『理論と動態』第2号に拙稿掲載

今回の記事は,内容的にResearchmapに投稿した記事と重なりますが,しばらくこういう感じで続けます.ちなみに,Researchmapに興味がある研究者(大学院生含む)で,招待が必要な方はご連絡いただければ招待します.


広島に拠点を置く社会理論・動態研究所の紀要である査読誌『理論と動態』第2号に拙稿「肯定的自己定義と連帯—フィリピン・ケソン市の住民運動を事例として—」が掲載されました.

同誌は,年に一度発行されることになっており,昨年10月に創刊号が出ました.創刊号を見て「ぜひここに投稿したい」と思い,修士論文の研究を深めたものを投稿しました.概要を以下に掲載します.

本稿の目的は「貧困層」と呼ばれる人々がどのように連帯できるのかということを、具体的事例から明らかにすることである。本稿は、貧困層の所得などの客観的指標ではなく、貧困状況をスティグマと捉える内面に焦点を当てる。そのスティグマを乗り越え「貧困層」という表象とは異なる肯定的な自己定義を行うことで、連帯が可能であるか、という問いに対してフィリピン・ケソン市の具体的事例を紹介することで答える。事例として、タタロン地区の土地所有権抗争とタラヤン・バランガイの廃棄物回収を挙げる。共通の敵や不満を打倒するための運動で作り上げられた連帯は、運動の過程で瓦解しやすく、他の人々との協働への道が開かれていない。一方で、そのような強い目的を持たない緩やかな繋がりは、持続的な連帯をもたらし、事例で示されたように貧困状況の改善のために日常生活の上で積極的に取り組むための強さを生む。

掲載に際し,事前に2名の匿名査読者と編集委員会からの指摘を受けて,論の展開をある程度修正しました.特に匿名査読者のお二方には,とても丁寧に読んでいただいた上,論文をより良くするためのご助言をいただき,とてもありがたく思いました.

修士論文も学会発表も,扱っている事例の対象個人・集団が同じ場合が多いので,僕の作品に触れた方は「またこれか」と思われるかも知れません.

それはそれで改善しなければいけないことですが,示したいことの一つに「同じ事例を,違う枠組・視点から見ることでたくさんのことが見えてくる」という当たり前のことを一連の作業を通じて見せていきたいということです.

ずっと同じことをやっているように思われがち(先日,学会発表でセッション・コーディネータの先生にも「修論と同じ話?」と聞かれました)ですが,内容はかなり違いますし,それなりの変遷を遂げてきました.

少し整理してみます.

  • フィリピン首都圏で廃棄物が路上に散らかっているのが気になる
  • 廃棄物行政を調べる(学部1,2年)
  • 廃棄物投棄場の住民運動に興味が遷る
  • 住民運動の組織類型についてまとめる(学部4年)
  • 住民と行政の関係に興味が遷る
  • 参加型行政についてまとめる(修士2年)
  • 住民の連帯のありかたに興味が遷る
  • 連帯の契機について考える(今回の論文)
  • 住民組織化のアリンスキー・モデルについて考える(これから)

こんなところです.最近は「連帯」に興味が沸き始め,指導教員とここにきてようやく類似のテーマを扱うことになりそうです.

  • なぜ(なんのために/せいで),連帯するのか
  • 誰が,連帯するのか
  • 何に対して,連帯するのか
  • どのように,連帯するのか
  • どこで,連帯するのか

というような,ある意味で表面的な問いにも具体的事例から考えていきますが,より根本的な話として

  • 連帯は必要なのか.必要なら,なぜ?
  • 連帯の持続性は必要なのか.必要なら,なぜ?

ということも自明のものとせず,考えてみなければなりません.「連帯が瓦解すると,その土壌では次に問題が発生したときに解決のための組織化が乏しい」など(未検証),連帯を手放しに喜べない事例もあり得るので,検討の余地有りです.

11月には,いよいよアジア連帯経済フォーラム2009ですね.

 

1 Comment

コメントをどうぞ