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2005年05月12日

第3回講義レビュー

【第3回講義レビュー】
抑止論(Deterrence Theory)と拡大抑止(Extended Deterrence)

【抑止論の基本的考え方】

授業の冒頭で紹介したように、抑止論の基本的な定義は「相手がこちらに害を与えるような行動にでるならば、相手に重大な打撃を与える意思と能力を持っていることを、予め相手に明示し、相手が有害な行動にでることを思いとどまらせること」にあります。これを「第1の定義」として考えてみます。これは、難しいことではありませんね。互いの力(offensive power)が拮抗しているなかで、「自分が手を出せばやられてしまう」という関係をつくることが抑止の基本構造です(人間関係における対立・競争にもよく見られる論理です)。

ところが、抑止関係を成立させるためには、以下の3つの条件が必要だと言われています
 ① 十分な報復力     (能力)
 ② 報復する意思の明示 (意思)
 ③ 相手側の理性     (相互理解)

①の報復する能力を持たなければ相手にやられてしまうし、②で報復する意思が無ければ①があってもやっぱり相手にやられてしまいます。①をもち②を示し、それを③相手にしっかりと理解させる・・・これが成り立つと「相手が有害な行動にでることを思いとどまらせる」ことができると考えられています。(もっとも、歴代の冷戦期の国際政治学者はおびただしい数の「抑止」に関する定義をしていますが、この授業ではそこまで入り込みません。関心のある人は、参考文献を読み進めてください)

【基本抑止・相互抑止・拡大抑止】

この「抑止論」を主体同士の関係で捉えた場合、「基本抑止」「相互抑止」「拡大抑止」という考え方に分類できます(それぞれの概念の下には、さらに細かい分類があるのですが、また省略です)。

「基本抑止」が上記①~③を一方的に満たすことによって成立する(A→Bへの抑止)のに対し、「相互抑止」はこれが相互に成立する(A⇔B)関係を示します。たとえば、米国とソ連が冷戦期に核兵器によって対峙し、互いに手詰まりとなった状況を指すわけですね。これに対して、「拡大抑止」はAと密接な関係にあるCが、Aに代わりBとの抑止関係を成り立たせることを意味します((A+)C→B)。たとえば、冷戦期の「日本に対する攻撃は米国に対する攻撃と同等とみなす」「西ドイツに対する攻撃を、他のNATO諸国に対する攻撃と同等とみなす」ことのよって、ソ連の侵略を抑止した構造を「拡大抑止」と呼ぶわけです。つまり、上記の例では日本や西ドイツを守るために①~③の構造を第3者である米国が支えることにより、安全保障の傘を提供することを意味するわけです。よく「核の傘」といわれますが、これは「核拡大抑止」と同じ意味で使われます。

【抑止に係る安定性と抑止論のジレンマ】

「抑止論」で重要なのは、「どこまで抑止が安定的に保たれているか」という議論です。これを「抑止に係る安定性」(さらには「戦略的安定性」)と呼びます。第15図で示したのは、AとBの「均衡」がどのような抑止のレベルによって成り立つのかという議論です。そのもっとも究極的な均衡に「相互確証破壊」(Mutual Assured Destruction: MAD)があります。これは、1970年代に「米ソが互いを完全に破壊できる能力を保持し、それを互いに認め合う」ことにより生じた究極の抑止構造です。これは次回の授業でゆっくり説明しましょう。こうした高い次元での抑止構造(核兵器による対峙)と、もっと低い次元での抑止構造(通常戦力による対峙)と、抑止といってもその形態はさまざまです。「抑止失敗のコスト」を考えれば、「高い次元の抑止」のほうが安定的といえるかもしれませんし、いやいや「抑止は失敗しやすい」という論者からは、「高い次元の抑止」ほど世界を危険に貶めるものはない、ということになります。

安全保障は、このようにとても根本的な矛盾をはらむものなんです。安定的に相手を抑止しようと思えば、自国の軍備を整備しなければならない。だけど、互いが安定的に抑止関係を維持しようとすれば、「抑止失敗のコスト」を大きくしようとする誘引がはたらき、「高い次元の抑止」に向かう。さらには、情報が不完全な中では、安全保障の政策担当者は最悪のケースを考えて、相手の能力を高く見積もりがちです。こうした認識の下では、相手より大きな能力を保持する誘引が働きやすい・・・すると相手もこれに対抗して軍備を強化する・・・というスパイラルの構造によって、互いの軍拡がはじまるわけです。これを「安全保障のジレンマ」と呼ぶわけです。

