このBlogについて
Posted in 日記 on 01/01/1970 09:00 am by Yoshinori Kasaiこれは笠井賢紀のBlogです。個人的なことが多いので、研究に関する記事や、C.V.(履歴・業績書)、スケジュールなどは http://researchmap.jp/kasai/ をご覧下さい。
メールアドレスは yoshinori.k [at] gmail.com です。 [at] は @ に置き換えて下さい。
これは笠井賢紀のBlogです。個人的なことが多いので、研究に関する記事や、C.V.(履歴・業績書)、スケジュールなどは http://researchmap.jp/kasai/ をご覧下さい。
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2月3日に博士候補として正式に研究科委員会から承認を得ました。今後は博士論文を執筆していいことになります。
2月5日から7日は山本純一研究会のメンバーで大分県の大山町農業協同組合組合長や、一村一品国際交流推進協会で平松前大分県知事を訪ね、いろいろとお話を伺ってきました。農山漁村を訪れる機会がそもそもあまりないので、それだけでも貴重な経験になりましたが、二人のキーパーソンから話を伺えたのも良かったです。
2月8日から11日は茨城大学人文学部で集中講義「現代社会論II」を担当してきました。単独で、かつ教員として授業を担当するのはこれが初めてだったのですが、さらに自身では受講したことのない集中講義という形式だったので、結構不安はありました。来期からは他大学でコンピュータ基礎演習(Word, Excelなど)の講義を担当させていただく話が進んでいて、それもすごく嬉しい話なのですが、やはり自分の専門分野の講義を持てることの幸せというものもありますから、この早い段階でその機会に恵まれたのは幸せなことです。
今回はテーマを「現代社会と公共性」に設定しました。僕は、就職活動用にいくつかシラバスや講義資料を手元に用意してあります。その中でも、この「現代社会と公共性」はシラバスを慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科の研究科委員会で「新規授業科目企画書」として合格したもので、いつかどこかで実際にやってみたかったのです。そういうわけで、ちょうど茨城大学で「現代社会論II」を担当できると決まったときは嬉しかったです。
僕のように「集中講義ってなんだろう?」という人も、いなくはないと思うのですが、1学期分の講義を数日間の集中期間でやってしまうわけです。もちろんコマ数ももらえる単位も一般の講義科目と同じです。今回の場合は月曜から水曜までの3日間は10:30〜17:50(休憩1:20含む)、木曜は10:30〜16:10(休憩1:10含む)で、合計22.5時間(=15コマ)の講義でした。
知的バブル(by 井上達夫)とも言われるほどに流行っている「公共性」について「公共」ってなんだろうね、というところから始めました。「公共性とは『みんなのため』という物語のことだ」という定義から出発してみて、いろいろな事例を考えたときに、この定義がどこまで妥当かを考えていくというスタイルでした。
僕も人間ですから、眠っている学生ばかりだと落ち込むし、笑ってくれると嬉しいので、最初はこちらが思う学生像に迎合して「わかりやすい」講義にしようかとも思ったのですが、前日に思い直しました。「相手も大学生なのだから、こっちが真剣に伝えれば、それでいいのではないか。つまらなくて寝てしまう人がいても、それに落ち込むのは何かこちらの感覚がずれているのではないか」と、今の時代に逆行するような考え方です。
結果としてはその姿勢が功を奏し、履修者もむしろほとんど寝ることもなく、真剣に取り組みました。毎日、最後のコマにはリアクション・ペーパーを書いてもらったのですが「書き終わった人から帰っていいよ」と言っているのに30分以上掛けて書く人がほとんどでした。その分、よく考えて書かれたものが多かったように思います。
集中講義という方法は、語学講座にはとてもいいでしょうが、一般科目で知識を身につけるにはつらいです。一方で「一日目のリアクションペーパーへの応答を二日目の一コマ目に当てる」みたいな方法を違和感なくできるし、今回のように少人数の場合には顔と名前もすぐに一致してディスカッションが盛り上がるので、いいなあと思いました。
