3つの均等法における平等
戦後労働法制審議過程におけるその語られ方
山越峰一郎
11.6.2000
1,先行研究紹介
金野美奈子『OLの創造』(勁草書房、2000年)概要
・明治30年代に良妻賢母思想が登場し、職場における女性が「問題」に
小学校教師や官営工場の女性労働者が生まれた時期には、事実としては新規の試みであってもそれらについて多くが語られることはなかった[1]
・男性も多様で、流動性も高かった
「若し昇進の遅きあらんか直ぐに脱走を企て、敢えて会社の利害に頓着なきなり、俸給の多きに赴くこと恰も水の低きに流れるが如し」[2]
「男子の店員が小僧のときから養育して三年間徴兵に取られる」のと比べれば「女子が一回の妊娠に半年づつ休んでも六回に匹敵」[3]
・戦間期に「女性」が職業上のカテゴリーに
「女性は、「雇員」と区別された「補助雇員」、あるいは「職員」と区別された「雇員」として位置付けられて」いた
「職業婦人!そうだ!職業婦人の進出が、不知不識の間に男性の就職分野を狭めつつある事実を、誰が否定できやう。嘗ては女人禁制の神域と思われていた職業の分野すらも、ぢりぢりと女性の浸蝕を蒙つて居る」[4]
・敗戦直前にはホワイトカラーの過半数は女性に。しかし影響はミニマム
「女子に対し、其の能力を考へて、それに適はしいやうに仕事を分解し、また総合」
「実務要項のごとき適当な資料を作成して、従来の男子行員に対するものよりも程度を下げて、女子に一応理解し得るやうな読み物を支給して、余暇にこれを読ませる」[5]
・1970年代までに「作業事務」担当としての「女性」カテゴリーが構造化された
(引用部分はいずれも同書のもの。)
黒崎勲『教育と不平等』(新曜社、1989年)
生活の土台的な条件を不均等にしたままで「能力」を取り出して「能力に応じた機会を与える」ことと、条件を等しく保障し「能力に応じた機会を与える」ことは大きく違うが、両方とも「等しく、能力に応じて機会を与える」と言われてしまう。
浅倉むつ子「男女雇用平等論」〜『戦後労働法学説史』(労働旬報社、1996年)
『日本立法資料全集51 労働基準法〔昭和22年〕(1)』(信山社、1996年)
2,前史:労働基準法策定
<第1期> 戦争直後(GHQによる占領期)
他の事象と同じく、アメリカ側が「理想」を日本で実現しようとしていた。
それに対し、いかに骨抜きができるのかが国内では議論された。
「労働基準法は、単に労働保護にとどまらず、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充す」ための労働条件を規定し、かつ労働関係に残存している封建的な残滓を排除することを目的としている。また、最低労働条件については、国際的水準まで高めたことも画期的なことといえよう。」(労働省婦人少年局『婦人の歩み30年』1975年)
・法案作成までの曲折、勢力争い。
「三、技能の等しい女子ならびに男子に対してはその労働に対し同額の賃金を支払ふこと。」(対日理事会におけるソ連代表勧告、1946年7月10日)
「ソ連提案(七)同一技量の男女は同一の給与が支給されるべきこと―現在この点に関する法規はないが幾多の労働協約で尽くされてゐる。この問題は労働保護法草案に於ても含まれて居る。」(対日理事会におけるソ連代表の勧告に対する連合軍最高司令部談、1946年7月15日)
・男女同一労働同一賃金原則の出現
労働基準法第5次案(1946年7月26日)に初出
「(同一価値労働同一賃金の原則)
第4条 使用者は同一価値労働に対しては男女同額の賃金を支払わなければならない」
事業者側の意見を受け改変された第7次案
「同一価値労働【男女】同一賃金の原則
第4条 使用者は同一価値労働に対しては男女同額の賃金を支払わなければならない女子
であることを理由として賃金について男子と差別的取扱をしてはならない」
3,平等をめぐって
3a,同一であるとは何か
・「能力が劣れば女性の賃金は低くてもよい」という主張
<第1期>
「第4条は女子の同一価値労働に対して同一賃金を払うという原則を決めたものであります。従いましてご指摘になつたように、ある仕事をやるのに男子は100の仕事をやる、女子は80の仕事しかやれないというならば、それは同一価値ではございませんから、おのずからそこに差があるのはやむをえないと思います。ただ従来往々にして、男子であつても女子であつても同じ仕事をしておりながら、ただ女子であるというだけでその子に差を設けておりましたので…事実差があるにもかかわらず、男子と女子と同じということになれば、それは逆作用と言いますか、逆選択をいたしまして、それだつたら女子は雇はないということになつて、かえつて女子の保護にならないという場合も想像されるのであります。」(吉武恵市厚生事務官、衆院労基法委、1947年)
