2000春学期 小熊研究会
6月26日 月曜日 6限
政策・メディア研究科 修士1年
伊澤花文  kafumi@sfc.keio.ac.jp
1. 研究テーマ 
脱病院化をめざす人々
~脱病院化は可能か・主婦による「健康運動」の例~
2、問題設定
ここ数年国民医療費は毎年約1兆3000億円ずつ上昇し
医療技術の向上に比例して医療費が増えるという矛盾した状況が起きている。
医療費増加の背景にはここ半世紀の主要死因の変遷があげられ、
1950年(昭和25年)にトップであった結核をはじめとする伝染病は
昭和30年には激減し現在1位は悪性新物質、つまり癌がその座へ踊り出た。
伝染病は抗生物質により克服され、新たに現れた非伝染病である成人病に
多くの人は悩まされるようになる。
現在成人病は「生活習慣病」と呼ばれるようになった。[厚生白書97]
つまり生活習慣のうち食事、適度な運動、ストレス解消などに気をつければ、
ある程度防ぐことができる病気であることが分かり始めたのだ。
従来の病に対する処方とは異なる医療のあり方が求められている。
そこにはいままでの医者への過度な依存を乗り越え、病にたちむかう「個人」
のあり方が問われているといえるのではないだろうか。

ある健康補助食品を摂取し、健康運動にたずさわる主婦の団体を調査し
彼女たちの30年にわたる活動の経過を分析する。
そこで主婦における脱病院化とはなにかを問う。
3、研究の枠組み
① 近代国民国家
国家により規格化され支配される身体
厚生省、国民健康保険→巨大な医療システム
②資本制と近代 市場と市場化されない労働
家事→アンペイドワークの医療、医者、栄養管理士としての役目
女性の本質的な特性に基づく奉仕として女性に期待され
かつ女性たちが進んで担った部分
 
30年代 厚生省の設立、国家総動員法、国民健康保険法
40年代 前 医療保護法(貧困者医療、助産の保護)
後 世界保健機構WHOの設立
60年代 国民皆保険実現 山梨県棡原村の研究、 ヤマギシコミューン※
70年代 公害訴訟、エコロジー、フェミニズム、生協活動 異議申し立て運動
     米国上院栄養調査報告※ イリイチ「脱病院化社会」
80年代 環境問題、医療不信、成人病
90年代 民間療法の再評価、代替・補完医療学会の発足

 4、M社の行う健康運動
① 会社のあゆみ
昭和39年(1964年)大阪に三基商事株式会社 輸入商社として創業
昭和47年にプルーンエキスを発売するにあたり品質の確かさと健康の
大切さを伝えるという願いから独自の販売、活動方法を展開する
見知らぬ家庭を訪問するのではなく、商品を自分自身で愛用して商品の
良さを理解し、その実感を身近な人から伝えてゆくこと、
それをグループの活動とする
当時59歳の主婦(現在88歳現役で活動中)からまず4人に伝わり、横浜へ広がる、栄養の勉強会が発展しセミナーや集いを行うようになる
約30年にわたる販売と健康運動を兼ねた活動はユニークであり、
口コミでひろがる主婦を中心とした組織に拡大
76年に発表された米国上院栄養問題特別委員会レポート
より厚生省より5大栄養素の概念、これを補う商品を提供し、
主要な4つの商品をベストセラーにする
それ以降 主婦の病気の体験や医者情報の知識の共有が頻繁に
行われるようになる。
② 仕組み
会社=徹底して良い商品を研究、生産
主婦=自分が理解したら伝える
会社→代理店→営業所→ミキ会員→特別会員→お客様
     仕事       消費者
位置の選択が可能→仕事か消費者
代理店、営業所はそれぞれ勉強会を開き、セミナーや集い
を企画、運営する。場所や裏方を会社が担当。
全国に約2500人の代理店 (代理店平均年齢 50後半)
消費者含めて現在100万人弱
世代は20代前半から80代後半まで(組織論、ネットワーク論につながるため割愛)
5、脱病院化というテーゼ
 医療というひとつのシステムに依存せず自ら、病気や身体について
関心を持ち、自分の自立性をとりもどす、つまり<私>あるいは<私>の
自立性をもう一度探り出すということ
「医療システムによる過剰な管理」「医原病」といったテーゼを伴う
※医原病 本来病を癒すはずの医者が逆説的に起源となって生じる病の総称

6、主婦はなぜ熱狂するのか
・基本的な活動「自分で自分の体を守るために学ぼう」勉強会
彼女らは解放されている →何から?
「知らない」ことから →知らないと何がいけないの?
食べ物と健康の相関関係 →不調は環境と食べ物が大きな要因
よって食事は大事→家事は大事
・病気の変遷
いままでは治らない病気→突然ふりかかる不幸
しかしこれは知らないから突然ふりかかる不幸に思えたのであって、
知っていれば未然に防げるものへ
倒れる夫や両親の介護→面倒みるのは主婦
これを解決するには予防すればいい=未病の概念
食事と病は深くかかわることがようやく世間が、認めるようになった
正しい食事をつくり、家族に伝える→学ぶ主婦
 