また機会があればぜひやってみたいです。職歴や定収入に直接繋がるものでなくても、ゲスト講演などは積極的に受け付けていますので、ご関心のある方は声を掛けて下さい。
履修者による授業評価の集計結果はこちら→【現代社会論II授業評価】(閲覧パスワードは ykeval です)。
SFC後期博士課程のオフィシャルな報告である「研究計画(フォーマル)発表」を終えました。審査結果は2月3日の研究科委員会を待つことになります。合格した場合には「博士候補(Ph.D Candidate)」となります。
前の記事で書いたように、僕個人の研究史的には重要な転換点となる場だったと思いますが、無事にその一歩を踏み出せたように感じました。何より、発表が楽しかったのがよかったです。
先輩方の報告を見た後で、会場の雰囲気にも慣れていたということもあり(そのために早く行ったのですが)、発表本番ではまったく緊張せずにできました。実は時計を動かし忘れていたのですが、中学の時から「10分ぴったりで話す」とかいう練習を積む機会が多かったので、それもあまり焦らず体内時計を信じられました。
研究計画の内容には詰めが甘く反省すべき点は多々ありますし、それは多くの先生方からその場でもコメントをもらえましたが、どれも僕の研究を育てるためのものであって、潰すためのものでは決してないので、質疑応答も楽しかったです。
僕自身、ずいぶん「戦闘的」な発表と質疑応答をしたと思いました。修士論文の最終発表と同じように「視線は常に聴衆へ向け」「反応を見ながら、スライドごとの説明時間を調整する」という、職人芸は見せられましたが、もう、なんていうか、早くこの研究計画をもとに、調査・勉強・研究したい!!
後輩達が修士論文を出し終わり、僕もフォーマル発表の資料を提出したので、友人に会いに韓国へ行ってきました。大学院GRプログラムの全体会合があるので、2泊3日です。僕は履修者でも無いので、行く必要は無いのですが、後輩の頑張る姿を見ないと。
韓国ではソウルタワーや延世大学(右写真)に訪れました。食べたのは、カルグクス、タッカルビ、タッカンマリ、ユッケ、スンドゥブなどです。いや、写真を見せればいいのですが、アップするのが面倒で・・・。
今回は調査でも観光でもなく、ただ友達に会いに来ただけなので、さくっと帰りましたが、次回2月下旬に調査に行くつもりです。
さて、今週末は博士課程の研究計画発表。既に副査と、同じプログラムのK先生から「なぜインドを入れないのか」というか、つまりは「なぜアジア、しかもいくつかの国(フィリピン、韓国、ネパール、日本)なのか」という質問が挙がっていて、当日も叩かれそうです。
ただ、実際には事例を決めるのは予備調査の後で、予備調査はこの2月から始めるので、まだ計画段階では決定ではありませんから「可能性」の話で留めようと考えています。実際、インドを入れるのはやぶさかではありません(主査も、インドを入れた方がいいと言っていますし)。
「フィリピン地域研究」からの脱皮、というか転向、というか、そういう転回点として、今回の発表は僕の個人史的には重要な場面なので、努力します。
ハングル(文字)や韓国語を教えて下さる方がいれば、ぜひ。春休み中は留学生や、友人に学びます。
昨年末のご挨拶を書いていながら、今年の年始の挨拶を書いていませんでした。
皆様、これからもよろしくお願いします。
目下、査読誌の原稿を書きつつ、デーヴァナーガリー文字の練習をしています。今後の予定を簡単に。
1月23日:大学院セミナーにて研究計画発表(合格すると博士候補となります)
1月25-28日:大学院で自主的にプログラミング入門講座(内輪です)
1月29日:『啓蒙の弁証法』読書会(内輪)
2月5-7日:大分県で研究会合宿
2月8-11日:茨城大学で集中講義
2月12-22日(予定):ネパール調査
2月22日-3月2日(予定):韓国調査
3月5,6日:GCOE-CGCS国際シンポジウム(スタッフ。報告無しの予定)
こんにちは。
今年もいろいろなことがあり、多くの方に迷惑を掛けたりお世話になりました。ありがとうございます。皆様、よいお年をお迎えください。
今年僕の身の回りで何が起きたか振り返っておきましょう。リンクは僕のBlog記事へ飛びます。
1月は月末にまとめ記事を書いていたので振り返りが楽です。
