2000
年度・秋学期・小熊研究会T 2000年11月6日 実施ジークムント・フロイト『自我論集』
環境情報学部3年:坂田 理成
1:今日の発表のテーマ
フロイトの著作集である『自我論集』を手がかりとして、人間の自我が<主体>として自分の行動を
決定づけるという、ヨーロッパ近代合理主義に対して、疑問を投げかける。
2:フロイトの問題意識
フロイトは、「<主体>であるはずの人間が、<客体>であるはずの(自分の)身体において拘束さ
れ、自由を失い、精神の働き自体が侵される。」という、神経症の患者の治療を通して、人間の行動
は、意識しないうちに心的装置(心)の中にある目標や動機によって決定されているのではないか、
という仮説を立てた。つまり、自我が規定するのではなく、自我が規定されているのではないかとい
うことである。
3:フロイトの「自我論」の変遷(『自我論集』を手がかりとして)
A:「欲動」:(『欲動とその運命』『抑圧』『子供が叩かれる』より)
・反射弓モデルの存在→反射的に不快な外部刺激を除去、蓄積を防ぐ。
・人間の行動の原因となる、他の刺激と欲動(欲求刺激)の相違点
自我欲動→自己保存欲動。
性欲動→器官快楽の充足から、昇華して生殖へ。
A:対立物の逆転→目標が加虐から自虐へ、「見せる」ことから「見られる」ことへ。(露出狂)
叩かれる対象が、他の少年から自分へ。(『子供が叩かれる』)
B:自己自身への方向転換→「サディズム」から「マゾヒズム(自己に対するサディズム)」へ。
C:抑圧→逃走不可能な「不快」な欲動を、心的な体系と意識体系との結合を阻止。
D:昇華→抑圧された欲動が、社会的評価を得て、文化・文明形成の原動力となる。
B:「超自我」:『子供が叩かれる』より
・叩かれる空想(両親コンプレックス、自分「だけ」が愛されている?、エディプスコンプレックス)
第一段階:別の子供が父に叩かれる→エディプス的欲望(=サディズム)の充足と罪悪感
第二段階:「空想上の」自分が父に叩かれる→マゾヒズムと近親相姦願望に対する罪悪感
第三段階:自分が父のような地位の人に叩かれる→欲動を抑圧する「超自我」の登場
C:「タナトス」:『快感原則の彼岸』より
局所論モデル:人間の心は、意識できる層と意識できない層に分化している。
意識できる層→意識(ごく一部の意識化された部分)
意識できない層→@前意識(努力すれば意識化可能な部分)
A無意識(通常の方法では意識化不可能→自由連想法へ)
快に対して反復→反復に飽きず、同一性に固執。同一性の再確認が快楽の源泉。
不快に対して反復→反復によって不快の克服を目指す。受動よりも効果的。
死への経路確保、他の可能性の排除のための部分欲動にすぎない。
D:自我/エス/超自我:『自我とエス』より
しかし、その一方では自我と役割を共有し、つながっている。
エス・超自我・外界の脅威に左右される(依存する)極めて弱い存在である。
に対して懲罰を加える存在である。
「エロス(生への欲望)」……有機物である生命を維持し、さまざまな要素を結合する力。
自己保存欲動やリビドーを原動力とする性欲動を内包。
「タナトス(死への欲望)」……分解し、生命の起源である無機物へと還元する力。
攻撃的本能が自己へとはね返ったもの。
E:マゾヒズム:『マゾヒズムの経済論的問題』より
・マゾヒズム→「不快」を回避する快感原則では説明不能、不可解な営み。
・3種類のマゾヒズム
「女性的なマゾヒズム」……自立不能な子供として扱われることが快楽。男性にも存在。
「性愛的なマゾヒズム」……苦痛を伴う快感、他の2種のマゾヒズムの基本。
「道徳的なマゾヒズム」……他人の命令に従って苦痛を受けるという制約はない。
無意識的な罪悪感からマゾヒズムへと発展。超自我の影響。
F:否定:『否定』より
「肯定」……自我との統一に対応するものであり、エロスに属する。
「否定」……排除を引き継いだもので、破壊活動に属する。
G:心的装置(心):『マジック・メモについてのノート』より
目的を達成できる唯一の装置。
4:フロイトの結論
ているのではない。(フッサールの着眼点)
人間は自らが自らの行動を規定できる主人なのではなく、自らの行動・思考
さえも知ることが出来ない「盲目的」な生物に過ぎないのである。
5:資料・用語解説
@欲動
