2001年度秋学期小熊研究会T

 

第四回(115)「自我論」まとめ

 

総合政策学部二年 小山田守忠

学籍番号:70002308

ログイン名:s00230mo

 

 

フロイトとフーコーの補講

(現在の社会学、ポストコロニアル、フェミニズム関連へ絶大な影響)

 

T.フロイト

 ・アイデンティフィケーションの問題(父を規範にして自我の形成を行わないものは自我形成の失敗)

  基本的に息子のケースを重視

 ・欲望の対象としてどのようなものが充当するか

  乳幼児の段階ではそれが母親に向けられていく

  Libidoカタルシス(L):「もちたい」(対象充当?)

  IdentificationI):「なりたい」(同化?)

  →この両者が分離するのが自我形成のちゃんとした形

  幼児段階ではこの2つが母に向けられている→父が介入(去勢恐怖、エディプスコンプレックスの発生、母子密着状態が消える)→父に「なりたい」が移動(Lは母に残る)→Lが断ち切られて母に似た女性を求める→父がスーパーエゴ(社会規範)の形になってエゴを形成する

 ・このアイデンティフィケーションには非常にアンビバレントなところがある

  「父親のようになりたい」がある介入によって注ぎ込まれるが、父親のように本当になってはこまる(母とやってしまってはマズイ)

  「父の介入」=「私のようになりなさい」かつ「私のやるようにはやるな」

  →自我形成に影響(Iが母に向いたままだと同性愛者になるという説明)

 ・これをナショナリズム関係に応用

  同化対象に対するアンビバレンス(ある介入なり衝撃が行われて、そのようになりたい対象というものが出来ると同時に、それはなりきってはいけないと同時に一番忌避される存在でもある)

  例)日米関係「アメリカのようになりたいけれども・・・」

  ナショナルアイデンティティーというものは、最初は自覚的なものが無いところにある強力な権力が介入して目覚めさせられるということが多い(黒船)

 ・フロイトに対する批判

  女児に対して冷淡(息子の例外ケースのような形で扱われる)

  予め去勢されている、体内で去勢されている→きちんとした介入がされないので超自

我が形成されにくい(社会規範を内面化しにくい)

  のちにフェミニズム関係の論者から批判をうけて読み直しが進む

  

U.フーコー

 ・どういったところからフーコーの思想は出てきたのか?

  フランスにおける共産党との関係

  ドイツの占領に対して一番反抗したのは共産党であった(半分神話)

  日・仏では共産党の権威が高い(特に50年代前半)、知識人がコンプレックスをもつ

  フーコーも50年代は共産党員

  55年くらいから共産党の権威の低下(ハンガリー動乱、フルシチョフのスターリン批判など)戦後の経済成長が軌道に乗ってある程度貧富の格差が国内的には是正、構造主義の台頭とからむ、フーコーはちょっと違う傾向

 ・フーコーと構造主義の違い(「自分は構造主義者ではない」)

  @歴史に対する注目が非常に強い

   構造主義:神話研究と現在の社会を結びつけるということになると、どうしても現在の安定した社会が前提になる、マルクス主義のほうが歴史を掲げる傾向が強かったため(歴史の発展段階)それに対抗(レヴィ・ストロースとサルトルの論争に顕著)

   フーコー:言説の変動を重視(時代によって変化する)

        構造主義的なものの考え方で歴史を扱うということになると、現在でもフーコーがモデルにされる理由、ある程度構造主義的なものの考え方を適応しながら歴史の変動を扱うというものが他に見当たらない(マルクス主義が衰退した後、長期的な歴史スパンで依拠できる枠組がなく、フーコーが一番手近)

   非マルクス主義的な歴史の描き方としてその後定着(アリエス、ブローデルなども)

 ・なぜそんなに歴史にこだわりがあるのか

  1926年生まれ、45年に19歳、歴史の激動期を生きたということが歴史に対する執着に

 ・共産党からなぜ離れていったか?

  全体的な共産党の権威失墜と共に、ホモセクシャルであったという理由が大きい?

