July 04, 2009

研究の鬼

大学に籍をおいていたときに書いた大学で研究をしている学生に向けた駄文がサーバのリンクが切れていたようなので、こちらに一時的に移しておきます。

OniKen

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July 24, 2008

地震に見るテクノロジーとマーケットとの関係

昨日東北地方で地震があった。地震における震源の深さと揺れの影響範囲との関係は、テクノロジーとマーケットの関係に似ていると思う。

A.震源の深さが浅いとゆれる範囲は狭くなるが被害は大きい。
B.震源の深さが深いとゆれる範囲は広くなるが被害は少ない。

テクノロジーがマーケットに近ければ近い、つまりターゲットユーザのペインやニーズに近いほど、ターゲットへの影響は大きくなるだろう。しかし、テクノロジーがマーケットにあまりに近いと、ニッチマーケット狙いになりがちであり、強みもあるが広がりを持たせることが難しい。

一方、今までにないイノベーションを起こすような基礎研究など、インパクトの大きいテクノロジーは、明確なニーズはすぐには見えないが幅広い領域に応用される可能性を秘めている。しかし、応用された商品などの上では、ユーザにとってそのテクノロジーから直接的な恩恵は見えなかったりする。


昨今では、ユーザが商品を利用するプロセスに注目し、ユーザの商品との経験そのものに価値を与えていこうというUX(ユーザエクスペリエンス)指向のアプローチを取る企業が増えている。これはまさにAのインパクト、つまり、マーケットに近いところからスタートすることにより、商品によるユーザへのインパクトを極大化しようというものといえる。ユーザへ与えるインパクトの確実性は高められるだろうが、他のマーケットへの水平展開という意味では、時間も費用もコストのかかるアプローチともいえる。

Bは従来のテクノロジードリブンなメーカー的アプローチといえる。テクノロジー中心に考え、テクノロジーの完成が近づいたときにマーケットを探る。テクノロジーの「読み」が正しければ広く応用が期待できるが、マーケットがあまり見つけられない可能性も当然はらんでいる。

いずれにしても、テクノロジーのインパクトが大きいほど、利用するターゲットユーザへの影響も大きいことは間違いない。文字通り「破壊的なテクノロジー」が根本的に求められている。


p.s.
無論、地震を肯定している訳ではないし、物理的な破壊がもたらす被害を肯定するものでもない。

Posted by igaiga at 07:40 PM | コメント (714)

November 24, 2007

SFC Open Research Forum 2007見学

2007年11月22日(木)~2007年11月23日の日程で六本木ヒルズにて開催されたSFC ORF2007を見学してきた。初日のみ、かつ1時間ほどしか時間がなかったので、個々の詳細を聞くことはできなかったが、「お祭り」はいつ見ても華やかで楽しいものである。デモシステムの展示も多く、お祭り感に花を添えている。

こういう大学のイベントに参加して年々その思いが深まるのは、技術やモノヅクリの「チープ化」が加速度的に進んでいるということである。ウェブサービスなどソフトウェアに留まらず、ハードウェアにおいてもツールキット類が数多くそろってきており、「誰でも」ちょっとしたプロトタイプシステムを数分から数日で構成できる。まったく工学的なバックグラウンドを持たなくても、数千から数万のキットを購入して、インターネットで関連資料を検索するだけで何かしら動くものができる。

そうすると「アイデア」が重要?
いわゆる「高速道路」の先の「渋滞」?

たしかに、それぞれの研究者・技術者が自身のプロトタイプシステムのアイデアをさらにつきつめて、こだわり、そうした先には渋滞を突き抜けた本当に世の中を動かす「究極のアイデア」への道が見えるのだろう。しかし、大学という場所と時間の制約のある組織の中では、それほど簡単な話しではないと思う。大学にそのまま残らなければ、本質的なことを考えられる時間は数年に過ぎない。

一番気になるのは、大学側が、若い世代に今何を提供すべきか、あるいはどういう人間を社会に提供しようとしているのか、というビジョン群が見えていないのではないかということである。
過去の技術遺産にしがみついているような旧来の大学は論外であるが、逆に「さっき思いついたアイデア」を場当たり的にプロトタイピングし続けたところで、向かう先すら見えない学生が大半だろう。

アイデアあるいはプロトタイピングの前に「課題」について議論するべきだと思う。課題への造詣が深いほど、そしてその課題に対して本気であるほど、その研究ビジョンを実現するためにプロトタイプシステム群でその実現への道を模索する意義が見えてくるだろう。学生にとっても自分と社会の関わりを本気で考える機会にもつながるだろう。
教員・教官の立場の方々も今の技術の移り変わりの早さに翻弄されていることだろう。しかし、実現方法のちょっとした違いやトレンドに影響される産業界と違って、本質に迫る「ぶれない」課題の捕らえ方をしてくれることがアカデミックな世界に最も求められる活動であると思う。

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November 18, 2007

時間的パラドクスとUCDの位置づけ

情報化が進み、なおかつスピーディな事業サイクルの求められる昨今、事業部と研究開発、つまり実践者(practitioner)と研究者 (researcher)の境界はなくなりつつある。それでも、やはりそれぞれに求められるコントリビューションというものは存在する。実践者で言えば、そこにいるお客様、そこにある課題、これらをいかにして解いて事業に結びつけるか、研究者で言えば、潜在的なお客様、来るべき事業に備えて研究開発を進めておくか、といったものがその一部であろう。

現状の大量生産に適した組織体系の下では、実践者と研究者とに、ある種の時間的なパラドクスが起こる。つまり、実践者は本来立っている時間的な位置(現在)があったときに、もっと先にいたいと思う。他方、研究者は本来立っている時間的な位置(少し先)があったときに、もっと現在に近いところを知りたいと思う。現状の縦割りの組織のミッションと、実際に自分たちが置かれている問題意識とのギャップにジレンマを覚えることだろう。

timeparadox.jpg

ここで、UCD(User Centered Design)がコントリビューションできる課題について考えてみる。このままの縦割りな動きでは新しいことができないと思う実践者。このままの現場課題不在の動きでは正しい決断ができないと思う研究者。それぞれが時間の中でマインドを前後させる、つまり、この実践者と研究者の時間的なパラドクスのもとでは、お客様の次のニーズ、次のお客様がいるであろう時間的な空間に「隙間」ができる。ここに共有できる次なるお客様のイメージを作り上げるのがUCDの位置づけであろうし、またそのためのメソッド・技術の開発が必要であろうし、それを効果的に実践するための組織作り・人作りが求められてくると考える。

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September 08, 2007

ヒューマンインタフェースシンポジウム2007終了

2007年9月3日(月)~9月6日(木)の日程で工学院大学で開催されたヒューマンインタフェースシンポジウム2007が終わりました。
今回は自分としても毛色の違う分野の発表でしたが、有意義な議論の時間を得られたので、今後の実践も役立てられそうです。学会発表は多くの研究者にとってはそれ自体が目的になりがちですが、本来は他の研究者との研究を通じての対話・コミュニケーションが重要であり、それを持ち帰って日々の実践にいかにフィードバックできるかに価値があると思います。
その意味では今回はこれまでの中でも自分の仕事に活かせる意義のある発表だったと個人的に実感しています。

Posted by igaiga at 10:11 PM | コメント (51)

April 06, 2007

やめられる力

企業などの組織内において新しいイノベーションを起こす人材であり続けるには、その組織を「やめても大丈夫」という臨界点をこえている必要があると思います。極端な表現をすれば「やめられる力」とでも呼べるかと思います。
アメリカがイノベーションを続けられるように思えるのも、学歴や収入の高さなどもあるし、そこで何かしらキャリアをつむことができれば、どこに移ってもやっていけるという自信があればこそだと思います。
「やめられる力」のバランスにおいて、自分の方が組織よりも優位に立てる人間を集めることができれば、イノベーションのきっかけにつながるのではないでしょうか。
(仕事に対して無責任でよい、という意味ではありません。仕事に対して失敗を恐れずにアグレッシブにのぞむには、無防備ではいられません。何も支えがないのに無鉄砲にやりたいことをやれ、とそそのかすようなやり方はあまりに乱暴だと思います。そこには単に「若さ」という「やめられる力」が裏にあればこそなのであって、その条件を満たしているかどうかを個々人が自覚している必要があると思います。)

Posted by igaiga at 08:27 PM | コメント (1397)

April 02, 2007

「モノヅクリノカタチ」出版


20070404jacket.jpg
モノヅクリノカタチ~コンテンツの企画・設計・制作プロセス

(東海大学総合情報センター新情報教育プロジェクト編/伊賀彩子,丸山有紀子,伊賀聡一郎)
というタイトルで、夫婦で編集・執筆に携わった本が出版されます。

情報技術の発達に伴い,ますますコンテンツの重要性が高まってきた.本書ではコンテンツ制作プロセスを「企画・設計・制作」の3段階に大別し,前半では必要な知識や方法論について概説し,後半では実践的なワークショップ形式の例題を掲載する.