13日に修士論文を提出したようです。17日頃に京都へ中村尚司先生を後輩達と訪ねました。
2月
2月最大のイベントはもちろん、修士論文最終発表ですね。この記事やコメント欄を読んでも、なんか幸せな発表だったんだな、と分かります。そして熱海合宿、歯の治療、寿町での炊き出し参加、Twitterデビューもこの月でした。
3月
初めて査読が通ったときです(ちなみにその論文は遅れに遅れて昨日家に届きました)。ディアロードのマスターが僕の修論講評会のために休日にお店を開けてくれたなんてこともありました。月末には環境・平和研究会の銚子合宿。プログラム費について問題が発覚したのもこの頃でした。その調査を僕が行ったことで、今年度の担当になりました。
4月
この月は何と言ってもサン・ディエゴ訪問が大きいですね。初めて国外での国際会議(しかも、実は参加者は9割9分アメリカ人)に出たのがこのときです。行きの飛行機で航空性中耳炎により右耳の鼓膜に穴が空き、左耳には水が溜まってここから数ヶ月に渡り聴力を半分失っていました。三田でのCOE研究員(RA)内定が出たのに不安がっていたり、ちょっと不安定な時期。月末は札幌にいて、調査みたいなこともやりました。
5,6月
おそろしくBlog記事が少ないのですが、それは教育体験があったからです。3週間授業を担当するだけで、こんなに大変だとは。そして、こんなにやりがいがあるとは。ますます大学教員になりたいという気持ちを強めた大事な時期です。6月末に助教への採用が決まりました。
7月
毎日本を読み映画を観て過ごしたようです。
8月
前半はCOE研究員(RA)として韓国のソウル市立大学で統計分析セミナーに参加しました。帰って一日だけ日本で休んで、すぐにフィリピンへ発ちました。鈴木さんとの共同調査で、初めてパラワンに行ってみたり、普段の一人ではできない体験をいろいろしました。
9月
一週間日本で休んだ後、次は鈴木さんと台湾・中国へ。台湾ではアジア太平洋平和学会で報告しました。中国では香港から入り、台風直撃のためマカオ行きをあきらめて陸路広州へ行き、飛行機で桂林に移動後、リ江下りで陽朔へ。陽朔に2泊しながら観光して、上海でmitsuくんの家に2泊しました。この2ヶ月の旅は、調査ももちろんしましたが、連れがいたのでいかにも「旅行」という感じで楽しかったです。
10,11,12月
秋学期に入ってからはTwitterを日常的に使うようになったので、Blogがほとんどありません。こういうことすると、Blog読んでくれる人がいなくなるので、コンスタントに更新すべきなのですが。
カレンダーを見る限り10月は特別なことはあまり無かったようです。グラムシ研究会という一種のサロン的集まりに読んでいただいたりしました。
11月は22,23日が日吉でGCOEの国際シンポジウム。著名なフィリピン研究者もたくさん来ていました。僕も若手セッションで英語報告をしました。その直後、25-27日は国立民族学博物館で「みんぱく若手研究者奨励セミナー」でした。僕も報告しましたが、民博の先生方や人類学専攻の博士課程学生の方々と知り合えたのが嬉しかったです。今年一番忙しさを感じたのはこの11月です。
12月は突然のことで11-13日に上海へ行き、復旦・延世・慶應三大学の国際シンポジウムで英語報告してきました。
例年のように月毎メール数をまとめてみた。メール数はメールボックスにあったメールの数なので、MLもメールマガジンも入っています。もちろん、自分から来たメールも入っています。

修士課程1年(2007)の春学期に何が起きたのかきになるところだけど、ともかく学期中はメールが多いという当たり前の事実。そして、学部と大学院でメールの数が桁違いという事実。
神奈川某所で開催されているグラムシ読書会に前回から参加しています。とはいえ、前回も今回もグラムシの読書は無かったのですが。
今回は、僕の修士論文についての報告をメインで、ということで忘年会の前に企画して下さいました。本当は、僕の後に予定されていた丸山茂樹さん(参加型システム研究所など)の、なぜ今グラムシが必要なのかという議論をもっとゆっくりお聞きしたかったのですが、僕の報告と質疑応答が長くなってしまいました。
修士論文を書いたのはもう一年前ですから、さすがに僕も研究に進展がありました。そこで、修士論文を中心に報告し、この一年の成果と、今後やっていきたい研究の方針について話しました。
