベルに達していないのだ。

それでも、「音」と「リズム」の習得は、避けて通ることができない。そこで、ここでは、現在私がよさそうだと考えている方法を紹介することにしたい(つまり、上達するという保証はないが、私自身がやっているので、興味がある方はご参考にどうぞ、という話)。


「音」を知る

まず、日本語と英語では、コトバを構成する「音」の要素の種類が異なることを認識することが重要だ。子音の種類も、母音の種類も、その組合せのやり方も、英語は、日本語の場合とは異なっている。

私たちが日本語で慣れ親しんできたコトバの音の数は、英語の音の数より少ないのだ。だから、私たちは、英語のコトバを、日本語の音の要素に強引に引きつけて理解したり、発音したりすることになりがちである。本来はいくつもの異なる音であるにもかかわらず、それを日本語の「ア」にまとめてしまったり、「オ」にまとめてしまったりしている。そんなことをしていては、いつまでたっても、英語の音を聴いたり、発したりすることはできないだろう。

そこで、英語の音の要素にはどのようなものがあるのかを、徹底的に身体に染み込ませることに取り組みたい。私たちの身体と脳には、日本語の音の回路が相当深いところまで組み込まれてしまっているため、それを打ち破り、拡張するには、「徹底的に」やらなければならないだろう。徹底的に取り組んで、一度英語の音の回路ができあがれば、リスニングもスピーキングも次のステージにあがるはずだ。

音の要素を知ることで、聴こえる世界が違ってくるというのは、外国語に限らず、音楽においても当てはまると思われる。楽曲をただ漠然と聴くだけでは、どの楽器がどの音を出しているのかを認識することはできない。ところが、一度、個々の楽器の音を知ったり、ソロの演奏場面を見たりすると、個々の音を識別できるようになる。私の経験では、自分たちでバンドを組んで初めてベースの音をちゃんと認識できるようになった、ということがあった。英語の場合も、これと似ているかもしれない。


音の要素を知るために、私が現在使っているのが、松澤喜好氏の『英語耳』『英語耳ドリル』『単語耳』のシリーズだ。他の著者からもいろいろな本が出ているが、私は最終的にこれを選んだ。私のやり方は、次のような感じである。

まず、『単語耳』の理論編を読む。この理論編はかなりおすすめで、なぜ英語が聴き取れないのか、あるいはなぜ話した英語が通じないのか、という疑問が解消する。その理由がよくわかるのだ。なので、まずはこれから読むとよい。

その後、『英語耳』と『英語耳ドリル』を並行してやる。著者自身も書いているように、この2冊はどちから始めてもよいようになっている。『英語耳』の方は、音の要素をマスターするのに必要だが、これだけをやると単調で飽きてしまう。『英語耳ドリル』の方は音楽を聴き、歌詞を覚えていくので楽しいが、音をどのように発するのかという発声の説明はこちらにはない。なので、これらを両方並行してやっていくことで、近い将来、これらが交わる点がでてくるはずだ。私はそう考えて、並行して取り組んでいる。


(つづく)

[12] 松澤喜好, 『英語耳 [改訂・新CD版] 発音ができるとリスニングができる』, アスキー・メディアワークス, 2010
[13] 松澤喜好, 『英語耳ドリル 改訂版 発音&リスニングは歌でマスター』, アスキー・メディアワークス, 2009
[14] 松澤喜好, 『単語耳 英単語八千を一生忘れない「完全な英語耳」 理論編+実践編Lv.1』, アスキー, 2007


※本エントリの内容は、「モバイル時代の英語力強化法 ―日本にいながらの環境構築―」(井庭 崇, 『人工知能学会誌』, Vol. 25, No. 5, 2010年9月)には含まれていない、書き下ろし部分。
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これから数ヶ月、ゲスト講演・対談が目白押し!

