小熊研究会1

『<青年>の誕生―明治日本における政治的実践の転換』(木村直恵著)についての報告

総合政策学部4年 竹内俊介 79905270

  1. はじめに
  2. 『<青年>の誕生』に見られる研究手法に着目しながら読む。本書で、木村直恵は、特にブルデューの<実践>とシャルチエの<領有>などの概念を参考に、明治20年代初頭の政治的実践としての「青年」と「壮士」の姿を述べている。したがって、これらの考え方についても触れながら、読んでいく。

  3. 著者について
  4. 1971年生まれ。1995年度に修士論文として東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化研究室に提出した論文『自由民権運動の終焉と「壮士」、「青年」、「少年」―明治20年代初頭における政治的主体の構築とその帰結に関する文化史的考察』を大幅に加筆修正したのがこの著書。もともとは日本近代文学の研究を志向。歴史研究の流行という潮流に影響を受けて、この論文を書く。現在、京都造形芸術大学講師。

  5. 著者の問題意識

明治20年代初頭、自由民権運動の終焉と同時に、その時に青年期を迎えていた人々の政治的志向が喪失されていったという傾向が指摘されている(内田義彦、色川大吉など)。当時、新しい世代として「青年」という言葉が流通し、その背反的な存在として「壮士」が提示された。しかし、それを民権運動的な存在としての「壮士」から、近代的な主体としての「青年」への推移として捉えてはならない。ここで行われていたのは、若者の間のヘゲモニー上の闘争であり、その闘争の中心にあったのが、「壮士/青年」だったのである。だから、彼らの壮士的(或いは青年的)服装、髪型、話し方などを実践(ブルデュー)として捉えるということになるのである。そして、それらを実践として捉えた時、政治的志向が喪失していった過程が浮かび上がる、と考えた。

4.本論

41.「青年」言説の誕生と徳富猪一郎

旧日本ノ老人漸ク去リテ新日本ノ少年将ニ来リ、東洋的ノ現像漸ク去リテ泰西的ノ現像将ニ来リ、

破壊的ノ時代漸ク去リテ建設的ノ時代将ニ来ラントス(『国民之友』一号)

※ここでは「青年」ではなくて、漢文の対句法上、老人の対比として「少年」となっている

◆明治10年代の終わり頃になって、自由民権運動の時代が終わり、未来に向かう新しい時代が始まるのだと述べる言説が、徳富猪一郎を主に現れるようになった。

◆「青年」言説の特徴

@未来志向、過去からの断絶…「旧日本」対「新日本」という二項対立は現在が中間地点だという認識を強制させた。

A青年の輪郭形成…「天保老人」で過去を描き、「壮士」で現在における旧日本の残党を描いた。

※言説分析のアプローチとして<領有>概念を利用

 

42.壮士

◆「壮士」言説の誕生

当時、民権運動を行っていた政治活動者たちを、『国民之友』は「壮士」と命名し、それを批判した。ところが『国民之友』によって提示された「壮士」を、自ら名乗りでてくる若者が多く登場し始める。そこでは「老年/壮年」と対比させて用いるなど、『国民之友』の意図が逆転させられる言説も出てきた。そして、その「壮士」的あり方は言説に回収されない実践として現れることになる。

※フーコーの「主体」論と、それに加えてブルデューの応用

◆壮士的実践

@運動会

「運動」から「士気(志気)」を経て国政へ、というスローガンの下、この「士気」を高めるために運動会を開催した。場所はできるだけ人目の多い道筋。内容はデモ行進を中心にスポーツ競技や酒宴などが組み合わされたものでパフォーマンス的な面が強い。

A悲憤慷慨

壮士たちの精神的内面を説明するのによく用いられた「悲憤慷慨」という言葉は漢文調のレトリックによる一つの表現。そこに内在的な意味は無く、漢文調の文体を使用すること(実践)自体に意味がある。さらにはその漢文を「吟し」、剣舞するということも行っていた。

B暴力

壮士が自らの利害と対立する者に「決闘」を申し込むことが大流行する。ただ、実際に決闘したわけではなく、些細な暴力沙汰で終わる。壮士は「暴力的」であると考えられることが重要だったのである。

◆壮士の拡大要因=メディア

壮士の運動への参加を可能としたのは、そこで必要とされる動作や身振りが誰によっても模倣・習得が可能なものであったから。そしてそれらの実践を全国に広めていくのに決定的な力を発揮したのが出版メディア。詩吟・剣舞のマニュアル本を出版したり、新聞や雑誌などが壮士を批判的にしろ肯定的にしろ議論したり、そういったことによってメディアは壮士のイメージを固定化し、ステレオタイプ化した。