という内容で、導入的な教科書としての位置づけとなっています。ご興味のある方はぜひ。

目次は以下のようになっています。

モノヅクリノカタチ
コンテンツの企画・設計・制作プロセス
[Part 1 知識編]
第1章 企画の章―カンガエル
  1.1 企画とは
  1.2 要望を聞く
    1.2.1 オリエンテーションの準備
    1.2.2 オリエンテーションの確認
  1.3 市場を調査・分析する
    1.3.1 マーケティングの基本発想
    1.3.2 マーケティングミックス
    1.3.3 マーケティングにおけるデータ分析
  1.4 ポジショニング
  1.5 ターゲットユーザのニーズを探る
    1.5.1 アンケート調査法
    1.5.2 グループインタビュー法
    1.5.3 レパートリーグリッド発展手法(評価グリッド法)
    1.5.4 プロトコル分析
    1.5.5 エスノグラフィカル・アプローチ
  1.6 アイディアを練る
    1.6.1 フローチャート発想法
    1.6.2 KJ法
    1.6.3 ブレーンストーミングとブレーンライティング
    1.6.4 ゴードン法
    1.6.5 オズボーンのチェックリスト法
    1.6.6 タウンウォッチング発想法とColor bath
    まとめ
  1.7 企画にまとめる
  1.8 企画書を作成する
    1.8.1 企画書のチェックポイント
    1.8.2 企画書の内容
    1.8.3 企画書の構成
    1.8.4 企画書作成のコツ
  1.9 説明する
    1.9.1 プレゼンテーションの準備
    1.9.2 プレゼンテーションの構成
    1.9.3 効果的なプレゼンテーションテクニック

第2章 設計の章―カタチニスル
  2.1 様々な設計手法
    2.1.1 絵コンテ
    2.1.2 画面遷移
    2.1.3 導線設計
    2.1.4 ラフ制作
    2.1.5 UML
  2.2 設計における試作
    2.2.1 ペーパープロトタイピング
  2.3 設計におけるユーザへの配慮
    2.3.1 ユーザビリティ
    2.3.2 バリアフリーとユニバーサルデザイン
    2.3.3 ユーザビリティ関連の規格化
    2.3.4 エスノグラフィカル・アプローチ
    まとめ
第3章 制作の章―ツクル
  3.1 絵をツクル技術
    3.1.1 イメージ・フォーマット
    3.1.2 カラーモデル
    3.1.3 画素と解像度
    3.1.4 レイヤー
    3.1.5 フィルタ
    3.1.6 ツールとしての選択範囲
    3.1.7 人間の知覚
    まとめ
  3.2 音をツクル技術
    3.2.1 アナログとデジタル
    3.2.2 デジタル音声
    3.2.3 デジタルフィルタ
    3.2.4 コンピュータを用いた作曲~シーケンスソフトウェア
    3.2.5 音符データの入力方法
    3.2.6 音源
    3.2.7 作成した楽曲の録音
    3.2.8 レコーダーとしてのコンピュータ
    3.2.9 エフェクター
    3.2.10 ファイル変換
    3.2.11 第三者が創作した楽曲
    まとめ
  3.3 映像をツクル技術
    3.3.1 撮影
    3.3.2 ビデオの取り込み
    3.3.3 クリップの配置
    3.3.4 タイトルとテロップ
    3.3.5 トランジションの設定(画面切り替え効果)
    3.3.6 レンダリング
    3.3.7 サウンド設定
    3.3.8 映像の書き出し
    まとめ
  3.4 つなぐ技術―ネットワーク―
    3.4.1 ダイナミックコンテンツの仕組み
    3.4.2 クライアント側でダイナミックコンテンツの生成
    3.4.3 サーバ側でダイナミックコンテンツの生成
    3.4.4 Webデータベース
    3.4.5 関連技術
    まとめ
  3.5 感知する技術―センサーとアクチュエータ―
    3.5.1 センサーの種類
    3.5.2 アクチュエータの種類
    3.5.3 センサーやアクチュエータの活用例
    3.5.4 センサーキット
    まとめ

[Part 2 演習編]
第4章 ミニプロジェクト
  ミニプロジェクトA:バナー広告の作成
  ミニプロジェクトB:語学学校向けオンライン予約サイトの作成
  おわりに
  モデルケース:音楽レコード会社の新人,アーティストの売り出し方のシミュレーションゲームの制作

引用文献リスト

東海大学総合情報センター情報教育の現状と展望

Posted by igaiga at 04:16 PM | コメント (744)

March 11, 2007

del.icio.usのblog postingをやめた

del.icio.usのブックマーク情報をブログエントリーとしてポストするように設定していました。ブログを更新する時間がとれないと、ブックマークばかりが並ぶことになり、何だかspamサイトのような風貌に…。del.icio.usについてはサイドメニューで十分のような気がするのでblog postingはやめることにしました。

Posted by igaiga at 03:30 PM | コメント (718)

研究スタンスに思う

http://cafe-ten.net/
昨日、大学で打ち合わせのついでに、カフェ展の出し物の様子をちょっとだけ見させてもらいました。ウェブ系のフレームワークと同様、センサー類でも非常に多くのツールがあるので、いろいろ自由に楽しくモノを作っている感じがして、自由な発想から何かが出てきそうな期待を感じました。何かしらデザインの手がかりを求めている方には楽しみなイベントだと思います。

ただ、題材として選んだフィールドに関する観察・洞察が若干不足しているのではないかと、ちょっと心配になりました。「センサー」と「スイッチ」で「どう作るか」というhowに意識をとられているような気がします。「what」「why」を問う必要があると思います。「楽しくやる」のは、当然として、何のためにやっているのかを考える場が必要なんだろうなと思いました。それを考える場として、今の日本のHCIのコミュニティは適切ではないと思いますが。

Posted by igaiga at 02:23 PM | コメント (716)

October 29, 2006

ブログが就職の「落とし穴」? ググられる学生たち

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/25/news070.html

ピンポイントで人を採用しようとしているなら、当然こういう調査はしていると思います。ここにあるような問題もゼロではないかもしれません。研究所であれば、論文書いているのかな?、どのくらい応用の利く幅広いことができるのかな?、人柄とかどうなのかな?などなど、チームとして一緒に働く人になる訳ですから、当然気にならない訳はありません。

A4何枚かでしか語れない就職の書類に加えて、無尽蔵に自分をアピールできる場でもあるわけですから、個人的にはもっとポジティブに考えていってもらえるといいかと思っています。(うそ情報で逆にイメージ操作することもできてしまうかもしれませんね…)

Posted by igaiga at 10:16 AM | コメント (713)

October 12, 2006

メーリングリスト停止のご案内がコミュニケーションの始まり

大学の同期とのコミュニケーションにはQuickMLを使っていますが、いかんせん卒業してから年月がたつと、そうそう共通の話題があるわけでもありません。
QuickMLではずっとメーリングリストに投稿がないと、自動的に「このメーリングリストは 7日以内に投稿がないと消滅します。」というメッセージが送られてきます。
するとどうでしょう、この「メーリングリスト停止のご案内」がコミュニケーションを誘発してくれるわけです。

「結婚したー」「子供うまれたー」「会社やばー」「買収されたー」…

情報発信を円滑にするにはトリガーが必要ではありますが、コミュニケーションする意思があるのであれば、その理由にはたいして深い意味がなくてもいいのではないでしょうか。

Posted by igaiga at 10:32 PM | コメント (736)

サーバー管理は究極のサービス

一昔前は、いわゆる「サーバー」がダウンするというのはとても「恥」なことだと感じていたように思います。メンテナンスが必要な場合もユーザが少ない時間帯に必死でやっていたように思います。
様々なサーバーが身の回りに増えていますが、技術がエンドユーザレベルにまでおちてきたからか、システムが複雑化したからか、理由はわかりませんが、簡単にサーバーダウンの状態を許容するように変わってきていないでしょうか。利用者を省みないサーバーも増えてきてしまっているように感じます。サーバー管理とはユーザからは存在がinvisibleである究極のサービスなのだと思います。