これから数ヶ月の間、僕の授業ではゲスト講演・対談が目白押し。知的な刺激をたくさん、どうぞ! (どれも授業の一環として開催しますが、履修者以外の聴講も歓迎です。)

以下に、その予定をまとめておきます。

■ 竹中 平蔵 × 井庭 崇 「政策のパターンランゲージに向けて」
日時:2010年11月27日(土)3・4限(13:00~16:15)
会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ(タウ)12教室
※SFC「パターンランゲージ」の一環。当日の映像はSFC-GCで後日公開予定。

■ 江渡 浩一郎 × 井庭 崇 「創造と想像のメディア」
日時:2010年12月9日(木)4限(14:45~16:15)
会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ(タウ)11教室
※SFC「パターンランゲージ」の一環。当日の映像はSFC-GCで後日公開予定。

■ 池上 高志 × 井庭 崇 「動きを捉える。動きをつくる。」
日時:2010年12月11日(土)3・4限(13:00~16:15)
会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ(タウ)11教室
※SFC「複雑系の数理」の一環。

■ 松川 昌平 × 井庭 崇 「計算可能性/不可能性とデザイン」(遠隔対談)
日時:2011年1月13日(木)2限(11:10~12:40)
会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) ε11教室
※SFC「複雑系の数理」の一環。
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来年度の井庭研の構想(パターンランゲージ/社会システム理論)

来年度の井庭研をどういうカタチの研究会にするのか、そんなことをここ1週間ほど考えている。

秋学期もまだ半ばだというのに、少々気が早いように思うかもしれないが、実は1ヶ月後には研究会シラバスの〆切があるので、そろそろそういうことも考えておかなければならないのだ。

極端な案まで含めて、いろいろ考え、研究会メンバーとも話した結果、だいぶ方向性は見えてきた。次のようなカタチで開催することになりそうだ。

まず、研究会のタイプを、A型(週2コマ開催)から、B型(週1コマ開催)×2種類に変更する。つまり、二つのテーマを掲げてそれぞれ学生を募集し、その二つを学期中並行して進めていくのだ(井庭研B1が火曜日、井庭研B2が木曜日というような感じで)。

実は、井庭研は2004年の発足以来B型で開催してきたが、2008年にA型に変更したという経緯がある。A型にもB型にも、それぞれメリットとデメリットがあるが、研究会タイプをB型に戻すのは、経験上、その方が(他の研究会を同時履修する人を受け入れやすくなるので)研究会がよりオープンになり、結果としてメンバーの多様性が増すことにつながるからだ。

テーマと運営方針は、以下のように考えている(2010年11月17日現在の案)。


■ 井庭研B1案「新しいパターン・ランゲージをつくる」
メンバー全員で、体系だったパターン・ランゲージをひとつ制作する。来学期は「プレゼンテーション・パターン」をつくりたいと考えている。個人研究ではなく、研究会メンバー全員で行う「プロジェクト研究」によって成果を出す(学習パターンプロジェクトのようなイメージ)。


■ 井庭研B2案「社会システム理論にもとづく社会研究」
参加者各自の問題意識にもとづく社会研究を「個人研究」として行う。主に想定される参加者は、他の研究会ですでに社会研究を行ってきた人で、新しい視点や捉え方がほしいと思っている人。もしくは、しっかりとした問題意識とテーマをもっており、SFCらしい新しいアプローチで研究したいと考えている人。輪読は、ニクラス・ルーマンの著作、『社会の社会』等を読みたいと考えている。


■ サブゼミ案「ホワイトヘッド哲学の探究」
出来事の連鎖として世界を理解するアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの哲学を学ぶ。最終的に目指すのは、ニクラス・ルーマンの理論やアレグザンダーの思想との接合。井庭研メンバーで興味がある人のほか、研究会外からの参加も歓迎する。


これまでの井庭研を知っている人には、ネットワーク分析やシミュレーションはどこに行ってしまったのか?という疑問をもつ人がいるかもしれない。

それらの手法は、井庭研B2の社会研究において、分析手段として適切かつ必要である場合には、当然用いることになるだろう(僕自身は今後も使い続けるつもりだ)。


シラバス〆切までまだ時間があるので、これをベースにもう少し考えてみることにしたい。

どうだろう。上記のテーマ、魅力的だろうか?
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特別対談 “政策のパターンランゲージに向けて”(竹中 平蔵 × 井庭 崇)

来る2010年11月27日(土)、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)にて、以下の特別対談を行います。

SFC「パターンランゲージ」特別対談 “政策のパターンランゲージに向けて”
対談:竹中 平蔵 × 井庭 崇
日時:2010年11月27日(土)3・4限(13:00〜16:15)
会場:慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 大学院棟 τ(タウ)12教室


対談のテーマである「パターンランゲージ」は、“生き生き”とした町をボトムアップにつくるための実践知を把握・記述する手法として、建築デザインの分野で提唱された方法です。この方法は、後にソフトウェアデザインや組織デザイン等、さまざまな分野に応用されています。このような応用・展開が可能だったのは、パターンランゲージの方法が、広義の意味での 「デザイン」(問題発見+問題解決)の知 を扱う方法だったからです。

