ごまちゃん、ケニヤを行く!

ナイロビからモンバサへの列車の旅~2



朝。きれいにはれた青い空に、サバンナの赤土のコントラストが見事。アフリカ特有の、枝が上に向かってのびる樹木が点在しており、これまた何もない草原が広がる。「何も見えないのよ、誰一人いないし、建物やビルもない。なんてluxuaryだと思った」と、サファリにいったフランス人が言っていたが、たしかに列車が30分走っても風景が変わらずになんにもない、というのはすごい。

ときどき、5つくらいの家が固まって見える。一体こんな孤立したところで何をして生活するんだろうというくらい、その家の集まり以外何もない。このサバンナで暮らす子供達であろう、列車に向かって奇声を発したり、手を振ったりしている。しかし、よく見ると、右手で手を振りながら、左手で何かを要求するように前に手を突き出している。彼らの発している言葉に「ギブミー」という発音が混じっているのに気づく。

彼らは1日に2本しか走らない列車の時間を知っており、その時間帯になるとこうして線路沿いに並んで、乗客の関心を買うのだ。うまくいけば何かが列車の窓から降ってくるかもしれない。そんなゲーム的要素が強いかれらのリアクションであるとは分かっていても、なんだかいたたまれなくなって、外を見ていられなかった。小さな妹を抱いて、片手で手を振る7,8歳くらいの女の子の姿が、妙に心に焼き付いた。


本文に関係ないけど、ネパール人のシャムさんと
女の子の名前について歓談中(1996.11.5)

遠くに動物が見えないかな、と目を凝らしたが、ケニヤは今動物が乱獲されているらしく自然動物の危機に陥っているとかで、何も見えなかった。ケニヤでサファリに行かないとは何事だ、という感じでフランス人とアメリカ人に諌められた。電信柱らしき木の棒が、もう45度くらいに傾いてならんでいる。しかし、電線は見あたらない。とっくの昔に切れてなくなって、風化してしまったのだろうか。意味のないその木の棒がなんとも間抜けに見える。そんな風景がただただ続く。

アフリカは、愛する人と来るといい、と言われる理由が少し分かった気がした。これだけ広大な自然の前に、人々は子供になり、単純に簡単に純粋になれるのだ。そうして、きっとお互いに素の姿のままで、向かい合うことができるのだろう。私はロマンチストではないけれど、その時だけ、ちょっとだけ、気分が入ってしまった。でも、一人じゃしょうがない。

朝の8:00、ゆっくりとモンバサ駅に列車は止まった。ここは完全に南国。椰子の木が並び、家の作りもナイロビとは違う。むっとする湿気を含んだ空気が列車に流れ込み、ナイロビでは離せなかったウールのカーディガンを鞄にしまいこんだ。ナイロビは殺伐としてたけど、ここは南国のかおりがする。陽気なアフリカ人はきっとここにいるに違いない。ここなら楽しいことがあるかも、とちょっと期待を抱きつつ、モンバサの駅に降り立った。

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Last updated on December 9th 1996
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