2001年度秋学期小熊研究会T
第九回(12/10)「フェミニズム」まとめ
総合政策学部二年 小山田守忠
学籍番号:70002308
ログイン名:s00230mo
フェミニズムの話はなかなか難しい
ものすごく幅が広い、無限に様々なものと連環していく
1.歴史的経緯
・「第一波フェミニズム」
日本においては市川房江、山川キクエなど
どこの先進諸国も60年代後半に学生運動の高まりを迎えて新左翼運動からわかれるとういかたちでフェミニズム運動が出てくる(その別れ方は様々、全部話すのは大変)
(1)アメリカでのフェミニズム
第二波は63年くらいにベティ・フリーダンの『女性という神話』がベストセラーになったあたりから
・「名前のない問題」を問題化
中産階級の女性にとって子育て・家事をやるだけでは何か満たされないものがあるが、それに対して不満をいうと「おかしい」といわれる、場合によっては「治療対象」に
なるといった状況への違和感の表明
・白人の中産階級の女性から表れた問題という特徴(主婦化した人の中での問題)
ベティ・フリーダンが中心になって全米女性機構(NOW)が結成される
結成のきっかけは60年代の前半に多く行われた女性の社会的状況に関する調査、公民権法案のなかに女性の平等条項(雇用時の広告での「女性のみ」「男性のみ」は許されるのかなど)をいれるかどうかが争点に
60年代前半のアメリカは50年代の「黄金時代」を経過してある程度豊かな社会を実現したとされていたという点と、ケネディ、ジョンソンと民主党政権が続く中で女性票が重視されたという点、黒人公民権運動などの高まりなどが背景に
66年にNOWが結成された当初は小規模だったがその後数万人規模にまで拡大
その後60年代後半から70年代くらいになってくると当時の学園紛争のなかで新左翼(ニューレフト)が出てきてマルクス主義的なものの見方やレズビアン・ゲイ運動も入ってくる
当初は中上層の女性の穏健な運動といったところからスタートした後、マルクス主義やゲイムーブメントのようなものに刺激を受けてきたのが70年代
社会運動としてはERA(女性の公民権法案)批准を目指して運動を展開、その後70年代〜80年代を通してアメリカのフェミニズム運動の争点となって動いていく
・米フェミニズムの理論的・学問的な進展
「家事労働や有償か無償か」という問題(←マルクス主義の影響)
精神分析の問題(中産階級では精神分析医にかかるのはよくあること、そうしたものがフェミニズムの問題を理解しないことへの「異議申し立て」)
マルクス主義の影響を受けたフェミニズムはアメリカではあまり流行らなかった
米、共産主義者=人間じゃないといったような風潮、運動としては発展しなかった理論的な面でもマルクス主義系フェミニズムは運動に発展しにくい(個人のイデオロギー形成、家庭内の力関係などの側面において経済的関係がどうなっているかとういことに比重がかかる)60年代後半から70年代かけて精神分析を批判するフェミニズムは非常にさかんになる
フロイトの学説に対する「異議申し立て」が大きな潮流に
ナンシー・チョドロー:フロイトの学説は現在の家族の秩序を前提にしているからそうなるにすぎない(母が子を育てるということが前提になっているから母子密着状態になる)、フロイトの読み直しをしていくなかで新たな展望を開く試み
反ポルノ・反レイプといった問題も大きなフェミニズムの問題に(ドヴォーキンの反ポルノ、その中で女性がどのように表象されているかということを問題に)
80年代後半から仏系の思想が入ってきていろいろと変化
(2)フランスのフェミニズム
仏においても60年代の後半からフェミニズムの運動が起きてくる
・米のフェミニズムとの相違:インテリに偏った運動という傾向が強い、新左翼との結びつきが強い
