小熊英二研究会T
「マルクスとマルクス主義」
総合政策学部3年 田中大訓
1、マルクスの時代背景(18世紀後半〜19世紀)
イギリスで始まった産業革命がヨーロッパ諸国に波及し、資本主義経済が進む中、ブルジョアジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)が出現した時代。
政治的にはフランス革命が起こったが、ロベスピエール、ナポレオン等が現れ、政争と社会不安が絶えなかった時代。初期社会主義が登場。
また、思想的にはアダム・スミスの国民経済学、ルソーのフランス社会思想、さらにヘーゲルのドイツ観念論が相次いで出現。
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しかし、19世紀は上記のような近代社会の思想を構築してきた基本的な考え方を塗り変えなければ、現実の社会をうまく説明できない事情が顕在化してきた。
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「新しい現実」の必要性
#同時代人に、ダーウィン、フロイト、ウェーバー、ニーチェ、キルケゴールなど。
2、マルクス理論の3つの側面
哲学的領域 → ヘーゲル哲学 → 唯物史観(史的唯物論)
政治学的領域 → 市民革命からプロレタリアートを見出す → 共産党宣言
経済学的領域 → アダム・スミス、リカード等の古典派経済学 → 資本論
3、疎外
この頃、マルクスはヘーゲル左派に属し、理性的な真の国家、ヘーゲルの言う「人倫共同体」を実現しようと考えていたが、挫折。市民社会を基礎とする国家を変革するためには、市民社会こそを変革しなければならないと考え直し、市民社会の分析を開始する。
→ ヘーゲルを批判的に発展させるためには、経済学を研究し、それを批判する必要性
「国民経済学上の現に存在する事実から出発する」(『経済学・哲学草稿』)
現に存在する事実=私有財産制
私有財産制下において、労働者の商品化や窮乏が進む一方で、少数者への資本の蓄積がいかに必然的であるかを明らかにしながら、そこにおける疎外の構造を暴き出す。
本来、労働とは人間の本質であり、人間の自己発現=能力の外化の形態である。そして、外化、対象化の行為である労働と、その生産物を通して、労働者は自己を確証する。
→ だが、労働が疎外されたありかたで営まれるようになると生産物は労働者に属する
対象ではなくなり、対立物となる。(資料1)
よって、私有財産下では
(資料3)
このような国民経済学とその対象である資本主義社会を、疎外された状態、克服されるべき歴史の段階として批判し、それを止揚する運動を現状に対するアンチテーゼである共産主義として位置づけた。即ち、人間の本質を否定する私有財産にたいする「否定の否定」としての全面肯定を通じて、人間の自然性が回復されるとした。
→ しかし、この段階では未だ共産主義がどのように資本主義の運動法則を通じて生み
出されるのかについての分析はなされていない。
(空想的社会主義の域を出ていない)
#エンゲルスと出会うのはこの頃(1844年、マルクス26歳)
4、唯物史観(史的唯物論)と上部構造・土台(下部構造)
●社会主義を「空想」から「科学」たらしめた考え方の一つ。もう一つは剰余価値の概念。
ヘーゲルの思想を受け継ぎながらも、その思想をより現実に即してという意味で批判的に、かつ実証的に分析を進めていく。
ヘーゲルは「対象」から出発して「思考」を展開するのではなく、既に出来上がった、論理学的な抽象的な「思考」に従って「対象」を展開する。
→ この考えは、ものの考え方を規定しているが、歴史的事実や現実とは適合しない。
故に、何か具体的なことが起こったら、具体的な事柄に即して、実証的に明らかに
すればいい。(資料5)
唯物史観によると、歴史の根本的な原動力は、物質的な生活の生産および再生産である。
→ 物質的で経験的な実証的行為から説明している。(資料6)
また、ヘーゲルは、広い意味での生活の生産関係であり、社会関係である物質的な生活諸関係の総体を市民社会と呼んだ。
→ 市民社会こそ、歴史全体の基礎であり、社会の現実的な土台をなすもの。
これに対して、社会における精神的な生活の面を上部構造と呼ぶ。
つまり、観念論的歴史観では、精神的な生活が基礎であり土台であるとしたのに対し、唯物史観では、物質的な生活が基礎であり土台であるとした。
この土台を経済的構造と考えると、そこには常に経済権力が存在し、歴史は正に支配と非支配、搾取と非搾取、つまり階級闘争の歴史であり、上部構造である国家はその階級闘争の産物として生まれたのであるから、物質的な生活と精神的な生活を区別することはできない。
→ 下部構造(土台)が上部構造を生み出すだけではなく、上部構造がまた土台に対し
て働きかけ、両者の相互浸透が存在する。(資料7)
したがって、土台の変革とそれに伴う上部構造の変化、すなわち資本主義社会から社会主義社会への移行には、非支配階級による権力奪取のための革命が不可避である。
→ しかし、この過程を明らかにするためにはまだ資本主義の分析が欠けている
5、共産党宣言
共産党宣言とは、共産主義者同盟という組織のパンフレット。
「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(『共産党宣言』)