いつも優しい声を掛けて応援して下さる横田克巳さんと丸山茂樹さんを始めとして、合計5名が真剣に耳を傾けて下さいました。
「規範と実践が乖離するのは当たり前だから、なんで、どう違い、規範からずれた実践にはどういった可能性があるのか考えるのが僕の仕事」という態度がいい、と言っていただきました。これは、東南アジア学会や明治学院大学平和研究所で報告をした際にもいろいろな先生から評価をいただきました。
この態度は研究者として当たり前のことのように思えるのですが、規範や制度やその背景にある思想と、現実が異なるということを指摘して終わる論文や本は巷に溢れているのかもしれません。
「市民」も大事だけど「非市民(大衆)」も大事だよ、といういつも通りの話をしたわけですが、意外と「市民」の皆さんの前で報告しても怒られない、というか興味を持って聞いていただけるのはありがたいことです。
曰く「市民運動とかいって、誰を代表しているかって話だよね。後ろを振り向いたら誰もついてきていない。誰かを代表しているつもりが、自分自身を代表しているだけだった、ということになる」。
また「笠井さんの言うところの市民と大衆を繋ぐ役割を自分たちはNGOとしてやってきたが、これはどういう位置づけになるか」というようなお話をいただいきました。こうした繋ぐ役目(中間組織)は決定的に大事で、このことについては『協働体主義:中間組織が開くオルタナティブ』でも少し触れています。
何か僕が話せることでよろしければ、どなたでも(?)お声をお掛けください。
12月11〜13日の旅程で上海に行ってきました。
11日は後輩が豫園に行きたがっていたので、3度目の豫園、3度目の南翔饅頭店(小籠包)。今回は夕方に行ったので電飾がきれいだった。
「人工的に作られた景色(含 夜景)が嫌い」という人が結構いるみたいだけど、作られる過程や作られた後に暴力が無いのであれば、とりあえず素直に綺麗だと喜んでいいと思う。人間は人間であることを卑下して生きなくていいし、人間の幸せのための工夫を敬遠しなくてもいい。
12日がシンポジウム。韓国の延世大学と中国の復旦大学と日本の慶應義塾大学による三大学合同のシンポジウム。普段は毎週遠隔通信で合同授業を受けていて、学期中に1,2回こうやって集まってワークショップを開くらしい( http://web.sfc.keio.ac.jp/~kenj/dl/ )。
今回は、数年ぶり(?)に同シンポジウムで後期博士課程の報告会が設けられたとのことで、所属するプログラム(コース)のチェアから話を受け、慶應からは僕が発表する機会をいただく運びに。

11月に国立民族学博物館で報告した内容を、そのときにいただいたコメントを基にいくらか作り直して英語で報告してきました。3大学の先生方から受けたコメントを聞く限り、根本的な見直しを実は迫っているものもあったのだけれども、全般的にはまずまずの評価だったのではないかと思います。コメントも実際有意義なものが多くて、今後にぜひ活かそうと。(写真は加藤さんが撮ってくれました)
修士課程の報告は3大学の学生が合計8つのグループに別れて行いました。準備段階でグループワークも遠隔地で行わなければいけないし、興味関心は個人によって違うので、大変だったろうと思いますが、やはりそれでもきちんと準備してくるんですね。えらい。
やはり「見せ方」は大事です。調べた量や、報告内容の与える示唆の深さは、見せ方が上手でないと結局誰にも伝わらず、残念なことになります。逆に、見せ方がうまいと、内容がそれほど無くても(失礼。)聞いている人は興味を持てるので、質疑応答も盛り上がるし、良い発表として印象に残ります。
引率されたI先生も「発表の練習が必要」と帰りのバスで話されていましたが、まさにその通り。僕も気を付けようと思います。
夜は夕食会の後にmitsu君に森ビル92階にあるバーに連れて行ってもらい、そこで・・・寝てしまいました。笑
ちなみに、報告後に後輩達に言われたコメントは以下の通り。
まあ、何というか、率直な後輩達ですね。とほほ
先日【「どう思う?」の教育】なる記事をBlogに書きましたが、最近読んでいるSaul Alinskyの”Rules for Radicals”の中に、関連ある部分があったので引用しておきます。
