小熊研究会T「社会学の基礎」第12回 1202001

総合政策学部4  貴戸理恵  No.79703302

 

Philippe Aries

「〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

〜近代家族論の文脈から

 

 

はじめに

今回のプレゼンテーションでは、アリエスの「〈子供〉の誕生」の内容把握とともに、近代家族論の文脈におけるアリエスの位置づけと意義を明らかにしたい。

1960年に出版された本書は、「子供」を社会的存在と見なし歴史化したインパクトと、「心性史」「図像史」といった斬新な手法によって、社会学、教育学、歴史学、人類学など各方面から注目されたが、とりわけ「母性愛」「家族愛」の歴史化という点から、その後の近代家族研究に与えた影響は大きいものであった。アリエス自身「16世紀から17世紀にかけて、こうして迸り出る家族意識は子供期の意識と不可分である。…子供期に向けられた関心は、この更に普遍的な意識である家族意識の一つの形態、一つの個別の表現にすぎない」(P.330)としており、本書を理解する上で近代家族論というコンテクストは外せない。

 

「〈子供〉の誕生」におけるアリエスの分析

問い:「〈子供〉とは何か」「子供はいつから〈子供〉になったのか」

手法:図像、日記、書簡などの断片的な資料を通じて、人々の心性mantalitの変化を描写する。

変化の図式:「中世」13c.14c.→「転換期」15c.16c.→「近代への前触れ」17c.18c.

 

1.第一部.子供期へのまなざし

「小さな大人」から「愛し保護し教育する〈子供〉」へ

 

²        中世の子供

「小さな大人」:「子供はその生存の可能性が不確実な、この死亡率の高い時期を通過するとすぐに、大人と一緒にされていた」。(P.123

服装:「幼児は産着をはずされると、つまり幼児の身体に巻きつけられていた帯状の布を外されるとすぐに、自分の属する身分の他の男性や女性と同じ服を着せられていた。」(P.50

遊び:「子供たちは、時には子供たち同士で、また時には大人と一緒に、大人と同じ遊びをするのである。」(P.69

性:「下品な冗談、卑猥な仕草が公然と行われてしかも世の顰蹙をも買わず、それはそれで自然のように思われていた」(P.96

 

²        近代への過程

近代へと向かう流れの中で、子供を大人から隔離する新たな心性が生まれた。

子供期への二つのまなざし

可愛がりの意識:子供は「気晴らしと喜びを引き出す対象」(P.127)、「魅惑的な玩具」(P.128

モラリストの意識:心理学的関心と道徳的配慮の対象としての子供

→「子供期へのまなざし」が「衛生」と「身体的健康への配慮」という新たな要素に結び付けられて家庭の中に認められる。「愛し保護し教育する」対象としての子供。

 

2.第二部.学校での生活

子供の教育の場が、徒弟修業から「学校」へと移行する。

 

²        中世の学校

聖職者・宗教関係者たちのためのもの、初等教育の不在、高等教育における文学と自然学の不在

段階化したプログラムの欠如、難易性の異なる学問の同時教育、年齢の無視と学生の放任

→大人と子供が未分離。「学校に入ったその時から、子供は直ちに大人の世界に入るのである。」(P.149

多くの子どもたちは7歳くらいになると徒弟奉公に出されて教育され、しつけられた。

 

²        近代への過程

学寮の発達:「道徳と生活様式とを指導する原則を与える規則から、一日の各々の日課を厳格に規定する規則へ、同僚たちによる管理から権威にもとづく体制へ、教師と生徒からなる共同体であったものから教師による厳格な生徒の支配へ」。(P.164)→規律の強化

学級の発達:「年齢カテゴリーへと生徒を編纂」(P.180

18世紀以降、青年期の分節:古い学校規律の緩和、体罰が学校から軍隊へ→「士官と兵士たちが感性様式において青年期という新しい観念を導入していくのである。」(P.253

19世紀末に寮制度がすたれ、「精神的・道徳的な枠組みをつくる役割において…家庭が学校に対して置きかわる」。(P.269

 

3.第三部.家族

家族が社会生活から「私事」として分離し、共同体から引きこもる。家族の私事化privatization

 

²        中世の家族

・子供は7歳頃になると他人の家へ見習奉公に出された。→「家族は、感情的というよりはむしろ、道徳的かつ社会的な現実であった。」(P.346

 

