小熊研究会1 4月24日
ギリシャ政治思想 プラトンとアリストテレス
環境3年 丹羽 大介
1 古代ギリシャの政治状況(〜BC337)
うことに注意する必要がある。
2 プラトン(BC427〜BC347)
A調和がうまくとれなかった魂が落ちて来て人間の体に宿る
(理性的部分、気概的部分、欲望的部分)
B我々はイデアそのものを見ることは出来ないが、それを想起することはできる
(統治者階級=理性、戦士階級=気概、生産者階級=欲望)
Aしかし一方でそれは私有財産や家族を否定する共産主義的なものである
(民主主義は調和の崩れた社会であり「堕落したもの」)
B後期においては人間の支配の次善としての法の支配を肯定
(イデア論の放棄?)
3 アリストテレス(BC384〜BC322)
Aそれは可能態が現実態に生成(変化)することによってなされる
Bただし中には形相の形相(不動の動者)もある
Cこのようにして絶対が措定される一方で世界は段階的にとらえられる
(中世的世界観の基礎)
A中庸の徳を重んじる一方で、社会的な身分を擁護する
B小規模のポリスが理想であるが、政治の形態はその社会状況に応じたものでなくて
はならない(現実的には「立憲制」が最も適している)
4 参考文献
資料(発表中すべてには触れませんが参考にしてください)
@「ポリスにはただ『平等者』だけしかいないのに、家族は厳格な不平等の中心であるという点で、両者は区別されていたのである。自由であるということは、生活の必要あるいは他人の命令に従属しないということに加えて、自分を命令する立場に置かないという、二つのことを意味した。(…)このように、家族の領域の内部では自由は存在しなかった。その支配者である家長が自由であると考えられたのは、ただ、彼が家族を去り、万人が平等である政治的領域に入っていく権力を持っていたからに過ぎない」
(『人間の条件』 ハンナ・アレント著)
A「ソクラテス: 魂は一切を学び終えているのであるから、人がそのうちの一つを想い起こしさえしたならば他のすべてを発見することにも何らの障害はないのだが(…)すなわち要するに、ものを探求し学ぶとは、アムネーシス=想起の過程に他ならないのである」
(『メノーン』 プラトン著)
B「ソクラテス: 専制体制はほかならぬ民主主義の体制から成立するように思われる。言いかえればもっとも極端な自由からもっとも極端な、もっとも野蛮な奴隷状態が成立するのだと私は思うのだがね。」
(『国家』 プラトン著)
C「形相を語る人々(注:プラトンとその弟子達)は、それらが離れて存在するものと説いているが、いやしくもそれらが実体であるならば、離れて存在するということに関しては、彼らは正しい。しかし形相は多の上に立つ一であると説いている点では、彼らは正しくない。」
(『形而上学』 アリストテレス著)
D「現実態というのは、その当の事態が可能態において、我々の言うような仕方においてでなしに、なにかの内に存属していることである。ところで、我々が何者かを可能態においてであるというのは、例えば木材のうちにヘルメスの像があるといわれ、あるいは線の全体のうちにその半分があるというがごときである。のみならずまた、現に研究活動中でない者でも、研究する能のある者であれば、その者をも我々は学者であるという。それに対して、現実態においてあるというのは、まさにそれら木材に刻まれたヘルメス像、線の半分や現に研究活動中の学者である。(…)蓋しそのあるものは運動の能力にたいする現実の運動のごときであり、他のあるものは質料に対するそれの形相のごときである」
(『形而上学』 アリストテレス著)
E「そこで貧しい人々の数が、いまにいわれた(質と量の)均衡関係から見て優勢であるところでは、民主制が行われるのが自然であり(…)これに対して金持ちや名流のほうが、数の上で劣るのを補ってあまりあるほどに、質においてもすぐれているところでは、当然寡頭制が行われ(…)しかし立法家は必ず中間の人々を国家体制の中に加えいれなければならない」
(『政治学』 アリストテレス著)