2000年10月16日  小熊研究会1秋学期レジュメ

エミール・デュルケーム『自殺論 − 社会学研究』

総合政策学部四年  学籍番号79700023  相澤真一

プレゼンテーションのポイント

『自殺論』(1897年公刊)を中心としてデュルケムの主張を理解することによって、

社会学という学問の企てがどのようなものであったのかということに関する一端を学ぶ

「近代化」という時代の変化に対して、どのような分析が試みられたかを学ぶ

そして、今後、社会学の著作を読んでいく上での礎石となれば幸いである。

 

デュルケムが問題とした時代状況

自殺の増加

「今日の自殺の激増は、文明のあがなうべき代償であるといわれてきた。たしかに、その増加はヨーロッパではあまねくみとめられるし、その国が高い文化に達していればいるほど、いっそう増加はいちじるしくなっている。」(S468ページ)

プロイセン411%増(1826年から1890年)、フランス385%増(1826年から1888年)

 

発展する文明社会、一方で不安定な社会

「すなわち、われわれはいま、まのあたりにしている科学、芸術、産業などの輝かしい発展にただただ眩惑されていることはゆるされない。この発展が、われわれに苦痛にみちた衝撃をおよぼす病的動揺のただなかで達成されていることは、あまりにも明白だからである。」(S470ページ)

 

デュルケムの方法論  『社会学的方法の規準』の主張と『自殺論』の手法を通して

デュルケムの社会学への要求

科学的合理主義を人間行為にまで拡大/社会学独自の研究対象としての「社会」/観察対象としての「社会的事実」

 

社会学と社会の存立条件

「社会が存在しなければ、社会学も存立できないということ、また存在するものが個人だけならば、社会は存在しないということを人は理解しない。」(S15ページ)

社会の構成要素=個人、制度、道徳的実在、集合的実在(社会は単純な個人の総和ではない)

 

デュルケムにおける社会的事実の定義

「社会的事実とは、個人のうえに外部的な拘束をおよぼすことができ、さらにいえば、固有の存在をもちながら所与の社会の範囲内に一般的にひろがり、その個人的な表現物からは独立している固定的、非固定的ないっさいの行為様式のことである。」(M69ページ)

 

自殺論における方法論

「自殺」という社会的事実に注目

自殺という現象、特に「各社会には固有の自殺率があること」についての非社会的要因(=個人的な表現物)と社会的要因(=個人のうえに外部的な拘束をおよぼすことができるもの)とに分けて分析し、それぞれの要因の説明力、社会的事実との関係に関する問題について言及

 

デュルケムの主張  『自殺論』を通して

自殺の定義

「死が、当人自身によってなされた積極的、消極的な行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合を、すべて自殺と名づける。」(S22ページ)

 

自殺に関する考察  非社会的要因と社会的要因

非社会的要因からの説明力の無用性と社会的要因からの説明の有用性

精神病、人種、遺伝、宇宙的要因(気候、時間等)、個人的な模倣(=非社会的要因)は、自殺の根本的な説明の要因とはほとんどならない。

「前編(第一編  非社会的要因)の結果は、まったく否定的なものにすぎなかったわけではない。事実、個人の身体的・心理的素質によっても物理的環境の性質によっても説明することのできない特有の自殺傾向が、それぞれの社会集団に存在することが明らかにされた。その結果、消去法により、自殺傾向が必然的に社会的原因に根ざすものでなければならず、それ自体がひとつの集合的現象をかたちづくるものでなければならないということになったが、これまで検討したいくつかの事実、とくに自殺の地理的、季節的な増減という事実でさえ、まぎれもなくこの結論に筆者をみちびいてくれた。」(S160ページ)

 

社会的要因による自殺の分類

自己本位的自殺

自己本位的自殺の性質

           自殺は、宗教社会の統合の強さに反比例して増減する。

              自殺は、家族社会の統合の強さに反比例して増減する。

              自殺は、政治社会の統合の強さに反比例して増減する。

(中略)すなわち、自殺は、個人の属している社会集団の統合の強さに反比例して増減する、と。」(S247ページ、傍線は全て著者の点線と同じ、以下の傍線も同様)

 

自己本位的の定義

  ところで、社会の統合が弱まると、それに応じて、個人も社会生活からひき離されざるをえないし、個人に特有の目的がもっぱら共同の目的にたいして優越せざるをえなくなり、要するに個人の個性が集合体の個性以上のものとならざるをえない。個人の属している集団が弱まれば、弱まるほど、個人はそれに依存しなくなり、したがってますます自己自身のみに依拠し、私的関心にもとづく行為準則以外の準則を認めなくなる。そこで、社会的自我にさからい、それを犠牲にして個人的自我が過度に主張されるようなこの状態を自己本位主義(エゴイズム)とよんでよければ、常軌を逸した個人化から生じるこの特殊なタイプの自殺は自己本位的とよぶことができよう。」(S248ページ)

 

集団本位的自殺

「集団本位的」で「義務的」な自殺の性質と定義

「前者は過度の個人化から生じるものであったが、それにひきかえ、後者はあまりにも未発達な個人化を原因とする。」(S265ページ)

「すなわち、自我が自由でなく、それ以外のものと合一している状態、その行為の基軸が自我の外部、すなわち所属している集団におかれているような状態がそれ(集団本位主義という言葉が表す状態)である。それゆえこの強い集団本位主義の結果生じる自殺を、集団本位的自殺とよぶことにする。」(S266ページ)

 

アノミー[1]的自殺

アノミー的自殺の定義

「自己本位的自殺は、人が、もはや自分の生にその存在理由を認めることができないところから発生し、また集団本位的自殺は、生の存在理由が生そのものの外部にあるかのように感じられるところから発生する。ところが、いま確認してきたこの第三の種類の自殺は、人の活動が規制されなくなり、それによってかれらが苦悩を負わされているところから生じる。その原因にちなんで、この種の自殺をアノミー的自殺と名づけることにしよう。」(S319ページ)