この対談では、「デザイン」(問題発見+問題解決)の知を把握・記述する「パターンランゲージ」の方法を、社会や政策のデザインに活かす道を模索します。つまり、自分たちで自分たちの“生き生き”とした社会をデザインするための方法として、あるいは、そのような社会状況を実現するための政策をデザインするための方法として、パターンランゲージの考え方を応用することの可能性を考えます。

対談では、パターンランゲージとはどのような方法なのかという説明から始め、その背後にある社会観や、政策づくりの実際、今後の社会・政策づくりにおいて考えるべきことについて、方法論者の井庭崇と、実践経験をもつ経済政策学者の竹中平蔵が、3時間じっくり話し合います。授業「パターンランゲージ」の一環として開催されますが、履修者以外の聴講も歓迎します(事前登録等はありません。当日定員オーバーの場合には、履修者優先とさせていただきます。ご了承ください)。

竹中 平蔵
慶應義塾大学総合政策学部教授。同大学グローバルセキュリティ研究所所長・大学院メディアデザイン研究科教授。専門は経済政策。小泉内閣時代に、経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、郵政民営化担当大臣、総務大臣を歴任。著書に『「改革」はどこへ行った』、『闘う経済学』、『構造改革の真実』、『経済ってそういうことだったのか会議』、『経世済民:経済戦略会議の180日』、『対外不均衡のマクロ分析』、『研究開発と設備投資の経済学』など多数。

井庭 崇
慶應義塾大学総合政策学部准教授。同大学院政策・メディア研究科委員。専門はシステム理論と方法論。創造性、複雑系、オートポイエーシス、パターン・ランゲージ、ネットワーク分析、シミュレーションの研究・教育に従事。 SFC発のパターン・ランゲージである「学習パターン」を制作。著書に『複雑系入門』、共著に『ised 情報社会の倫理と設計』、『創発する社会』、『総合政策学の最先端 第IV巻』等。


なお、今回の対談を含む授業の全回が、SFC-GC(Global Campus)にて映像配信されています。直接会場に来ることができない方は、後日こちらの映像をごらんください(中継ではなく、数日後からの配信となります)。

SFC-GC 「パターンランゲージ」授業ページ
http://gc.sfc.keio.ac.jp/cgi/class/class_top.cgi?2010_25136

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モバイル時代の英語力強化法:日本にいながらの環境構築(4)

2 . 2 表現のストックをため込む/使う

日本にいながら英語力を高める第二の方法は、表現のストックをため込んでいくことである。(1)表現を学ぶための読書を行うこと、(2)適切な言葉の選び方を学ぶこと、(3)より適した表現を模索しながら書くこと、によって表現のストックを充実させていくのである。


(1)表現を学ぶための読書

英語での表現を学ぶための読書では、自分の専門に近い分野の一般書/専門書などを、片っ端から読んでいく。この目的のためには、普通の読書とは異なり、なるべく知っていることが多く書かれている本を選ぶとよい。

このとき、最初から最後まですべてを読むのではなく、自分が学びたい言い回しがありそうな章/部分だけを「つまみ食い」して読む。私自身の経験でいうと、昨年から今年にかけて、A.-L. Barabasi の『Linked』 [7] を何度も何度も読んだ。この本からは、専門的な言葉づかいを学ぶだけでなく、ワクワクするような表現も多く学ぶことができた。どの分野でも、一般啓蒙書では難しい考え方が、わかりやすくかつ魅力的に記述されていることが多いので、表現を学ぶための読書に適している。

日頃から私は本を読む時に、重要箇所に線を引きながら読んでいるが、「表現を学ぶ」ための読書においても、使いたい言い回しや真似したい表現に線を引きながら読んでいる。線を引くのは、消しゴム付き鉛筆がおすすめ。濃さに強弱がつけられるし、うまく書けなかったときには引き直すことができる。

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ある程度読み進めたら、それまでに引いた線の部分だけを読み返し、そのなかで「やはり重要だ」と思う表現を、ノートに書き写す。自分なりの「表現のストック」をためていくのである。

私は、ノートには MOLESKINE(モレスキン)の横経線のハードカバーのものを使っている。「表現がストックとしてしっかり残っている」と感じることができることが大切だと考えたからだ。このノートなら、なるべくきれいな字で書こうと思えるし、書き込みが増えて行くと、なかなか気分がいい。ノートに書き込むのには、持ちやすいグリップで長時間書いても疲れにくいボールペンを使っている。

