RACレジュメ

西欧におけるアジア研究と
西欧勢力のアジア進出と西欧世界との接触

マルコ・ポーロ

プラノ・カルピニ

フランシスコ・ルブルクなど

マルコポーロ1254−1324

マルコポーロ「東方見聞録」青木富太郎訳、現代教養文庫656、昭和44年

1270年代末:
中国の元朝を訪れた
帰路はイランを縦断
1295年
黒海経由ベネチアに帰還、26年間の東方大旅行
帰国後、1298年,貿易上の競合関係にジェノバとの間の戦争に従軍
海戦に敗れてジェノバの獄に
同室の囚人ピサの物語作者ルスチケロに旅行内容を口述
《マルコ・ポーロ旅行記》(《東方見聞録》)の祖本

中世人の平面的東西世界を,北回りの陸路と南回りの海路で周回した最初の体験を記録に残した

西欧勢力のアジア進出

ヴァスコ・ダ・ガマ

1498年、

アフリカ大陸南端の喜望峰を廻り、始めて

 南インド、カリクートに到着した

西欧勢力
アジア進出の動機

香辛料の確保

キリスト教の布教

 

南インド、マラバル海岸では紀元前6世紀からコショウの栽培が行われていた。

 

ナツメッグ(黒い種)
メース(赤い皮)

シナモン(肉桂)、
 カンフォル(龍脳)、
サンダルウッド(白檀、栴檀)

クローブ(丁子、丁香)

かつてクローブ、ナツメッグ、メースはこの香料群島(モルッカ諸島)でしか採れなかった

 

アジア研究のはじまり

トメ・ピレスTome Pires1466頃−1524頃

マラッカ滞在中に見聞に基づいて《東方諸国記》を執筆した
これは16世紀初頭の東南アジアについての最も詳細な記述で,その資料的価値は高い

リンスホーテンJan Huyghen van Lischoten1563−1611

 スタンフォード・ラッフルズ (Sir Thomas Stamford Raffles)
 1781、カリブ海で出生
 1805、ペナン植民地の
   書記官補佐となる
 1808、マラッカを訪れる 

1810、マレー諸国に対する    ミントー卿の代理人を務める
 1811-16、ジャワで副総督を務める
 1817、ベンクーレンの副総督となる

1819、シンガポールを建設。
1819-24、シンガポールの発展に寄与。
1826、イギリスで死去。

 

前近代の西欧世界
とアジア

自分の権益があるところにしか関心をもたない

商業貿易および植民地支配のための実用的知識が優先される

オリエンタリズムの流行

19世紀の「東南アジア」

さまざまな呼称

「インド」:「アジア」とほぼ

 同範囲

ガンジス川の向こうのインド

Further India

インドシナ

マレー群島

 

当時はまだ東南アジア全体を指す
名称は存在していなかった

19世紀末の世界地図に載った東南アジア大陸部