 

アノミー的自殺と自己本位的自殺の違い

「自己本位的自殺においては、社会の存在が欠如しているのはまさしく集合的活動においてであり、したがってその活動には対象と意味が失われている。アノミー的自殺においては、それが欠如しているのはまさしく個人の情念においてであり、したがって情念にはそれを規制してくれる歯止めが失われている。」(S320ページ)

 

3つの分類形態のまとめとその複合的な自殺の存在

368ページ表参照

 

社会学的観察に基いた分析と主張

社会的事実としての自殺

「個人をひとまずおいて、それぞれの社会の自殺傾向の由ってきたる原因を、その社会自体の性格のうちにさぐってみたとき、得られた結果は一変した。自殺と、生物学的および物理学的なたぐいの事実との関係は曖昧で疑わしいものであったが、まさにそれと反対に、自殺と一定の社会的環境の状態のあいだには、直接的・恒常的関係がみとめられる。(中略)それぞれの時点において自殺率を規定しているものは、その社会の道徳的構造である。」(S375ページ)

「各社会集団は、自殺にかんして実際にそれ固有の集合的傾向をもっており、個人的傾向はこの集合的傾向から生まれてくるのではない。その集合的傾向をつくりあげているものは、当の社会に作用をおよぼしている自己本位主義、集団本位主義、アノミーなどの潮流と、その結果である、ものうい憂鬱、積極的な自己放棄、いらいらした倦怠感などの傾向である。」(S376ページ)

 

社会的事実としての自殺の法則(S405ページ)

三つの観念の潮流と三種の原因

三つの観念  自己本位主義/集団本位主義/ある程度のアノミー

三種の原因  社会を構成している個人の性質/個人の結合の様式、すなわち社会組織の性質/国家的危機や経済的危機などのように集合生活の解剖学的構造を変えることなく、その機能を撹乱するだけの一時的な出来事

「三つの観念」の潮流の一つが一定の度を越えて他の潮流を圧するようになると、個人化して、自殺の潮流となる。

この潮流が強ければ、強いほど自殺への決意を固めるものも多くなり、弱ければ、弱いほど、自殺への決意を固めるものは少なくなる。

この潮流の流れの強度そのものは「三種の原因」によって規定されている。

 

正常と異常の観点から見た自殺

デュルケムにおける正常と異常に関する方法的規準

一、                             あるひとつの社会的事実は、その進化の特定の段階において考察された特定の種の諸社会の平均のなかに生じるとき、その発達の特定段階において考察された特定の社会的類型にたいして正常的である。

二、                             現象の一般性が、考察されている当の社会的類型のなかにおける集合生活の一般的諸条件にもとづいていることを明らかにすることにより、前の方法の諸帰結を検証することができる。

三、                             この事実が、いまだその全体的な進化を完了していない社会種に関係している場合には、右の検証は不可欠である。

(以上、M148ページより)

つまり、デュルケムにおいては、多少とも普遍的、恒常的に存在している社会の構造特性と必然的に結びついている現象を「正常」とする。

「したがって、犯罪は正常である。」「避けがたい不完全性は病ではない。」(共にS461ページ)

「犯罪の発生することが正常であるならば、それが罰せられることも、また正常なことである。刑罰と犯罪は切り離すことのできない一対の言葉をなしている。どちらも欠くわけにはいかない。刑罰制度にすこしでも異常な弛緩が生じれば、それは、犯罪をそそのかすことになるし、犯罪に異常な激しさをそえる結果となる。」(S461ページから462ページ)

この考え方を自殺に応用すれば、自殺もまた「正常」の枠組みの中で扱うことのできる。

しかし、現在の自殺増加は「特殊な原因に根ざしている」と考え、それに対処する方法を提案する。

特にアノミー的自殺の増加を問題視する。

 

自殺抑止に関するデュルケムの考え

同業組合等の「多様な規制作用を発揮できる一群の集合的な力を形成」(S487ページ)や教育や刑罰の厳格化への期待

 

近代化における個人化への不安

「要するに、自殺は人びとの経験する生活苦からひき起こされるものではないが、それと同じ理屈で、自殺の増加をくいとめる手段も、生存競争をやわらげ、生活を楽にしてくれるわけではない。昔にくらべて自殺がふえたのは、今日人びとが生活を維持するうえにいっそう辛い努力をしいられるからでもなければ、人びとの正当な欲求が以前ほど充たされなくなっているからでもない。それはむしろ、人びとがもはや、正当な欲求がどこでとどまらなければならないかを知らないからであり、みずからの努力に方向をみいだすことができないからである。」(S496ページ)

 

参考文献  デュルケーム著、宮島喬訳『自殺論』(85年中公文庫)、『社会学的方法の規準』(78年岩波文庫)、大村英昭他著『社会学のあゆみ』(79年有斐閣)、尾高邦雄編『世界の名著47  デュルケーム、ジンメル』(68年中央公論社)



[1] 用語説明としてのアノミー

「アノミー」anomie  元来は「神の法の無視」を意味するギリシア語/中世以来廃語/デュルケムが社会学上の用語として復活

意味は「社会規範の動揺や崩壊によって生じる混沌状態、ないしはその結果である社会成員の欲求や行為の無規制状態。」(社会学事典  弘文堂による)

 

アノミー的自殺を改めて用語として整理すれば、社会成員個人の欲求、感情のレベルにまであらわれてくる規範の崩壊・動揺の帰結が注目され、肥大化し無限化した欲求がもたらす不満、焦燥、幻滅などの心理経験が引き起こす自殺と考えられる。