研究活動

メディアと観光−京都観光の分析−

総合政策学部2年 榎村麻子

1.観光におけるメディアの影響

 私たちは旅行をする際、目的地である観光地というものをどのようにして認識しているだろうか。観光地を訪れようという意思は、まずその観光地のイメージがなくてはうまれてこない。ではそのイメージとは何が作り出すものか。私はそれを「メディア」であると考え、メディアが観光というものにいかに影響を与えてきたか調べることにした。

(1)観光とメディアに関する考え方

●D.J.ブーアスティンの主張 

 写真・映画・広告・テレビなどの様々なメディアにより創られたイメージのほうが現実より現実感を持つ。観光はそのようにメディア(観光パンフレット・観光情報誌・テレビなど)に創られたイメージを確認するためのものだけになっていると指摘。ツーリストたちもそれを望んでいる。

●D.マッカネルの主張

 ブーアスティンの意見に対抗。ツーリストたちはホンモノを求めている(ホンモノ=手が加えられていない真正な文化・観光地で暮らす人々の暮らし)

以上2名の社会学者の主張は真っ向から対立するものだが、それはツーリストが真か偽かどちらを求めているかというところであって、メディアにより観光地のイメージは影響を受けるという部分では意見が一致していると見て良い。

(2)日本での具体例

それでは日本では具体的にどのような影響があったのだろうか。簡単な例を挙げたい。1970年代、日本では国鉄によるビジットジャパンキャンペーンが行われた。また、女性誌であるananやnonnoが京都観光などの旅行特集を組み、2つの相乗効果で観光地(この場合は京都)を訪れる人が増加した。いわゆるアンノン族のことである。

(3)メディアのマイナス面

メディアで観光地を取り上げることにより観光客が増加するというプラス面以外にも確かにマイナス面があることは否めない。
マイナス面として
観光地のイメージのステレオタイプ化
倫理に触れる出力のされ方
皆の望む方向にしか情報を形成しない
などが挙げられる。

ここまで調べてきて、私は雑誌と京都観光について興味を持った。「メディアと観光」の研究のアウトプットとして「京都観光が雑誌・ガイドブックからどのように変遷しているかを見る」ことにした。

2.京都観光分析

 京都は年間4300万人が訪れる日本でも最大規模の観光地である。なぜ京都はそのような高い集客性をほこるのだろうか。それはやはり京都というもののイメージが私たち観光客に良い方向で植えつけられているからだろう。

(1)かつての京都のイメージ

明治大正期、京都は修学旅行の目的地として盛んだった。 というのも当時京都は近代化事業に積極的に取り組んでおり、近代的施設と古い文化遺産の融合した近代都市だったからである。しかし、昭和期にはそのような近代的・産業的側面は排除され古都というイメージが固定化されることになった。1964年あたりに川端康成の京都を舞台にした『古都』という小説が映画化され、京都=古都というイメージが強められることとなった。 かつて1970年代からの国鉄の古きよき日本の伝統を探求するというディスカバージャパンキャンペーンとアンノン族ブームで京都は一気に観光地としての人気を得たが、その時に打ち出した「古都」というイメージが現在まで固定化してしまった。それは外からの強制的なイメージの固定化であったといえる。

(2)現在の京都のイメージ-キャッチフレーズ分析-

では現在ではメディアは京都をどのように伝えているのだろうか?16冊の雑誌(ガイドブック)のキャッチフレーズを通して現在の京都観光の傾向分析をしてみた。 グラフを以下に示す。

 分析対象:2003〜2006年までの京都に関する雑誌・ガイドブック
 分析方法:テキストマイニング用のフリーソフト「茶筅」とエクセルを使いグラフ化

filekyoto.xls

 「古都」という単語は、今までのイメージ戦略と同じいわゆるステレオタイプ的な京都のイメージだといえる。また、「雑誌名」というのは、「サライの京都」や「MEETSが提案する京都」などという書き方を指し、メディアが新しい独自の京都の見方・切り口を打ち出す姿勢だと言える。
この中で一番注目したいのが、「懐古」と「発見」という単語が同時に出てきている点である。相反する概念が同時に使われ、また「懐かしさと新しさの交錯」などというフレーズも使われており、古さと新しさの共存というテーマが京都観光において隆起しつつあるのではないかと考えられた。

(3)京都のイメージ変革の契機

それではなぜ京都のイメージ変革がおこったのだろうか? それは景観問題がきっかけだと考えられる。
景観問題とは以下の2つの出来事を指す。

1960年代           第一次景観問題 京都タワーを建設するのに住民が反対
1980年末〜90年代初 第二次景観問題 JR京都駅の現代建築への改築に多くの住民が反対。

 結局建築はされたが、この景観問題を機に「新京都市基本計画」が策定され京都らしさと都市計画をどうおりあいをつけていくかを考える、「京都らしさの都市計画への埋め込み」が行われるようになり、京都らしさが市内で制度化されることになった。 京都市民は、京都以外の人々の「昔ながらの京都であって欲しい」という思いを汲み取りつつ新しい京都らしさを模索するようになった。今までのが外から強制されていた「京都らしさ」ならば、これは内からの「京都らしさ」であるといえよう。

(4)新しい京都のイメージを支えるもの

さて、ではそのような発見と懐古の両義性という新しい京都らしさをいかした観光を 支えるものは何か。自分なりに考えてみた。 その最たるものが京都という町の気質ではないだろうか。

歴史的にみて京都は明治維新時に衰退の危機に陥ったとき、近代開発事業計画を推進した 理化学研究所や島津製作所などの誕生があり、伝統産業の陶器生産に西欧的近代技術を 取り入れ、その後有名な京都セラミックの誕生につながった。
現在でも京都という町は実は革新的な超優良企業、特にハイテク系の優良グローバル企業が集まっているのである。例えを挙げると、京セラ、村田製作所、オムロン、日本電池などがある。このような京様式企業はここ10年間で一般の電子産業と比べて3倍の売上高をあげている。具体的な京都の気質としては、アンチ東京から来る批判精神があげられるが、表だって攻撃しないあいまい性という気質も持つことから排他的すぎず、保守的な面をもつとともに外来者をこばむことはしないといわれている。ゆえに京都は先ほどあげたようなハイテク企業の社長のような自由人が活躍しやすい場である。町の気質はまちづくりに直接リンクしていくので非常に重要であると私は考えた。

その古さと新しさを持ち合わせている気質の現われとしての具体例を挙げたい。  1996年、フランスと友好の証としてシラク大統領が京都の鴨川にポン・デ・ザールという芸術橋をかけるという提案があったときに京都の景観にあわないと多くの住民の反対をうけたということがあった。このへんに古きよき京都を守ろうとする姿勢が見られるが、けして保守的なだけではない。京都との姉妹都市であるフィレンツェの建築家とコラボして高台寺の庭をライトアップするという、革新的な面を持ち合わせていることがわかる。

3.まとめ

メディアによって固定的なイメージを植えつけられてしまうというマイナス面もあるが、メディアを利用して観光地の活性につとめることが大事だと私は考えた。京都のように、かつて「古都」というイメージが固定化してしまったところもあるが、また新たにメディアを通してその固着したイメージを壊すことも可能であるとわかった。

参考文献

『京都観光学のススメ』井口和起 人文書
『観光の京都論』 山上徹   学文社
『京様式経営』 末松千尋 日本経済新聞社

分析に用いた雑誌(16冊)filemagazine.doc


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Last-modified: 2006-02-06 (月) 17:41:21 (4911d)