<第2期>高度成長期
「客観的な評価において、性別と関係のない報酬率の差異が生じても、これは同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬の原則に反するものでない」(第54回国会衆議院会議録第32号(2)、1967年7月4日)
<第3期>国連婦人の10年
「今まで日本は男性主導型社会でございましたが、意欲があり能力のある女性が雇用の場において差別的な扱いをされるということは、やはり本人にとってもいいことではありませんし、国連の人権宣言その他、この条約に照らしてもやはりこれは考え直さなければならぬ」(坂本三十次労働大臣、衆院社労委、1984年)
<第4期>雇用機会均等法施行後
「個々の労働者の意欲、能力を適正に評価した結果、男性が多く採用されるということは均等法に違反するものではないというものでございます。」(太田房枝婦人局長、衆院労委、1997年)
・コンパラティブ・ワースの理念(不在)
<第1期>
「同じ仕事を男と女がやつておれば、これは能率も表にすぐ出ますから、同一賃金の適用は簡単でありますが、今のように全然違う分野についての比較というものは、これはなかなかつきにくいと思います。」(吉武厚生事務官、衆院労基法委、1947年)
<第2期>
「主としてこれらの業務を扱う女子を全員一律に軽雑作業職に格付けするとともに、男子はこれらの業務を扱う者であっても他の業務も扱っていることを理由に、一人もこの職級には格付けしなかった。…右試験は男女とも同一内容であり、また採用に際して特に仕事の種類、内容について限定されたこともなかった。」(東急機関事件(1969年7月1日判決)、東京地方昭和42年(ヨ)第2262号)
<第3期>
「しかし、これを被告の主張するように、基幹的なものとそうでないものに明確に二分することは不可能であって、たかだか処理の困難性の高いものから低いものまでその程度の異なるものがあり、その困難性の程度も様々のものがあるとしかいうことはできず、基幹的業務とその余の業務といっても相対的な程度の差であり、しかもそれを二分することは、困難性の程度の高さからいうと連続した多数の業務をある点で分割するという不自然なことをあえて行なわなければならないこととなる。」(日本鉄鋼連盟事件(1986年12月4日判決)東京地方昭和53年(ワ)第587号)
・客観的能力測定基準の不在
<第1期>
「御説の通りにだんだん基本給の面を大きくして、家族手当その他を減らすことはいいと思つております。思つておりまするけれども、御承知のこの物価騰貴の現勢からいたしまして、生活が非常な変動を受けて来たものですから、給与が能率給というよりも、生活給の面に非常に重点がかかつて来たというような実情でありまして、家族手当についても、何とかよい方法はないかということも考慮してみましたが、これも事実上困難で、実は当惑しておる次第であります。将来の方針といたしましては、今御説のような面に向かつて進むべきものだということは、御同感でございます。」(河合良成厚生大臣、衆院労基法委、1947年)
<第2期>
「ただいまご指摘になりました条約の第3条に揚げてありまするようなこと(職務の客観的な評価を促進する措置)を規定したものは国内法上はございません。私どもの理解を申し上げまするならば、条文にも書いてございまするように、仕上げるべき仕事に基づく職務の客観的評価がこの条約の規定を実施するのに役立つ場合にはこの客観的評価を促進する措置をとらなければならないと書いてございまして、法律的にそういうことを強制的にやれ、こういう趣旨ではないものと理解をいたしております。なお、先ほど来お話も出ましたが、日本の賃金体系が、学歴でございますとか、年齢でございますとか、勤続年数でございますとか、そういう職務の質、量そのものではない要素できめられておる場合が多かったわけでございます。」(辻英雄労働大臣官房長、衆院外務委、1967年)(括弧内引用者)
<第4期>