真似をしたい表現を、紙のノートに書き写すというのは、いたって身体的な経験だ。ノートに言葉を刻み込んで行くという感覚。ノートとペンにちょっとこだわるだけで、その行為が少し特別な存在になる。そうなればしめたもので、本来は修行のような作業かもしれないが、やる気を維持しながら取り組み続けることができる(表現のストックがたまったことを本当に実感できるのは、その表現を実際に使うことができた時なのだが、そのような幸せな瞬間は、すぐに訪れるわけではない)。

以前は、ストックした表現を検索できるのがいいだろうと考え、コンピュータに打ち込んでいた。しかし、この5年ほどの経験では、結局検索なんてほとんどしなかったし、ストックをためているという実感が伴わないので楽しくない。また、1日中仕事でパソコンに向かっている私の生活においては、ノートに手書きで書くという方が、身体的に異なる行為であるため、モードの切り替えがうまくできる。そんなわけで、最近はノートに手書きで表現のストックをためるようにしている。

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(2)適切な言葉の選び方を学ぶ

表現を学ぶための読書に加えて、単語の選び方や言い回しに関する解説本も読んでいくとよいだろう。研究者や学生の場合には、例えば、実際の学術論文からコーパスを作成し、どのような言い回しがどのくらいの頻度で使われるのかを示してくれている『ライフサイエンス英語 類語使い分け辞典』 [8] や 『ライフサイエンス論文作成のための英文法』 [9] というような本が出ている。学術論文での言い回しや、技術英語に関する本もいろいろ出ており、それらも目的に合わせてうまく活用できるだろう。また、日本人研究者がよく間違える単語を取り上げ、正しい使い方を教えてくれる『科学論文の英語用法百科〈第1編〉よく誤用される単語と表現』 [10] のような本もある。

この手の本を読むといいのは、言葉の選び方の理由が書かれていることや、微妙なニュアンスの違いについて説明してくれているからだ。その手の知識は、表現を学ぶための読書からは身に付かない。だから、表現を学ぶための読書とは別に、適切な言葉の選び方を学ぶための本を読むとよいのである。

しかも、表現を学ぶための読書と、適切な言葉の選び方を学ぶ読書は、並行して行うとよい。それらの学びには相乗効果があるからだ。表現を学ぶための読書の経験があるからこそ、適切な言葉の選び方を学ぶための本で、なぜそのような表現が取り上げられているのかが理解できるようになる。「たしかに、そういう表現ってよく出てくるもんなぁ」と。逆に、適切な言葉の選び方の知識が身につければ、表現を学ぶための読書での気づきが多くなる。「ああ、本当に、そういう言葉が使われている」と気づくわけだ。だからこそ、順番にではなく、並行して読むとよいのである。


(3)より適した表現を模索しながら書く

以上は、日々行う基礎体力づくりであるが、より実践に即した磨き方もある。英語で文章を書く際には、自分が言いたいことを適切に表現する言葉や言い回しを調べ、それを使うようにするのである。

文章は、そこで使われる単語が正しいだけでなく、組み合わせる他の言葉(例えば、動詞や前置詞)も正しく選択される必要がある。そういう言い回しを調べるためには、辞書を引く、ということが必要になる。

辞書を引く時には、定義や説明だけでなく、いくつもの例文にアクセスできるのが理想的である。PC で文章を書いているときには、辞書もPC 上で引けると効率的だろう。執筆中にいつもネットにアクセスできるとは限らないし、Web のレスポンスタイムも気になるので、個人的にはPC にインストールできるタイプの電子英語辞典をおすすめしている。

私が使っている「LogoVista 電子辞典」( http://www.logovista.co.jp/ )は、複数の辞書をシームレスに検索できるのでかなり重宝しており、英文を書くときの不可欠なツールになっている。私が入れているのは、次の5つの辞書データである。どれも英文のサンプルが取り上げられているので、検索結果をみれば、だいたい適した言い回しの文章をみつけることができる。

●『リーダーズ英和辞典第2 版』(翻訳家も使う定番の辞典。)
●『新編英和活用大辞典』(品詞や関係性ごとに例文が載っている。)
●『日外ビジネス/技術実用英語大辞典 第4 版』(ビジネス・技術の例文が豊富。)
●『ジーニアス英和大辞典』(単語の語源が載っている。)
●『メリアム・ウェブスター英英辞典』(英英辞典なので、日本語訳ではわからないニュアンスの違いなどがわかる。また、多くの単語に発音の「音声」がついているのも魅力。)

