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2005年06月09日

西川泰夫・波多野誼余夫編著、『心の科学』、放送大学教育振興会、2004年.

■概要
本書は、人間の心についての探求を、心の科学(science of mind)ないし認知科学(cognitive science)という最新の体系から検討したもので、1~10章では基本的なパラダイムの提示等、11~15章では隣接分野での取り組みを紹介する。
 デカルトは、人間を相互に独立、固有の心と身体から成り立つ存在とする「心身二元論」を唱え、身体は機械であり、心は思惟するもの(考えるという点に心の存在を認める)とした。対しホッブス(1588-1679)は心も身体と同様に、物質的実体、即ち機械であるとする「心身一元論」、人間機械論を提唱した。『リバイアサン』の冒頭ではオートマトン(automaton、自動機械)や人工生命の可能性を論じ、心を「計算するもの」(たしたりひいたりする余地がある限り推理する余地がある。前者の余地がない場合、推理は全く何もすることがない)と位置づけた。ここから、心の科学を特徴づけるパラダイムは1)心とは記号の処理・操作システム、2)記号の処理・操作とは計算である、3)記号系(記号集合)と個々の記号を結び会わせる規則の集合の全体は現実の意味論とまとめられる。心を記号を処理・操作するシステムととらえたことは、人工知能研究につながった。心が担う「思惟」については、アリストテレス(384-322BC)をはじめとする記号論理学で探求された。その中心は「三段論法」で、構造という点では計算と共通基盤、構造を持つが19世紀、ブール(1815-64)により誤りが数学的に証明された。ブールは論理学の数学化をめざし、以後ライプニッツ、ヴィトケンシュタイン、チューリングらに引き継がれ、命題論理学(文章同士を一定の規則、論理関係構造に従って結びつける計算であることを示す体系)が確立した。他方で、1956年のダートマス会議により人工知能研究が始まった。コンピュータの原型となるオートマトン(自動機械)は、入力装置、内部装置(演算装置、記憶装置)、出力装置からなる。心の問題、考えることは、オートマトンの内部装置、内部状態を考えることと重なる。オートマトンが処理、操作できる記号系については、チョムスキー()が4つの言語型を提唱した。特に2型言語とされた「自由言語」は、人間の自然言語やコンピュータ言語のモデルとなることが明示されている。
 以上のような心の科学の発展経緯をふまえ、続いて心という不可視な対象の可視化と計測・計量化が論じられる。雷を静電気現象と解明したフランクリン(1706-90)、電池の原理を発見したボルタ(1745-1827)らを経て、ドンダース(1869-1969)、スタンバーグ(1966)が、見えざる心的過程、認知過程を、具体的数値により実体化することに成功した。デカルトの二元論に発する「心身問題」、心的世界と物理的世界の相互関係については、ウェーバー(1795-1878)やフェヒナー(1801-87、数理心理学を提唱)、スティーブンス(1906-73、べき法則を提唱)などの研究がある。他方、脳そのものへの探求も進み、パブロフの条件反射研究を経て、脳をモデルに置き換え研究することが進展している。代表例はローゼンプラットの「パーセプトロン」で、脳の基本要素であるニューロンをモデル化した形式的ニューロンを用い、パターン認識を解明した。
 さらに、コンピュータの開発とコンピュータ科学の成立展開、数理言語学の提唱、情報理論とそれに基づく情報科学、脳神経科学の急速な進展を受け、1960年以降は「認知革命の時代」とされる。即ち、情報も心と同様不可視な対象であり、情報を担った「媒体」をみているだけであって「情報そのもの」をみたり触れたりしているわけではない。記号の処理・計算が情報処理であり、情報処理システム(information processing system)を「心」と呼ぶことができる。情報処理、変換により、限定された混沌とした事態から、意味を抽出し、体系化、秩序を与え、知識化、ならびに概念体系を構築し、無意味な世界にまとまりを与え、有効に対応することが可能になった。情報伝達容量の限界を超えるこの仕組みを可能にしたシステムが脳であり、高度に複雑に精密な状態によって生成された「心」という装置である。
 11章以降では、人類学、コミュニケーション、ロボットの心、神経科学、知性と感情という周辺領域からの検討がなされた。特に神経科学において、道具を使うときの内観が論じられ、道具使用直後には、脳の受容野が拡大していることが示されたことを特記する。

■コメント
自身の研究対象を、本書で述べられた「心の科学」の観点で考えると、特に情報論の議論が興味深い。情報は不可視で、それを担う媒体をみているだけという議論は、マクルーハンの「メディアはメッセージである」を想起させ、また道具(ビデオカメラ)や媒体(映像)は人間の身体機能を延長し、脳に何某かの影響を与えているからこそ、様々な効果が生まれていると考えられる。住民ディレクター活動における情報処理システム(心)の役割とは何か。情報や道具が人間(心)に与える影響を、科学的に検証する視点は、私にとっては斬新で、今後の研究手法のひとつとして検討すべきと感じた。(2005年6月9日 高橋明子)

投稿者 student : 2005年06月09日 07:16

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