2001年度秋学期小熊研究会T

 

第五回(1112)「エスニック研究/ポストコロニアル」まとめ

 

総合政策学部二年 小山田守忠

学籍番号:70002308

ログイン名:s00230mo

 

ポストコロニアル論についての補足

現在のエスニックスタディーズの進展状況について

 

T.ポストコロニアル論について

 総称であってやっている当人は名乗っていない場合が大概

 

<スピヴァックの話(インド人女性、ベンガル出身)>

 ・インドの状況

  ヒンドゥー文化内の男女差別、身分差別をどのように考えるか、が重要なテーマに

  インドが独立をしたときに独立したインドがどのようにナショナリズムをつくっていったか

  →ヨーロッパ諸国(特にイギリス)に対する対抗意識から、それへの対抗文化を立ち上げる(「伝統文化」を植民地独立運動の過程で持ち上げる)

   その中でも特に「女性」「母」の存在を強調(民族の心の象徴)

   「バーラート・マータ」(わが国・母):国が女性の形で表象される(女性の形でインドが描かれ、その女性であるところの母国が西欧人に強姦され、それに対してインドの男が立ち上がるという比喩)

  ベンガルは文化主義的な独立運動の強いところ、文学・学術的なものが盛んな文化的

な町、タゴールが有名

 ・独立運動の過程で民族文化の伝統が取り上げられ、その中で女性がそのような形で表象される

こうした独立型のナショナリズムの中で女性の描きがたでたたえられるのは「母」と「処女」、あるいは「女性英雄」(ジャンヌダルク、ナウシカ)「民族を育むもの」

それに対して「民族の裏切り者」的な女も描かれる(ポカホンタスなど侵略者の男とくっつく女、売女)

  →民族主義の中で女性の描き方が大きな争点に

 ・サティ(saty,sutte)の問題

  未亡人が旦那の跡を追って焼け死ぬという習慣(19世紀のベンガル地域で行われる、タゴールが賞賛「貞淑」)

  女性の集団自殺の問題、ムスリムとの対抗関係(パキスタンの方からムスリムが入ってくる、ムガール帝国などムスリムに支配された過去)

  貴婦人達が敵に貞淑をたもつため、敵に汚されないために自殺

  →こうしたものがインドのナショナリズムの中で賞賛されるということに対してどういう姿勢をとるべきか、ということがインドのフェミニズムで問題に

 ・発展途上国においては先進国・ヨーロッパのフェミニズムをそのままもってくると「裏切り者」扱いされる可能性が高い、しかし在来の女性の位置のままでは問題

  →その回答としての近代化論(近代化すれば解決する)

   ナショナリズムというものはある意味合理的なもの

   インド全体のナショナリズムというのは西洋帰りの知識人が持ってきたということは明らか(日本では分かりにくい)、インドの独立運動を担った連中(ガンジー、ネルーなど)は合理的なナショナリズムを学んだ留学帰りの連中でそのなかでインドの伝統文化もそれなりに取り入れようとしたという位置付けに

  近代化(産業開発)の中での伝統文化の位置付けは「和魂洋才」的(伝統文化を全否

定するとナショナル・アイデンティティが創りにくくなる)伝統的、象徴的なものを

あえて残していくといった形、しかし全面的にはインドのカルチャーを肯定できない

  →一部階級の文化(バラモンの文化)が「インド文化」になっていく

  →インド全体の文化というよりはヒンドゥー文化になっていく

  それをやりすぎるとイスラム教徒を含んだインドが崩壊するので、そこそこにやりながら近代化を進めていく

 ・西洋的合理派の「輝ける開明官僚」がだんだんエスタブリッシュメントになっていって、開発独裁体制の特権階層化(長期の統制経済のなかでネポティズムが蔓延)

  →そうした西欧派に対して野党はどのような対抗関係に立つのか?