NOWのような大きな社会運動団体が出来なかった(仏のほうが階級社会的な色彩が強く「女だから連帯する」といった感覚にはなりにくい、パリの五月革命でも学生以外の層になかなか広がないなど)→結果思想的に先鋭化
社会主義系よりは精神分析系の方が強い(中絶関連の禁止法案を具体的な政治的問題にしていくとう傾向がどこの先進国でも出てくるが、仏で理論的蓄積を行った人々はどちらかというと精神分析方面からということが多い)
ジュリア・クリステヴァ、リュイス・イリゲライなどが有名だがとても難解な印象をあたえるものが多い、
・精神分析と構造主義(言葉の秩序の話)を結びつけるという発想
社会的な規範/秩序のあり方を内面化していくという点で精神分析とポスト構造主義における主体形成の問題はある意味共通している
支配的なものの考え方/言葉の体系を内面化していってその中で位置を占めるというのが主体形成(アイデンティティの確定)、フロイト的な精神分析ではまず肉体的に拡散した状態(多系倒錯)から肉体的な同一性を獲得していく(自分の皮膚の内側と外側が区別できるようになり、エロスの欲動を性器に集中していくという秩序を獲得していく過程)性欲の社会的秩序として近親相姦を断念して近親ではない異性を求めていくというのが社会的秩序の内面化の問題、こうした形で肉体的・社会的秩序を同一性を獲得していくというのが精神分析での主体形成の問題
→この両者を結びつけるのはそんなに難しくない(どちらにせよ「枠組を内面化していくこと」)
・これをやったのがジャック・ラカン(精神分析医、50〜60年代)
両者の結合という形態を考えた
フロイトの場合だとごちゃごちゃしている状態が無意識(人間の欲動が組織されていない状態)、組織された状態で自我というものが出来て、その上の超自我が存在するといった構図(自我は常に超自我からの規範と無意識からの欲動に挟まれる存在)
ラカンがやったのはこれを徹底的に象徴的なもの(たとえ話)にするということ
「自我の獲得」を「人間が言葉を獲得する」状態に当てはめる
人間が自我になるというのは言葉を獲得するということ(この世のものの考え方を内面化するということ)、すなわち「自我の獲得」=「言葉の獲得」
「言葉のない状態」から言葉を与えるのが「象徴的な父」(人間が自我を形成していく中ではこの「象徴的な父」が法を告げるという形によって人間は言葉を獲得する)
その中において「母子密着状態」が切断されることによって人間は自我を形成する
そこにおいて言葉を獲得するという過程において自我が獲得されたということを「象徴的に去勢された」という風にいう
・クリステヴァがやったのはこれに対するアンチ
「象徴的な父」「秩序立った言語を獲得する」ということに対して異議申し立てを行う
それをやることによって「象徴的な母」から切断されるということを批判
「詩的言語」:詩というものは必ずしも秩序立ってはいない、「象徴的な去勢」をされ
てない・「母から切断」されていない言語として賞賛、半分文芸批評に近い理論書(『詩的言語の革命』73、74年くらい?)
現在の構造的な秩序のことをファロス・セントリズムとよぶ(男根中心主義、「父の支配」)、構造主義的な流れの中で現在の支配的な言語の体系へのアンチを唱えた
この手のことをやっていた人々がフランス70年代のフェミニズムの展開を行っていた人々として注目された
80年代くらいになるとそれにそって文芸書を書こうという人も現れる(よく分からない本がおおい、よくわかってはいけないので)
主に70年代のまだ学生運動の余波の熱気が残っていたときの産物として理論が蓄積
それが80年代後半のアメリカに輸入されて、米で前からやられていた精神分析の潮流とくっつく→米90年代以降のフェミニズムの理論形成へ
・なぜ仏で精神分析方面のフェミニズムが出てきたのか?