「明文の規定はなくとも「公の秩序」としてこの原則が存在すると考えるべきかというと、これについても否定せざるを得ない。それは、これまでのわが国の多くの企業においては、年功序列による賃金体系を基本とし、さらに職歴による賃金の加算や、扶養家族手当の支給などさまざまな制度を設けてきたのであって、同一(価値)労働に単純に同一賃金を支給してきたわけではないし、昨今の企業においては、従来の年功序列ではない給与体系を採用しようという動きもみられるが、そこでも同一(価値)労働同一賃金といった基準が単純に適用されているとは必ずしも言えない状況であるからである。しかも、同一価値の労働には同一の賃金を支払うべきであるといっても、特に職種が異なる労働を比べるような場合、その労働価値が同一労働であるか否かを客観性をもって評価判定することは、人の労働というものの性質上著しい困難を伴うことは明らかである。…被告において同一(価値)労働同一賃金の原則が公序ではないということのほか賃金格差を正当化する事情を何ら主張立証していないことも考慮すれば、原告らの賃金が、同じ勤務年数の女性正社員の8割以下となるときは、許容される賃金格差の範囲を明らかに越え、その限度において被告の裁量が公序良俗違反として違法となると判断すべきである。」(丸子警報器事件(1996年3月15日判決)長野県地方裁判所上田支部平成5年(ワ)第109号)
3b,保護
・現状認識
<第1期>
「しかしながらこれは今日の状態、不完全なる社会設備の前においてこのことをなしても、実行をあげることはできないと思う。たとえば女子が男子と同様なる完全労働、ほんとうに熱意を込めた労働をせんといたしましても、かくのごとき規定があつたといたしましても、社会設備において託児所の設備もなければ、あるいは保険制度も完備しておらぬという状態であるならば、この法文はむしろ女子の労働者をして、この法文なるがゆえに、かえつて苦痛の生活を味わしめるがごとき状態が醸されぬとも限らぬ。すなわち使用者は、かくのごとき条件下における女子の雇用ということを回避するの傾向に出るでございましよう。…女子労働者に対するこのような特殊の社会設備の裏付けなくしては、労働能率を高揚することができないと私は思うのであります。」(第一読会、昭和22年3月7日衆議院議事速記録第13号)
<第4期>
「民社党は、女性が性による不合理な差別を受けることなく、その能力を最大限に生かして自由に生きていけるような社会の実現を目指して、3つの目標を掲げる。/それは、/1、母性を有するがゆえの差別からの解放/2、性別による役割分担意識からの解放/3、家事、育児からの解放/である。」(民社党「男女平等社会を目指す3つの目標、4つの政策」1989年7月12日)
・婦人差別撤廃条約批准の条件
<第3期>
「女性に対する特別な保護は、婦人の差別撤廃条約の趣旨にかんがみますと、究極的にはなくしていくべきものであると考えております。」(赤松良子婦人局長、衆院社労委、1985年)
「将来の問題としてこれは別個に切り離して考えていいではないか、これは理論的にはそのとおりかと存じますけれども、来年じゅうにこの婦人差別撤廃条約を批准したいという国際的、国内的な要請がございますので、それを満たすためには将来の問題としてではなく、現段階である程度の女子保護規定の見直しが必要であると考えているわけでございます。」(斉藤邦彦外務大臣官房審議官、衆院社労委、1985年)
・男女共通規制
<第1期>
「男子に付いても一定の限度を嵌めるべきぢやないかと云う意見も相当ありましたが、是は余り画一的に致しますれば、無理が出来ますから、男子に付いてはまあ組合の自治制に俟つと云ふことで時間の枠を嵌めていないのであります」(吉武恵市厚生事務官、貴族院労基委、1947年)
<第3期>
「本当を言ったら、男まで広げたらこれは大変なことになってしまうから、そこまではできないでしょうということで多少広げた。男なら深夜であろうと休日の時間外であろうと、やろうと思えば無制限、そんなことを女の人に一緒にというわけにはいきませんから、ある程度男に近づくという姿勢をひとつ期待をしたということで、現実にそれが行なわれるような労働行政は私どもは決して望んではおらぬし」(坂本労働大臣、衆院社労委、1985年)
<第4期>
「男女共通の法的規制ということを今考えてはおりませんことを答弁といたします。」(岡野労働大臣、衆院労委、1997年)
・保護の効果と逆効果
<第1期>
