政治思想の基礎発表資料

 

資料1 モンテスキューにとって法とは何か。

「もっとも広い意味においては、法とは事物の本性に由来する必然的関係のことである。(中略)したがって、原初的理性があり、法とは、それとさまざまな存在の間にある関係、また、これらさまざまな存在相互間の関係である。」(「法の精神」『モンテスキュー』所収369ページ)

 

資料2 モンテスキューの「自由」に対する考え方とその維持に対する考え方

「自由とは、望むべきことをなしえ、望むべきでないことをなすべくけっして強制されないことにほかならない。(中略)自由とは、法の許すすべてをなしうる権利である。」(同上441ページ)

「人が権力を濫用しえないためには、事物の配列によって、権力が権力を阻止するのでなければならぬ。国家構造は、何人も法の強制しないことを行なうよう強制されず、また、法の許すことを行なわれないように強制されることのない、そのようなものでありうる。」(同上442ページ)

 

資料3 モンテスキューの考える三権分立 『政治思想史』の教科書も参照

「裁判権が、立法権と執行権から分離されていないときにもまた、自由はない。もしそれが、立法権に結合されていれば、市民の生命と自由を支配する権力は恣意的であろう。なぜならば、裁判官が立法者なのだから。もしそれが執行権に結合されていれば、裁判官は圧制者の力をもちうることになろう。」(同上443ページ)

 

資料4 一般精神について

「多くのものが人間を支配している。風土、宗教、法律、統治の格率、過去の事例、習俗、生活様式。それらからそれらに由来する一般精神が形成される。」(同上488ページ)

「国民の精神が政体の原理に反していない場合には、立法者は国民の精神にしたがうべきである。われわれは、自由に自然の天分にしたがってことを行なうときにこそ最善を行なうからである。」(同上488ページ)

 

資料5 ルソーの考える自然状態

「人間の最初の感情は自己の生存の感情であった。そしてその最初の配慮は自己保存の配慮だった。(中略)これが生まれたばかりの人間の状態だった。」(「人間不平等起源論」『ルソー』所収 153ページ)

「森の中を迷い歩き、生活技術もなく、ことばもなく、住居もなく、戦争も同盟もなく、同胞を少しも必要としないが、また彼らに危害を加えることも少しも望まず、おそらくは同胞のだれかを個人的に覚えていることすらけっしてなく、未開人はごくわずかな情念に従うだけで、自分だけでことが足り、この状態に固有の感情と知識の光しかもっていなかったのである。」(同上 148ページ)

「しかしやがて困難が現われ、それを克服することを学ばなければならなかった。」(同上 153ページ)

 

資料6  私有の概念の発生

「ある土地に囲いをして「これはおれのものだ」と言うことを思いつき、人々がそれを信ずるほど単純なのを見いだした最初の人間が、政治社会の真の創立者であった。杭を引き抜き、、あるいは溝を埋めながら、「こんな詐欺師の言うことを聞くのは用心したまえ。産物が万人のものであり、土地がだれのものでもないということを忘れるならば、君たちは破滅なのだ!」と同胞たちに向かって叫んだ人があったとしたら、その人はいかに多くの犯罪と戦争と殺人と、またいかに多くの悲惨と恐怖とを、人類から取り除いてやれたことだろう。しかしそのときすでに、物事はかつてのままの状態を続けることがもはや不可能なところまでいってしまったように思われる。」(同上 152ページ)

 

資料7  社会および法律の起源

「富める者は隣人たちを自分の目的へと導くためのもっともらしい理由を、容易に発明したのであった。彼は彼らに向かって言った。「弱いもの達を抑圧から守るために、野心家を押えるために、そして各人に属するものの所有を各人に保証するために、団結しよう。(中略)要するに、われわれの力を自分にさからう方向に向けないで、一つの最高の権力のなかに集めよう。そしてその権力が賢明な法に従ってわれわれを統治し、結合体のすべての成員を保護して守り、共通の敵をはねつけ、永久の和合のなかにわれわれを維持する権力に」(中略)

  社会および法律の起源はこのようなものであった、またはそうであったにちがいない。そしてその社会と法律が弱い者には新たな拘束を、富める者には新たな力を与え、自然の自由を永久に破壊し、私有と不平等の法律を永遠に固定し、巧妙な横領を取り消すことのできない一つの権利とし、若干の野心家たちの利益のために、以後は人類全体を労働と、隷属と、悲惨とに屈服させたのであった。」(同上 169ページ)

 

資料8  為政者と人民の間の契約の内容

「人民は社会的な関係という点では、そのすべての意志をただ一つの意志のなかに統一したので、この意志が説明されているすべての条項は、それぞれ基本的な法律となり、それが国家のすべての成員に例外なく義務を与え、またそのなかの一つの法律は、他の法律の執行を監督する役を負った為政者の選択と、その権力とを規定するのである。この権力は政体を維持しうるすべてのものに及ぶが、それを変えるにはいたらない。人々はそれに、法律とその執行者たちとを尊敬すべきものにしているさまざまな名誉と、また執行者個人に対しては、善い政治のためにかかるつらい苦労の償いとなるさまざまな特権とを付け加える。一方為政者の義務とは、自分にまかされた権力をただ委託者達の意図に従って行使し、各人がその所有するものを平和に享受するように維持し、どんな場合にも自分の利益よりも公共の役に立つのを好むことなのである。」(同上 175ページ)