仏の「文の国」としての圧力が強い(「文化」「理性」の国)
仏のインテリの中にそれへのアンチが強いためその抑圧を撥ね退けるという部分が強い(「ファロス・セントリズム」批判は西洋中心主義・西洋近代合理主義批判とほぼ同義語として使われた)
カトリックの国という要素(父権が強い、神父が強いお国柄)
「家父長」と「理性」に対する対抗心が「フランス」「国家」精神分析における「父」構造主義における「言語」に対する対抗というところで結びついた
(3)ドイツ、イタリア方面のフェミニズム
・ドイツでは社会主義が非常に強い(米・仏とは違う要因、米では社会主義は運動として存在し得ない、仏は共産党・社会党は非常に強いがフェミニズムはこれらに対するアンチとして出てきたので運動とはあまり結びつかなかった、むしろ社会主義に対してフェミニズムがどう独自性を持ちうるのかというのが非常に重要なテーマに)
→具体的な社会主義運動との結びつきへ(中絶法などの問題へ)
資本主義と女性の位置の結びつきというものを問題化する思想家が出てくる
クラウディア・フォン・ヴェールホーフ、マリア・ミースなどが有名
世界システム論とも結びついて近代家族内における女性の経済的地位というものを問題化していく
・イタリアでも左翼が非常に強い国柄
ダラ・コスタ『家事労働に賃金を』が日本でもヒット(マルクス主義系のフェミニストは大抵家事労働を賃金労働化すればことがすむとは思っていない、商品化する領域が広がるだけ)
→資本主義のあり方の変容を目指すなかで女性の家事労働、女性の位置はどうなるかという問題の立て方をしていく
・「資本家」と「労働者」という分裂、搾取関係だけではなく「資本家」「労働者」「家事労働を行う無償労働者」という構造に読み変えていく
有償労働・賃金労働の剰余価値を搾取するというだけではなく、むしろ無償労働の部分で一番搾取が行われているということを問題化する思想を組み立てていく
→システム論との結びつき(Shadow workの発生)
世界システム内における女性の位置の問題へ
2.日本におけるフェミニズム
・日本では「ウーマン・リブ」(アダムの肋骨からイヴが生まれたという逸話から)
新左翼系の学生運動のなかでの女性差別の問題から派生
70年代のリブ運動はほとんど理論的成果というものを生まなかった、というか理論的な成果を拒否していた
理屈を嫌うという傾向が非常に強い
社会主義の影響もあるが(中絶、生む権利、婚姻制度に対する異議申し立てなど)、その中で「女性の言葉で語る」ということを非常に重視した(「肉体的な言葉で語る」)
「男の側に語ってほしくない」、「名前のつけようのない問題」を「きれいに説明される」ことへの不満とそれへの拒否(この傾向はどこでも同じ、男の学者に整理されたくない)
70年代のウーマン・リブの文章は非常に熱気があって迫力がある一方、系統的に見て何をいっているかまったく分からないものが多い
「わかってもらおうというのは奴隷の心」というスローガンなど
・80年代前半までにそうした流れは息切れして止まる
そうした運動をしていた人々はその後エコロジー方面などに進む(もともと「名づけようのない不安」のようなものを吐き出していた人々だったので必ずしも学問に留まらなかった)
そのなかで残って学問をしていった人たちと、もともとそうしたものとはあまり関係のなかった社会学系の人たちが刺激を受けて女性学をはじめたというものが合わさる形でその後80年代くらいから女性学が展開
・その中で「言葉にできない」「言葉にしてほしくない」ような「名前のない問題」をどのように問題化していくのかということが問題化
それを言語化するにあたって片端から色んなものを輸入(米:ベティ・フリーダン「名前の付けようの無いもの」、仏:「難解なもの」も言葉にならない不安のようなものを言葉にしてもらうということに関して違和感があるという一点において調和、独・伊:社会主義系統のもの)
かなり雑多に色んなものが入ってくる中で日本のフェミニズムというものの思想系のものが出来上がってくる
・大学での女性学
80〜90年代にかなりの数が行われるようになったがどの程度理論的進展があったかということに関しては疑問
「国連婦人の10年」(75〜85年)の過程において女性学の普及が政策課題になったのと、同時に女性の進学率が急上昇して短大が増えたため、短大の目玉講座として女性学講座を設けるということが盛んになったため女性学講座が急増
80年代に旧来の女性運動家、女性学を自分でやっていた人が大学で職をえるということが多くなった→80年代に女性学が学問として認められるようになった(講座が先に出来たから?)
一方で運動の方は91年に雇用機会均等法と育児休業法が成立し、98年に優生保護法の改正問題などが終了して運動方針が曖昧に
運動としては活発ではなくなり学問としては大学に位置を占めていった
・90年代に仏系の思想が入った米の理論展開がもう一度日本に入ってくる
最近のフェミニズムの入門書はわかりにくいものが多い(女性の社会的状況よりは理論的なものを取り扱ったものの方が多くなった)
中心的になっているのは80〜90年代にかけてアメリカで発達した仏系の思想の影響をうけた米の女性学思想
個人志向が強いという傾向(どうしても個人のアイデンティティという問題に学問の注目点が集中する)と、米の上層では「アイデンティティを打ち出す」ということに疲れてきた(→フーコーなどのアイデンティティを持つということへの批判がうける)
→「女性」を打ち出すということ、あるいは「女性」というカテゴリーをつくることへの批判へ→ジェンダー研究へ(社会的に構築された性、肉体的な性差に意味を付与する知のあり方、という言い方へ、本質主義批判)
仏の構造主義系の思想が入ってきたところで従来の米の個人主義的なものと結びつい
てこうした傾向が出てきた
・その後の米では批評業界の理論として定着しまった
文芸批評、映画批評、思想系が中心
・米でのエスニック関係との結びつき
米では「黒人女性の立場から・・・」といったかたちで従来の白人の文学を二重の立場から批判、ポスコロと結びつく
・全体の傾向としてかなり理論偏重になっているということがここ十年顕著に
リブの運動から来ている人はもうついていけなくなっているというのが現状
「フェミニズムが学問になってしまった」という状況が90年代にさらに進行
一方で地道な社会調査のようなものも結構行われている(母子家庭の調査、女性の社会的位置の調査などが経済学、社会学の一部で行われる)
男女の賃金格差の問題、家事時間の変遷などは結構地道に行われているが、理論系のものとのギャップが相当大きくなっている
・フェミニズムという考え方が曲がり角にきている?