ここに「抑止論」を安全保障政策の基礎におくことの正当性と危険性の双方を捕らえることができます。「抑止論」は顕在的・潜在的に敵対する相手を「思いとどまらせる」もっとも信頼性の高い理論と考えることもできますが、他方で「抑止論」を「安定させることの難しい危険な概念」ととらえることも可能です。とくに①安全保障のジレンマを生む危険性、②相手の合理性を過信することの危険性、③「抑止への不安」から先制攻撃を生み出す危険性・・・という「抑止の安定」を脅かす危険性は、それぞれ歴代の学者たちを悩ませてきました。この授業では「抑止論」を安全保障論の基礎として位置づけていますが、「抑止論」を基礎におくことの難しさも同時に学ぶ必要があるわけですね。

【抑止論の派生系】

さて、これまでは「抑止論」の基礎として、冒頭に紹介した「第1の定義」を中心に述べてきました。「意思と能力をもち相互理解する」というのは、互いの牽制に基づく「懲罰的抑止」と呼ばれます。抑止論の大部分はこの「懲罰的抑止」(deterrence by punishment)とその派生系としてとらえることができます。ところが、「相手が有害な行動をとることを思いとどまらせる」手段は、何も「懲罰的抑止」ばかりではないわけですね。以下では、そうした抑止論のサブ類型について紹介していきます。

第一のサブ類型は「拒否的抑止」(deterrence by denial)です。「拒否的抑止」は、「もし~しても、(自らの損害限定能力により)相手が有害な行動をとっても効果がない」という状態を示します。たとえば、攻撃を受けたときの防御体制を堅固にする(ミサイル防衛、都市防護、民間防衛)ことにより、相手が攻撃をしてもあまり効果ないな・・・と思わせ「だったら、やめよう」と思いとどまる状況に至らせることを指すわけです。第二のサブ類型は「報償的抑止」(deterrence by compensation)と呼ばれるものです。これは「もし~しなかったら、~をあげよう」と相手の自制に対価を与えることにより、相手の行動を思いとどまらせることにあります。もし相手が核武装をしなければ、経済支援を与えようなどという発想がこれにあたるわけです。双方のサブ類型には、長所と短所が偏在します。長所としては、双方共に「安全保障のジレンマ」は起こりにくい構造にあるわけですが、他方で「抑止の安定性」に欠け、後者に関しては敵に報償を与える融和外交となりかねません。こうした「抑止」の類型、その長短所についてもよく把握する必要があるでしょう。

もうひとつのサブ類型は中小国によくみられる抑止論です。中小国が自らより強い国を抑止する場合には、どうすればよいでしょうか。まともに自分の能力を示したところで、大国に比べればその軍事力はたかがしれています。情報公開をすれば、自らの弱さの証明になってしまう。「第1の定義」による相互抑止なんて望むべくもないわけです。そんなとき「相手に複雑な計算を強いることによって、相手に有害な行動を思いとどまらせる」という「第2の定義」が生まれるわけです。「複雑な計算を強いる」とは、「相手のことがよくわからない」という状態を指します。したがって、ここでは「情報を秘匿する」あるいは「情報を撹乱させる」ことが、実際は抑止力を向上させることに結びつくわけです。ベトナムがベトナム戦争をどのように戦ったのか、それが米国の中小国に対する介入の論理をどう変えたか、に多くのヒントが隠されていると思います。

【「新しい脅威」と抑止論:非対称脅威に抑止論は適用できるか?】

さて、これまで抑止論の基礎とその類型について学んできました。これまでの話は、第1回の講義で話した「第1象限」にみられる国際関係の下での抑止論の話でした。それでは「新しい安全保障の領域」として浮上した第2象限・第3象限における抑止論は、どのような展開をみせるのか、というのが現代における「抑止論」の大問題なわけですね。果たして、北朝鮮・リビアのような米国が「ならず者国家」と呼ぶ国々は、どのように抑止可能なのでしょうか。また、さらに9.11事件後に浮上したテロリストのような新しい非対称アクターは果たして抑止可能なのでしょうか?