²        近代への過程

見習奉公から学校へ→子供期の意識、家族意識のめばえ。

家族は「奉公人や使用人、書生、事務員、商店の小僧、徒弟、友人等々」(P.368)を含む大所帯。多くの人々が集まる社交場→「職業生活、私生活、社交ないし社会生活の間に区別がなかった。」(P.352

→「十八世紀以後、家族は社会とのあいだに距離をもち始め、絶え間なく拡大していく個人生活の枠外に社会を押し出すようになる。」(P.374)家族と「世間・社会」との分離。

「健康と教育」が家族の役割として特化→愛情で結ばれた家庭の主役としての子供。

「近代的家族モデル」:貴族・ブルジョワが起源となり、同心円状に他の階級へと波及した。

 

近代家族論におけるアリエスの位置づけ

1.近代家族論について

近代家族論とは:“普遍”であると見なされていた「家族」を、歴史化historizationする試み。

→フェミニズムが注目「夫婦愛・母性愛は“普遍”ではない。」

cf.「家族社会学」とは別個の流れ。「家族社会学」は「家族」の存在を疑えない。

 

2.歴史学からのアプローチ

【公領域】「政治史」「経済史」

唯物史観(エンゲルス):進歩史観。歴史は望ましい状態への変化、拡大家族→核家族、下部構造(経済)が上部構造(意識形態)を決定する。

【私領域】「社会史」(経済決定論に対する批判。文化や心性などの要因も含め全体像を描く。記述的。)

・歴史人口学:教区簿冊や選挙人登録名簿などを用いて人口動態を研究。

ラスレット:「拡大家族→核家族」図式の否定。「中世ヨーロッパでは晩婚のため核家族率が高かった」(Laslett1988

・心性史:「家族愛」の歴史化、近代における家族の「私事化privatization」の研究。

ショーター:近代家族論の成立。“The modern family is a state of mind.”(Shorter1975

ストーン、セガレーン:「夫婦愛」の歴史化(Stone1977Segalen1981

アリエス:「母性愛」の歴史化(Aries1960

→「〈子供〉の誕生」の出版年(1960年)に注目。アリエスは「家族の歴史化」の先駆者。

 

3.構造機能主義批判としての近代家族論

構造機能主義の家族システム論:「家族の機能は成人のパーソナリティの安定と子どもの社会化」(Persons1956)→家族の「普遍性」を追求しグランドセオリーにまで高めた。

アリエスの反論「価値と知識の伝達、より一般的にいって子供の社会化は、家族によって保証されていたのでも、監督されていたのでもなかった。子どもたちはすぐに両親からひきはなされ、数世紀間にわたって教育はそのおかげで子供ないし若い大人が大人たちと混在する徒弟修業によって保証されていたといえるのである。」(Aries19601

60年代の「異議申立て」の流れの中で、アメリカで構造機能主義批判として受け入れられる。

 

4.アリエスへの批判と乗り越え

ドンズロの「家族に介入する社会」(Donzelot1977

家族のモデルを単一の中産階級モデルに還元している。→近代と近代以前との差異は明らかにしたが、ひとつの時代の内部の差異を明らかにしない。

心性に変化を及ぼす社会的な領域を考察しない。→なぜ心性が変化するのかが説明できない。

→ドンズロは、フーコーの理論を援用。身体・健康、食事・住居、生活条件など生活のすべての空間に侵入し人間を主体化する微細な権力の作用に着目し、「社会」「心性」という従来の方法論上の分断を超えようと試みた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

Aries19601973、「〈子ども〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子どもと家庭生活」みすず書房

Laslett1988、「日本から見たヨーロッパの世帯とその歴史」リブロポート

Shorter19751987、「近代家族の形成」昭和堂

Stone19771991、「家族・性・結婚の社会史1500年−1800年のイギリス」勁草書房

Segalen19811987、「家族の歴史人類学」新評論

Persons19561981、『アメリカの家族−パーソナリティおよび社会構造に対するその関連』「家族」黎明書房

Donzelot19771991、「家族に介入する社会」新曜社

上野千鶴子、1996、『“家族”の世紀』「〈家族〉の社会学」岩波書店

落合恵美子、1989、「〈近代家族〉とフェミニズム」勁草書房

―――――、1990、「21世紀家族へ」有斐閣

社会環境論「子供」レジュメ

 