「あまり厚きに過ぎると勢ひ女は雇はなくなり、完全雇用の要請に逆行することになると思ふが、政府の所見如何との質問」(1947年3月17日、第92回貴族院本会議、委員長報告)
<第3期>
「保護がなくなるということと就業機会が増えるということとは、それほど直接的な関係にはないのではないかというふうに思っているわけでございます。…その研究の中でも、(イギリス)工場法と女子の就業機会とは直接関係なく、工場法ができても就業機会は狭くならずに、女子労働者はかえってふえているというその当時の研究がございます。」(赤松婦人局長、1985年)(括弧内引用者)
<第4期>
「その廃止ないし緩和を一定の範囲(弁理士、社労士の追加)にとどめたのは、わが国においては家事、育児というの家庭責任が女子労働者により重くかかっているという現実を考慮したものであること。」(労働省通達、1994年3月11日)(括弧内引用者)
・公正な競争条件
<第3期>
「企業が差別しているというは、それは今の現実の姿にありますわね。(略)企業が制限したから差別が出たというのはそれは表面の話でありまして、現時点の結果論でありまして、もともとはと言えば、やはり男性主導であって女性の進出を歓迎しなかった(略)社会の現実は非常に厳しいわけでありますから、その平等の成果の前に、まずスタート台が、スタートラインが男性と同じであるということが先に来ると私は思いますね。そういう意味で、やはり男性と同じ機会均等を与えて、そして意欲と能力のある方は結果として平等を与えなければならぬ、私はそういう風に思っております。」(坂本労働大臣、衆院社労委、1985年)
<第4期>
「男女雇用均等法というものの精神は、女性であるがゆえの差別というものをやめようということででき上がっている案であります。したがいまして、女性であるがゆえに深夜業を今お話をしたような規定以外の理由をもって断るというわけにはまいらない、これが均等だということであると存じます。」(岡野裕労働大臣、衆院労委、1997年)
3c,平等達成のために
・国民の理解、教育、宣伝、指導、啓発、講習会
<第1期>
「この法律は女子保護の目的であるから、賃金との関係においても、女子就業の機会が減少しないやう、国民の正しい理解が望ましいとのことでありました。」(1947年3月17日、第92回貴族院本会議、委員長報告)
「また今後女子の問題を考えまするならば、とにかく思い切つて改むべきものは改めなければならないと思うわけであります。(略)従つてこれを施行する際におきましては、相当困難が伴うと思いまするが、これはいわゆる業者の方に対する教育なり、あるいは宣伝と申しますか、指導という点も強くやらなければならぬと思います。」(吉武厚生事務官、1947年)
<第2期>
「これはやはり根気よく啓発活動と申しますか、それを続けることによりまして、人々の理解、認識を深めるということが先決ではないか。」(高橋展子婦人少年局長、衆院社労委、1972年)
・常に革命的な事業
「法律の内容から見ますると、敗戦後の現実の日本から見てすこぶる飛躍的であり、すこぶる実情に適さざるがごとき観を呈する点もなきにしもあらずでございまするけれども」(椎熊三郎、進歩党、衆院労基法委、1947年)
「企業内の雇用管理は終身雇用慣行の下に長い間かかって築き上げてきた仕組みである。しかもそれは女子自身の職業意識や就業形態、さらに一般の社会通念とも整合性をもったものであって、現在までそれなりの合理性をもってきたものである。試案のように強行規定によって現状の急激な変革を求めることは、企業内に重大かつ無用の混乱を起こし、ひいては企業の活力を減殺するものであって、われわれとしては到底容認できないのである。」(日経連タイムス、1984年3月1日)
「今回の改正法案の中身は、言いますならば大改革だ、ルビコンを一歩渡るものだ、私はこう心得ております。」(岡野労働大臣、衆院労委、1997年)
・ポジティブ・アクション
「ポジティブアクションというポジティブは、義務だからしょうがない、受け身でやるというものではなくて、みずから積極的に自主的にということでポジティブアクションということに相なっておりますので、義務とするのはポジティブアクションと違うのではないかな、こう思っております。」(岡野裕労働大臣、衆院本会議、1997年)