「(中略)欲動は瞬間的な衝撃力のように機能することはなく、恒常的な力として機能するものであ
る。これは、外部からではなく、身体の内部から襲うものであり、逃走することは出来ない。」
ジークムント・フロイト著『自我論集』、14ページより
Aエディプス・コンプレックス
「異性の親に対する愛着、同性の親に対する敵意、罰せられる不安の3点を中心として(幼児期か
ら)発展する観念複合体を、フロイトはエディプス・コンプレックスと名づけたのである。」
小此木啓吾著『人類の知的遺産56 フロイト』 42ページより
Bサディズム、マゾヒズム
S:「一切の攻撃欲、破壊欲が外に向かってあらわれ、愛情がその裏に隠れてしまった状態」
M:「受動的な態度によって、満足を得る傾向」
鈴村金彌著『人と思想 フロイト』、101ページより
C遊戯の事例
「子供の遊戯の実例では、子供があえて不快に満ちた経験を反復するのは、受動的に経験してい
るだけの場合と比較すると、反復によって強い印象をしっかりと克服できるからであると理解する
ことが出来る。新たに反復が行われるたびに、こうした印象を支配するという目標の達成が進むと
考えられるのである。また、快に満ちた経験についても、子供は反復に飽きるということがなく、し
かもその際に印象の同一性に固執するようである。」
ジークムント・フロイト著『自我論集』、158ページより
D欲動の定義の変化
「欲動とは、生命のある有機体に内在する強迫であり、早期の状態を反復しようとするものであ
る。」
ジークムント・フロイト著『自我論集』、159ページより
E「エス」と「自我」
「私hずいぶん前から、無意識と前意識ではなく、それをまとめた自我と、それから分かれた「抑圧
されたもの」を対立させる必要があることを内心で感じていました。しかしそれでは問題の解決に
なりません。自我はその最も奥深いところで無意識であり、抑圧されたものの核心と合体している
のです。……こうした自我と抑圧されたものの対立は表面だけでは発生しているので、奥深いとこ
ろについては、エスというあなたの呼び名がふさわしいでしょう。」
ジークムント・フロイト著『自我論集』、330ページの「フロイトの自我モデル」より
6:<参考>フロイト年表(『人類の知的遺産56 フロイト』より)
1856年:旧チェコスロバキアのフライベルクにユダヤ人として生まれる。
1860年:フロイト一家、ウィーンに移住。
1873年:ウィーン大学医学部入学
1876年:ブリュッケ教授の生理学研究室に入り、ブロイアーと知り合う。
1880年:J.ブロイアーとO.アンナの治療を開始。2年後、医学部卒業。
1882年:アンナと婚約し、ウィーン総合病院に移動し、臨床医の道を歩み始める。
? また、シャルコー・フリースらとの交際を深める。
1896年:「精神分析」という用語を初めて用いる。父・ヤコブの死。
1898年:「幼児期の性欲」について初めて言及、翌年『夢判断(夢の解釈)』を刊行。
1906年:ユングとの交流がスタート。
? 以後、幼児期の心理と性欲の関連性に関する研究を進める。
1910年:「国際精神分析協会」を発足させ、ユングを後継者として初代会長に選出。
1913年:「集合的無意識」を唱えるユングと決裂し、ユングは協会を脱退。
1917年:『精神分析入門』を刊行。
1920年:娘・ゾフィー死去。『快感原則の彼岸』を発表。22年に初めての癌が発見。
? 1915年より相次いで『自我論集』に収められている論文を発表。
? ロマン・ローラン、アインシュタインらとの交流を深める。
1930年:母・マリー死去。2年後に『続精神分析入門』を刊行。
1933年:ヒトラー政権誕生。精神分析関係の著書が禁書となる。
1938年:ナチスのオーストリア侵入により、フロイトはロンドンに亡命。
1939年:2月に癌が再発し、手術不能と知らされる。9月21日に昏睡状態となり、23日に死去。
享年は84歳。
7:参考文献
ジークムント・フロイト著、竹田青嗣編、中山元訳『自我論集』、ちくま学芸文庫
アンソニー・ストー著、鈴木晶訳『フロイト』、講談社選書メチエ
小此木啓吾著『フロイト その自我の軌跡』、NHKブックス
小此木啓吾著『人類の知的遺産56 フロイト』、講談社
小此木啓吾・馬場謙一編『フロイト 精神分析入門』、有斐閣新書
鈴村金彌著『人と思想 フロイト』、清水書院