Posted by igaiga at 09:47 AM | コメント (0)

October 10, 2006

GoogleがYouTubeを買収

GoogleがYouTubeを買収したようです。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/10/news006.html
図書館の情報をすべてスキャンする試みなど、ページランクを活かした検索技術を軸にコンテンツそのものを押さえるところまでどんどん手を伸ばしてきたようです。「検索」という情報世界での根本課題をコアとして、広告ビジネスとメディアビジネスを融合する。すさまじい。

一方のYouTubeは、そのコンテンツは現状では法的にも非常にリスキーなものだとは思います。しかし、ユーザのスケール感というか、「走り出したら誰も止められない」構造をすでに確立しているYouTubeにとっては、既存の法律システムでは歯止めにはならないでしょう。先に行ったもの勝ちを象徴していると思います。

Posted by igaiga at 02:23 PM | コメント (704)

October 09, 2006

天秤のメタファ

ちょっとした概念を説明するのに「天秤」のメタファを使おうと思い立ちました。しかし、いざ絵を描いていると、天秤のメタファでは「重いほうが大事」なのですが、「大事ではないほうが上」にくる訳です。何かいまいち直感的ではないような気がしています。メタファやアナロジーというのはオリジナルの持つ意味合いと、ビジュアルなインパクトと、さまざまなバランスを考えないとうまくいかないものだなと思います。

Posted by igaiga at 08:41 PM | コメント (2)

October 08, 2006

マルチディシプリナリな画像理解研究


http://www.informationweek.com/news/showArticle.jhtml?articleID=189500006

http://cbcl.mit.edu/index.html

Researchers are tackling computerized visual recognition by using mathematical models that work the same way our brains process images. This approach is fundamentally different from current visual recognition methods and could result in search tools that can identify people's faces in seconds.

画像認識と脳科学など今後、マルチディシプリナリなアプローチで新しいモデルもでてきそうな気がします。既存の画像理解の限界がセンサーリッチ環境の研究を盛んにしてきましたが、これからはまた画像研究サイドからの逆襲もありそうです。チープなセンサーとしてカメラとマイクというのは既に充分にpervasiveですから、何かのきっかけで広まるのは早いでしょう。

Posted by igaiga at 03:01 PM | コメント (725)

October 07, 2006

LEDライトは見えにくい

パソコンなどにつけるLEDのライトがありますが、LEDの光は波長にばらつきが少ないのか、何か見え辛い気がします。
知り合いから教えてもらった以下のサイトには、各種照明についてのスペクトルが載っています。これを見ても太陽光や白熱電灯は、LEDや蛍光灯に比較して圧倒的に幅広いスペクトルを持っていることがわかります。
http://t.nomoto.org/spectra/000198.html

「人の目がやさしく感じるスペクトル」、「文書が読みやすいスペクトル」、「LED環境下で読みやすい文書」、「特定の環境下でのみ見える文書」など、照明光をもっとアナログなものにして人間には優しいものにすると同時に、光を使った新たな応用も広がることと思います。

Posted by igaiga at 02:58 PM | コメント (67)

NHK時計

NHK時計のブログパーツが公開されています。とりあえず張ってみますか。
http://www.nhk.or.jp/lab-blog/02/999.html
※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
Posted by igaiga at 11:37 AM | コメント (1)

October 06, 2006

del.icio.usからMTにポスト

del.icio.usからブックマーク情報を定期的にblogにポストしてくれるというのがあります。試そうと思ったのですが、MT上のいろいろなパラメータを調べるのが面倒でしたので、MTのAPIをたたく適当なPerlスクリプトを書いて情報を読み出してみました。

#!/usr/bin/perl
use strict;
use lib qw(/home/yourlogin/public_html/mt/lib  /home/yourlogin/public_html/mt/extlib); 
use MT;
use MT::Blog;
use MT::Category;
#############################
# Blog Settings
#############################
my $MT_DIR = '/home/yourlogin/public_html/mt';
#############################
# Print Results
#############################
my @arrblog = listblog($MT_DIR);
print "*blog*\n";
foreach my $i (@arrblog){
    print 'blogid:' . $i->id . "\n";
    print 'blogname:' . $i->name . "\n";
    my @arrcat = listcategory($i->id);
    print "*category*\n";
    foreach my $j (@arrcat){
	print $j->id . ' ' . $j->label . "\n";
    }
}
my @arrauthor = listauthor();
print "*author*\n";
foreach my $i (@arrauthor){
    print $i->id . ' ' . $i->name . ' ' . $i->password . "\n";
}
##### list blog
sub listblog(){
    my $dir = $_[0];
    my $mt = MT->new( Config => "$dir/mt.cfg" )
	or die 'cannot find mt';
    my $i = 1;
    my @arrtmp = ();
    while(1){
	my $blog = MT::Blog->load($i) or return(@arrtmp);
	push(@arrtmp, $blog);
	$i++;
    }
    return();
}
##### list categories
sub listcategory(){
    my $blogid = $_[0];
    my @arrtmp = MT::Category->top_level_categories($blogid) 
	or die 'cannot find categories';
    return(@arrtmp);
}
##### list authors
sub listauthor(){
    my $author = MT::Author->new 
	or die 'cannot find authors';
    my @arrtmp = ();
    for(my $i = 1; $i <= $author->count; $i++){
	my $parauth = MT::Author->load($i);
	push(@arrtmp, $parauth);
    }
    return(@arrtmp);
}
Posted by igaiga at 03:16 PM | コメント (3)

October 05, 2006

pico cricket

MIT Media Lab, Lifelong Kindergartenのpico cricketという子供向けの知育システム(?)は面白いと思います。
http://www.picocricket.com/

発想としてはLEGO/LOGO, mindstormの後継にあたります。現状では、LEGOとのシナジーは特にはないそうです。小型コンピュータにセンサー類アクチュエータ類を接続して、PC 上のビジュアルプログラミング環境でプログラムするわけです。デモで自分でプログラムを書いてみましたが、mindstormよりも明らかに直感的でわかりやすくなっています。若干コネクタ部分が露骨なので、これで子供がぶっこわさないのかなとは思いましたが、高学年向けくらいなら大丈夫なのでしょう。あと、プログラムのダウンロード時のPCとの通信が一方向らしいので、そのあたり双方向に動的にプログラム更新などできたら、phidget的にラピッドプロトタイピングに使うことも充分可能になってくるでしょう。

「子供の教育・創造性の育成」に効果があるかどうかはわかりませんが、研究用のアイテムとしても注目に値するものでしょう。

Posted by igaiga at 06:07 PM | コメント (702)

October 04, 2006

考えるだけでできる

このあたりの話しを見ても「脳で考えると、モノができる」というのは近いうちに実現される技術でしょう。
Flash, Ajax, RoR, ...プロトタイピングのツールはほとんどエンドユーザプログラミングと呼べるほどにシンプルになってきていますし、いずれエンジニアリングはエンドユーザによって行われるような世界になるでしょう。このような流れはソフトウェアの世界だけでなく、デジタルファブリケーションの世界にも影響するでしょう。デジタルファブリケーションの世界にとっては、出力技術も重要でしょうがが、入力技術がポイントと思います。入力が単純に3DのCADというのではなく、「脳で思考する」人間の認知プロセスに基づいたファブリケーションプロセス・システムデザインを意識しておいてもいいかもしれません。

Posted by igaiga at 12:08 PM | コメント (0)

October 03, 2006

組織/方法論2.0

組織が変革していくための私のイメージを示しておきたいと思います。
組織には大きくわければGenerationが3世代くらいに分けられると思っています。それぞれの世代にはそれぞれの世代で通用している「方法論」があります。方法論とは、例えば、開発の技術であったり、市場の分析方法であったり、プレゼンテーション方法であったり。それぞれを Generation Method0.0, 1.0, 2.0としてみます。一番若いGenerationが自分たちの新しい方法論を構築し、実践し、それを一つ前の世代に報告することになります。前世代の多くの人間は自分固有の方法論を持っています。その頭で次の世代の報告を聞くわけです。その前世代は、さらにその前の世代に報告する必要があります。例えば、方法論1.0の人間は、方法論2.0の知識を、方法論0.0の人間に伝えるということになります。