抑止論の「第1の定義」は、①~③を成り立たせるための「相互理解」、すなわち相手の「合理性」に信頼を置いた理論です。でも、もし相手に「合理性」を期待できなかったらどうなるか?という新しい課題に直面しているわけです。たとえば、多くのテロリストは明確な領土・組織を持たず、匿名性が高いという特性を持ちます。その場合、仮にテロリストの首謀者(たとえばアル・カイーダの首領とされるオサマ・ビン・ラディン)を殺害または拘束すれば、テロ活動を収束できるかは疑わしいわけです。また、9.11事件でビルに突入したテロリストなどのように自爆テロを手段として用いる殉教的な相手はいわば「守るものを持たない」わけです。「思いとどまる」論理が、「自分がやられてしまう」恐怖感だとすれば、そのような恐怖の全く無い相手に抑止は通用しないのではないか?というのは、至極もっともな問いかけです。

こうした問いかけに対して、授業では米国の『国家安全保障戦略』(2002年9月)を引きながら、米国が対テロ戦略において抑止論の限界性を見定め、「先制行動論」を含むドクトリンを打ち出したことを紹介しました。ここで米国が協調しているのは、「テロリストと共存する意思はない」という強い決意です。「抑止論」が「合理的な相手と共存」を前提とする概念ならば、ブッシュドクトリンは「相手との共存を拒否」する意味において、大きな戦略転換がはかられたことを示すものといえるかもしれません。

もっとも、テロリストなどの非対称的アクターに対し抑止論が全く効かないというのは、間違っていると私は考えています。全く効かないのであれば、相手の能力を先制行動によって殲滅させればよい、との発想に結びつきやすいからです。これは、実際は政策の幅を狭め、テロリストの非対称手段を増幅させる意味さえ持つ可能性があります。

こうしたときに大事なのは、「別の抑止が効くか」という発想ですね。つまり「拒否的抑止力」を強化することによって、「テロ攻撃があまり意味をもたない」ような、国内・国際的な防護体制を整えていくことが、きわめて重要なわけです。こうした「拒否的抑止」を重視することにより、テロリストに攻撃する隙間を与えないことが、抑止論の新しい地平線であると私は考えております。

こんな問題提起が第3回の概要です。すこし集中して考えないと、やや難しい内容だと思います。しかし、今後の「安全保障論」の授業の基盤となる論理ですので、よく復習をしてほしいと思っています(^-^;)。さて、今回の参考文献をお知らせします。

【第3回講義に関する参考文献・論文について】

〔リーディング・マテリアル〕
中西輝政「拡大抑止:歴史的変遷とその本質」佐藤誠三郎編『東西関係の戦略論的分析』(日本国際問題研究所、1992年)

〔さらなる学習のために〕(和文)
[1] 土山實男『安全保障の国際政治学』(有斐閣、2004年)第6章「抑止のディレンマと抑止失敗」
[2] 小川伸一「『核の傘』の理論的検討」『国際政治』(第90号、1989年3月)
[3] 高坂正堯・桃井眞編『多極化時代の戦略』上巻 (日本国際問題研究所、1973年)

*[1] は同盟理論を専門とする学者による「抑止のディレンマ」に関する論考。[2]は「核の傘」を「拡大抑止」の理論に基づき説明している。[3]は米国における抑止理論を紹介した名著。

〔さらなる学習のために〕(英文)
[1] Lawrence Freedman, Deterrence: Themes for 21st Century (Polity Press: London, 2004)
[2] Patric Morgan, Deterrence Now (Cambridge Uniersity Press:London, 2003)
[3] Paul K. Davis and Brian Michael Jenkins, Deterrence and Influence in Counter Terrorism: A Component in the War on Al Qaeda (Rand Corporation: Washington DC, 2002)

*さすが米国学界・・・理論的な検討が素早く、また奥深い。[1] は抑止理論を概観した上で、21世紀の課題を探る入門編として最適。さらに細かい検討は[2]にて学ぶことができる。[3]はテロリズムに対する抑止がいかに適用できるかを検討した意欲作。知的興奮に誘われる。

投稿者 jimbo : 2005年05月12日 18:04