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これで見つからないものに関しては、Google で検索して調べている。検索のちょっとしたコツを知っていると、目的の英文に辿り着きやすい。コツというのは、ダブルクォーテーション(" ")でくくるとか、ワイルドカード(*)を使う、マイナス(-)を使うなどである。

ダブルクォーテーションを使えば、複数の単語の並び順を指定して検索することができる。たとえば、This study demonstrate と入力して検索すると、この単語の並び順以外のものも含めて検索されてしまうが、"This study demonstrate"とダブルクォーテーション付きであれば、この並び順のものだけがひっかかる。

ワイルドカードというのは、そこにどんな言葉が入ってもいい、ということを示すものだ。"This * demonstrate"として検索すれば、"This chapter demonstrate"とか、"This book demonstrate"などもひっかかる。

また、マイナスを使えば、その後に指定した言葉を抜きにするという指定ができる。たとえば、"This * demonstrate" -sectionとすれば、"section"が使われているページは排除される。特定分野のページを除くなど、同一ページにあるべきではない言葉を指定しての絞り込みができるのだ。

このようなGoogle検索を活用方法については、『Google 英文ライティング: 英語がどんどん書けるようになる本』という本も出ているので、興味がある人は読んでみるとよいかもしれない(この本では、シンプルなやり方が、いろいろな例を交えて紹介されている)。


以上のように、表現を学ぶための読書を行うこと、適切な言葉の選び方を学ぶこと、より適した表現を模索しながら書くことによって表現のストックを充実させていく。そして、機会があればどんどん使ってみる。これらは、焦らず、ひたすらやり続けることが大切だ。どれだけ英語がうまく使える人でも、日々、生きていくなかで表現のストックをため続けている。これは、英語でも日本語でも同じことなのだ。

(つづく)

[7] Albert-Laszlo Barabasi, 『Linked』, Plume, 2002
[8] 河本健 編, 『ライフサイエンス英語 類語使い分け辞典』, 羊土社, 2006
[9] 河本健 編, 『『ライフサイエンス論文作成のための英文法』, 羊土社, 2007
[10] グレン・パケット,『科学論文の英語用法百科〈第1編〉よく誤用される単語と表現』, 京都大学学術出版会, 2004
[11] 遠田和子, 『Google 英文ライティング: 英語がどんどん書けるようになる本』, 講談社インターナショナル, 2009


※「モバイル時代の英語力強化法 ―日本にいながらの環境構築―」(井庭 崇, 『人工知能学会誌』, Vol. 25, No. 5, 2010年9月)をベースに大幅に加筆・修正。
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モバイル時代の英語力強化法:日本にいながらの環境構築(3)

2. 日本にいながら英語力を高める方法

さて、ここまでの話を踏まえて、「だから外国にいくことが大切です」という結論に達するのでは、あまりにも面白くないだろう。たしかにひと昔前までは、実際に現地に何年か住まないと身につかない、というのはひとつの真実だったのかもしれない。しかし、ここでは、それとは違う方向性を探求したい。「日本にいながらどうやって英語力を伸ばすのか」を考えたいのである。

この「日本にいながら」ということが現実味を帯びてきたのは、情報技術の発展のおかげである。インターネット経由で海外の情報・コンテンツが容易に、かつ安価に入手できるようになった。また、モバイル機器の登場によって、自分の身の回りに「パーソナルな環境」をつくり、持ち運ぶことができるようになった。これらを最大限に活用することで、日本で生活しながら海外にいるような環境をヴァーチャルに(実質的に、事実上そうであるように)つくり上げることはできないだろうか。その具体的な方法について考えてみたいのである。以下では、私の試行錯誤の経験から、具体的な方法を紹介することにしたい(これらは私自身が今も行っているものである)。


2 . 1 「言語のシャワー」を浴びる環境をつくる

日本にいながら英語力を高める第一方法は、「音としての英語」に絶えず触れることができる環境を構築することである。これは、現地で授業や講演を聴いたり、カフェで周りの人たちのおしゃべりを聴いたりするということと同じ状況を、ヴァーチャルに構築するということである。自分が興味ある分野・内容の音声/映像コンテンツを、iPodやiPad 等のモバイル機器に入れておけば、どこでも英語に触れることができるパーソナルな環境が出来上がる。この「言語のシャワー」をじゃぶじゃぶに浴びるための環境が、現地で英語を聴く機会が多いということの代わりをしてくれる。そのような環境を構築する要素として、ここでは、オーディオブック、講演映像、授業映像、テレビ映像、ラジオ音声を取り上げたい。