20061003GenerationMethod.jpg

このときに「壁」が発生します。方法論1.0を持つ人間は、方法論0.0の人間に説明する都合上、自分の方法論1.0の方法に持ち込みたい。すると方法論 2.0の人間に対して、「方法論1.0でやって」と要求することになります。方法論2.0の人間はなぜかそれよりも「古い」方法論1.0を学んで、新しいものを古い形に変換する。これが繰り返されると、組織の知は陳腐化していくことになります。

ここで組織が陳腐化しないためには、そのインタラクションの界面にあたるところを図の赤い太い点線部分から、下の青い点線部分に移行させる、つまり、方法論1.0の人間が方法論2.0を学び、方法論0.0の人間が方法論1.0を学ぶ必要があります。一世代新しい方法を基に知識の伝達が行われる、このサイクルを次々に進めていくことで、新しい方法論も生まれるだろうし、より高次の知識創造につながるでしょう。

Posted by igaiga at 06:11 PM | コメント (0)

October 02, 2006

CoPADD 2006

CSCW 2006 Workshop Collaborating over Paper and Digital Documentsに参加予定です。非常にコミティのメンバーを見るだけでも多彩で魅力的だと思います。先日ちょうど風邪でダウンする機会があったので軽い文章を書く時間がとれたというのも幸いでした。CSCW 2006の本会議の方も参加予定です。Closing Plenaryも面白そうなタイトルで今から楽しみです。

Posted by igaiga at 09:06 PM | コメント (0)

古くなっていることを自覚するということ

自分が古くなっていることを自覚することはたやすいことではないと思います。
「古くなった」と自覚すべき時は、新しい事柄の中に身体ごと・意識ごとつっこめなくなったときだと思います。「イソガシイ」とか「クダラナイ」とかいろいろな理由がたったとき、つまり意識ごとつっこめなくなったときにこそ自分が古くなっていると自覚すべきでしょう。

たぶん多くの人間は新しいことを理解できないのではないと思います。自分の知っている範囲のアナロジーで理解しようとする。これがくせものなのです。
「あぁ、それは●●みたいなもんだろ」。
The answer is yes and no. 正しいし間違っている。そういう理解の仕方を繰り返している自分に気づいたら要注意だと思います。

一方で、新しいことを追っている人間も、過去に対するリスペクトは忘れるべきでないことは当然でしょう。新しい知識が生まれるのには背景があります。その背景を知らずに新しいことだけを追うのは愚です。その経緯は古い人間が思う存分語る部分であると思っています。自分が古くなったことを認めた上で、その新しいものの道筋を語るべきでしょう。

アメリカのように年取っても誰もが若々しくタフガイであるべき、とも思いません。年寄りは年寄りでいいし、若造は若造でいいのです。ただ、互いに古くなったこと、新しいものにはその経緯があること、に気づくことが重要なのです。

Posted by igaiga at 12:25 PM | コメント (698)

October 01, 2006

ささいな工夫

ボストンに行ったときのホテルのシャワールームで写真のような小さな工夫を見つけました。写真を見れば何となく分かると思いますが、要はシャワーのカーテンの下のところに磁石が入っているものです。とても小さな工夫ではありますが、中々賢い。人間は困りごとにもすぐ慣れてしまうわけですが、ふと我に返ったときには身の回りの不都合がたくさんあることに気付くことになります。シャワーカーテンが湯気の熱気でふわっと持ち上がる。こんなことでも気に留めつつ、文句をいいつつ、解決手段を考える。人間のテクノロジーやイノベーションへのきっかけをここに見た気がします。

DSCN1378_s.jpg

Posted by igaiga at 04:06 PM | コメント (0)

September 30, 2006

Human Interface 2006

ヒューマンインタフェース学会Human Interface 2006(倉敷)に参加してきました。
美しい景観に囲まれたとてもよい環境での学会だったと思います。
発表もしてきたのですが、どうしても知財関係の都合上、3年から4年前程度の研究しか発表できず、その辺りがこの分野のスピード感とまったく相容れないところが悩みです。
論文を書くこと自体推奨されているわけでもなく、また採択率の低い学会に投稿するリスクがとりにくいということもあり、Human Interface 2006のように査読のない学会も、現況にとってはありがたいといえます。

倉敷の美観地区から会場であるアイビースクエアまでの写真を載せておきます。
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Posted by igaiga at 03:44 PM | コメント (12)

May 30, 2006

orb

ambient devicesのorbが手に入ったので遊んでみました。
色も形もかわいいですし、体験してみるとambient displayの良さというものが感じ取れることがよく分かります。

残念ながら米国外ではシリアルポートでPCに接続する必要があるので、手間もお金も掛かってしまうのが球にきずですが。

20060530orb.jpg

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May 04, 2006

忘れていた感覚

職場のウェブページ上でとある書籍を紹介した。すると年配のMさんが、

Mさん「あの本の表紙コピーさせてくれる」
igaiga「?」

最初この言葉を聞いたときにまったく意味がつかめませんでした。
本の表紙のコピー?どっか裏表紙に近い参考文献でもコピーするのでしょうか?

次の瞬間気づいたのは、本のタイトルとか著者とかをコピーしたかったのだということです。
当たり前といっては当たり前のことなのですが、最近そういうことをあまり意識していませんでした。
本を探すといえば、googleなりamazonで検索するのが日常である昨今、表紙をコピーするというのは、本当に想定外の感覚でした。
世代間の違いといえば、それまでですが、こういう体験が何か新しい技術の気付きにつながるとあらためて感じました。

Posted by igaiga at 02:47 PM | コメント (9)

February 28, 2006

Innovator's Dilemmaの組織論への応用

Innovator's Dilemmaの理論を組織論に応用できないかと考えています。つまり、人間はある組織で働いていると、その仕事を拡大し、より「上位市場」に向けて自らのワークスタイルを適応させていきます。一方では、その仕事の中での原始的・初歩的な仕事、いわゆる「下位市場」は一般に若年の社員が、より時代にあった新しい技能で担うことになります。

昇進とは、その市場では十分に仕事の幅を広げられなくなったときに起こるものでしょう。また「破壊的」なスキルやパーソナリティを持つ「部下」をそれらスキル類を活かして動かしていくのが難しいのは、より上位市場の理屈で捉えようとしているからでしょう。

「キャリアプラン」を考える上でも、このフレームワークは役に立つように考えています。持続的なイノベーションと破壊的なイノベーション…、自分の市場価値をうまくとらえられるようなフレームワークだといえないでしょうか。

p.s.
「破壊的」…身をほろぼす、という意味ではないです:-)

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November 18, 2005

決断できない日本

いろいろと海外の人間の折衝の場に日本企業が集まると、たいていの場合「ここでは判断できかねますので、社に持ち帰って上司に…検討…」となります。日本的にいえば「オトナのふるまい」なんでしょうけど…。しかし、それは、ほとんどの場合は何もことが起こらないことを意味します。その場にいた人間が、持ち帰って、そのビジネスのコンテキストを共有していない人間に報告したところで、何も決まるはずもないのです。決める人間が決める場の最前線に居る必要があります。

往々にして日本企業のマネジメントは「社内」にベクトルが向いています。社外とのつながりでコトを起こしていくという考えは、最終手段である場合が多く、起爆剤として利用することはしないのでしょう。社内にベクトルが向いているため、こういう新しいことを起こそうとする場面には、自身は出向かず、「部下」が前日などに呼ばれて「行って来い」「見て来い」とかいうことになります。決断する権限のない人間が集まって、持ち帰って検討して、またそれを持ち寄って、…これではいつまでたってもコトが起きませんよね。

決断する権限ということでいえば、「任せる」「責任」ということが中途半端なのかもしれないと思っています。「任せる+責任は俺が取る=何も任せていない」みたいなものといってもいいでしょう。マネジメントスタイル、あるいは権限委譲の新しい形が求められていると思います。

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August 31, 2005

GRブログ

http://blog.ricoh.co.jp/GR/
メーカーの社員によるブログ形式の販売促進方法の試みとして、全体の見えとしての目新しさはないかもしれませんが、面白い企画だと思います。企業とユーザ、社内と社外、ユーザ間など、様々なプレイヤー間でのエモーショナルなブランディング戦略として動向が注目されます。うまく使えばニーズ調査やプロモーション戦略につなげられるでしょう。
さて、どのように盛り上がるか(盛り下がる?まつられる?)楽しみです。

Posted by igaiga at 08:17 PM | コメント (14)

March 18, 2005

福沢諭吉と生産モデル

福沢は議論によって世界をアジテーションさせることが進歩につながると考えました。多事論争が健全な姿であり、議論を多くすることで間違いも少なく互いに進歩するというものです。

これは現代の生産プロセスにも通じると思います。生産方式ではベルトコンベア方式からセル生産方式、プログラミングではウォーターフォールモデルからアジャイルモデルといったように、洗練された分業化と工程管理という効率化のモデルから、より個人と個人が相互に「猥雑」にやりとりしながら変化に対応するモデルへと遷移しています。

これは社会主義の計画経済に対する資本主義の自由主義からの挑戦ともいえます。経済において「頭のよい人」が「すべてをあらかじめ計画する」という思想は失敗しました。人間は遠い未来を予見してモデルをたてられるものではないし、計画した人間は計画通りにいかない自分の失敗を恐れ、変化に柔軟に対応できなくなります。

工業製品やソフトウェアは、それ自身が一つの「社会」とも呼べるほどに複雑化しています。その「複雑な社会」を対象とした生産モデルにはどのようなものがふさわしいのでしょうか?

