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2006年06月05日

第8回レビュー(06年)

【シャングリラ・ダイアローグ2006】

毎年5月末から6月初旬にかけて、シンガポールにて「シャングリラ・ダイアローグ」という会議が開催されています(今年は6月2~4日)。この会議は、2002年から始まった、英国の国際戦略問題研究所(IISS)が主催する民間会合ですが、注目すべきはアジア太平洋諸国22カ国の国防相と国防関係者が集うセミ・オフィシャル会合としての位置づけを持っていることです(参加国を概観する地図はIISSホームページにて)

授業でも紹介したとおり、アジア・太平洋地域全域での安全保障対話を実施する代表的な枠組は「ASEAN地域フォーラム(ARF)」ですが、ARFは外相会合であり各国外務省が主導するプロセスです。ARF参加国間での国防関係者間の会合「ARF安全保障政策会議(ASPC)」も2004年より開始しましたが、こちらは国防副長官級に留まっています。その意味で「シャングリラ・ダイアローグ」は、年に一度国防長官クラスが出席する会合として、唯一軌道にのりました。アジア太平洋地域の多国間国防相級会合は、なんと民間機関が主導するプロセスだったんですね。

さてこのような多国間会合の定例化は、いわば「地域安保の季節」(地域安全保障の問題に取り組む習慣)を関係国にもたらします。何故なら、毎年6月をターゲットにして、各国国防当局が、大臣スピーチと二国間対話のアジェンダ作りに奔走するからです。日本の防衛庁もこの時期、防衛局国際企画課を中心にアレンジが進められます。つまり各国国防当局の「アジア安全保障認識」を毎年「可視化」(visualize)する必要があるのですね。その意味で、「シャングリラ・ダイアローグ」を成功させたジョン・チップマン(IISS所長)の功績は大きい。各国ともこの時期力を入れて「地域安全保障」の問題に取り組む習慣ができつつあります。

本会合でもっとも注目を集めたのが、ラムズフェルド・米国防長官のセッション”The United States and Asia’s Emerging Security Architecture”でした。ラムズフェルド国防長官はスピーチの冒頭で、アジア太平洋地域における安全保障秩序を下記のように表現しています。

The breadth and depth of these activities reflect an important and constructive trend: for much of my adult lifetime, security and stability in the Pacific was maintained essentially by a network of bilateral defense relationships between the United States and our allies and partners. This was notably unlike the situation in Europe, where we had a relatively large and more formal alliance -- the North Atlantic Treaty Organization. But now we see an expanding network of security cooperation in this region, both bilaterally between nations and multilaterally among nations -- with the United States as a partner. We see this as a welcome shift.

最後の2行が大事なのですが、アジア太平洋地域の安全保障は「2国間関係(bilateral)と多国間関係(multilateral)双方の拡大しつつあるネットワークだ(米国をパートナーとして)」という表現をしています。かつてラムズフェルド国防長官が「2国間関係」を最重要視していたことから考えれば、”multilateral”に言及し、それを「ネットワーク化」として捉えたことは、かつてブレア米太平洋軍司令官が「ウェブ型」と呼称した概念が、再び国防総省内で浸透してきた萌芽ととらえられるかもしれません。

【「ステークホルダー」論は安全保障分野にも波及?】

さて、その理由は何か。現時点で、米国の東アジア安全保障観を読み解くためには、下記のような構造を前提とする必要があるでしょう。


(1)安全保障上の脅威
  1. 短期的脅威の制御(北朝鮮の核問題を六カ国協議で収束をはかる/中台関係を台湾側の独立機運を削ぐことによって制御する)
  2. 中長期的脅威の認識が形成(中国「ステーク・ホルダー論」の台頭/「戦略的岐路にたつ国家」へのヘッジング)
(2)政策対応
  1. 同盟関係の再構築(米軍再編に基づく同盟関係の再構築/日米関係「共通の戦略目標」「任務・役割・能力分担」「在日米軍基地の再編」)
  2. 準地域枠組(六者協議による北朝鮮核問題の制御)
  3. アド・ホックな政策枠組(拡散安全保障イニシアティブ・各種対テロ協力)
(3)残された課題
  1. 「台頭する中国」に対応する戦略的枠組の欠如
  2. 中国を主軸とする新たな地域枠組への対応の欠如(上海協力機構)

こうしたタイミングで浮上したのが、R・ゼーリック米国防副長官の主張する中国「ステーク・ホルダー論」といっていいでしょう。同副長官は中国を「責任ある利害関係者」と評して、「大国として相応しい責任を果たすよう」求めています。

かつての、クリントン政権期の対中政策は「関与政策」(エンゲージメント政策)でした。関与政策の本質は、中国を様々な国際枠組に関与させ、国際社会とのインターフェースを多元化することによって、「協力の習慣」(habit of cooperation)をつくらしめることにありました。ゼーリックのいう「ステーク・ホルダー」は「関与政策」とどう違うのか。それは、中国のパワーがもはや「関与の対象」という段階を超えた、という認識にあります。

つまり、高成長を遂げ、WTOに加盟し、国連安保理常任理事国として存在感を増す中国は「エンゲージする」対象としてのみでなく、「関わりあう」主体へと認識上の変化を遂げつつあるのです。つまり「利害対立者」にも「利害共有者」にもなりうる、「台頭化」とともに「対等化」しつつあるアクターへと転換しているという認識が現れているのです。

