サイバーオペラ


岩竹 徹



響きのリアリティ

コンピュータ・ミュージックという言葉から、皆様は何を連想されるでしょうか?電子音?MIDIシンセサイザ?シークエンサのジャスト・ビート?難解なアヴァンギャルド?テクノポップ?ニューエイジ、、、?
今回のコンサートでご紹介させて頂きたいと思っている音楽は、これらのどれでもありません。たぶん皆様がまだ聞いたことの無い種類の音楽ではないでしょうか。今日私達はあらゆる種類の音楽を聞く事ができるにもかかわらず、さらに異なる響きを持つ音楽を創造する必要があるのでしょうか?またそれは可能なのでしょうか?
私は思います。今回ご紹介する音楽は、実は誰でもが良く知っている音楽ではないかと。心の奥底で、悠久の過去から常にそこにあった響きではなかったかと。すべての人に聞こえていながら、かつて一度も音楽としてリアライズされた事のない響き、それが私の探し求めてきた音楽である様に思われます。私にとってコンピュータとは、この響きを実現するために必要不可欠な道具であり、探究の方法であり、変換のテクノロジーであり、表現のメディアなのです。



息の音

ここ数年間の私の関心は、私たち自身が絶えず聞くともなく聞いている生命の響き、つまり呼吸が作り出す息の音にありました。息のエンヴェロープには、生命のクオリティに関する多くの情報が含まれている様に思われます。息の音から出発した私の関心は、感情によってモジュレートされた息使い、感嘆詞、声の表情、忘我状態での発話などの問題に発展しました。私の課題は、これらを成立させている身体の秘密に迫る事であり、またこれら生命のクオリティを媒体として、劇的なものを音楽の中に蘇らせる事でした。 今回の個展で使われる主要な音響素材は息の音です。ソプラノと謡で代表される声は人間の身体そのものを変換装置にして作られる息の音ですし、尺八、笙、能管などの竹を共通な素材とする管楽器も息の音を変換するたの装置です。今回の個展では、さらにコンピュータが息の音を様々に拡大/変容させる装置として使われていますが、それに加えてコンピュータ自体が音響生成を行う非常に洗練された楽器としても使われています。



日本の伝統楽器

息の音と向き合って以来、私は日本の「伝統音楽」と呼ばれているジャンルでは、自然な呼吸のリズムと響きが非常に良く生かされている事に気付きました。声楽にしろ器楽にしろ、何と多様な音色とリズムのスペクトラムがある事でしょう!西洋の楽器はメカニカルに洗練され、ピッチと音色を特定の方向へ進化させ、その上で独特な音楽理論と作曲の体系を発達させて来ましたが、日本の楽器は全く異なる進化を遂げました。それは息の持つ豊穰な響き自体を引き立たせる事を通して、身体に潜む人間的なものを直接表現する方向へ進化した様に思われます。この特徴は、呼吸のリズムから導かれる「間」と呼ばれる時間の構造にも現われている事は、既に皆様ご存じの通りです。これらの事実から、日本の伝統音楽では、演奏を通して身体に潜む暗黙知を直接表現する事に関心が注がれて来た、とは言えないでしょうか。そしてこの暗黙知の中には、人類に普遍的な「何か」が隠されている様にも思われます。
私は、決して西洋音楽を否定しようとか、日本の伝統音楽を復活させようとか、そんな大それた事を考えている訳ではありません。そうではなく、新しい音楽を創作しようとする場合、私の耳には日本を始めアジアの伝統音楽で使われる楽器の音が、とても新鮮で魅力的に響くという事なのです。どうやらこれには上で述べた事以外にも理由がありそうです。実は測定によって明らかにされているのですが、一般にアジアの伝統楽器の音には超音波成分と超低周波成分が豊かに含まれています。この事実が持つ意義はまだ十分に解明されてはいないものの、耳に聞こえない周波数成分が音色知覚に影響を及ぼす事は実験的に知られていますので、日本の伝統楽器による生の音をコンピュータ音響に加える事により、音色知覚が豊かになる可能性があります。さらに、息の特性を活かしてノイズを多く含んだ響きを作り出す事もできるので、日本の伝統楽器は大変に魅力的なのです。