Posted by igaiga at 08:44 AM | コメント (1)

December 24, 2004

オンライン・プレゼンス

先日、とある海外のドメインから「お前のメールアドレスはメールがエラーになって帰ってくる」という連絡がありました。
職場のメールサーバでは、SPAMと思われるドメインからのメールを勝手にはじくSPAMフィルタを導入していたため、彼のメールは私の知らないところではじかれていたのでした。そのため、彼はウェブ上で私の個人的なウェブサイトを検索して、そこに記載してあるアドレスにメールしてきたのでした。
自分のオンラインのプレゼンスを各人が確保しておく必要性を改めて感じました。
しかし、私のウェブサイトでは「私が私」である情報は十分には公開していませんでしたが、彼はどうやって「私が私」であることを確信したのでしょうか?本人を保証するのは割と難しい問題ですよね。

Posted by igaiga at 12:34 PM | コメント (0)

August 14, 2004

アートとユーザインタフェース

アートとは、現実や非現実のある瞬間を切り取り、それを増幅してわれわれに見せてくれるものといえます。
現在のユーザインタフェース(UI)研究、特にインタラクティブシステムの技術開発の多くはアートのそれに近いといえます。あるユーザの抱える問題現象の一部を切り取り、問題を強調し、技術によってその解決の一部を見せるというものです。

生態学には「How Question(至近要因)」と「Why Question(究極要因)」という分析にあたっての分類があります。
How questionは、ある生物学的現象がどのようなメカニズムによって成り立っているのかを解明することを課題としたものです。
一方、Why questionは、その生物学的現象にはどのような意義があるのか、言い換えれば、その現象が持つ適応的意義が何であるのかを解明することを課題としています。
例えば、「なぜ渡り鳥が南へ飛んでいくのか」という問いに、鳥の体内のホルモンバランスの変化から説明しようとすればHow questionで、南へ行くことによって鳥がどのようなメリットを得ているのかを論じればWhy questionということになります。

ニールセンや黒須は、モノの有用性(usefulness)には、utilityとusabilityがあるとしています。utilityは機能や性能のことであり、usabilityはユーザがそのモノを使うことができるかどうかに関わるものです。

utilityにしてもusabilityにしても、現状のUI研究の多くが対象としているはHow Questionであるといえます~ある実験的なタスクを与え、ユーザがある部分で困難を感じる、その問題の起こるメカニズムを明らかにし、ある種の解決方法を提示する。

昨今では、エスノグラファーがUIの研究グループに入るケースが多く見受けられます。エスノグラファーのチャレンジは、これまでのUIのアプローチとは少し違って究極要因(Why Question)をいかにして抽出するかにあるといえます~現場(フィールド)に入り込み、ユーザがどのようなコンテキストの中で、どのような目的で、どのような行為をしているのかを観察・分析する。

いわば、ユーザインタフェースが広義のアート(art:人が造りだしたもの)であるのに対して、エスノメソドロジーはネイチャー(nature:自然、生まれながらものの(神の造りだしたもの))を受け入れようとするものなのかもしれません。

しかし、エスノメソドロジーのように人間の行動をありのままに観察するアプローチにしても、メーカーにおいていざそれを製品・商品にまとめあげようというフェーズになると、結局は自社の技術、手持ちの技術で無理やり何とかしようということになります。商品の強みはどこにあるのか、他社とどう差別化するのか…、つまり、ある一面にフォーカスしてそこをいかに強調してみせるかというアートの手法です。
しかし、実際われわれが直面する問題はそのように切り取られた「部分」ではありません。UI研究の見せてくれる切り取られた一部は、それだけを見ると確かにそこに問題があり、そのシステムなりが有効であるかのように納得し錯覚してしまいますが、人間の行動全体、情報のフロー全体を眺めると、いつも首をかしげることになる。

人間は自然を征服し、それを自らの手で変化させて進化してきました。
ユーザインタフェースがアートである以上、正しかろうが間違っていようが、答えがあろうがあるまいが、ネイチャーに対する挑戦を続けていくのでしょう。

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March 22, 2004

「察するから雑する」へと変容するコミュニケーション

通勤時の事故による振り替え輸送で電車が大混雑しているさなか、「携帯電話の利用マナー」の車内アナウンス。車内はすし詰めです。誰も携帯電話を利用できる状況ではありません。本来は事故の復旧状況や振り替え状況のアナウンス、混雑をわびるアナウンスを行うべきであり、携帯電話の利用マナーのアナウンスは利用者にとってあまりにナンセンスなものだと思います。

電車の車内アナウンスに限らず、店の販売員や営業など、カスタマーやクライアントと接する人間のコミュニケーションのマニュアル化が進み、逆にコミュニケーションが「雑」になってきていると思います。本来コミュニケーションは人と人の情動的なつながりをもたらすものであり、相手の心情や状況を察し、それに応じて行われるものです。
コミュニケーションが、「察」から「雑」へと変容してきていると思います。

企業が利益を上げることによって存続する集合体である以上、いわゆる企業研修などを通じて構成員のコミュニケーション能力を向上するのは良いことだと思います。
また、コスト削減のために、本来「人間」が応答すべき所にインタラクティブシステムを導入することも増えてきているのは、研究者としても課題が増えるので良いことだと思います(…)。
しかし、これらが成立するのもカスタマーやクライアントの視点に立っている場合の話です。
相手の状況を考えずに形骸化した態度をとったり、あるいは相手をコントロールしてやろうとか、利用してうまく使ってやろうとか、少しでも利己的な発想が加わると、例え瞬間的にはうまくいったとしても、後々の人と人とのつながりには良い影響は残りません。

「足元を見る」という言葉があります。相手によって「値段」を変えることは決して良いことだとは思いません。しかし、相手を観察し、状況を察し、それによってコミュニケーションの仕方を変えることは、とても人間的であり、人と人とのつながりの基本になる行為だと言えます。

ちなみに私の文章も「雑」文ですが…。

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February 14, 2004

アメリカの「耳」

先日アメリカ出張から戻って参りました。カリフォルニアのあたりをいろいろと廻ったのですが、暖かく、気候も良く、気持ちが良いところでした。

ところで、アメリカは自己主張の国と言われています。アメリカから戻られた日本の方の多くは「speak out!アメリカだともっと自己主張しないと」とおっしゃいます。事実、アメリカの人は非常によくコミュニケーションをとります。よくしゃべることがあるな、といつも思います。

アメリカの人を観察していると、日本人との大きな違いを目にします・耳にします。
それは、アメリカの人は、自分のパーソナルスペース外からのコンタクトに対しても常に「耳」が働いているのです。日本人は、基本的に自分の間合いにいる人しかコミュニケーションの対象としていません。これに対してアメリカの人は、自分と関係のない他人から急に話しかけられてもコミュニケーションをとる準備ができているように見えます。

例えば、アメリカにいると、街で道端にいるだけで自分の真後ろから突然道を聞かれたりなど話しかけられることがあります。電車に乗ると、「これはどこ行き?」という話題から自分の家族の話まで、関係ない人同士が何てことはない会話をすぐに始めます。
私も、アメリカに着いてすぐのときは、この「アメリカ人の耳」の感覚を忘れていて、急に話しかけられてコミュニケーションの態勢がとれないことがしばしばです。
例えば、レストランで連れと話しているときに、「Everything OK?」と給仕に突然割り込まれても、反応が遅れて返事ができません。
「何だあの国のやつらは?よくわからん」と日本人が誤解されやすいのは、このパーソナルスペース外からのコンタクトに対する感度の違いであると思います。

