細胞まるごとシミュレーション:電子化細胞実現までの道のり

冨田勝

*ある誕生パーティ

「乾杯!!」と大きな声とともに冷えたビールのジョッキがゴツゴツと衝突す る。全員満面の笑みを浮かべながら一揆に飲み干す。テーブルの上のフライド ポテトの横には、先ほど誕生したばかりの127個の遺伝子からなる小さなバー チャル細胞がラップトップコンピュータ上で「生き」ていた。米ワシントン D.C郊外のレストランでのことだった。

97年の夏、私はSFCの学生8人と6週間のアメリカ合宿を行なった。遺伝子解 析で世界的に有名なタイガー研究所のそばにアパートを借り、日本から持参し たラップトップコンピュータをすべてインターネットに接続して、即席ラボを セットアップした。細胞全体のシミュレーションを完成させることを目標に、 我々は文字通り寝食をともにして頑張ったのだった。そして初めてバーチャル 細胞が完成し安定して「生き」続けられるようになった時、その「誕生パーティ」 を近所の湖畔のビアレストランでプロジェクトメンバーみんなで祝ったのだ。 私達の夢のひとつが実現し、団体競技で金メダルを取ったようなとても爽快な 気持ちだった。

*バクテリアをコンピュータ上で構築する

電子化細胞プロジェクト(E-CELL)は細胞内の全代謝をモデル化し細胞をまる ごとシミュレーションすることを目的とした壮大なプロジェクトだ。バクテリ アなどの単細胞生物をまるごと分子/遺伝子レベルでシミュレーションするこ とは、長年の科学者の夢だったが、細胞の複雑さゆえに実現は到底不可能と思 われていた。しかし私達は、近年同定された数々のバクテリアの全DNA情報を 参考にして遺伝子機能のひとつひとつを組み立てていけば、決して不可能でな いと考えて、96年にこの夢を追いかけ始めた。地球上の知られている生物で 最も遺伝子が少ない「マイコプラズマ菌」を参考モデルに選んだ。マイコプラ ズマ菌の全DNA情報は95年にタイガー研究所によってすでに明らかにされて いる。その約500個の遺伝子の中から自己維持のために最低必要な遺伝子127個 を選んで、その機能ひとつひとつをコンピュータでモデル化したのである。

*究極のたまごっち

スタートした時はどう考えても無謀と思われていた本プロジェクトも、 みんなで並々ならぬ情熱とエネルギーを投入した結果、バーチャルミニ細胞第 一号のシミュレーションを完成させたときは、微生物学者をはじめとする大勢 の人々に驚いていただいた。97年6月にギリシャで行なわれたISMB97 (Intelligent Systems for Molecular Biology)という国際学会で初期成果を ポスター発表したところ、思いのほか反響が大きく、参加者投票による「The Best Poster of the Conference Prize」を受賞、一万ドル(!?)相当の賞品も 頂いた。また、同年8月には英国の科学雑誌に「究極のたまごっち」という見 出しで紹介され、同年10月と98年1月にはアメリカの学会に招待されて講演/ デモを行なった。日本では日経新聞科学欄やNHK科学番組などで取り上げられ、 12月に東京と京都で行われた2つの学会で発表およびデモを行なう機会もいた だいた。そしてこれらの実績が光栄なことに本塾にも評価され、98年3月 E-CELLプロジェクトの学生諸君は「Student Award」を受賞、SFC卒業式で表彰 されたのであった。

このような細胞のシミュレーションを行うことの意義を考えてみたとき、私は いかにそれが重要であるか容易に説明することができる。たとえばヒトの細胞 は約8万の遺伝子の相互作用によるものである。ひとつひとつの遺伝子の働き は比較的単純であるのにも拘らず、その何万という遺伝子のネットワークがヒ トという複雑なシステムを創出している。一般に言う「ヒトの病気」とは「細 胞の病気」のことであり、外的あるいは内的な要因でこの細胞が正常に機能し ていない状態を言う。その意味で病気を論理的に理解して治療するためには、 細胞の働きを理解しなければならない。そして細胞の何万という遺伝子の相互 作用は、その複雑さゆえもはやコンピュータにしか理解できない。あるひとつ の遺伝子に異常があると全体として細胞がどのような振る舞いをするのか、そ の振る舞いを直すためにはどのような物質(薬)が必要か、そんなことを正確 に予測するためには、コンピュータによってシミュレーションを行なう以外に ない。よって私は、ヒトの全遺伝子の働きが明らかになる21世紀初頭には、私 達の電子化細胞の技術が本格的に医療や創薬に貢献できるのでは、と考えてい る。