階級闘争によって自由と平等と豊かさが進化してきたが、資本主義社会においては、生産手段の私的所有が存在し、富が資本家に独占されている。
→ この支配階級を打倒して、多数支配の社会にしなければならない。
階級闘争によって、資本主義社会に変わる新しい社会が生まれるのだ。
想定した階級=生産手段を持つものと持たざるもの=資本家
VS 労働者プロレタリアート階級の形成、ブルジョワジー支配の転覆、プロレタリアートによる政治権力の獲得を目的とし、私的所有の廃止という表現でその理論が展開される。
「万国のプロレタリア団結せよ!」(『共産党宣言』)
6、資本論
まず、商品の分析を通じて、資本主義の運動法則を明らかにする。
「資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の集積」としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる。だから、われわれの研究は、商品の分析からはじまる。」(『資本論』)
商品には2つの価値、すなわち使用価値と交換価値がある。
→ 商品は一定の有用性(使用価値)を持っていると同時に、価値で表されるような性
質も持っている。
例えば、りんご1個は3個のみかん、5個のいちご、金の何分の1グラムと等価
であると価値表現される。
2つの商品が交換される時、両者の使用価値は異なるにもかかわらず、等価交換である以上、両者の交換価値は同じであり、その限りで同質だとみなされる。
→ その時、価値の大きさは労働量(労働時間)によって測られるとした(労働価値説)
労働力も商品である。
また、商品が労働生産物であることに着目し、商品に共通する価値を分析する。つまり、労働の結果その対象物として価値が現成するとした。
価値はその流通過程では増殖せず、生産過程を経て、増大する。
→ 資本家は、機械や原材料をすべて「価値通り」に購入し、労働者を雇用する。
この時に、資本家が利潤を得るには、労働力という商品の特異性が必要。
資本家は労働力商品を「価値通り」に購入し、労働者はその「交換価値」=生活に必要な賃金を受け取る。だが、資本家は労働者の「使用価値」を活用し、交換価値以上の価値を作り、増殖することができる。この使用価値を用いて得た利潤と交換価値との差額を剰余価値と呼ぶ。
→ だが、資本家は価値通りに労働力商品を購入し所有しているから、労働力商品の
使用価値を用いて得た剰余価値を取得するのは正当である。
しかし、ここで得た剰余価値を資本の拡充に回したり、労働力の購入に充てる時、資本が最初の資本とは明らかに変質しはじめ、無償で手に入れた剰余価値で商品を購入するということが起こる。しかしこれは資本や労働力をタダで購入したのと同義である。(資料8)
→ マルクスが搾取と呼ぶ時、この「領有法則の転回」を用いて告発している。
資本主義が進展し、資本家同士の競争が激化すると、競争に勝とうとして技術革新が進み、ゆえに生産性が上昇するが、その結果、機械による労働代替により失業者が増える。商品が大量に生産されるのに対して購買力を持たない労働者が増加したため、需給バランスが崩れ、恐慌に陥る。この繰り返しにより、資本主義は崩壊していく。
それは、この中で相対的に組織化され、訓練された労働者の抵抗力の増大を意味し、プロレタリア独裁のもと、社会主義への移行が開始される。(資料9)
参考文献
政治思想史:小笠原弘親、小野紀明、藤原保信共著、有斐閣
Sシリーズ現代政治学の基礎知識:内田満、内山秀夫、河中二講、武者小路公秀編、有斐閣ブックス
経済学・哲学草稿:マルクス著、岩波文庫
ドイツ・イデオロギー:マルクス、エンゲルス共著、
共産党宣言:マルクス、エンゲルス共著、岩波文庫
世界の名著43、44 マルクス、エンゲルス:中央公論社
参考資料
(1)「労働者が彼の生産物の中で外化するということは、ただたんに彼の労働が一つの対象に、ある外的な現実的存在になるという意味ばかりでなく、また彼の労働が彼の外に、彼から独立して疎遠に現存し、しかも彼に相対する一つの自立的な力になるという意味を、そして彼が対象に付与した生命が、彼にたいして敵対的にそして疎遠に対立するという意味を持っているのである」(『経済学・哲学草稿』)
(2)「労働が労働者にとって外的であること、すなわち、労働が労働者の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないでかえって否定され…(中略)…だから労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、そして労働の中では自己の外にあると感ずる。労働していないとき、彼は家庭にいるように安らぎ、労働しているとき、彼はそうした安らぎをもたない。だから彼の労働は、自発的なものではなくて強いられたものであり、強制労働である。…(中略)…外的な労働、人間がその中で自己を外化する労働は、自己犠牲の、自己を苦しめる労働である。」(『経済学・哲学草稿』)
(3)「人間は一つの類的存在である。…(中略)…人間は普遍的に生産する。動物はたんに直接的な肉体的欲求に支配されて生産するだけであるが、他方、人間そのものは肉体的欲求から自由に生産し、しかも肉体的欲求からの自由のなかではじめて真に生産する。…(中略)…それゆえ人間は、まさに対象的世界の加工において、はじめて現実的に一つの類適存在として確認されることになる。…(中略)…疎外された労働は、自己活動を、自由なる活動を手段にまで引き下げることによって、人間の類生活を、彼の肉体的生存の手段にしてしまう。」(『経済学・哲学草稿』)