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オーディオブック

英語環境構築の一つ目の要素は、オーディオブックである。私が利用している「audible.com」( http://www.audible.com/ )では、本として出版されているものを音声で読み上げて収録したオーディオブック(音声ファイル)を販売している。1冊あたり8時間とか10時間くらいの長さになる。このオーディオブックがよいのは、対応する本が存在するということである。オーディオブックを聴いていて、聴き取りにくい部分の英文を本で確認することができる。逆に、本で読んだあと、音声で聴くということもできる。こうすることで、多重的に自分のなかに入ってくるはずだ。いくつか試したなかで、私のおすすめのコンテンツは、『Wikinomics』(Don Tapscott & Anthony D. Williams)である。もともとわかりやすく魅力的な表現/時事的な言葉が多い本なのだが、このオーディオブック版は、非常にゆっくりとしたペースの語りで、初心者にとって聴き取りやすい。このほか、私のお気に入りは、『The Stuff of Thought』(Steven Pinker)と 『The Trouble With Physics』(Lee Smolin)。ネットワーク科学の『Linked』(Albert-Laszlo Barabasi)もオーディオブックで出ている。『Grammar Girl's Quick and Dirty Tips to Clean Up Your Writing』(Mignon Fogarty)は、内容が英文ライティングの内容であるうえに、女の子のペラペラしゃべる感じが異色な感じで、他のオーディオブックに飽きたときには、よくこれを聴いている。

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講演映像

英語環境構築の二つ目の要素は、ウェブで公開されている講演映像である。私が活用しているものに「TED: Ideas worth spreading」( http://www.ted.com/ )があるが、このサイトでは世界的に有名な専門家たちが一般聴衆向けに行った魅力的な講演映像が多数公開されている。高詳細な映像をダウンロードしてPC で見ることもできるが、PodCast でダウンロードし、iPod 等で見る(聴く)こともできるので、時と場所を選ばない。また、10~20 分程度の講演なので、短時間で楽しめる点もよい。研究者も数多く講演しているほか、実務家や芸術家の講演/パフォーマンスもある。これまで見たなかで個人的に好きなのは、Steven WolframJohn MaedaFreeman DysonLee SmolinSteven StrogatzDaniel Dennett などである。オーディオブックのように「書かれた文章」を読み上げているのではなく、聴衆に語りかけているので、抑揚があり、自らのオーラリティーを高めるための参考になるだろう。

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授業映像

環境構築の三つ目の要素は、授業映像である。授業映像で有名なものに「iTunes U」( http://www.apple.com/education/itunes-u/ )があるが、実に様々な大学・学部の講義が映像としてアップされている。先ほどの講演映像とは異なり、授業なので、回を重ねてじっくりと説明がなされたり、議論が深められていく。いくつかの講義を選んで、自分なりの時間割を組めば、擬似的な留学体験ができるだろう。このほか、授業映像としては、「The Teaching Company」( http://www.teach12.com/ )という会社が販売しているレクチャーDVD もおすすめである。これは、大学で行った講義を収録したものではなく、このために録画された講義である。私がこれまで楽しんだのは、『Chaos』(Steven Strogatz)、『Understanding Complexity』(Scott E. Page)などである(このDVD、定価は高いが、毎日のように商品指定のSaleをしているので、それにタイミングを合わせて買うとよい)。

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テレビ映像

英語環境構築の四つ目の要素は、テレビ映像である。私が見ているのは米国でのテレビドラマシリーズのDVD で、英語字幕を表示して見る。ドラマでは、講演やレクチャーのようなモノローグではなく、ダイアローグ、つまり会話が展開する。また、口頭での省略やスラングも登場する。ドラマなので、あくまでも脚本に基づく演技ではあるが、それであるがゆえに、音声と同期して文字ベースの確認ができるので、他にはないメリットがある。また、時事的なコンテンツがよければ、海外の英語ニュースのストリーミングなどを見るのもよいだろう。最近では、YouTube に「CC」(Closed Caption)の機能もついているので、CC データが含まれていれば、様々なコンテンツを英語字幕も表示させながら見ることができる。