資料

1「洗礼も受けずに死んだ子供を、家の中、敷居、庭に埋葬する習慣が、バスク地方ではきわめて長いこと残っていたことが報告されている。そこでは恐らくごく古風な祭式、犠牲の奉納が残存しているのであろう。それとも、むしろ、生まれてあまりにあえなく死んだ子供は、今日、家畜や犬や猫が埋められるようにところかまわず埋葬されていたのだろうか。子供はそれほど取るに足らぬ存在で、生活に深く入りこんではいなかったのであり、死んだ後に生きている者たちを悩ましに戻ってきはしまいかと懸念される必要もなかったのである。」(P.40

 

2「老いたるにせよ若きにせよ、成熟せるにせよ、青さのうちにあるにせよ、汝ら開かれた心をもつよき生徒たち…。  (フォルステの学校の教師と目されるこの寓意された人物は)『若者も老人をも含め、数え切れぬほどの生徒たちにたいして、…構文についての章を読んでいた。』プログラムのなかで段階化されていることもなく、若い生徒が一度しか聴講していないものを年のいった学生はそれより多く反復しているにすぎないのであって、かれらのあいだにそれ以外の相違は存在していなかったのだから、これ以外の教育の形態はあり得たであろうか。」(P.148

 

3「十五世紀より以前には、学校規律のヒエラルヒーのような、学生組合的な団体をこえるいかなる権威にも、学生は従うことがなかったのである。けれどもこのことは、学生は自分自身でいかにふるまってもよい、ということは意味しなかった。…学生は…結社、団体、友愛組織へ入り、これらの学生団体が献身、共通の酒瓶、宴会、共同生活の感情によって、また敬虔かつ歓ばしき活動によって、学生の生活を支えたのである。ところで幼い生徒たちは古参の学生たちに従い、よい時も悪い時も生活条件をともにし、ときとしては、新入りをいじめかつは利用していた。いずれにせよ生徒たちはその仲間たちからなるひとつの社会ないし団体に属していて、そこでの仲間関係はときとしては残酷なものであったが、学校や教師たちよりももっと実際に生徒たちの日常生活を規制していた。」(P.238

 

4「子供たちは社会において他の年齢の人々から隔離されるようになる。少なくともブルジョワ市民にとって、子どもを別の世界、つまり学校の寮の世界にとじこめることが重要なこととなる。学校はこの幽閉のための手段なのである。かくして、学校はすべての年齢の人びとが区別なくいりまじっている社会に対しておきかえられる。そして、ここでは人は、学校が子供たちをある理想の人間類型のモデルに従って教育することを求めるのである。」(P.269

 

5.「歴史家たちは、かなり前から、国王は決して一人になることがないことを指摘してきた。だが事実は、十七世紀末までは、だれもが一人でいることはなかったのである。社会生活の密度が高かったことから孤立は不可能だったのであり、そしてまた、かなり長い間『個室』ないしは『執務室』の中に閉じこもることのできた者たちは、類い希なる行為として誉めそやされたのだった。同輩、同士の関係、また身分は同じであっても一方が他方に従属している関係、あるいは主人と奉公人たちの間の関係などといった日々刻々の関係があるために、人は決して一人になることはなかった。」(P.374

 

6「母性愛あふれる母、母を慕う子、母子を毅然と統率する父――その三者の姿がいかに心安らぐ人間本来の理想と映ろうとも、逆にいくらもがいても向け出せない愛憎の檻と見えようとも、それはたかだか二百年、大衆レベルではわずかに百年から六十年の歴史しかもっていない。歴史社会学がまず行ったことは、親子の情緒的絆の、意外な底の浅さを暴いてみせることであった。」(落合:1989

 

7「他の種類の人間関係から区切られた近代的家族が確立されてくることは居住空間や市街の配置の変化と深くかかわっているのだが、そのことは古い社会に存在していたきっちりとは規定され尽くしてはいないある空間、それゆえ社会をなんらか透明でなくしてくれる空間(espace aleatoire)をとりのぞいてしまった。いいかえると、近代の社会は、居住空間や市街の再編成と閉鎖的な近代家族とによって、『温和なしかたでだが、権力の関係によって枠組みがつくられてしまっている』。私生活化が管理の強化を伴うのはその理由によるのである。しかし、『私たちはわずかであるにせよ、(なにものにも規定されていない)空白の余地を残したところで生活することが絶対的に必要なのではないか』」(P.394 訳者あとがき)