  仏で就職口が見つからなかった(スウェーデン→ポーランド→フランス地方→チュニジア)ポーランドでの生活が影響(ポーランド人にとっての共産主義とは何か)

  強制収容所の問題(政治犯を精神収容所に入れていたという問題)

  →監獄への注目へ?(そのような医学の回路が一種の収容の知として働く)

  父親が医者で親父が大嫌い(→医者に対するこだわりに)

 ・ニーチェの影響

  フランスにおけるドイツ思想の位置付けをふまえずには語れない問題

  仏においては「人間」「理性」がナショナリズム・正統思想として根付いている一方、独思想はそれに対する中和剤・反抗材料として使われた(ドイツは田舎国家→民族集団というものの存在が近代市民社会をこえたものである、国家は市民社会を乗り越えたものであるという発想がフィヒテ、ヘーゲル、マルクスに通じて存在、基本的にヘーゲル・マルクス系の考え方では市民社会というものは個人個人というものは近代的個人としてバラバラに存在していて資本主義社会であってそれを乗り越えていくのが社会主義、「近代社会の乗り越え」的なもの)

  →それが仏社会に流れ込んできたときフランスの非正統派の思想になった

 ・ニーチェのキリスト教倫理(同性愛の禁止)批判

  「善の系譜学」:「善し」とされている価値観が歴史的にどうつくられてきたのか、と

いう点を問題化(geneorogy

  当該社会における支配的な「善」と呼ばれるものが歴史的にいかに形成されてきたか

  →フーコーの「考古学」へ(何を語っているかよりどういう語り方をしているかを見る→同時代に共通するものの語り方のルールみたいなものが存在するはず、そこを見る、そうしたものの語り方のルールのようなものは個々人の著者とは切り離されて存在する)

   同時代的なものの語り方のルールを〜から見るといった形(著者名が必ずしも記されていない、有名な思想家のコメントとどこかの貧民の裁判記録での発言が同列に並ぶ、著者にもマルクス主義歴史観のように出身階級にも影響されない)

 ・フーコーの三段階説

  どの本もだいたい三段階にそって書かれる

@ルネッサンス期(16世紀が中心、近代黎明期)

  A古典主義時代〜仏革期まで(17世紀〜18世紀、絶対王政期)

  B仏革以後(国民国家形成期)

  そこでのものの語り方の変動を執拗に追っかけ続ける

  (@の「名前の無い時代」は実際にはある種の排除が行われているが、排除のやり方が違うという風にかかれている)

 

V.その後の学問に及ぼした影響

 ・フーコーの受け止められ方(どの部分が受け入れられるか)は時期によって異なる

 ・『狂気の歴史』(61年):「狂人」とされているものがルネッサンス期から「排除」される時代、「解放」へとうつっていく様を描く

  必ずしもこの時期には注目されず、60年代の末頃から注目されるようになる

  アメリカ、ヨーロッパにおける反精神医学の流れと絡む(精神医学が政治的抑圧の手段として用いられる)例)「カッコーの巣の上で」

  精神医学の抑圧性が問題化、精神医学の中で改革運動が起きる

  (フーコー自身は問題の扱い方が既存の歴史学とは違いすぎたので理解してもらえなかった、当時の仏では知識界に共産党の影響が強かったので強制収容所の話題が避けられたのではと推測)

  非共産党系左翼の流れの中で注目

 ・『ことばともの』(66年)仏でベストセラー

  学問の形態の変化を追う(人文諸科学の論じ方の変化を追う、無理やりやっている感がある?)

  ものの論じ方が今変わりつつあるという雰囲気に合致した(戦後世代の台頭、高度経済成長期に突入)

  「人間は消えていくのである」:「人間」というものはある時代のもののの語り方に過ぎない、ずっと昔からあるものではなくせいぜい19世紀から

 ・『監獄の誕生』(75年)

  チュニジアの学生蜂起に遭遇、自分も拘束されるという体験が背景に

  管理社会の究極の姿として注目される

  「犯罪者」と認定されるものが監獄へ送られる(同性愛者、怠け者などが「犯罪者」として囲い込まれていく)

  監禁、身体形から内面を悔い改めさせる刑に変わっていく(人格、精神の発見)

  権力(言説の構造の働き具合全部)の方が先に見つけた

  「パノプティコン(一望監視装置)」:一人ずつ監禁、中央の看守に見張られているかもしれないが確認のしようがない、神の比喩→「懺悔する自分」が生まれてくる

  例)試験の監督官:後ろにいるやつが一番怖い、見られているか見られていないか分からない→見られているかもしれないということろから主体がうまれる

  身体刑を加えず、ただ自主的な反省を望む(残酷な身体形からの改善)