「ポジティブアクションについては、外国の例ではいろいろございます。(略)ポジティブアクションの定義は、ポジティブアクションは簡単に言うとポジティブアクションで、(略)まあ20年前だったらパソコンなどというのはわからぬと思うのです。(略)今日、パソコン、ワープロ、あああれだな、マルチメディア、これだなとだんだんわかってまいりました。そういう意味合いで、ポジティブアクションはほかにも、中小企業あたりで労働者諸君をより多く採用する、そのために省力化装置を設けるというようなのも、いわば積極的に雇用者をふやそうという意味でのポジティブアクションに当たるのだ。」(岡野労働大臣、衆院労委、1997年)
「ポジティブアクションは、企業は女性労働者が男性労働者と比べてどのような現状にあるかということを分析していただきまして、そして男女労働者の間に事実上生じている差に着目して、その差を解消するためにいろいろな措置、計画をつくっていただくものでございます。」(太田婦人局長、衆院社労委、1997年)
「ポジティブアクションにつきましては、企業が法に基づきまして対応する以上に、女性の能力発揮を促進し、その活用を図る積極的な施策と私ども理解しているところでございますが、法を超えましてさまざまに対応することにつきましては、やはり企業各社の状況、さまざまあると思います。あくまでも自主的に取り組む性質のものであろうと思います。」(荒川春日経連労務法制部長、衆院労委、1997年)
「同時に、ポジティブアクション、これは立派なことだと表彰をするというようなことで、今度はエンヤコラということで前から引っ張るというような(略)」(岡野裕労働大臣、参院本会議、1997年)
4,おまけ(女性観・差別観)
「勿論女子と男子は同等に待遇は致しますけれども、矢張り能力に応じてのことでありまするから、勢ひ女子なり年少者はまあ弱い所がある、従つてそれに付ては特別の保護が必要であらうかと云ふ趣旨でございます」(吉武厚生事務官、1947年)
「日本では男に比べて女子の地位というものは男尊女卑という封建的な残滓が残っております。(略)総評の例を取りましても、組合員の3分の1は女子労働者でございます。ところが総評の副議長にも婦人がなれない。(略)雇用主はそういう基準法第4条を知らなかった、同じ高校出で初任給の差をつけまして、いや、そんなことが基準法にあったんかということで、善意の差別待遇。(略)要するに悪意とはとれない。いわゆる社会慣習による差別というものがたいへん多いわけでございます。」(早川崇労働大臣、1967年)
「婦人でなければできない職種というものがございます。たとえばパンチャーだとか、あるいは繊維の労働者だとか、あるいは看護婦さんとか」(早川労働大臣)
「今後とも労働力不足に進みまするので、職場に入る婦人が安心して、しかも男女の差別なく賃金をもらうという、そういう希望を持って勤労戦線に入っていく、こういう2つの大きい意味で100号条約の批准をお願いしておるわけでございます。…中高年、帰人という方が働いてもらわなければ、どうしても外国労働力を大量に入れなければ日本の経済は伸びないという時代が来る。…日本で生産した果実を日本国民の中で分け合っていく」(早川労働大臣)
「女性労働力というものが産業の高度化によって非常に貴重になってきたわけであります…その反面、そうした婦人の職業進出に伴って、家庭におけるところの婦人の責任と言うといささか語弊がありますけれども、婦人の役割と言うものがどうもおろそかになりはしないか、そうした両面から、これを調和させることによってさらによりよい婦人の職場を拡大しよう」(西田八郎、衆院社労委、1972年)
「…男女とも筋力・肺活量・動脈硬化と関連する血圧の変化・視力・反応時間・動作の敏速性等各種の生理機能においては、機能の年令的変化の上で男女間に特別の差はないが、一般に女子の生理機能水準自体は男子に劣り、女子50才のそれに匹敵する男子の年令は52才位であり、女子55才のそれに匹敵する男子の年令は70才位となること、我国で従業員の定年制を実施している企業にあっては定年年令を男女一律とするものが大部分であって80パーセント以上に及ぶが、男女別定年制を設けているものも約20パーセント近くあり、そのうち男女に5才の差を設けているものが最も多く11パーセント程度となっている」(日産自動車事件(1971年4月8日判決)東京地方昭和44年(ヨ)第2210号)