アメリカの人は「自己主張する」と言われます。しかし、あれは自己主張ではないと思います。話している内容はほとんどが別段深みのあるものではありませんし、日常のおしゃべりであったり、仕事の内容にしてもちょっとした内容の確認程度です。「アメリカ人の自己主張」というのは、実時間のやりとりの流れの中で互いの状況やパーソナリティを理解して行くというコミュニケーションの密度や感度の違いが生んだ、ひとつの幻想であると私は考えています。

市場や経済などがグローバル化してきています。世間でも日本人もグローバルに競争するにはもっと自己主張を、と言われているように思います。それが必要であるとは思います。しかし、その主張のベクトルは違っていると思います。私は何もかも実時間のコミュニケーションの中で理解を造り上げるというアメリカ的な文化になることが自己主張であるとは思いません。日本人の他人を慮る洞察力や配慮の文化を忘れるべきではないと思います。今、日本人に必要なのはこのコミュニケーションの仕方の違いがあるということを自覚し、その違いを世界に知らしめることであると思います。

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November 17, 2003

多様な情報と単一的なビジョン

World Wide Webの普及と検索エンジンの高性能化により、少なくともネットワーク接続可能な環境下では、あらゆる情報を手軽に手に入れることができるようになってきています。情報(情報ソース)が増えることで、情報収集への欲求も高まります。仕事自体も「情報」が中心に見える世の中になってきているといえます。

ところで、Hypertextの世界にはHubとAuthorityという考え方があります[Kleinberg1999]。良いHubとは良いAuthoritiesへのリンクを持っており、良いAuthorityとは良いHubsからリンクされているという相補的な関係を持つ概念です。例えば、もし皆さんがほしい情報の載っている頻繁に利用するリンク集のページやポータルページがあるとしたら、それは良いHubといえます。技術資料や論文資料など頻繁に訪れるコンテンツページがあるとしたら、それは良いAuthorityといえます。 Googleのページランクなどもこのような手法をベースにしていると思います。

コンテンツの中には、HubやAuthorityに単純にカテゴライズできない性質のものもあります。ちょうど美術館のキュレータのように、良さそうな情報をうまく並べるようなものです。ここでは、これらの情報源を「Para-Hubs・Para-Authorities」と呼びましょう。「Para-Hubs・Para-Authorities」の例としては、テクノロジー系のニュースや製品レビューのサイトなどが挙げられるでしょう。多くの方はZDNetなどのテクノロジー系ニュースサイトをブラウズされていることと思いますが、これらのサイトは有益な情報源を発信しているという意味ではAuthoritiesとしてカテゴライズすることもできますし、さまざまな企業を探し出すポータル、製品へのリンク集としても利用できるという意味ではHubsとしてカテゴライズすることもできます。

ここで問題としたいのは、最近のナレッジワーカー(研究者・技術者など(?))が自分の専門とする領域の話題でさえも「Para-Hubs・Para-Authorities」の提供する情報を中心として情報収集している点です。
Web隆盛以前では、自分の研究領域に関する情報の収集は、国際会議や国内の主要会議の予稿集、学会誌などを読むことが主流だったと思います。そこでどのような新しい流れが起ころうとしているのかという判断には、個々人の視点で読み解く余地があったと思います。

ところが、最近ではPara-Hubs・Para-Authorities的なサイトの提供するコンテンツのみを参照しているケースが目立つように思います。これにより多様な情報をこそ扱ってはいるものの、ビジョンとしては単一的なものになってきてはいないでしょうか。ネットニュースの結論への全面的な依存。個々の研究の背景、研究の経緯、研究者の経歴、残課題、応用、Para-Hubs・Para-Authoritiesによってまとめられた「以外」の注目すべき話題・技術、などへの探究心の欠如。自らの目で見、自らの耳で聞き、「手足」を動かす術を失った人々。

これこそサイバースペースにおける究極の「Para-Site(パラ・サイト)」化と呼べるのかもしれません。

[参考文献]
J. Kleinberg, Authoritative sources in a hyperlinked environment, In Proc of 9th ACM-SIAM Symposium on Discrete Algorithms, 1998. Extended version in Journal of the ACM 46(1999). Also appears as IBM Research Report RJ 10076, May 1997.

Posted by igaiga at 10:46 AM | コメント (1)

November 05, 2003

HCIの流れと仕事の流れと情報の行く末

ナレッジワーカーを支援する研究開発を行う上では、オフィスや会議などの「場」を支援することや、部分的に情報機器を提供してユーザの効率を上げることが本質なのではなく、いかに知識を表現させて、他者あるいは時間的に異なる自分自身に伝えさせるのか、に本質があると思います。

オフィスや会議というアプリケーションフィールドを例にとると、これまでのHCIの支援技術は、徹底的に情報を電子的に扱って効率を上げようとするもの、従来の「紙」と電子情報のメリットを融合するものなどがあります。

紙という媒体は、知識を表現し、知識を蓄積し、知識を伝播することができる点において優れたものです。複製もできるし、削除(やぶる・燃やす)もできます。さらに、インデックスをつけることにより検索も行えます。

一方、電子媒体も、知識を表現し、知識を蓄積し、知識を伝播することができます。もちろん、複製もできるし、削除もできるし、検索も行えます。

両者の大きな違いといえば、操作性について紙媒体の方が電子媒体に比較して現時点では優れている点、保存・蓄積について紙媒体には量的限界があるが電子媒体は計算機のメモリのみに依存する点、の2点でしょう。 Augmented Realityやタンジブルインタフェースなどのアナログ媒体をインタフェースとする研究の多くは、これら紙と電子の両者のメリット部分をうまくバランスさせることに主眼があるのだといえます。

では、この2点のバランスをうまくとったHCIのアプローチがナレッジワーカーを支援する最適解になり得るかというと、そうではないと思います。紙媒体も電子媒体も比較すればわかるように、ほぼ同じことができているのです。紙媒体や電子媒体をシームレスに扱えるインタフェースがあったとしても、ビジネス的・プロダクト的な要素を除けば、それは「あればあったで良い」というものであり、「無くてもいい」ものなのではないでしょうか。誤解を恐れずに書くとするならば、結局、情報を紙で扱おうと、電子で扱おうと、それはユーザの好みによって変わるバリエーションに過ぎないのではないでしょうか。 (もちろん、身体的に障害を持つユーザなど、どちらか一方あるいは双方を必要とする方はいらっしゃいます。)

従来のHCIは知識の「表現」の部分、特にリアルタイムな知識の表現をいかに効率的にあるいは面白く行えるかが研究の主眼であったように思います。それはそれで目先を変えることで新しいビジネスドメインの開拓には結びつきますが、本質的に人間の作業を変えるには至らないのかもしれません。

HCIが今後さらに進化するには、インタフェースの提供する機能が、知識の表現、知識の蓄積、知識の伝播の各プロセスについて、各プロセス単独に関わるだけでなく、知識の全サイクルを含めて、すべてのプロセスに一貫したインタラクションスタイルでユーザ・ユーザ群が関わることができるようなものを作り出す必要があると思います。なぜ某MS社のアプリケーションが圧倒的に利用されているかといえば、それは少なくともPCの起動、ドキュメントの作成・保存、ドキュメントのやりとり、PCのシャットダウンまでの仕事のながれを一貫した方法で行えるからでしょう。 (「一貫して使いやすいか」「一貫して使いにくいか」という話はまた違う次元の話として…)

このように考えを進めると、紙と電子の違いには前述の2つの違いに加えて、将来的な仕事のプロセスに対する適応力も加味(紙?)しなくてはならないでしょう。「紙」はこれまで過去の作業においては、知識の全サイクルを含めて一貫したインタラクションを行えるものでした。例えば、承認プロセスひとつをとってみても、紙書類一枚を社内便でやりとりしていけば、単一のフォーマットを持った書類のみで、書類の作成から承認までを行うことができます。情報の交換についても、印刷して他の人に見せる、という簡単なやりとりで実現できています。しかし、現在と今後の仕事のプロセスを考えると、「紙」への執拗なこだわりは危険もはらんでいるといえます。つまり、メールやグループウェアなど仕事のプロセスが電子化されている昨今、紙と電子で同じことができているからといって、「同じ将来を持つ」と結論付けることはできないと思います。たとえ紙の方が情報交換などのパフォーマンスが優れていたとしても、その後の仕事のプロセスにのらない、あるいはどこかの仕事のプロセスで異なるインタラクションスタイルを要求されるとしたら、すべてが「紙」という時代に戻らない限りは、ユーザは多分に「電子」を選択していくと私は考えています。