  ベンガル地域を中心としたカルカッタはマルクス主義が強い地域

  「人民派」:「人民の文化」を掲げる一派が出てくる

現在のサバルタン(従属階級)・スタディーズにつながる流れ(主に歴史学が中心)

  西洋的合理的な中央のナショナリズムに対抗して下層民の文化を掲げるという傾向

  取捨選択されたヒンドゥー文化は上層階級のものであるのに対して下層民の文化

  対抗軸の取り方が「西洋的なもの」「それまでの伝統文化的なもの」を身に付けているのが上層階級(明治期の知識人と同じ、西洋的かつ元武士階級)

⇔下層民の在来の文化を持ち上げる(西洋的なものとは多少距離をとる)

 土着の反体制、反西洋

1960年代の日本の「民衆史学」:一橋の安丸良夫、色川大吉、ひろたまさきなど

   日本の天皇制に対抗して大本教をもってくる(女教祖、出口なお)

   西洋派じゃない反体制、しかも民衆派で土着思想

 ・下層民衆の文化といったときに、そのなかでも一番虐げられている女に注目

  インドのフェミニズム:土着思想的なフェミニズム(ヒンドゥー・フェミニズム)のようなものが高く評価される

  →そのなかで「伝統文化」とは何であるのか、ということが問題に

   「インドの伝統文化」と呼ばれるものが上層の文化と規定されていると下層民は従属的な位置から抜け出せない、さらに男性の文化を中心としていると女性には負担

   「文化、エスニック・カルチャーとは何か」「伝統文化をどのように見るのか」という視点が育つ

  「エスニック・カルチャー」「伝統文化」をどのように定義し把握していけるか

  スピヴァックはこれを哲学的な形で読み解く

 ・『サバルタンは語ることができるか』(青土社)

  @サティの話

  1920年代独立運動の女性自殺のエピソード(生理中に首をつって自殺)

独立運動中に任務達成できずに自殺を図るが、若い未婚の女が自殺をすると恋愛関係の結果の自殺、妊娠して自殺したと思われるのでわざわざ生理がくるのを待って自殺

  →独立運動内部の女性差別、性的な圧力、インドナショナリズム内部における女性の位置を問題化

  Aイギリスの統治によるヒンドゥー文化の確定・分類・構築の問題

   イギリス側が入ってきたときに上層部のバラモンの協力を取り付けてヒンドゥー法典を書いていく→「インド文化」が両者の協力関係の中で構築されていく

  「インドの伝統文化を守れ」という形でサティを誉めたたえるというナショナリストに対して、182930?)年にイギリスがサティを禁止(インドを文明化してやった、インドの女性を助けてやった、植民地支配の正当化)→これをどう考えるか

  「茶色の男に虐げられている茶色の女を白い男が助けにやってくる」状況

  →実は茶色の男と白い男は共犯関係

   「インド文化」を野蛮な文化として構築し確定していったのはイギリス

   それをナショナリズムの核としていったのもインドのナショナリスト

   お互いが補完関係に立つ(「白人の植民地主義者と原理主義者の共犯関係」)

  第三世界のフェミニストにとってこれはとても重要な問題

  →地元のナショナリズムとどう妥協していくか

  一方的に西欧の思想を導入すると、地元のエリート(西欧型知識人、中央政府の役人)と同じになってしまう→人民から浮いてしまう

  政府の掲げる伝統文化には物申すというかたちだが人民から浮くというのは避けたい

  中央政府と植民地支配者に対して「サバルタンの立場から」物申すという形に(下層民の女性はその中でも一番下)

  これがポストコロニアル論の一番の問題意識

  ここの立場に立つと中央政府のエリート層(西欧的な富国強兵路線と上層の伝統文化の融合)とヨーロッパ・アメリカとの両者と対抗関係に

 ・サバルタンは語ることはできない?

  「下層民自体は声をもたない」、字が書けない(識字率50%以下、識字率も結構怪しい)

  系統的な語り(自分のおかれている社会的状況の説明など)ができない

  サバルタンの代わりに知識人が語ることが出来るか?