そして、誰も面目を失ったり意思決定の場を離れたりすることは無く、誘導的な質問付けが続く。提案されたすべての戦略それぞれの弱点が質問によって明らかにされていく。そのうちに誰かが戦略Z〔というオーガナイザーが誘導したい戦略〕が提案され、やはりこれも質問を通じて、その積極的な特徴が明らかになってこれに決定される。
これは操作だろうか。確かに、教師かソクラテスのような人がやるような操作だ。時が経ち教育が進むにつれて、〔参加している指導者たちの〕指導力がだんだんと洗練されていき、オーガナイザーは意思決定者たちの集まりから手を引く。オーガナイザー自身が何を考えているのかという質問に対する答えは「君はどう思うんだい」という問い返しになっていく。オーガナイザーの仕事は、彼へのあらゆる依存を取り払うことになってくる。こうして、彼の仕事がなされる。(p.92, 笠井訳。〔〕内は訳注。太字は笠井による強調)
大学の初等情報教育の場とは状況がまったく違いますね。アリンスキーが話しているのは、現場の指導者を育てるためにオーガナイザーと呼ばれる外部の人間がどのように振る舞うかという話です。「参加型開発」におけるファシリテータの役割と通ずるところがありますね。
アリンスキーを読んでいて気持ちがすっきりするのは、彼の言っていることに全面的に賛成できるかどうかは別として、自分の主張をはっきり言うことです。上の文章でも、要は、オーガナイザーは自分の持っていきたい答えが有って、最初はそこに誘導するのが仕事で、次第に現場の人間が自分で適切な答えを導けるようになれば、ようやく手を引く、という話です。
参加型開発の教科書的には、まったくもって納得のいかない話かもしれませんが、これでいい気がします。様々な事例・現場を見て知識と経験を蓄え、効果的な手段(戦略)を知っている専門家としてのオーガナイザーの力を生かすなら、確かにこれが現実的です。
「それでは現場の人間は、オーガナイザーの手の上で踊らされているだけではないか」という疑問が出るのであれば、そういう疑問を呈する「現場派」の人は、より一歩踏み込んで現場の人たちを信じ、「仮にオーガナイザーが操作を行おうとしていても、現場の人間はそう簡単に操作されるようなものではない」と主張されれば、アリンスキーのやろうとしていることと矛盾は生じません。
「現場の人を信じたいが、たぶん操作されてしまうだろう」というのは、どうも中途半端ですが、これもまた現実路線の考え方、ということであれば「そうですか、それで、どこに問題があるのですか」という話になるかと思います。
で、操作の意図があるかどうか、が問題になるのは、明らかに感情の面です。実際問題、誰かの思うがままに動かされてるのは僕だって嫌です。結局そうすると、オーガナイザーとしては、操作していることが最後までばれてはいけない。現場の人間としては、操作など受けないようにしなければならない。うん、これでいいじゃないですか。オーガナイザーと現場の人間の間には信頼関係があるものの、同時に一種の緊張関係がある。って、これ、普通の人間関係からそれほど逸脱した話ではありません。
アリンスキーのこの本は『ラディカルのための決まり事:現実派ラディカルへの実践的手引き』というタイトルです。前にもどこかで書いた気がしますが「ラディカル」は「根本派」とでも訳すのがよくて、「急進派」としてしまうと、たくさん拾い間違える部分が出てきそうです。「過激派」もこの場合は違うでしょう。
ところで「アリンスキー型コミュニティ開発」を問い直そうと思い、現場でいろいろと話を聞き、インターネットで得た情報もそれとは矛盾していなかったのですが、今回、本人による原著に当たってみると、どうも今まで抱いていた印象がだいぶ違います。
そういうこともあろうかと「アリンスキー『型』」とこれまで書いてきたので、特に問題は無いのですが、今後本気でこれに取り組む場合、東南アジア・東アジアにアリンスキーの理論が持ち込まれるときにどういう形を取ったのか受容過程を追わなければなりません。同時に、アメリカ本国でアリンスキーがどのように活動し、どのように評価されているのかも綿密に調べる必要がありそうです。
学者の伝記なんかも学説史を追うときに非常に重宝するのですが、自分で誰かについて書いてみたいとはこれまで思いませんでした。でも、なんかこう、人の普段の生活にすごい影響力を及ぼした人については、僕も調べてみたいものです。アリンスキーのもう一冊の主著”Reveille for Radicals(「ラディカルへの号砲」=長沼秀世訳『市民社会の組織論』)”を訳した長沼先生のようにはいかなくても、僕も”Rules for Radicals”の訳本でも書いて出版できればいいのですが。