「それが自分の自由に繋がるから学ぶ」という姿勢をつくる
食育の普及「自ら選択できる目を養う」

7、体験を語り、伝える主婦
体験の共有が脱病院化の要に
医者情報、医療関係の口コミネットワーク(全国版)※
・ 母原病(子どもの病気)姑との関係
「お母さんが無知だったのごめんね」40後半主婦※
・不妊症    役立たずの嫁
・夫、義理の両親、両親の介護(痴呆老人)  介護福祉士の26歳女性

「ジェンダーの傘の中にいながらしてジェンダーから解放される術を知る」
それが健康運動を通して脱病院化がもたらしたもの

・より一層ジェンダーの深みにはまるアンビバレンツを
抱きつつ家族の健康に責任をもち、理解することで解放されてゆく
 →専業主婦のスペシャリスト化
「知ろうとしない」主婦、食に無関心な主婦、家庭がうまくいかない主婦を排除
特に子供の病気に関して責任を持つのは母親
食の欧米化の問題 、個食、間食、加工品から
アレルギー、喘息、アトピーなど(食環境をとりまく変化)
これらから守るのは母の役目←内面化
より一層主婦に求められる「つとめ」を完全にこなすことで
→「理想的とされる主婦」へつきすすむ
・好きなことをさせてもらっているのだから
「益々主婦の鏡たる存在にならなきゃ」54歳 元生協運動家
自分で稼いだお金、活動実績で尊敬すべき仲間と
一緒に会社が主催する旅行に参加(サンフランシスコでプルーン農園植樹など
年交代でヨーロッパ)日本全国のカリスマ主婦が集まり2週間ばかりの旅を通して
親睦をふかめ、しばし主婦を忘れて豪勢な生活をする
→いきがいへ 普通の主婦じゃない自分 
価値観の合う仲間と健康で美しく生涯現役で仕事し遊ぶ
「でもなんで自分で稼いだお金でいく旅行なのに夫に許しを得なくてはいけないのかしら?不思議よね。」「うん、うん。」30代代理店を母にもつ主婦 
ジェンダーにうすうす気づく人

・活動者→「健康」というファクターを手に入れることで
 夫は元気で留守がいい、(健康である限り働いてくれる)
子どもは元気、おかあさん仕事も家事もこなす主婦スペシャリスト
自分たちが思い描く「理想的な近代家族の構築」をめざす
・ 彼女たちの唯一の悩み
商品の良さが伝わらない→特に子供、夫、親族→息子の嫁
「愛情という名の抑圧」あなたのためを思って!
なによりも人格、生き方が問われる実情に苦しむ
8、中間の結論

これはひとつの脱病院化のありかたといっていいのではないか
柔軟な組織、主婦の口コミネットワークと会社が一体となった存在※Ⅵ
しかしこれに伴い主婦のジェンダーを解決しつつより深みにはまる
という相対する要素をもつ。
生活の欧米化、外食産業の拡大、医療ミスが多発する社会においても
家族の病の源が主婦の責任におかれる

なぜ、主婦は家族の健康を守らなくてはならないのか。
ジェンダーを再生産してしまうという問いに解答はいまだ出せない

9、今後の発展
各主婦の個別の事例をみてゆくことで
活動に参加することにより何が解決され、何が問題となって
いるかを調査したい。
特に世代別の主婦のあり方、脱退していった主婦など。
子供や夫を病から守る、病人を癒す、介護するジェンダーから
→個人が個人の健康を守るという方向に進むのか?
脱病院化を達成するためには主婦が主体にならなければいけないのか。

・参考文献
脱病院化社会         イヴァン・イリイチ   晶文社   1976
伝記マクガバン        R・S・アンソン     評論社   1972 
近代家族の成立と終焉     上野千鶴子       岩波書店  1994
21世紀家族へ        落合恵美子       有斐閣選書 1994
長寿村・棡原         古守豊甫              1975
医療社会学を学ぶ人のために  黒田浩一郎       世界思想社 1999  
「女縁」が世の中を変える   上野千鶴子     日本経済新聞社 1988   
医療             村上陽一郎       読売新聞社 1996
朝日新聞記事検索データベース  
厚生白書 1995~1998年度 

資料
※  マクガバン報告 1976年上院議員 ジョージ・マクガバンによる栄養調査
67年ケネディ就任後余剰産品は「平和のための食料計画」海外以前に国内困窮者へ
※ヤマギシ会(山岸会)
無所有一体社会の実現を目的とする社会運動体。
山岸巳代蔵(1901~61)によって1953年に
創設され、全国20ヶ所に実顕地がある。
養鶏を中心に農業労働を共同で行う。
60年代末の学生運動を契機に日本のコミューン運動の
さきがけとなる。
※医者の情報、病院の情報、薬の情報の提供
メンバーの勉強会ではこの3点が強調される。
ある乳がんの女性は最初にいった病院の医者に切除するよういわれた。健康活動を行うメンバーの友人から聞いて、温存療法の先生を紹介してもらう。
結果として切除しなくて済んだ。