女性内部の格差が大きくなってきている
当初は白人中産階級の女性から始まってひろい共感を得ていったが、ある程度衝撃を持って受け入れられた後は80年代の半ばあたりからどの国でも目標が曖昧になっているというのが現状
研究方面では進展(精神分析方面→ジェンダーの類型概念方面の研究:文芸批評や映画批評方面で大きな影響力を持つに至る、経済学方面→女性の経済的位置の問題、歴史研究→近代家族の形成の問題:実証的な研究としては大きな領域の一つに→歴史学に影響)
・第三世界のフェミニズムの影響
インド、エジプトなどのフェミニズムなどが先進国とは別個の問題として注目される
男女の賃金格差の問題、下層労働者としての女性の社会的位置の問題、国際経済格差の問題、先進国フェミニズムとの関係性の問題など
3.現在のフェミニズムの問題点とこれからの展望(「代表して何かを語る立場でもないし、おせっかいがましく言うのもはばかれるが・・・」)
・米から出てきている文芸批評方面に非常に偏りすぎている(『現代思想』はもろその傾向、「表象」の問題、ジェンダーの設定の問題など)
孤立している印象が日本でも米でも強い(一部大学の文学部の中でやっているというものが日本に輸入されてやっているという形なのであまり広がりをもたない)
・フェミニズムが日本国内で芽があるとすれば歴史研究(近代家族形成の問題など蓄積が足らない)高度経済成長以後の変化を追った研究など
社会調査系の経済政策と結びついた研究は一部で行われている
経済が悪くなってきたので女性の地位が低下してきている(文芸批評なんかやっている場合ではない?)
高卒の女性などは行く先がない(「高卒女性の行き先は水と油と髪」水商売、ガソリン・スタンド、美容室)→大学進学率が上昇、問題を4年先に延ばしたに過ぎない
大学の就職率が下がってきてこの先どうなるか?
・日本のフェミニズム系出版物の乖離
「理論系」のものと「女の悩み系」の著しい乖離
両者を架橋するものがほとんどない
その穴を埋めるようにしてベストセラー(20万部)になったのが『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』、買ったのは看護婦(女性であることを強烈に意識せざるを得ず、かつ女性であることの経済的影響や職場の政治的圧力を最も被る人々でかつ真面目で向上心があって本を読むという階層が買った)
こういう本が売れるということはそれが期待されている潜在市場は相当存在するのだろうが現在のフェミニズムの先端的なものがそれに応えているという感は薄い
『フェミの嫌われ方』という本も、「わけの分からない特別なことを言っている連中」的なフェミニズム観を反映?70年代くらいのウーマン・リブのものに近い印象、一週回ってここまできたかという印象
「他人事ながら」フェミニズムにとっては危機的な状況
・90年代いっぱいは米の文芸理論、特に他者表象の問題(米国内のエスニックマイノリティの表象や第三世界に対する表象が問題化、さらにエスニック集団の中で最も地位が低いものとしての女性の表象を問題化)の影響を受けて国内でもやり始める
在日の女性の研究者もやったが、それも限界にきそうなのでもうちょっと地道な多数派の女性を射程に入れたフェミニズムを展開していったほうがいいのでは
80年代の理論的行き詰まりの大きな原因は日本が経済的に豊かになってしまったということ(経済格差が埋まってしまって男女の経済格差も埋まってしまったような印象を強く与えた)90年前後の景気が一番よかった時期にはそういう部分の理論展開は難しいという言われ方もしたが、それは一部の問題であって賃金格差の問題は厳然として存在するし、ここ数年賃金格差・階層格差が広がり始めているので新しい理論展開が期待されるというのが感想