創作論

今回の個展で発表される作品に共通する原形的なイメージは、虹、霞、蛇、月、夢、天の川、松明の炎などであり、またこれらを背景として繰り広げられるドラマです。何故これらのイメージが選ばれたのか、これはもはや合理的に説明できる事柄ではなく、私個人の無意識に潜む身体的な衝動から生み出された、としか言いようがありません。このレベルでは、分析的なアプローチは無力に思われます。そうではなく、イメージそのものになる事が重要なのです。
長い暗中模索の時期を経て、最近の私には微かな光が感じられる様になりました。この光はすべてを暴き出す太陽光線の類ではなく、むしろ夜空で瞬く孤高な星々の光、幽玄な月の光、幻想的なオーロラの光などに似ています。闇を追放する光ではなく、夢幻の世界をあるがままに照らし出す精妙な光。そこで展開される光景に、私はただ立会うだけです。心の核心に存在するオリジナルなリアリティと一体化する体験は、人を本来のオリジナリティへと解放する様に思われます。私に表現への衝動をもたらすものは、このリアリティの豊穰です。私の音楽は、リアリティを可能な限り正確に写し取ろうとするプロセスの結果に過ぎません。



方法論

ここで、方法論が問題になります。オリジナルなイメージを私達の属する現実世界での表現に変換するには、これを可能にする有効な方法が存在しなければなりません。言い替えれば、自分自身の内部世界を探索するための方法と、そこで得られた結果を表現に変換するするテクノロジーを持たなければ、すべては絵に描いたモチです。従来は、楽器とオーケストレーションがこれを実現するための主要な方法でしたが、リアリティを表現するには、生身の人間の身体衝動を直接表現できる様な、よりパワフルなメディアが必要なのです。この問題を解決するには、現段階では2つの方法が考えられます。一つは感情表現のプロセスを脳波や筋電などを含めた生体情報の視点から解析し、その結果をコンピュータによる直接的な音響生成へと応用するもので、これは私の所属する慶応SFC研究所で現在進行中の研究プロジェクトの一部を成すものです。この研究成果は、今回発表される新作でその一部が使われる事になるはずです。もう一つの方法は、人間の身体自体が非常に優れた表現メディアである事を利用する方法、つまり直観的な内省の身体による直接的な表現行為の利用です。特に今回は、発声および管楽器の演奏時に現われる様々な想念のエンヴェロープを予め録音し、これをコンピュータで処理して生演奏と同時に再生するという方法が採用されています。具体的な処理の内容は作品により様々ですが、共通して用いられている方法はデジタル信号処理で、例えば時間領域での生のデータを周波数領域でのデータに変換し、そこで様々な処理を加え、再び時間領域での音響へと逆変換するというものです。これは生のデータを操作する場合ですが、最初から特定の計算アルゴリズムを使って音響波形を直接生成する、という方法も使われています。そのために今回実際に使用されたコンピュータはNeXTStation, Ultra Sparc, PowerMac+ Kyma (Symbolic Sound)です。またソフトウエアは、Csound(MIT), CLM(Stanford), POWEpv(Keio/Princeton), そしてRT(Princeton)です。これらのソフトウエアはすべてインターネット上で公開されているので誰でも入手可能です。またBioMuse (BioControl Systems) も使われる予定です。