(4)「人間が彼の労働の生産物から、彼の生命活動から、彼の類的存在から、疎外されている、ということから生ずる直接の帰結の一つは、人間からの人間の疎外である。人間が自分自身と対立する場合、他の人間が彼と対立しているのである。」(『経済学・哲学草稿』)
(5)「天上から地上に降りてくるドイツ哲学とはまったく反対に、ここでは地上から天上へと上っていくのである。すなわち、人間が語り、想像し、表象するものから出発し、あるいはまた語られ、思考され、想像され、表象された人間から出発しつつそこから生きた人間に到達するのではない。現実の活動せる人間から出発し、かれの現実の生活過程からかかる生活過程のイデオロギー的反射や反響の発展をも叙述していくのである。人間の頭の中にある霧のようなものも、かれらの物質的な、経験的に確認し得る、物質的な前提に結びついた生活過程の必然的な昇華物である。したがって、道徳、宗教、形而上学その他のイデオロギーおよびそれらに対応する意識形態は、もはや独立という仮面をもたなくなる。それらはなんらの歴史も、なんらの発展ももたず、むしろかれらの物質的生産とかれらの物質的交通を発展させつつある人間が、かれらのかかる現実とともにかれらの思考およびかれらの思考の産物をも変化させていくのである。意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定するのである。」(『ドイツ・イデオロギー』)
(6)「この歴史観がよって立つ根源は、現実の生活過程を、直接的な生活の物質的な生産から出発して展開し、そしてこの生活様式と連関しそこから産出される交通形態を、したがってまた種々なる段階における市民社会を、歴史全体の基礎として把握し、そしてこの市民社会を国家としての活動において叙述し、並びに意識の種々なる理論的産出物と形態との全体たる宗教・哲学・道徳等々を市民社会から説明し、それらの成立過程を市民社会の種々なる段階から跡づけるということである。」(『ドイツ・イデオロギー』)
(7)「国家は階級対立を抑制する必要から生まれたものであるから、しかし国家は同時にかかる階級の衝突のただなかで生まれたものであるから、国家は原則として、もっとも強力で、経済的に支配する階級の国家であり、かかる階級は国家によって政治的にも支配する階級になり、かくて抑圧された階級の抑圧と搾取のための新たな手段を獲得した」
(『家族、私有財産および国家の起源』)
(8)「最初の資本は、一万ポンドの前貸しによって形成された。その所有者はどこからそれを得たのか?彼自身の労働と彼の先祖の労働とによってだ!と経済学の代表者たちは異口同音に答える。そして、彼らの仮定は、実際に商品生産の法則と一致する唯一のもののように見える。2000ポンドの追加資本については、事情は全く違っている。それは資本化された剰余価値なのだ。それは、最初から、他人の不払労働に由来しない価値は少しも含んでいない。追加労働力が合体される生産手段も、追加労働力が維持される生活手段も、資本家階級が年々労働者階級から取り上げる貢ぎ物の、剰余生産物の、不可欠の構成分に他ならないのだ。資本家階級がこの貢ぎ物の一部分で労働者階級から追加労働力を買うなら、それが十分な価格で買われ、したがって等価と等価が交換されるとしても、やはりそれは、被征服者から取り上げた貨幣で被征服者から商品を買うという、征服者の昔ながらのやり方と変わるところはないのだ。」(『資本論』)
(9)
「かかる収奪は、資本主義的生産そのものの内在的法則の作用によって、資本の集中によって表現される。つねに1人の資本家が多くの資本家を滅ぼす。かかる集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪とならんで、ますます大規模となる労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画利用、協同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化、結合せる社会的労働の生産手段としての使用によるあらゆる生産手段の節約、世界市場網へのすべての国民の組入れ、およびそれとともも資本主義体制の国際性格が、発展する。かかる転形過程のすべての利益を横領し、独占する大資本家の不断の減少とともに、窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大するのであるが、しかしまた、絶えず膨張しつつ、資本主義的な生産過程そのものの機構によって、訓練され、結合され、組織された労働者階級の反逆も増大する。資本独占は、それとともに、かつそのものとで開花した生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化は、それらの資本主義的外被と調和しえなくなる一点に到達する。外被は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」(『資本論』)