  →「representation」の問題に(「こういうものだ」と分類し確定すること)

   「表象」であり「代表」、「下層民のいいたいことはこういうことだ」ということをrepresentationする(イギリスの植民地支配者がやってきて「インドの女性は焼け死にたくないと言っている」と「表象」かつ「代表」する一方、インドのナショナリストが「いや焼け死にたいと言っている」と「表象」かつ「代表」する)

   当の女性(レファラン)は語ることなく焼け死んでいく

  サバルタンは語ることはできず、ただ他のやつらがrepresentationしているだけで、弱者の口を借りて色んなことをやっているということの問題性を描く

 ・アメリカでの注目のされ方

  第三世界出身の女性の発言として注目される

  80年代ぐらいから米ではPCが進行

  文芸批評の世界で白人男性作家の差別性が問題化される(取り上げるのは黒人女性の批評家)フェミニズム批評といった形で展開、火をつけたのは『オリエンタリズム』

  米文芸批評業界では「色が黒い」「女性」「貧しい」「第三世界出身の移民」という属性がつくと発言力が強い、偉いといった風潮が存在

  スピヴァックのようにインド出身の女性で文学、哲学がわかってサバルタンスタディーズもわかって・・・ということになると超協力、うける

 ・その後スピヴァックはアメリカにおけるマイノリティ(知識人)女性の位置を問題化

  文芸批評業界内で重宝がられて発言を求められるがそこの中だけの話にすぎない

→単にアメリカ社会内で位置を与えられてやっているにすぎない(ゲットー的市場?)

   それに対する苛立ち(「トークニズム」:認められたものが一枚だけ入る)

   これに対する批判、これに主体形成の問題がからむ(アメリカという多様性の秩序の中において「有色の女性」というかたちで一枚位置を与えられているに過ぎない)

  主体形成の問題が全てスピヴァックの中で絡む

 ・では一切語らないほうがよいのか?

  そうもいかない→「ポジショナリティ」の問題(どのような立場からのrepresentationであるのか)どちらにせよ他人の事を語るのだから「表象」かつ「代表」することは代わらない、後はrepresentationの相互の争いのなかでポジションの問題を問うというのが現在の潮流

  フェミニズム内部の摩擦の問題にもからむ

先進国のフェミニストが後進国の女性のことを語っていいのか?またその資格があるのか?(北京の女性会議の例)

  そういった問題意識のなかで日本のフェミニズムのなかでもうける

 ・フェミニズム内部の対立関係

  レズビアン、在日のフェミニズムが台頭、それに対して語ってよいのか

  在日の中の家父長制をどうするか?日本のフェミニストがどうこう言っていいのか?

  というなかでこうしたものが求められた

 

U.エスニックスタディーズ全体について

・移り変わりが激しい

 第三世界の文化の混交が進む

 文化人類学のほうでクレオールを既成事実として認め始めるのが80年代

 人類学の方面で「文化がいかにつくられてくるか」という研究がすすむ(植民地支配下で文化が形成されてくる問題ではなく、「現在どう文化がつくられてくるか」という問題)

 例)レゲエ、演歌:60年代にできたもの、ワールドワイドの文化ではない、なんと呼

んだらよいのかわからない現在進行形の文化

 ・在来の文化がどう変化しているか、ということが大きな問題に

  新しく発生した文化を研究(宗教儀式のライティングなど)

  エスニック・カルチャーと呼ばれるものは昔からあるのではなく現在生成中

  「伝統文化」と呼ばれるものも1819世紀に創られたものがおおい(植民地支配の結果ということだけでなく、交易の過程などで発生)

  文化の混交・生成・変容といったことがほぼ常識化、それを研究するというのが現在の文化人類学、エスニック・カルチャー研究の潮流、またそれができる経済的背景も重視、そのなかで「観光人類学」といったものも発生(観光によって文化ができる、金を取りだすと宗教内の教義が変容するといったことも)

  カルチャーやアイデンティティは混交し変容して生成しつつあるという視点を取り入れているのが現在の主流

  例)在日社会内における占いの研究

    在日の巫女さんは韓国の巫女さんとやっていることがどう違うか

    客が日本人という状態で神道と混交、コリアンの巫女さんだけど地鎮祭をやってくれる、服装が派手に

文化変容ではあるが、「故国の文化が失われて嘆かわしい」ではなくある種の文化生成

として描く、逆に「それでもいいじゃないか」という風潮が現在は強い

  一昔前だと「古きよき伝統が失われて・・・」ということだったが、実際には在日も一緒

に地鎮祭をやるようになって結構繁盛しだしたり、巫女さんを中心にして大阪の下町

の在日コミュニティが団結を強めているといった状況

  →同化というのはそう一直線に進まない、文化混交は進んでも一方的な同化には必ず

しもつながらない、両者の変容の中で進む

  そうした変容、生成を肯定的に捉える研究が最近増加

  ひろい意味でのポストコロニアルの影響(変容してもそれを含めてアイデンティティ、

それで集団の結束が強まっているからいいじゃないか)

 ・「混血」の問題

  一昔前だと「混血」が出てくるとエスニック集団のなかで排斥される傾向があったが、

最近ではそれが肯定される(それも含めて考えていこうといった)傾向に変化

・「同化」と「分離」のジレンマ

  それをやっても苦しいだけ?