*新分野開拓のきっかけ

と、優等生的な動機を述べてみたものの、本心を白状すれば、私がこの電子細 胞プロジェクトをやりはじめた理由は上記のように医療に貢献しようと思った からだけではない。

そもそも私は本塾工学部数理工学科を1981年に卒業後、米国カーネギーメロン 大学でコンピュータ科学を専攻、1985年に博士号をとり、その後も1993年まで アメリカで人工知能の研究を続けてきた。奇跡としか思えない人間の知能を、 コンピュータで再現するのが夢だった。しかし、70年代には無限の可能性があ ると思われていた「人工知能」という学問も、80年代後半になると「できるこ とはできる」けれど「できないことはできない」というように徐々にその限界 が明確になってきた。

チェスなどの限定された分野では大成功の例もあったが、「人間と同じ知能を 持った機械を構築する」という本来の人工知能の究極の目的は少なくとも100 年以内には不可能である、というのが一般的な見方になった。私も自動翻訳な どの実用化を目指した応用研究を行なって、それなりの成果を出して評価もし ていただいたが、「人工の知能を構築する」という当初の夢は私の中で知らず 知らずのうちに遠のいていった。

しかしある日、ふと気が付いた。世界中の研究者が一生懸命研究しても100年 以上かかるというシステムを、大自然は地球の至るところでいとも簡単に作り 上げているではないか。ヒトの受精卵は分裂を繰り返し、何年か経つと60兆個 の細胞からなる知的システムとなる。これは一体どういうことか?細胞分裂を 繰り返し、手や足や脳を形成していく手順はすべて最初の受精卵のDNAに書き 込まれているはずである。DNAはA,T,G,Cの4つのアルファベットからなる「言 語」といえる。驚くべきことに、ヒトのDNAの長さはわずか30億文字、情報 量にしてコンパクトディスク1枚分しかない。この情報をもとにヒトという高 性能なシステムが形成されていることになる。生物というシステムを理解しよ うとしたら、まずこの設計図(DNA)を解読することが一番の早道ではないか?

こうして私は分子生物学を一から勉強して、遺伝子情報解析という新分野に自 らの研究を展開しようと決意したのだった。92年夏頃だったと思う。

*「生命はうまく出来すぎている」

それからというもの、むさぼるように分子生物学の本や論文を読んで勉強した。 生命のメカニズムを知れば知るほど、驚きの連続であった。そして私なりに得 た結論は「生命はうまく出来すぎている」。そしてこれが今の私の口癖でもあ る。

たとえば「細胞分裂」という現象は、シャボン玉やまんじゅうが二つに分かれ る(ちぎれる)ような事、とイメージされる人も多いと思うが、実際には、 DNA情報を正確にコピーし分配するという、とてつもない神業を細胞はやって のけているのだ。しかもこの「DNA複製機械」は電池もゼンマイも使わずに、 動力エネルギーは糖を分解して得ることによって、1mmの100分の1といった 微小世界で正確に作動しているのである。さらに、ひとつの受精卵が細胞分裂 を繰り返して60兆個の細胞からなるヒトを形成する過程はまさに想像を絶して おり、そのアルゴリズム(手順)は未だに殆んど理解されていない。

この頃、「数年以内にバクテリアの全DNA情報(設計図)が読み取られ、誰で もそれを見れるようになる」という噂があった。もしこれが本当なら、この設 計図を参照しながら生物のしくみや振る舞いを考える、という新しい学問が誕 生するに違いない。そして私の中に様々な疑問がわいてきた。DNAの中のすべ ての遺伝子の働きが明らかになった時、遺伝子の働きをひとつひとつ組み立て ることによってバクテリアのような単細胞生物をコンピュータ上で再現するこ とがはたして可能なのだろうか?できたとしたら、それを「生命」と呼べるの だろうか?逆にできなかったとしたら、なぜだろう。「生命は機械なのか」こ の究極の疑問を解明したい。もし「生命は機械」ならばコンピュータでシミュ レーション可能なはずだ。

*ついにその日がやってきた

そして噂のその日が現実となった。1995年8月、人類史上初めて1つの生物 (原核生物インフルエンザ菌)の全DNA情報(遺伝子配列またはゲノムとも言 う)180万文字が前述のタイガー研究所によって読みとられた。いよいよ新し い生物学の幕開けだ。この180万文字をインターネットからロードして自分の コンピュータの中に収めたとき、この中に生命を維持し増殖するためのすべて の情報が含まれてるのだ、と考えると私は計り知れない興奮に襲われたのだっ た。

そしてその後1年間で、あれよあれよと言う間に、マイコプラズマ菌、酵母菌、 古細菌、シアノバクテリアなどの全DNA情報が次々と読みとられ、1998年2月現 在、12種の生物の全DNA情報が国際データベースに蓄えられ、誰でも参照でき るようになったのである。この勢いは止らない。2、3年以内に数十種の生物 の設計図が明らかになるであろう。そして2004年頃には、究極の生物「ヒト」 の全DNA情報が読み取られる見通しである。