ラジオ音声

英語環境構築の五つ目の要素は、ラジオ音声である。今日、ラジオの音声がWeb 経由でストリーミングされていることが多い。例えば、私がボストンで聴いていたFM 局「Magic 106.7」( http://www.magic1067.com/ )も、Web 経由で日本で聴くことができる。ラジオ局によって内容やバランスはいろいろであるが、音楽とトークが混ざっているラジオ音声は、BGM として流しやすいだろう。

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以上の五つの要素のどれか一つに絞るのではなく、すべて取り入れるとよい。それぞれに特徴が違うので、ある方式に飽きたら、別の方式のものを流す、というようにすることで、絶えず英語が流れている状況を継続させることができる。「英語を聴く/聴かない」という選択ではなく、「どれで英語を聴くのか」という選択に変えることが大切なのである。

また、このヴァーチャル環境構築を支える機器も、いろいろ組み合わせて使うとよい。私の場合は、音声ものはiPod と自家用車の車載HD、音声と映像はiPad に入れている。当初、映像はPC で再生していたが、研究上の重い処理をさせているときにPC に負荷がかかりすぎるため、現在は映像はiPad に入れ、それをPC の横に置いて絶えず再生するようにしている。このように、いくつものコンテンツを、いくつもの機器に入れておき、状況に応じて何かしらの英語コンテンツが絶えず流れているようにする。これが、日本にいながら、ヴァーチャルに英語に触れることができる「言語のシャワー」環境を自ら構築するということである。

(つづく)

※「モバイル時代の英語力強化法 ―日本にいながらの環境構築―」(井庭 崇, 『人工知能学会誌』, Vol. 25, No. 5, 2010年9月)をベースに加筆・修正
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モバイル時代の英語力強化法:日本にいながらの環境構築(2)

1. 米国での研究生活で感じた自分の英語力の低さ

1 . 1 スピーキング

米国滞在中、何が最も難しかったかというと、それは何といってもスピーキングだろう。これは、相当厳しい。まず、言いたいことが文としての体をなしていない。構造が明らかに変、単語がきちんと選べていない、時勢はめちゃくちゃ、論理的でない。内容が知的であるとか、説得的であるとか、魅力的であるということ以前の問題である。言いたいことを言葉にしようとした途端、まるで幼稚園児のようなレベルになってしまう(いや、幼稚園児の方がよっぽど口が達者かもしれない)。旅行で使う英語や、「自分は何をしたい」とか「○○はどこ?」という会話にはあまり問題を感じなかったが、概念的な説明や論理的に主張をしようとすると、途端に破綻する。これまで国際学会で口頭発表をしたときの「出来た」感は、一体何だったのか?

結局のところ、その場で話をつくり出せるほど、自分のなかに英語の言い回しのストックがないということなのだ。英語表現におけるパターンといってもいい。話しをするときには、自分のなかにある表現のパターンを即興的に組み合わせながら、言いたいことを構成する必要がある。かつてWalter J. Ong [5] が論じたように、口承伝承の語り部は、物語のパターンをたくさん覚えていて、それらを即興的に組み合わせながら語っていた。英語で何かを話すときにも、まさにこの語りのパターンが必要なのだ。母語である日本語では自然に身に付いているパターンも、第二言語である英語ではそうはいかない。滞在中は、自分には英語でのオーラリティーが圧倒的に足りないと、日々痛感していた。

それに加え、発音やイントネーションの問題で通じないことも多い。自分の専門に直結する基本単語でさえ通じない。例えば、私の場合、"pattern" や "theory" という単語が通じなくて苦労した。"Pattern Language" や "Systems Theory" を専門にしているにもかかわらず、である。特に通じにくかったのは、自分の研究を交えて自己紹介するときである。相手は私がどの分野でどのような研究しているのかをまったく知らず、どのような言葉が出てくるのかを事前に想定し得ない場合である。そのような状況では、より正しい発音/イントネーションで話さないと、通じないのだ。これまで学会などで話が通じていたのは、学会のコンテクストや、発表スライドに書かれた文字のおかげだったのだろう。最終的には、これらの基本単語は、地域のボランタリーなESL クラスで、正しい発音を直接教えてもらうことで少しは矯正できたかもしれないが、不安な単語はまだまだたくさんあり、道のりは長い。