こうした「ステーク・ホルダー論」がまず出現したのは、経済分野でした。とりわけ米中貿易構造は、現在慢性的な米国の対中赤字という不均衡があり、その不均衡は拡大傾向にあります。「利害関係者」であれば、適正な為替レートを定め、貿易ルールを国際標準化し、国内の知的所有権を徹底し・・・という一連の要求につながっていくわけですね。中国は昨年、人民元にバスケット制度を導入することによって管理レート化での(擬似)切り上げを行い、米中経済関係の適正化につとめています。今後、米経済界の対中圧力は厳しさを増す一方でしょうが、他方で米経済界も大規模な対中投資によって利益を上げる構造ができているわけです。「利害関係者」たる所以ですね。

さて「ステーク・ホルダー論」が徐々に出現しつつあるのが、安全保障分野であるといっていいと思います。安全保障分野でも、中国を多国間協力に参加させ、地域安全保障協力にエンゲージすることは90年代の重要なテーマでした。その間、いろいろな議論がありました。①中露関係がふたたび緊密化し米・同盟関係に挑戦する(あるいはそれが限界である)という議論、②9.11テロ後は対テロ政策で米中協力分野が拡大し、戦略的なパートナーとしても位置づけられる(あるいは・・・同上)という議論など。

しかし私見では、米国はひとつの重要な議論を(意識的に)避けてきたのだと思います。それは、中国が実質的に米国の軍事的優位を(少なくとも)脅かす挑戦国として台頭する日が近くやってくる可能性が高いということです。

  1. 中国の空軍力(第4世代戦闘機)は06年に台湾を凌駕し、08年に航空自衛隊・在日米空軍を上回る
  2. 中国の海軍力は台湾近海(第1列島線)から、より広域(第2列島線)へと拡大し、米太平洋海軍の活動を制約する(若しくはコストを高める)
  3. 中国の弾道ミサイルは、液体燃料の大陸間弾道ミサイルによる「最小限抑止」から、固体燃料のICBM、潜水艦発射型のSLBMへと多元化し「限定抑止」へと移行する

これらの現象を目前にして、米国が依然として「エンゲージ」戦略と「ヘッジ」戦略のみによって、対中政策を形成することは不可能になりつつあるからです。

なぜ不可能なのか。たとえば、第2回「応用編」で学んだQDRでは、米国の戦略で「抑制」と「抑止」という概念がとられていることを意味しました。しかし、そこには米国が「抑制」される、または「抑止」される対象になることは、概念上想定されていないのです。しかし中国が①~③の能力(capability)を保有するようになれば、仮に米国が台湾有事に介入使用とする際に、中国側の脅し(例えば台湾介入によってロサンゼルスに核攻撃を行う/太平洋軍への魚雷攻撃を行う等)に現実性が付与されるからです。つまり中国側が非対称(アンチ・パリティ)とはいえ、米国を「抑制」し「抑止」できうる能力をもつかどうか、これが「戦略的岐路」の本当の意味ではないかと、私は考えています。

そこで重要となってくるのは、果たして米国がそのような状態を受け入れるかどうか、という問題です。例えば米中「相互核抑止」という状況を、米国が公式に認定するという時代に突入するのか、それとも米国は中国の核戦力を引き続き無効化する(あるいは中国の最小限抑止を認めない)という状態が続くのか、これが大きな岐路だということですね。

実は、そうした動きがすでに出始めています。5月10日に米下院国際関係委員会で実施された公聴会で、ゼーリック国務副長官は(核戦略を含む)戦略的課題を米中で話し合うべきだと証言しています。ゼーリックは、中国に経済、軍事、人権等多くの要求をする一方で、エネルギー安全保障、環境、保健衛生、教育、移民問題など多くの協力すべき領域を指摘しています。

また、これをさらに軍事協力の可能性まで言及したのが、5月に訪中したファロン米太平洋軍司令官です。ファロン司令官は会談のなかで、6月17~19日にグアム沖で開催される軍事演習「バリアント・シールド」に人民解放軍幹部をオブザーバーとして招待しています。さらに、ファロン司令官は中国の軍近代化が進めば米国と対話パートナーになる旨も発言しています。

そして冒頭に紹介した「シャングリラ・ダイアローグ」でラムズフェルド国防長官は以下のように述べ、中国との軍事協力の窓口を拡大していくことに肯定的な発言をしています。

And we believe that port visits and military exchanges, educational exchanges, particularly at the younger levels, some possibly cooperation in humanitarian assistance so people develop some better understanding of who we are and who they are and the kinds of things we can cooperate on -- we clearly have areas of common interest and in disaster relief and the like. So my hope is that what we’ll see over the years will be a multi-faceted relationship between our two countries that will be political and economic, as well as military to military, and that it will evolve in a constructive way as China engages the world more fully as it seems to be doing every year

こうした動きは、上記の「構造変化」のなかで捉えなければなりません。いわば米国が対中関係について、安全保障の分野でも「ステーク・ホルダー論」を追及し、またその背景には台頭する中国が米国を「抑制」させる力を持ちつつあるという変化が生じているのです。新しい米中「バランス論」がどのように形成されるのか。ここ1~2年の米中安全保障関係は、①通常戦力・非通常戦力のバランス、②戦域優位、戦略優位のバランス、③伝統的・非伝統的安全保障の対立・協力関係、④以上を支える全般的な政治経済関係という多面体として捉えなければならないでしょう。

投稿者 jimbo : 2006年06月05日 04:46