演奏論

リアルタイムで多数の音響の複雑な計算や処理を行う事は、現在では全く不可能という事はありませんが、私のアイディアを実現するにはコストがかかりすぎて現実的ではありません。速くなったとは言え、まだ現在のリアルタイムシステムには処理スピードに限界があるので出来る事が限られており、また酷使されるシステムは演奏中にダウンしないとも限りません。数年後にはこの問題も解決されていると思われますが、理想的なシステムが完成するまで作曲を待つ、というのも現実的ではありません。従ってコンピュータ・ミュージックの場合には、作品の在り方によってケースバイケースでの演奏の工夫が必要になりますが、これは必ずしもマイナス要因という訳ではなく、むしろこの様な限界は特徴的な演奏形態を生み出す可能性を孕んでいます。例えば、今回の個展での音響アウトプットをプレゼンテーションの視点から見れば、1) 基本レイヤー、2) 即興演奏レイヤー、3) リアルタイム・フィードバック・レイヤーの3層に分ける事ができます。1) の基本レイヤーは全体的な音楽のフレイムワークで、上で述べた問題を回避するため音響はDATに録音されています。音響素材は、コンピュータによって生成された音響、無響室で録音された演奏家のサンプル音をコンピュータ処理した音響、多様なソースからのサンプリング音をコンピュータ処理した音響、脳波や筋電などの生体信号をコンピュータで処理した音響の4種類です。基本レイヤーは、演奏家が自由に即興するための強固な地盤として機能します。2) の即興演奏レイヤーでは、演奏家は全体的なコンセプトとオリエンテーションを作曲家から与えられはしますが、楽譜などは無く、演奏家の間での自発的な即興が展開されます。3) のリアルタイム・フィードバック・レイヤーでは特定の演奏家の演奏をモニターし、リアルタイムでコンピュータ処理された音響がフィードバックされ、1) と2) のレイヤーに重ねられます。2) と3) の部分は可変なので演奏の度に異なるヴァージョンが可能であり、実際の音響プレゼンテーションは毎回違うものになる訳です。こうする事によってライヴ演奏の一回性が保証されるだけでなく、演奏にかかわるコンピュータ・システムを簡素化する事もできるので、ステージがマシンと配線だらけになったり、原因不明のトラブルのためコンサートをキャンセルしたり、といった問題を回避できる訳です。



21世紀へ向けて

現在の日本には、あらゆる種類の制度的な矛盾が充満している様に感じられます。これら諸問題の「ルーツ」に関しては様々な議論があるにせよ、基本的には明治維新後および第2次世界大戦後に設定された近代の諸制度が、もはや現状に合わないという事ではないでしょうか。脱皮の時期は近い様に思われます。音楽に関しても全く同様で、21世紀を間近にしながらいつまでも過去のヨーロッパ音楽を規範と看做したり、アメリカンポップスのコピーに精を出したり、コンピュータ音楽をMIDIシンセサイザ類と市販のソフトでできる範囲に限定したり、相変わらずインパクトに欠ける「現代音楽」のつまらなさを容認したり、、、といった閉塞状況を打破し、冒険する事が大切だと思います。今回の個展は、こうした現状に対する私からの挑戦であり、また私なりの解答への試みでもありますが、今後の音楽をよりエキサイティングなものにするために、さらに多様なコンセプトを持つ音楽/音響芸術が、多様な環境と方法を携えて各方面から登場する事が期待されます。
私にとって今回の個展は、さらに先へ進むために必要なステップでした。今後はライヴ・コンサートだけでなく、多様なプレゼンテーションの形態を模索して行きたいと思っています。また、様々な分野の方々とのマルチメディア・コラボレイションも積極的に推進したい考えですので、皆様とご一緒に21世紀の新しい文化を立ち上げ、クリエイティヴな活動を世界に向けて展開して行きましょう!



謝辞

最後になりましたが、今回の個展は私の友人ネットワークの強力なバックアップがあってこそ可能になった事を申し添え、謝辞とします。総合プロデュースだけでなく、エッセイまで書いて下さった木戸敏郎さん、録音と写真撮影のために無響室を提供して下さった小野隆彦さん、舞台演出からパンフレット作成までを引き受けて下さったGuenn Ray. Taketomiさん、写真撮影とビデオイメージを担当して下さった伊藤美露さん、そして何よりも、多忙なスケジュールを工面して出演を快諾して下さった中森晶三さん、三橋貴風さん、一噌幸弘さん、本島阿佐子さん、東野珠実さん、心からの感謝の気持ちを贈ります。
また今回の個展開催にあたって、中島隼雄科学技術文化財団、サウンド技術振興財団、文部省センター・オブ・エクセレンスから資金援助を受けました。感謝の念と共に記しておきます。



岩竹 徹 e-mail; iwatake@sfc.keio.ac.jp
URL; http://WWW.sfc.keio.ac.jp/~iwatake