  在日の巫女さんが地鎮祭をやるのは同化か分離か?あまりそれを言っても意味無い

  「取り戻した伝統」「古きよき伝統」と故国の文化は必ずしも一致しない(故国の文化はどんどん変化)、「どっちが本当の文化」ということをいってもしょうがない

  変容そのものを肯定していったほうがいいのでは

  現在のエスニック研究系の社会学では実態調査と理論が相互補完しあいながら展開

 ・日本におけるポストコロニアル

  「多様性」を認めるという段階までマジョリティ社会がいかないのにポストコロニアル論が入ってきてしまったという側面が存在

  米社会では60年代のマイノリティの異議申し立て、エスニック・カルチャーを認めないとまずいという認識が学会、国家レベルで共有される(認めないと国が壊れる)

  日本社会ではそういう過程を経ていないにもかかわらず知識人、大学レベルだけではアメリカ並になってしまっているという微妙な状況

  在日社会内の若い女性の書き手が在日社会の狭苦しさのようなものを描こうとしてポストコロニアルを使おうとしても、日本社会のマジョリティがそういったこととあまり関係なく動いているという側面が強い(在日社会内ではポスコロは批判的に受け入れられる、「アメリカかぶれ」)

  representationの問題に関しても日本ではあまりやられていない

  米では国家政策としてもやっているので問題になるが、日本では殆どやられていない

  経済的には先進国だが「代表して語る」という次元にまで行っていない

  スピヴァックの「白人の男がやってきて有色人の女を救うと・・・」という図式の中で日本はどこにはまるのか?

 ・日本社会におけるマジョリティとマイノリティの関係

  日本における両者の関係はアメリカと同様に語れるのか?

  マジョリティ集団はマイノリティ集団を排除することによってアイデンティティを獲得する(地と図の関係)、マイノリティにとってみるとマジョリティによって名指される、余計な表象を払いのけるということが重要にテーマになる

  ところがそもそも日本のマジョリティは国内のマイノリティを排除することによってアイデンティティ確定していない、日本のメインの民族集団意識というものはヨーロッパやアメリカを対抗相手にして確定されている(明治期にかかれたものを見ても明らかに対抗相手は欧米、朝鮮中国は刺身のツマ)

上の対抗相手がまずいて偏差値の低い連中がいる、自分のアイデンティティを確認する上で重要ではあるがあくまで副次的な存在

その証拠に日本のマジョリティの人々は在日を知らない(日本のマジョリティの民族意識がマイノリティを排除することによって成り立っているのなら、たとえ差別的であろうが何であろうが在日について知らないということにはならない)にもかかわらず在日、アイヌについて全く知らないという日本のマジョリティはいっぱいいて、しかも民族意識が旺盛ということが平気でありうる

それがどうやって成り立っているかというと「アメリカが嫌いだ」とか「グローバリゼーションが」という形で成り立つ

そういう風に日本の民族意識が成り立っていると考えると、マイノリティとマジョリティが地と図の関係で成り立っているという考えを日本にもってきてどの程度有効性があるのか?

90年代に日本にポストコロニアル論が入ってきて在日の論者が語っているが半分一人相撲の感が強い

 ・日本とアメリカなどではポストコロニアルの担い手が異なる

  アメリカなどではスピヴァックなど移民の一世の女性などが多い

  日本ではスピヴァックを翻訳した日本のマジョリティ(日系の)知識人などが多い

  日本のマジョリティの知識人がこういうものを翻訳してrepresentationについて語っているのはそれこそrepresentationでは

  アメリカでこれをやったらたちまち叩かれるところだが、日本ではマイノリティの側も「折角やってくれてるんだから」ということで見ている感が強い

  「自分でやるのは気恥ずかしい」分野