2001年度春学期小熊研究会T

 

第四回「第三世界」(5/14)講義まとめ

 

総合政策学部二年 小山田守忠

学籍番号:70002308

ログイン名:s00230mo

 

第三世界のナショナリズムの特徴を考える上では植民地支配の歴史をふまえる必要がある

 

1「民族紛争」はいかにつくられたか

 

@国境の引き方の問題

18701914はヨーロッパでは「平和の時代」(国民国家の形成期、外に向かって展開)

アジアアフリカでは植民地化が進行、いわゆる「探検」が進む

・最初は港部に植民地が出来る→軍隊・宣教師・商人が入ってきて植民地化が進む

 →その一点が放射状に拡大→宗主国どうしでケンカが起きないように領分を分けるために境界線を機械的に引く(行政管区の線)→今日の国境線に

・現地の人間の感覚にはあわない境界線

一つの「部族」の生活圏の真中に引いてしまった結果、部族が二つにわかれ、現在の「民族紛争」になることも

・「国境変えない」原則があるために不合理と分かっていても変更できない

 WW2以後確定、変えようとすると紛争になる(→火種として残る)

 (例)ナチスドイツ(オーストリア、チェコ)と日本(朝鮮)

 「現在の国境線は「民族」の現状を反映していない」→侵略・統合へ

 

A強制移動の問題

 ・植民地は基本的に豊かで人があまりいない土地であることが多かったので人手が足りない→他の植民地から強制移動(マレー・インド系、スリランカ・タミール人、アメリカ・インド、中国系、日本・在日等々)

 

B分割統治の問題

 ・現地の勢力を分割して争わせる、少数勢力を優遇し管理職にする

 (例)インドのシーク教徒

  人口2%のシーク教徒を警察官や軍人に採用

  国内で使うことのメリット:相互対立させることで怒りの矛先をシーク教徒に向ける

  シーク教徒としては国内での自分達の地位が向上するため採用に応じる

  シーク教徒の部隊も編成され、インド国内(言葉、文化が違う)の鎮圧に用いられる

  WW1の時にヨーロッパ戦線に投入され「典型的インド人=シーク教徒」に

 ・植民地支配下での教育

  宗主国の言葉を使わせることで親近感を持たせる

  →宗主国の言葉が使える人間はのびる(テクニカルターム、その他の理由で)

 

C「民族の創出」「伝統の創出」の問題

 ・現在の「民族集団」は植民地支配下にできたもの

  「〜族」は昔は確定していなかった

  血統、部族、職種等がごちゃごちゃのアイデンティティとして存在

  →そうしたものが部族単位で統合

 ・間接統治の影響

  「部族」「民族」ごとに統治する

  (例)水戸藩:「水戸の藩主(とその部下)は残る→税だけ上納」という形

    むしろ既存の体制を強化する、しっかりとした水戸藩をつくってもらったほうが宗主国にとっては有利

 ・「首長をさがせ(Find the chief)」

  ヨーロッパ型の部族、宗教があると思ってはいっていったが、正確に西洋のそれに対

応するものがない

  →現地調査を行うときに「宗教」「民族」別に強引に割り振る

  →その中の「少数」が優遇されていく→「少数」として自分達を意識し始める

  →「宗教」「民族」対立がおこりやすくなる(人種的特長の概念が発展する)

 人のアイデンティティは与えられた支配的コードにのっとって形成されやすい

 「宗教・民族」の重視、「目の色・肌の色」で分離

  →「これは重要な要素だ」と認識し始める

・全員もれなく調査→自己アイデンティティ(宗教集団・民族集団・文化)が認識される(分類→認識→差別)

・首長をさがした結果、そいつらの地位がさらに強化された

 強化しないと間接統治の役に立たない→地位が固定化されていく

・慣習調査を行った結果、「我々の慣習」が固定化していく

 円滑に支配を行うために宗教的聖地、家族形態、村組織、言語の分布範囲等、現地の民法に当たるものを調査した結果、「我々は〜民族だ」「我々の文化・慣習は〜だ」といった認識が固定化

 本来はそういった慣習は様々で曖昧なもの(切腹:武士だけのもの、茶碗の持ち方等)

 ばらばらだった慣習が「民族」内で均質化していく

 

「民族紛争」の種は植民地時代に大量に蒔かれていた

ある意味紛争が起きるのは当たり前、どうやって騙し騙しころがすかの問題に

 

2.現在の民族紛争−マレーシアの例

・植民地における英語

現地語で大学教育を行う国は少ない、ほとんどの高等教育が英語でおこなわれる

 →英語が出来ないと高等教育を受けられない

テクニカルタームの不足、現地語のテクニカルタームを作っても流通しない

・「英語の支配」からの脱却

 マレー系(マレー語)の優遇

官僚への優遇的な採用、初等教育でのマレー語の促進(その他への抑圧)

→中華系を中心に抗議がおきる

・マレーシアにおけるマレー系と中華系の対立

  シンガポール(中華系中心)が抜けたため少しはましになった

  現在のマレーシアでは中華系は力を失っている

 ・冷戦との絡み

  支配下で日本が入ってくる→経済的実権を握っていた中華系を弾圧

戦後4647年頃に独立、ソ連と対立する米の援助のもと反共独裁政権が成立し、マレー共産党ゲリラ(中華系が中心?)を徹底的に弾圧

   →冷戦か、民族紛争か?

単に「民族・宗教」が対立しているのではなく、「民族・宗教」的に地位が違う人々が「民族・宗教」を名目にして対立しているのが実情

 

3.まとめ

植民地支配下で種が蒔かれ、紛争の構造がつくられ、それが冷戦においてあぶられた

経済的・政治的地位関係が違う人々が「民族」「宗教」の名目で対立している