でも、日本でほとんど知られていないことにも、何かわけがあるんだろうなあ。
最近は情報発信がTwitterばかりになっていたので、Blogはおろそかでした。このままTwitter一本でもいい気がしますし、BlogをするならResearchmap一本にしようかとも思いますが、まだ思案中。Researchmapにしようと思うのは、今後、複数の大学で非常勤を担当させていただくことになった場合(希望)、SFCのドメインで情報を発信するのは、受講してくれる学生にも違和感があるだろうな、と思うからです(もちろんSFC専任で、ほかが非常勤とかならいいのですが、僕はSFCでは非常勤な上に、授業を持っていないので)。
最近、3歳の姪が「~はどうして?」とよく聞いてきます。前までなら、ともかく説明していました。ちなみに、説明は姪が分かる言葉で説明しようとする必要はとりあえず無い、と僕は思っています。分からない語彙の意味は推測で考え、勝手に覚えますから。ともかく、最近は説明しないで「なんでだと思う?」しか僕は言っていません。案外、これで「んーとね」と答えることは的を射ています。
「おじろん、どうして帽子かぶってるの?」「何でだと思う?」「カゼだから?」「おじろんは風邪を引いてないよ」「お外がカゼだから?」「そうそう、お外が風だとどうなるの?」「帽子も飛ばされちゃうよー」「帽子はしっかりかぶるから大丈夫だよ。お外が風だと、寒いからね」
てな感じです。でも、この記事のタイトルに「教育」と付けているのは姪のことではなくて・・・。
学部2年のときからこの6年間、SFCの情報系基礎科目にTA/SAとして関わってきているのですが、最近、TA業もこれと似ているなあと考えることが多いわけです。先生が一通り説明をすると、テキストを見ながら各自が演習に取り組み、分からないことがあればTA/SAを呼ぶという授業スタイルを想定してください。
「すみません、ここの説明がさっぱりわからないんですが」「じゃ、一緒に読んでみるか。分からないところが出てきたら、教えてよ」(問題探し)
「あ、ここです、もう、わけわかんない」「んー、どこからわからなくなった?」(問題探し、続き)
「~~だからです」(問題探し、最後。学生は問題を説明できるようになる→問題が分かれば解決策はたいてい分かる)
とてもよくあるパターンは次のようなものですね。
「すみません!」「はい、何でしょう」
「あ、分かったからいいです!」
これって、履修者としてみれば、不思議らしいんですが、こちらからすれば当然です。TAを呼んだら、TAに何が分からないか説明しなければならないので、僕が「はい、何でしょう」と答えた直後に、履修者なんと説明しようか考えます。そうすれば、たいてい答えは分かります。つまり、必要なのは、自分で考えてみることだし、情報系基礎科目で教えているようなことは、テキストが手元にあるし教員が説明を一度しているので、それでクリアできます。
僕が授業中に発する言葉は「んー、何でだろうね?」「どう思う?」「ゆっくり読んでみなよ」「聞いててあげるから、声に出してみて」「見てるから、実際に動かしてみたら?」くらいで、レパートリーは極めて少ないのですが、特に問題だとは思っていません。
もちろん、理解できずに困っている人もいて、考えても分からない場合もあるので、その場合はできるだけ噛み砕いて説明します。そういう履修者は普通「私の理解力がないせいで・・・」とか「私、やっぱりパソコン苦手(←論理の飛躍)」となってしまうので、よく謝ってきます。そうしたら、必ず次のように一声掛けるようにしています。
「できないことをできるようになるために授業を履修してるんだから、気にしなくていいんじゃない?」
ときどき、面と向かって「笠井さんは、もしかして答えられないんじゃないですか」と聞いてくる履修者がいますが、そういう場合も、答えを直接言うことが教育上適当で無い場合は、特に悔しいとも思わないので放っておきます。一緒にやっているSAさんはバリバリできるし、その分、詳しく説明してあげる人なので、なかなか僕とのバランスがいい気がします。
「どう思う?」しか言わないTAなんて、給料泥棒か、という話ですが、いやいや、カウンセリングも重要でしょ。