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1 . 2 リスニング

次に、リスニングについて。途中からだいぶ改善されたが、特に最初の半年は苦労した。なぜリスニングが難しいのかというと、いくつかの理由が考えられるが、そのなかでも、事前にはあまり想像していなかった難しさがあったので、その点について触れておくことにしたい。それは、米国で英語を話している人は、必ずしも英語が母語の人ではない、ということだ。ボストンは米国のなかでも特に国際的な街であり、研究者も学生も実に多様な国から来ている。そのため、訛りも多種多様であり、ときには「これは本当に英語?」と耳を疑ってしまうほどのこともあった。このような経験をすると、これまで私が日本で触れてきた英語は、英語ネイティブの「発音のきれいな」英語だったと気づいた。しかも、たいていの場合、日本人の癖や傾向を知った上でわかりやすく発音してくれている、日本人に聞き取りやすい英語だったのである。この「発音のきれいな」英語でなんとか聴き取れるかどうか、というレベルだった私には、この多様な訛りの英語を理解するのは、きわめて困難なことであった。しかし、これこそがグローバルな時代の英語なのだろう。

私の経験では、このリスニングの問題は、「慣れ」によって解消できる。スペイン語ネイティブの人はこの音がこう聞こえる、ドイツ語ネイティブの人はこの音がこう濁る、中国語ネイティブの人はここがこうなる、というように徐々にわかってくる。こういう感覚的なものは、おそらく経験の中で把握していくしかない。滞在中に大学の授業をまともに受けたわけではないので、リスニングの機会も限られていたが、それでも、1年間で最も伸びたのはリスニングの力だと思う。日頃、リスニング力が一番伸びにくいと思っていたので、これは意外なことであった。まさに「習うより慣れよ」である。毎日、カフェで周囲の人のおしゃべりが自然と耳に入ってくる。そういった「言語のシャワー」[6]を浴びることで、英語を音として聴くための回路が、自分のなかでつくられていくのだ。

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1 . 3 ライティング

そして、ライティング。向こうでも英語で論文を書くことになるわけだが、これはこれで苦労した。もちろん、いままでも英語で論文を書いた経験はあるが、以前にも増してきちんとした英語で書きたい、説得的で魅力的な文章を書きたい、という思いが強くなったため、苦戦することになった。特に昨年は、自分にとって新しい分野の論文を書くことにしたため、その分野の本や論文を徹底的に読み、言い回しを勉強しながら書く必要があった。分野/テーマが変われば、そこでの特有の言葉遣いや言い回しを身につけなければ、説得性や魅力を出すことはできないだろう。振り返ると、この遠回りはかなり重要であり、それがその後の研究自体をもドライブしたと思われる。書くことは考えることであり、書くスタイルは、考えるスタイルにもつながるのだ。これは重要な気づきであった。

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1 . 4 リーディング

米国滞在中は、本や論文は英語で読んでいた。内容を学ぶために読むこともあれば、表現を学ぶために読むことも多かった。すでに書いてきたように、スピーキングにしてもライティングにしても、言い回しが身についていないのは、これまで英語で読む量が圧倒的に少なかったからである。結局のところ、書籍については、日本では多くのものが翻訳されているので、それらを読むことで事足りてしまう。論文も、内容がわかればいいという感じで、アブストラクトや重要部分を中心につまみ食いしながら読みがちである。また、そのとき、何に注目して読んでいるかというと、ほとんどの場合内容の方であり、表現の方にはあまり意識がいってなかったように思う。文章の表現を意識的にみるということをしないと、表現のストックはたまらないのである。

聞くところによると、韓国のエリート養成では、高校生が年間に何十冊も洋書を読むという。どのような本なのかは定かではないが、数週間に1冊のペースである。これだけの量を、今の日本の大学生・大学院生や教員が読んでいるかというと、まったくもってあやしい。実際、私自身は、渡米前はそれだけの量を読んでいなかった。昨年からは、英語で書かれた本を読む量を圧倒的に増やし、英語での読書も楽しくなってきた。すでに邦訳でもっている本も、原著を買って読み直した。内容はすでにわかっているので、英語の表現に注目しながら読むことができるので、これは効果的だったように思う。「内容を知るための読書」ではなく、「英語での表現を学ぶための読書」である。

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(つづく)

[5] Walter J. Ong, Orality and Literacy, 2nd Edition, Routledge, 2002
[6] 学習パターンプロジェクト, Learning Patterns: A Pattern Language for Active Learners at SFC 2009, 慶應義塾大学SFC, 2009 ( http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp/ )

※「モバイル時代の英語力強化法 ―日本にいながらの環境構築―」(井庭 崇, 『人工知能学会誌』, Vol. 25, No. 5, 2010年9月)をベースに加筆・修正
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