小熊英二研究プロジェクトT 報告:「『国語』という思想」 コメント

総合政策学部3年 飯島要介 s00044yi@sfc.keio.ac.jp

■本書の背景

〇「日本語の国際化」ブームについて

⇒資料1参照

●1983年を契機に発生した

⇒資料2参照

☆国外における日本語学習者数の変移(国際交流基金・日本語教育機関調査より)

1979年:127167人

1984年:584984人

1988年:733802人

1990年:981407人

1993年:1623455人

1998年:2102103人

〔原因〕

☆経済成長

 

●母語に漢字を含む外国人に影響(中国・韓国及び北米のアジア系)

 

●90年代後半に入るとブームは衰退

〔原因〕

☆経済の低迷

☆語学への壁

★習得困難性(漢字の存在)

★儀礼的・固有文化的側面(敬語・呼称)

 

〇日本政府の対応

●(短期)留学生10万人受け入れ計画(1983年)

◇国際社会の主要メンバーの一員としての責任

 

●「ことば」シリーズ

◇1973年から文化庁が作成、学校、社会、教育機関に配布

◇1971年6月の国語審議会からの建議

◆「…国語が平明で、的確で、美しく、豊かであることを望み、この際、国民全体が国語に対する意識を高め、国語を大切にする精神を養うことが極めて重要である。」

◇1995年には新「ことば」シリーズとして、「国際化と日本語」というテーマを扱っている

◆日本語を海外に広めることに賛同する意見を載せている

⇒資料3・4参照

◆外国人子女や帰国子女に対する日本語教育問題を扱っている

 

●国際社会に対する日本語のあり方(2000年12月8日答申)

◇日本語の国際的広がりについての基本的な考え方

⇒資料5参照

◇提言

◆世界に向けた情報発信の推進

◆多様な日本語学習需要に応じたきめ細やかな学習支援

◆国際化に対応する日本人の言語能力の伸長

◆外来語・外国語増加の問題

◆姓名のローマ字表記の問題

 

〔資料1〕

それにくらべれば、上田と保科の「国語」の思想は、「敗戦」をこえて生き残った。戦後の「国語改革」が保科の長年の努力の結実であるばかりではない。ここ十年ほどでブームになった「日本語の国際化」とは、上田と保科の言説の延長線上に位置付けることができる。本書で論じたように、現在「日本語の国際化」をめぐってさまざまに論じられる話題は、ほとんどが戦前に保科孝一が取り上げたものだった。このように考えてみると、あまり見栄えのしない保科を、「国際化」の先駆者として祭り上げることもできるだろう。(P316 L7〜L12)

 

〔資料2〕

(1983年以降)経済の発展にともなって、それまでマイナーな言語であった日本語が急に脚光をあびたとき、日本語を避難する保守的なグループと、積極的に日本語を学ぼうとする若いグループが生まれた。実利を求めて日本語を学習する外国人が急増した。私の勤めていたカリフォルニア大学では、ごく数名をのぞいてアジア系の学生たちが日本語教室を占領してしまった。しかしその反面、初級で挫折する学生も多く、上級まで続ける学生は全体の一割にも満たないのが一般のアメリカの大学での実状である。その上、初級レベルでさえ、漢字圏の学生数が多い地域では、非漢字圏の学生たちの日本語学習意欲がしぼみがちになる傾向がある。

(『国際化時代の日本語』 茅野友子 大学教育出版 2000 P13 L13〜P14 L5)

 

〔資料3〕

日本人は、日本語を世界に広めることに臆病と言うか、ためらいがありすぎる。世界の経済状態を見ると、世界で一番金持ちで、それに見合うだけの言語的影響力がないから、むしろ問題があるので、もっと日本語を理解する人を世界にふやすような努力をするべきで、それを文化侵略ととられないかとか、うじうじした気持ちがよくない。

(「新『ことば』シリーズ1 国際化と日本語」 文化庁 P31 L11〜L17 鈴木孝夫の発言)

 

 

 

 

 

 

〔資料4〕

ボーダーレスの国際社会では、自国の言語や文化を境界の外に送り出して、自分の国の言語や文化を境界の外に送り出して、自分の国の言語や文化を理解させるだけではなく、支持してくれる人々を作らねばならない。そしてそれは、国際社会に参加する権利でもあり、責任でもある。日本語の普及という表現に、押し付けというイメージが伴うと言って避ける傾向がなくもないが、どこの国も、自分の国の言葉を普及し合うことを今後の国際社会での公正な競争手段としなければならない。

(「新『ことば』シリーズ1 国際化と日本語」 P36 L37〜P37 L4 『日本語の国際化』 水谷修)

 

〔資料5〕

私たち日本人は,母語としての日本語を大切にし,継承・発展させていくとともに,日本語やその所産を人類の文化資産の一つととらえ,その存在意義や価値,果たすべき役割を提言し,地球社会においてそれらが発揮されるよう行動する主体性を持つべきである。すなわち,現に存在する世界の人々の日本語への評価や期待にこたえるとともに,日本語が果たし得る積極的な役割がより一層世界の人々に認識され,日本語使用の国際的な広がりが拡大していくよう,世界に発信し,日本語使用や日本語教育の充実のために必要な体制を積極的に用意していくべきである。併せて,伝統を生かす美しく豊かな日本語の在り方や,コミュニケーションに適した平明で的確な日本語の使い方についても,絶えず追求していかなければならない。

日本語による情報発信は,日本人の思考や広い意味での日本文化の発信である。日本語を通じた様々な情報の受容や,日本語によるコミュニケーションを通して,世界の人々に日本や日本人についての理解を深めてもらうことが大切であるが,日本語の国際的な広がりには,世界の人々にとって日本語あるいは日本や日本人が魅力的であること,また日本人もそれらに誇りを持っていることが前提となる。したがって,日本人が世界の人々にとって人間的に,そして文化的に,より魅力ある存在であるよう,自覚的に努力していくことが必要だと言える。

(「国際社会における日本語」 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/12/12/001217b.htm

 

〔参考文献〕

国際化時代の日本語 茅野友子 大学教育出版 2000

<国語>と<方言>のあいだ 安田敏朗 人文書院 1999

国家語をこえて 田中克彦 筑摩書房 1998

新「ことば」シリーズ1 国際化と日本語 文化庁 1995