DNA情報の読み取り作業は、それ自体が極めて挑戦的な科学の課題であり、数 多くの研究者の努力の結果、とても効率よく様々な生物のDNA情報(設計図)が 読み取れるようになったのである。しかし、設計図と言っても実体はただの長 大な「暗号文字列」であり、これの意味を解析しないことには、宝の持ち腐れ だ。そして膨大なDNA情報の意味解析にはコンピュータが不可欠である。私は この事実を大変重要だと考えている。21世紀は今までの実験生物学とは全く違っ たアプローチ、すなわちDNA情報をコンピュータで解析することによって生物 のしくみを考える「情報生物学」「生命情報科学」ともいうべき新学問がビッ グサイエンスになり、従来の生物学ではわからなかった生命の謎を次々と解き 明かしてゆくことになるに違いない。

このような生命科学と情報科学の境界領域の新しい学問を推し進めてゆく上で SFCほど最適な場所は日本中探してもないと思う。当時まだ海のものとも山 のものともわからないこの新しい分野を研究したい、と相磯秀夫学部長(当時) に相談したところ「大変面白いので全面的に応援する」と励ましていただき、 95年に世界に先駆けて(少し大袈裟だが)大学院プロジェクト科目および学 部研究会科目として「遺伝子情報解析」をテーマに取り上げた。そして数多く の志しある学生に呼び掛け、様々な試行錯誤を繰り返しながら、現在に至った。 平成9年度には大学院、学部あわせて40名を越える学生が、生命の謎を追い 求めて研究活動を行なってきた。

*学問という究極のあそび

一生懸命分子生物学の本や論文を読んで勉強している私の姿を見て、「勉強家」 「努力家」だと思った人も少なくないようだったが、これは全くの見当はずれ である。私にとってそれは、ゴルフマニアがゴルフの本を読みふけったり、ファ ミコン好きの子供が攻略本を読みふけるのと全く同じである。まさに「生命の 謎への攻略本」なのだ。

教育者の立場にいながら不謹慎な発言かも知れないが、そもそも私は学校の勉 強は嫌いだったし成績も良くなかった。すでに答えがある問題を勉強するなん て、甚だおもしろくない。教科書に書いてある問題を勉強して試験で良い点を とる、そんなのは学問ではない。生命にはわかっていないことや不思議な謎の 現象が山ほどあり、それを探求したり考えたりすることが面白い。先生も答え を知らない問題を議論するとき、生徒たちは本当に目を輝かせるものである。

私の考えでは、教育とは「いかにそれを面白いと思わせるか」につきると思う。 つまらないと思っている生徒にはどんなに教授法を工夫しても殆んど身に着く ことなくすぐに忘れてしまうものだが、逆に面白いと思っている生徒は、前述 した攻略本よろしく、何も教えなくても自分でどんどん勉強し、吸収していく。 そして学問、特にサイエンスの本質は「好奇心」、すなわち面白いから勉強/ 研究するのであって、究極の「あそび」といえる。月着陸を果たしたのも、火 星の生物を探索するのも贅沢な「あそび」ではないか。したがって苦痛に絶え ながら歯を食いしばって頑張るようなものは学問ではない。そして我々教員は 学問の楽しさを教えられなければ、学問を教えたことにはならないと思うので ある。

*半学半教の実践

冨田研究室では私のことを「先生」と呼ぶことは禁止されており、学生は私の ことを「冨田さん」と呼ぶ。新分野を開拓するときの宿命であるが、私達には 手本となる先駆者や教科書が存在しない。だからすべての学生は、福澤諭吉の いう「半学半教」を実践し、学びながらそれを後輩や仲間に教える。私自身も 例外でなく、教えながら学生から多くのことを学ぶ。そこには「師弟」の関係 はなく、私は学問や研究を行なっていく上での「先輩」にすぎない。

幸運なことに、私の研究室はいつも笑いが絶えない。学生がおとなしくなった、 と囁かれる日本の大学において、彼らの自由奔放なパワーと情熱はハンパでは なく、塾外の先生方は大抵驚かれる。そんな彼らと一緒に新分野を勉強し、ア イデアを出し合い、合宿し、スキーやローラーブレードであそび、酒を飲みな がら議論し、夢を語り合うとき、私はこの職業をやってきて本当に良かったと つくづく思うのである。そして、学問の楽しさを教えるためにはまず教える本 人が心から楽しむことが最も重要だと思うのだが、この点については私は世界 中の誰にも負けない自信がある。