Posted by igaiga at 10:07 AM | コメント (702)

October 09, 2003

解をださないHCI

企業にとってHCI(Human-Computer Interaction)研究に比重を置くのに二の足を踏むのは、通常の技術開発が「解」を提供するのに対して、現状のHCI分野がバリエーションを提供することに終始しているからではないでしょうか。

解を出す技術開発では、成果をプロダクトに直結させられる安心感がある。一方、バリエーションを提供する技術開発では、それは難しい。例えばテキストから情報を抽出したいといえば、「検索」「マイニング」のようにstraightforwardなアプローチがあります。それが無ければ非常に困るし、効率が悪い。
これに対して、HCIはそのときのベストエフォートなものを提供するのが精一杯です。マルチモーダルインタフェース、視覚化、実世界指向インタフェース、拡張現実感、タンジブルインタフェース...。言葉は違えども、情報を操作するためのバリエーションであり、解ではない。バリエーションは増えていきますが、いつまでたってもそれを手元に所有する欲が出ない。別に無くても困らない。

多くの企業は、産業革命以来の流れを汲んだ大量生産に向いたプロダクトを提供することに長けています。一方、バリエーションを提供するということは少量多品種生産の世界に向いているのではないでしょうか。産業全体の構造が変わらなければ、HCIの持つバリエーションを提供できる強みが活かせないのかもしれません。

既に成熟した世界であれば、もちろんHCIが強みを持つように思います。十分にアプリケーションとして成熟している世界、すなわち技術が十分に枯れており、ユーザのかかえるタスクが明確に理解され、ユーザ層も限定できるような世界であれば、バリエーションが増えることでプロダクト群に深みを持たせることができますし、新規ドメインの開拓にもつなげられます。

上のような議論を踏まえると、HCIのような研究開発を進めるにあたっては、2つのアプローチがあるように思います。


  1. 産業全体の構造が変わった後のメリットを提供する技術開発。
  2. 既に成熟した世界に対してメリットを提供する技術開発。

当然のことですし、とくに目新しいことではありません。
しかし、現在の産業の構造を基盤としている上にHCIのアプローチを適用しても細かな差異に過ぎないものしか提供できないように思います。また、成熟していないと思われる世界に対してバリエーションを提供するアプローチを適用しても、ユーザへのプロダクトにつなげるインパクトは少ないと思います。

情報世界は産業の構造を変えたのでしょうか?
あるいは、情報世界はすでに成熟したのでしょうか?

Posted by igaiga at 08:53 AM | コメント (697)

September 18, 2003

Cockroach computing

ハエ、ゴキブリ、ムカデ、ヤスデ・・・

実にubiquitousなやつらであります。彼ら(彼女ら)は、ほぼ季節・場所を問わず、地球の循環系の一部として古代より絶えず活動しています。彼ら(彼女ら)は我々の身の回りに遍く潜んでおり、(時折活動の一部を見せることで我々を驚かしはしますが、)普段は我々の目にとまることは少ないといえます。すなわち、はubiquitous(あるいはpervasive)であり、かつ、invisibleであるともいえます。

一方、セミ、トンボ、カブトムシ、クワガタのように季節限定・地域限定のやつらもいます。彼ら(彼女ら)の多くは、その活動を我々の目に見える形、耳に聞こえる形で露にしています。すなわち、彼ら(彼女ら)はvisibleであるといえます。

これらvisible/invisibleを分ける要素は何でしょうか?それぞれがvisible/invisibleな世界で生きるために備えた機能は何でしょうか?

私はそれは、外界を感知(sense)する機能、すなわちセンシング機能だと考えます。「ゴキ」はその最たるものであり、こちらの動き、微妙な振動、臭いを感知し、自らの身の安全を図りながら、食料確保のために活動しているように見えます。「ムカデ」についても、こちらの体温や振動などを感知し、危険を察知すると回避行動を取ります。一方で、visibleなやつらの多くは、我々人間が居ることもたいして気にとめることもありません。このように、彼ら彼女らがinvisibleであるためには、外界を常に感知する鋭いセンサーと、それぞれの生態に適した移動手段(アクチュエータ)を持つ必要があるのでしょう。

ここで、情報機器の世界に話をうつして見ましょう。現在のコンピューティングのトレンドはUbiquitousというキーワードに集約されつつあります。3C(Computing, Contents, Connectivity) Everywhereといわれるように、いつでも・どこでも情報の恩恵を受けられる環境を提供することがそのねらいです。しかし、情報機器群が「遍在(ubiquitous)」するだけでは我々人間は情報を有効に利用できません。 Ubiquitous computingを提唱したM.Weiser自身が後にCalm computingと考え方を変えてきたように、我々人間の目的は遍く存在する情報機器を操作するのではなく、我々が実世界のタスクを遂行する上で、必要な情報を、その情報の操作を意識することなく得ることができる、すなわち情報機器そのものは我々の前から姿を消し(invisible)、我々は目の前のタスク遂行のために活動できる環境の実現、こそが重要なわけです。

いかんせん、現在のコンピュータの多くはWIMP(Windows, Icons, Menus and Pointing device)型のインタラクションスタイルを採用しているわけですが、そのほとんどは我々の実世界のタスク遂行以上に我々にそれら機器の操作を強く意識させるものであり、常にvisibleな存在であるといえます。これらのvisibleな情報機器のほとんどは我々の活動について気にとめることはありません。彼ら(彼女ら)の論理を通すのみです。

では、彼らがCalmやinvisibleであるような存在になるためには、何が必要なのでしょうか?

ここで、冒頭のvisible/invisibleなやつらの話について思い返してみますと、情報機器がinvisibleになるためには、やつらがそうであったように外界の状況を感知する機能が重要になってくると思われます。「ゴキ」がそうであったように情報機器も、我々の動き、微妙な振動、臭い(?)を感知し、自らの位置付けや役回りに従って活動する必要があるのだと思います。情報機器が古代からのinvisibleなやつらよりも有利である点は、「情報」を扱えるという点でしょう。すなわち、それぞれの環境に適した移動手段(アクチュエータ)を常に持つ必要はなく、複数の情報機器間で情報をやりとりするだけで、移動したことに匹敵するパワーを得られるということでしょう。ただし、移動する役割を持った情報機器や、情報機器自身が破壊されやすい環境にあるような情報機器については、ある種のmobilityを持つ必要はあるでしょう。 (BrooksのSubsumtion Architectureをベースにしたロボットをイメージしてしまいますね…)

今後、ロケーションアウェア、コンテキストアウェアな情報機器・情報操作環境の研究がますます盛んになるでしょうし、これらの研究成果をベースにした商品群が数多くでてくるでしょう。これらの情報機器が我々にとってcalmなもの、invisibleなものとなるようなインタラクション技術の研究が重要となります。

情報機器自身が自らを物理的にinvisibleな状態にするようにアクティブに行動するコンピューティングをcockroach computingとでも呼んでおきましょうか。それらはあなたのデスクの下に常に潜んでいることでしょう。

Posted by igaiga at 08:49 AM | コメント (1422)

August 21, 2003

Can user interface be the business chance?