 

資料9  ルソーの理想と考える社会契約とは何か。

「この社会契約のあらゆる条項は、よく理解されるならば、ただ一つの条項に帰着する。すなわち、各構成員は、自己をそのあらゆる権利と共に共同体全体に譲り渡すということである。それはなぜかというと、まず第一に各人はいっさいを譲り渡すので、万人にとって条件は平等となるからであり、条件が万人に平等であるなら、だれも他人の条件の負担を重くすることに関心をいだかないからである。」(「社会契約論」『ルソー』所収 242ページ)

「各人はすべての人に自己を譲り渡すから、特定のだれにも自己を譲り渡さないことになる。また自分に対する権利を構成員に譲る場合、同じ権利を構成員から受け取らないことはないので、各人は喪失したすべてのものと同じ価値のものを得、さらに自分のもつものを保存するために、いっそう多くの力を獲得する。」(同上242ページ)

 

資料10  ルソーの考える一般意志とは何か。

「全体意志と一般意志には、しばしば多くの差異がある。一般意志は共同利益にしか注意しないが、全体意志は私的利益を注意するもので、特殊意志の総和にすぎない。しかし、この特殊意志から、相殺される過剰の面と不足の面を除去すれば、一般意志がその差の合計として残るのである。」(同上252から253ページ)

 

第四編第一章  一般意志は破壊することができない

 「互いに結合した多くの人間が、みずからただ一体をなすものとみなしているかぎり、彼らは、ただ一つの意志をもっており、この唯一の意志は、共同の自己保存と全体の福祉にかかわるものである。その場合には、国家のすべての機動力は活気にあふれ、質実であり、その格率は明瞭で輝きに満ち、国家は、混乱し矛盾した利益をもつことはない。また共同の福祉はいたるところに明白にあらわれ、それを認めるには、ただ良識を必要とするだけである。」(同上320ページ)

 

資料11  社会契約と一般意志によっていかに統治するか。

  「その本性からして、全員一致の同意を絶対に必要とする法は、ただ一つしかない。それは社会契約である。(中略)

この原初的な契約のほかは、最多数者の意見が常にあらゆる人々を拘束する。それはこの契約自体の当然の帰結である。しかし、一人の人間が自由でありながら、また、みずからの意志でない意志に服従を強制されるというようなことが、どうしてありうるのかが問題となるだろう。反対者たちは、どうして、自由でありながら、しかも彼らが同意しなかった法に従っているのであろうか。

私は、問題の立て方が誤っているのだと答える。市民は、あらゆる法律に、彼の意に反して決議された法律にも同意を与え、さらに、彼がある法律をあえて犯したとき、彼を罰する法律にさえ同意を与えているのである。国家の全構成員の変わらぬ意志が一般意志である。一般意志によって、彼らは市民であり、自由なのである。」(同上324ページ)

 

資料12  施政者の職と直接民主制による集会について

「真の民主政においては、施政者の職は、いかなる場合でも、利益ある地位ではなく、わずらわしい負担であって、とくにある特定の個人を選んで、これを押しつけることは正当ではない。ただ法律のみが、籤に当たったものにこの負担を課すことができる。なぜならば、この場合には、条件は全員にとって平等であり、選択は人間の意志になんら依存せず、したがって、法律の普遍妥当性をそこなうような特定の適用は、まったく存在しないからである。」(同上326ページ)

「社会契約の維持のみを目的とするこの集会の開会は必ず次の二つの議案の提出をもってなされなければならない。しかも、この議案はけっして省略されてはならないし、また、それぞれ別個に投票に付されなければならない。

第一の議案−「主権者は政府の現在の形態を保持することをよしとするか」

第二の議案−「人民は現に統治にたずさわっている者たちに、今後もそれをゆだねることをよしとするか」」(同上319ページ)

 

資料13  ルソーの社会契約を徹底させた結論

「いかなる方面から原則にさかのぼろうとも、必ず同一の結論に到達する。すなわち、社会契約は常に市民のあいだに平等を確立するので、市民はすべて同一条件のもとで約束し、すべて同一の権利を享受すべきであるという結論である。このようにして、社会契約の性質からして、あらゆる主権の行為、ことばを換えれば、一般意志のあらゆる合法的行為は、全市民にひとしく義務を負わせ、恩恵を与える。したがって主権者はただ国家という政治体を知るだけで、その構成員は個々に区別しない。それならば、本来、主権の行為とはいったいなんであるか。それは上位者と下位者との合意ではなくして、政治体と各構成員との合意である。この合意は社会契約を基礎とするために合法的であり、あらゆるものに共通であるために公正であり、公共の力と最高の権力に保証されるために、確実である。臣民はこのような合意のみに従うかぎり、だれにも服従せず、自己の意思だけに服従している。主権者と市民のそれぞれの権利がどの範囲まで及ぶかという問いは、市民はいかなる点まで自分自身と約束することができるか、すなわち各人に対して、いかなる点まで約束することができるかとたずねることである。」(同上256ページ)