「男女間に生理的機能の差異があるにかかわらず、少なくとも60歳前後までは、男女とも通常の職務であれば今日の企業経営上要求される職務遂行能力に欠けることはないと認められるのであるから、賃金等で性別によるのでなく各個人の労働能力の差異に応じた取扱がなされるのは格別、一律に従業員として不適格と見て企業外へ排除するまでの理由はないものといわざるを得ず、この点においても合理的理由を見出すことはできない。」(日産自動車事件、東京地裁、1973年3月23日判決)
「女性の職場進出は目覚しく、S氏のアパートでも仕事を持っていない女性はごく少なくなってきている。結婚によって勤めを止める女性はまだ多いが、子供が幼稚園に通うようになるとまた働き始めるというスタイルが広く定着しつつある。…インスタント食品もずい分進歩しているが、夫人は料理が自慢なので、あまり、使わない。S夫人は、最近こっている皮細工の通信講座を見ている。…隣の課の若い事務員I嬢のあいさつに会釈しながらT氏は自分のデスクに向かった。…K君にその旨(会議への代理出席)伝えると快く承諾してくれた。…いつもT氏の事務を手伝ってくれるH嬢が久し振りに休暇をとって旅行に行ってしまっている…」(「S家の一日1990年5月21日 T氏の場合1990年9月3日〜15日」(通産省)産業構造審議会情報産業部会答申、付属資料、1981年8月)
「均等な機会及び待遇の確保を図ることは、やはり女子労働者の福祉であるとも理解しております。(略)私は、天の半分は婦人が支えている、また、よき妻であると同時によき母親であってくれというのが私の念願であります。」(中曽根康弘首相、衆院本会議、1985年)
「私は個人的には女性を尊敬する一人でありまして、特に私ども、ここにいらっしゃる議員の先生方は大体ほとんど同じような経験をもっていらっしゃると思いますが、例えば選挙に当選をするとなりますと、奥さんの力はまことに大きいわけですし、また女性票も大事でございます。そういう点で、私も選挙をやるようになりましてから女性に対する尊敬の念を殊さら深めたわけでございます。/しかし、それだけではなくて、家庭における女性の役割、これも極めて大なるものがあります。」(愛知和男、衆院社労委、1984年)
「やはり長い歴史と伝統の中で民族の営みがあるわけでありまして、(略)ペリーが来て、黒船が来て、文明開化をやって近代化をやったときも、これは直訳でやったわけではない。日本は日本なりにやはり立派な道をたどる。戦争に負けたのはこれはまことに大失敗でありましたけれども、しかしその後だって、やはり日本的な民主主義、自由主義というものを日本的な風土に昇華さして、そして立派に世界第二のここまでやってきた。これは事実でありますから、何としたって、やはり自分たちの伝統を離れて理想はない、私はそう思いますね。(発言するものあり)」(坂本労働大臣)
「このごろは、機会均等法ができたおかげかどうかわかりませんが、どうも大みそかと言われておるようでございまして、カウントダウンという形で、二十九、三十、三十一は当たり前、その後はないというふうな。やはり法律というようなものが、徐々にではありますが、この十年間で社会というものを大きく変えたという認識も私は持っております。」(吉田治、新進党、35歳、1997年)
「差別があるとは思っていないというのは現状の話でありまして、この条約なりこの法律なりがねらっているところに照らすならば、明らかに今まで差別でないと思っていたことが差別ということになるわけです。」(喜多村日経連労務法制部長、1997年)
「例えて言いますならば子供のころ、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯にというような、物語の中でもやはり洗濯、つまり家庭におばあちゃんはとどまるのだな、おじいちゃんは外へ出てしば刈りをしたりなんかするのだなと。あるいは古事記だとか日本書紀を考えましても、アマテラスオオミカミという人物が神話として出てきます。スサノオノミコトという男の神様も出てきます。そうして、アマテラスオオミカミは機織りを家でやっていたところが、スサノオノミコトが生きた馬の皮をはいでそれをアマテラスオオミカミにぶん投げた。それでスサノオノミコトは出雲の国に追放されたというような、もう、二、三千年前の話からそういった差ができている中で我々の民族というのは今日に至ったというようなことからも、我々が男女雇用の面において均等扱いをしようというのは、私は革命的な大仕事」(岡野労働大臣、1997年)