※
1、臨床的医原病  医療関係者による過誤、不注意が原因で起る病、障害
2、社会的医原病  医療がシステムとして社会的に制度化され、構造的に病
や障害が再生産されること。医療は患者が健康を回復した時点で自らを不必要なもの
として廃棄しなくてはならない逆説的構造。しかし医療はシステム化されることで
不必要な病を生産するようになる。過剰な投薬、不必要な手術など。
3、文化的医原病  患者の側も必要以上に医療システムに依存する生活様式
や価値観をもつこと。

※Ⅴ1979年 久徳重盛 小児科医師 「母原病」=母が原因である病気
50年代後半から子供の病気が変わった。それまでは伝染病が主であったのに社会全体の衛生状態が良くなり、子供の数が減って親が子供一人ひとりに気を配るようになりそういう病気にかかりにくくなった。しかし別の種類の病気が増えた。小児喘息、吃音、食欲不振、登校拒否、骨折など。
久徳氏はこれを母親が病原体である病気であると断言。
喘息児の母親の分析 過保護タイプとガミガミ型で激しく叱って子供を萎縮させる
母親の接し方が精神的な問題が絡んだ病気を発病させているという論
「母原病は昭和30年代頃から我が国の文明化、GNPの伸びのカーブに平行して、近年目立つようになってきました。」本書より抜粋
どんな病気でもいままでにみられなかった原因不明の病気は100%親、特に母親の育て方が影響することを断言
理由のない病気、異常 →文明病
「根が深いんだなあ、お母さんの影響はこわいなあ」
「親もこどももみんな不幸になってしまうのでこの本を救済のつもりで書いた」久徳 
本書抜粋

※ Ⅴ セミナーにて 東京辻川さん 主婦
東京 辻川さん(主婦)M社を知ってから16年。現在26歳になる息子の母。息子が10歳になったくらいから鼓膜に水がたまる病気になり、病院へいってはぬいてもらう。傷からのばい菌感染を押さえるために抗生物質を投与しては水ぬきを繰り返す。ある日学校から電話があり学力不振のため家庭事情に問題がないか担任から連絡がはいる。原因がわからずしばらく過ごしたが、ほとんど耳が聞こえていないことが判明。その後も医者に通ったがいっこうに回復せず、体力がないせいだと医者から水泳をすすめられ、結果逆効果となり耳、視力、鼻の調子もおかしくなった。このままでは普通学級では学ばせられないとの連絡が学校からはいり、途方にくれているときに友人を通じて「身体はなんで出来ているかしらないの!」と厳しく叱責され、「今まで食べてきたものがあなたなのよ。「痛い」「調子が悪い」のはそこになにかが足りないという信号なのよ。」という厳しい叱責をくらう。
いままでこどもの欲しがるものを与えては、痛い治療に我慢する不憫な息子を甘やかしてきた。しかしいっこうによくならない子どもに対して「なんて手のかかる子なのか」「いったい誰の血をひいているのか」血筋を怨んでいた。
その後食事をあらため食や身体について勉強を続け、10年悩まされた病気はその後3、4ヶ月で正常な聴力にもどる。

※Ⅵインタビュー   和歌山 Sさん54歳 もと生協活動家
 年齢54歳 、最終学歴4年大学卒 、家族構成 夫サラリーマン、息子28歳、娘24歳(子どもは和歌山の本宅で仕事をしながら生活、自分は夫の転勤のため今滋賀に住む) 
経歴 ・専業主婦であったが、娘のアトピー性皮膚炎が原因で和歌山に生協活動をおこす。県レベルの生協発足には700人の活動人員が必要なため、近隣の家の主婦から声をかけはじめ約1年半で活動を開始する。本物の有機野菜を手に入れるため生協の15人からなる理事のメンバーが頭金を自腹で払い数件の畑を購入。約6年かけて完全な有機土壌をつくる。通信費、交通費などすべて手弁当。その後小松菜などの野菜作りに取り組む。市場より1.5倍の値段で販売は実現。
約10人からなる小グループに別れて定期的な食や病気、アトピー、アレルギーの勉強会を行い、その中のリーダーは一年に一回の総会に出席。
生協発足7年目にして参加者の中からラーメンやアイスの販売要請が高まり、経営の難しさが露呈。その後まもなく自分の求めていたものではないことから脱退。
しばらくは自然食品のグループに所属していたがあるときM社の商品を子どもに食べさせている友人から頼まれて、M社そのものを調べる。図書館に通い、医療、栄養学、経営関連の本を調べて3年かかりで理解する。代理店になってから7年である。
Sさんの言い分:M社の活動が理解できたのは、体験とか病気が治ったという話を聞いてではありません。生協をやっていたこともありますが、結局個人でいいものを手にいれたくても難しいのです。この会社の運動は選択性が高いからいいですね。仕事にしたい人、一消費者でいたい人、世の中に健康運動を進めたい人。従来の運動にはこの選択が許されなかった。