RAC、レジュメ

前近代におけるアジア認識

アジアに関する古代西欧世界の知識

プトレマイオス
   (Ptolemaeus/Ptolemy)

    「地理誌」(Geographia)
        (2世紀)
    「黄金半島」「黄金の島」の記述あり

アレクサンドリアで活躍した
数学者,天文・占星学者,
地理学者

ラテン名 Ptolemaeus Claudius

英語読みはトレミー Ptolemy

127‐141年にアレクサンドリアで天体観測をした

当時としては最高の地理的知識を集大成したもの

8世紀にはイスラム世界に導入される

15世紀初頭にアンゲルスにより

 ラテン語訳、 《コスモグラフィア(宇宙誌)》

後世の地図学に大きな影響を与えた


黄金半島の記述

和訳

黄金半島においては、

タコーラ:商業港

この町から先に伸びた半島・岬

クリュソアナス河の河口

サバラ:商業港

パランダス河の河口

マレウコロン岬

アッタバス河の河口

コレの町

ペリムラ

ペリムリコス湾

黄金半島の地図(1508年)

黄金半島はマレー半島、黄金の島はスマトラ島と考えられる

 

東南アジアに関する古代インドの知識

suvarnadvipa

suvarnabhumi

   suvarna:黄金の

   dvipa  :島、半島

   bhumi :土地

 

東南アジアに関する古代中国の知識

「漢書」地理志(1世紀)
 日南(ベトナム中部)〜黄支 国(南インドのコーチン)へ 至る通商路が記されている

 

「漢書」地理誌(1世紀)

日南、障塞の徐聞・合浦より船行すること五月ばかりにして都元国有り。又、船行すること四月にして邑盧没国有り。又、船行すること二十余日にして湛離国有り。歩行すること十余日にして夫甘都盧国あり。夫甘都盧国より船行すること二月余にして黄支国有り。

 

民俗はほぼ珠涯と相類す。その州は広大にして戸口は多し。異物多し。武帝より以来皆献見す。

訳長有りて黄門に属す。応募する者とともに海に入る。(中略)

蛮夷の賈船、転送してこれを致す。亦た、交易に利あらば、人を剽殺す。又、風波に逢いて苦しみ、溺死す。しからさる者は数年にして来り還る。

「漢書」地理誌
地名の比定

日南       :ベトナム北〜中部

都元国     :不明

邑盧没国    :不明

湛離国     :チャオプラヤー下流?

夫甘都盧国  :テナセリム?

黄支国     :南インド

東洋と西洋

東洋  (中洋)  西洋、   

南洋   VS   北洋

東洋針路、 西洋針路、 

大西洋

南海

「東洋」と「西洋」

中国に於ける「東洋」「西洋」「南洋」「北洋」

北洋:上海以北の東支那海と黄海

南洋:浙江省以南の沿海地域とそれに連なる外国

東洋:台湾、日本、フィリピン群島、インドネシア東部、ボルネオ島北部

西洋:インドシナ半島、タイ、マレー半島、

     インドネシア西部、インド

「東西洋考」文莱の条

中国語における用法

「東洋車」、「洋車」(ヤンチョー)

「東洋音楽」(現代)

「北洋総督」(清代)

「北洋汽水」(現代)

「南洋巡撫」(清代)

「鄭和下西洋」(明代)

鄭和下西洋

鄭和の大航海

鄭和は明朝第三代皇帝永楽帝の命を受けて、1405年から1433年まで7回にわたって南海遠征を行った

訪問先は東南アジア、インド沿岸はもとより、遠くアラビア半島やアフリカ東海岸に及んだ

これはコロンブスのアメリカ到達より約1世紀も前のことである

三宝太監鄭和と永楽帝

鄭和航海図、瀛涯勝覧と星槎勝覧

東南アジアに関するアラブ世界の知識

イスラム世界の航海

イスラム教の伝播にともない、インド洋各地にこのような船が航海し、商業貿易活動を行うとともに、イスラム教の布教を行った

ダウ船は現在でもインド洋の貿易に使われている

アストロラーベが8世紀頃から使われるようになった

学問の発達

イスラム教の中国伝播

アラブの地理書に見られる
東南アジアの地名

زابج (zabaj)      ジャワ、スマトラ?

كلاه   (kalah)  ケダー、マレー半島

قاقلاة  (qaqullah) マレー半島中部?

صنفين(sanfIn)   マレー半島北部?

تيومة (tiyumah)  ティオマン島

 

おもなアラブ史料

‘Akhbar as-sin wa’l- Hind

 (シナとインドの物語) 851年

Ibn Khurdadhbih 844−8

   Kitab al-masalik wa’l-mamalik

 (諸国と道のりの書)

 イラクのサマラの郵便局長の時、カリフ・アル・ムウタミドに委嘱されて執筆

Ya’qubi875−80頃

 アッバス朝の一族、ホラーサン在住、シーア派

 世界の始まりからアッバス朝までの通史を執筆

Abu Zaid 10世紀初め

 ペルシア湾の港町シーラーフ在住

 東方から来る商人たちから話を聞いて「シナとインドの物語」の改訂版を執筆

Abu Dulaf 940年頃

 サーマーン朝治下のブハラ在住、 使節として中国を訪問

Mas’udi 943年、バグダード生まれ

 Kitab muruj al-dhahab(黄金の牧場)

 一種の百科事典

千夜一夜物語

 著者は不明、多くの異本あり

Buzurg b. ShaharIya ramhurmuz

   ‘ajaib al-hind(インドの驚異)

  7世紀から13世紀まで各説あり

Idrisi 1154年、モロッコ出身

  kitab nuzhat al-mushtak fI ikhtirak al-afak

 (世界を旅行せんとする人々のための喜びの書)、シチリア島で執筆

Yaqut 1224年

 Mu’jam al-buldan(道里記)

  地理書、先行する書の集大成

Biruni 1030年頃

 百科全書的な書

Abu’ l-fidah 1273−1331年

 エジプト生まれ、

 Taqwim al-buldanは百科全書

西欧世界との接触

マルコ・ポーロ

プラノ・カルピニ

フランシスコ・ルブルクなど

マルコポーロ
1254−1324

マルコポーロ「東方見聞録」青木富太郎訳、現代教養文庫656、昭和44年

1270年代末:中国の元朝を訪れた帰路はイランを縦断
1295年黒海経由ベネチアに帰還
26年間の東方大旅行

帰国後、1298年,貿易上の競合関係にジェノバとの間の戦争に従軍、海戦に敗れてジェノバの獄に
同室の囚人ピサの物語作者ルスチケロに旅行内容を口述
《マルコ・ポーロ旅行記》(《東方見聞録》)の祖本

中世人の平面的東西世界を,北回りの陸路と南回りの海路で周回した最初の体験を記録に残した