多くの企業でそうであると思いますが、「ユーザインタフェースはビジネスにならない」という言葉を耳にします。確かに人間的要素がかかわる分、継続的な観察と改善が必要であり、基盤デバイス研究や材料系研究のように、パテントで押さえる、あるいは一発当たれば勝ち、という発想はうまくいかないように思えます。ユーザインタフェースがビジネスとして成功するためには、2つの考え方が今後のキーになってくると思います。

第一のキーは、ユーザインタフェースが単なる「表層デザイン」であるという誤解を解くことにあると思います。装置・機器やアプリケーションなどインタラクティブシステムのユーザインタフェースが担う役割は単なるお化粧ではなく、ユーザがシステムを利用しようとイメージし、システム前に物理的に移動し、システムの操作を開始し、システムとインタラクションし、それによって目的を達成するというインタラクションの包括的なデザインを行うことである、という発想が今はまだ足りないように思います。すなわち、ユーザインタフェース研究とは、ユーザの何らかの課題を解決するための道具(インタラクティブシステム)そのものを産み出すことそのものに他ならないといえます。
「やさしい」インタフェースがターゲットユーザにとって使いやすいかどうかは、本質的にインタラクションデザインが吟味されているかどうかを考えないといけないと思います。一見複雑なユーザインタフェースであっても、タスクをうまく表現しているものであれば、ターゲットユーザにとっては使いやすいものになるかもしれません。ユーザが何をしたいのか、何が達成されるべきタスクなのかといった理解と、それに対するソリューションの創造がユーザインタフェース研究のミッションであるという認識が重要になると思います。

第二のキーは、ユーザによるベンチマークの必要性です。ユーザインタフェースは単純にタスク達成までの経過時間やステップ数だけでは評価しにくい世界です。他のシステムより1秒早く課題を達成する代わりに、ユーザが寿命を1年縮める思いをしなくてはいけないのでは困ります。しかし、評価できないのでは、何を以って「買い」なのかをいつまでたっても判断することができません。
これに対しては、クロックスピードなどのスペックベースの評価手法から、何らかのタスクベースのベンチマーク手法が必要になるように思います。具体的な案を述べられるとよいのですが、今の時点ではどのような手法が最善であるかはわかりません。ある種のデファクトスタンダードを提供する企業が、結果としてたたき台となる商品を提供し、ユーザインタフェースが進歩するのではないかと思います。
少し外れるかもしれませんが、ISO13407のような設計開発プロセスが発展すると、ユーザにとってひとつのベンチマークになるのかもしれません。ターゲットユーザをいかにしてしぼりこんだのか、タスクをいかにしてブレイクダウンしたのか、その個別のタスクの持つ課題に対してどのように技術を適用したのか、その後どのように評価したのか、といった設計開発プロセスを互いに開示していくというものです。これらのプロセスが一般ユーザにとって理解できるプロトコルで伝えられれば、商品の持つメリットの新しいアピール手段になるかもしれません。

Posted by igaiga at 09:02 AM | コメント (0)

August 16, 2003

Universal Design=Universal Function

ユニバーサルデザイン(UD)という言葉も一般的になってきました。
玄関先のアプローチから庭先までのUD、 住宅、エレベータや蛇口など一般に使い難いとされている道具に関する改善、 リモコン・PC・携帯電話、椅子・電話・食器類、車いす、ドア・手すり・かぎ穴、…。

さて、情報機器に関してもユニバーサルデザイン化が叫ばれていますが、アナログ製品のUDの成果を見てつくずく感じるのは、「Universal Design = Universal Function」であるということです。ある道具・機器のデザインがユニバーサルデザインとして成立するためには、それらの機能(Function)がユニバーサルであること、すなわち機能が普遍的であることが大前提であるということです。スプーン、フォーク、いす、手すり、いずれを例にとって考えてみても、機能はいたってシンプルであり、シンプルであるが故に「ユニバーサル」なデザインを展開することが可能なのだと思います。

そこで、情報機器のユニバーサルデザイン化というのは可能なのかどうかを考えてみたいと思います。個人的には現時点でのユニバーサルデザイン化は難しいと考えています。それは上述した観点からも情報機器の機能面での普遍性が得られていないことからいえることです。

アップルを例にとってみましょう。アップルはビジョンとして、コンピュータは「コンピューティングをする人」ではなく「その他の人」のためのものとした点でもパソコンのユニバーサルデザイン化を狙った最初の企業といえるでしょう。現在でもアップルはAquaデザインのパソコンを販売していますが、パソコンのユニバーサルデザイン化が成功しているかというと、現時点では成功しているとはいい難いです(ハードウェアをビジネスとする潜在的な限界というのももちろんあるでしょうが)。その表面的なデザインがある種のニーズを持つことは明らかですが、パソコンの利用者に対する普遍性、すなわち「その他の人」のためのパソコンが提供できたかというと、アップルという企業自体がが「その他」になってしまったというのがひとつの結論ではないでしょうか。

では、情報機器が多くの人がそのメリットを享受できるようなユニバーサルデザイン商品として成功するにはどうしたらよいのでしょうか?そのひとつのヒントはやはりユニバーサルファンクション化(ユニバーサルな機能の洗練化)にあると思います。では、ユニバーサルファンクション化とは何なのでしょうか?ノーマンはその著書Invisible Computer中では、情報機器は今後「情報を処理」するためのvibibleなものから、人間の個々のタスクこそがvisibleなのであり情報機器自体はinvisibleなものになると述べています。それらをノーマンはinformation applianceと呼んでいます。ただ機器が多機能であるだけでなく、それぞれのタスクに適した道具だてが用意されていて、必要に応じてそれらがインタラクションすることで人間のタスク遂行を支援していく。まさにユニバーサルファンクション化というのは、ノーマンのinvisible computerの着想に通じるものであると思います。 もちろん、ここでのユニバーサルファンクション化というのは、単純に「単機能化」を図るのではなく、人間が何をしたいのかという人間の潜在的なタスクをいかに明確にできるかということです。

ユーザが何をしたいのか、それぞれの情報機器が支援すべきタスクが十分に明確でない現在、「情報機器」をユニバーサルデザイン化してしまうことは、本来コンピュータの恩恵を受けるべき人々に恩恵を受けられなくしてしまうことが危惧されます。 それぞれの情報機器が果たすべき本来のタスク支援形態が明確になってきた時点、すなわち情報・情報機器のあり方、情報機器の役割、情報機器の限界が見えてきた時点になってはじめてユニバーサルデザインな情報機器が現れてくるのではないでしょうか。

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August 13, 2003

"Isogasing" Computing

私は普段のスケジュール管理やメモ帳にPalmIIIcというPDAを利用しています。
PDAは当初の設計思想を反映して、通常のPCに比較して、入出力手段を簡素に、機能も簡素にデザインされている点が良いと思います。

ふと思ったのですが、携帯電話に電子メール転送して読み書きしたり、PDAでスケジュールを確認したりしていると、別段特に忙しい時でなくても、何だかいろいろな事柄がつまっているように感じることがあります。情報機器とのインタラクションには、何か特有の「仕事フェロモン」のようなものがでているのでしょうか。

Isogasing Computing(忙シングコンピューティング): 情報機器とその情報に囲まれ、何か忙しくて手一杯な気になってしまうインタラクションスタイル
などと呼べるのではないでしょうか。 という訳で、情報機器とのIsogasing Computingスタイルが
Intelligent Smart Office Gadgets And Systems If they would Not Getting in my way ...
になるのはいつの日になることでしょうか。
Posted by igaiga at 12:00 PM | コメント (678)

Information Technology ≠ IT

インフォメーション・テクノロジー(IT)の発展は、私たちの仕事や生活の幅を広げてくれているといわれています。もの、サービスを売り続けていかなければ企業は生きていけません。そういう意味では、ある種の雇用や設備投資を生み出しているITの恩恵を受けているといえます。

しかし、IT技術を利用する人々に本当に恩恵を与えているのかは疑問を持たざるを得ません。 ITの中心となるのはコンピュータですが、用途が拡大し、多くの人が「計算」などしない今となってもそのパラダイムは過去の「計算機」のままです。また、そのユーザインタフェースも、キーボードやマウスなど「計算」するには適しているといえますが、計算しない人にとっては困惑させるだけの道具だてといえます。

本来、計算機科学、特に、ユーザインタフェース研究の目的は、コンピュータにより何らかの効用を引き出す手続きがある場合、その効用を維持あるいは拡大しながら、そのインタラクションステップやインタラクションコストを減らすことにあります。

ところが、現状のWWWを中心とした情報機器のユーザインタフェースを見ていると、人に大量の情報を与えるのみで、人はひとつひとつの情報といちいちやりとりしなくてはならないものが多いといえます。情報とは質の良し悪し、量の多少などの評価を伴わないので、それを吟味し判断し、知識(knowledge)としてまとめることは人がやらなくてはなりません。単純に「ファイルはすべてアイコンで視覚的に表現されているから、わかりやすいでしょ」といわれても単に文字が絵に変わっただけでは、そのファイルとやらを人が操作する場合のステップやコストはあまり改善しているとはいえません。

本当に人にとって必要なのは「情報(information)」でも「技術(technology)」でもないと思います。 「IT = Intellectual Teapot」とでもいいますか、何かもっと「情報・技術」ではなく、ほしいときにほしいだけ知識が得られる、気軽な知識の注ぎ口のようなものになっていると良いのではないでしょうか。 IT = Information Terrorにならないよう、研究者、技術者ともに心に留めておくべきだと思います。

Posted by igaiga at 11:56 AM | コメント (5)