  管理社会論などによく引用されるように

 

W.日本でのフーコーの受け入れられ方

 ・7080年代の日本では『ことばともの』(「ものの語り方が変動しつつある」という部分)が圧倒的に受け入れられる

  当時の共産党の権威低下、人間中心主義・ヒューマニズムの地位低下の中でうける

  パラダイムという言葉が入ってくるのとほぼ同時期にうける

  フーコー自身はヨーロッパ社会の学問体系の知の厚みのようなものに対抗して執筆したのだが、日本にはその点ではあまりうけなかった(学問の権威が低い、土壌が違う)

  『監獄の誕生』が管理社会論としてうける

  学校教育にたいする管理社会論の応用、ネットワーク管理社会への応用

  テクノロジーの発展(コンビニのカメラ)に応じて管理社会化が進む

  「エピステーメー」(ギリシャ語の「真理」)、ものの論じ方、何が「真理」とされているか、またその変動を扱ったということでうけた、当時の流行り言葉に

 ・90年代以降はうけかたが変化

  アメリカ経由でアイデンティフィケーションの部分がもう一回入ってくる

  @米社会内ではアイデンティティを持てという圧力がものすごく強いのでその部分でうける

Aゲイの解放運動にうける(「主体」=subject、主体、臣民のダブルミーニング)

  B医療方面で受ける

  C80年代末からエスニック運動の中でうける(エスニック・アイデンティティを強要されるのは迷惑、そうしたアイデンティティを強要されるということはどういうことか? 日本では90年代まで「エスニック・アイデンティティをもつのはいいこと」)

  D「カムアウト」問題の中でうける

   「カムアウト」が60年代のゲイ・リベレーション運動の中で奨励されていたが、その後ある種の抑圧性を帯びてきた(ゲイと「正常」の境目が結構微妙)

   ゲイであることにこだわるということはどういうことか?

   フーコー「ゲイだと告白しなければゲイの人は存在しない」(ゲイだと思って告白するところからゲイは出来る)

   『性の歴史』(76年)の中で「告白」という問題を重視、告白によって主体が形成

   現在の「性解放」は全然性の解放ではない、その証拠に皆自分の性的志向を語っているではないか、「告白する」という形で「ゲイ」という社会的位置が確定している

  「〜としてのアイデンティティをもって」という考え方自体が疑われる中でうける

  対抗アイデンティティを立てても適当な位置を与えられてまとめられてしまう、名前に絡め取られてそれに沿った行動を要求される

  →ポストコロニアルやフェミニズムの分野でフーコーがもう一度うける

  アイデンティフィケーションの抑圧性の批判は日本では比較的新しいもの

  「囲い込み」のなかでどのように同一性が創られるかについてうける

  最近は『狂気の歴史』と『性の歴史』がよく使われる

  現在フーコーの影響が最も強いのは歴史学の一部、社会学、フェミニズム、エスニック関係の一部

 ・アイデンティフィケーションの問題でのフロイトの見直し

  ポストコロニアル論などではフロイトを批判的に応用しながらフーコー的な枠組を使うという傾向が多くなってきた(「アンビバレンス」「介入」などの精神分析用語がよく使われる)

  フロイトの使えるところは使おうという動きがフェミニズム方面でさかん

  アイデンティフィケーションの形成回路の説明においてはフロイトの理論を使うけれども、最終的にはアイデンティフィケーションができることを良しとしない(同一性が出来上がってくるというフーコー的な問題意識の導入)

  とても使いやすい図式なので使われすぎて飽きられている?

 ・フーコー自身はマルクスとニーチェ、フロイトを評価

 ・「構造はデモに行かない」は間違い、「デモも構造のうち」

  (68年のパリ五月革命の有名な落書き、五月革命から構造主義が出てきたというのは微妙で、構造を批判的に受け止める学生も多くサルトルがうけるということもあった、フーコー本人も実際の運動に携わる)

 ・フーコーの主体批判は日本社会に適応可能なものであるのか?

  ヨーロッパ社会のように主体を立てるということが奨励されてその抑圧性が問題になる社会と日本は違うのではないか

  フーコーの思想は在日社会の方がぴったり来る?(主体性を重視する社会なので)

  そういう意味ではフランス臭いカトリックの思想