◆壮士の政治的意味の変遷と憲法発布

マス・メディアの言論は、この頃、ますます近代的な政治観を宣伝し、壮士批判を繰り返していた。そのような中、明治201225日の保安条例発布及び明治22211日の大日本帝国憲法発布によって、壮士的実践の持つ意味は大きく変化する。保安条例は、憲法発布まで後1年となった時期に、その不安定な状態を抑えるために発布された。そして憲法発布によって法秩序がつくられると、壮士的実践はもはや国家にとっては脅威ではなくなり、いわゆる非行として扱われるようになる。

※<暴力>はそれそのものが脅威なのではなく、それが現在の法秩序を危うくさせるものである時に、国家にとっての脅威となる(ベンヤミン)

43.青年

◆「青年」誕生への胎動

明治20年に「協習会」という10人ばかりの小さなサークルが設立された。保安条例発布の影響を受けながらも持ちこたえ、翌年には雑誌『少年子』を創刊する。そこで「壮士」と同一視される「少年」の現状に対する憂慮と今後の社会を担おうという積極的な意志が示された。

◆「青年」の誕生

明治10年代末、既に学生身分の若者らが自らを年長者と対置させて「青年」と呼んでいた事実はあった。しかし、それでも徳富猪一郎の『国民之友』によって、初めて、<「青年」の誕生>が生じたと言える。なぜなら、そこで「青年」は初めて「壮士」との対立として捉えられたわけで、当時の若者を壮士と青年の間の選択へと向けていったからである。

◆青年的実践

@さまざまな青年結社とその組織的活動

・都市において組織されたもの

学校や塾に通っている書生たちによって結成されたもの、もしくは学内サークルなどで、知識人や言論人ともつながりがあった。

・地方において組織されたもの

この中では、東京への遊学から帰ってきた者たちなどが、教育(啓蒙的知識の獲得)と青年を結びつけた。さらに諸地域に分散するかたちで生まれたこのような結社は、近隣結社との交流もしていた。

・都市と地方を結ぶかたちで組織されたもの

東京拠点タイプ…協習会や日本青年協会など、全国の青年と交流。

郷友会タイプ…在京の地方出身遊学生の相互援助を目的とするもので、精神的なつながりが強く、後に共同寄宿舎の建設などをなしとげた。

A雑誌発行

特に出版資本によらないミニコミ的な雑誌の自主発行に力を注いでいた。そして、そのどれもが『国民之友』によって示された二項対立を引用し、全体の構成に至るまで模倣している。雑誌の書体やカットなどを青年的記号として、それらを用いて雑誌発行という青年的実践を行ったということである。

B青年の日常生活

壮士の運動会とは違う、スポーツ中心の運動会。禁酒。余暇の過ごし方としての、遠足や名所名勝への散歩など。勉強の環境を整えるための共同寄宿舎や全寮制学校。

◆青年的原理(実践ではなくて)

壮士的実践を批判した中で提示された考え方。壮士的実践には政治的な「効果」がない、と批判する青年的言説は、逆に青年は合理的な「因果応報」の原理に従って政治的に動かなければならないとした。「壮士は偶然によって暴力が革命につながると考えた」としたのである。

◆文学と政治に見る青年的原理

それは文学にも表れている。壮士の政治小説『慷慨書生之涙』では、慷慨によって登場人物が無媒介かつ短絡的に結びついていて、そこに合理性は見られない。

一方、青年の方についてもその政治的原理と文学の間に相似的関係を見ることができる。青年的原理の因果応報は、すなわちプロセスの可視化を意味する。そこで市町村制度の延長に天下の政治があるというヴィジョンが登場するのである。それを彼らは「修身斉家治国平天下」という言葉で表す。文学では人々の心情、風景を細部に至るまで描写することで、物語を支えるという構成に見られる(『浮雲』など)。

◆青年的原理の帰結

文学ではプロセス(人々の内面)を明らかにするのは小説家の仕事だった。それが政治では政治家の仕事ということになる。ここで、政治家は人民の心を理解する者だと考えられるのであった。しかし、それはフィクションに過ぎない。結局、プロセスが透明になると想定することで、自分の身を修めれば、それが政治に直接結びつくとする短絡的な思考に陥るというパラドクスになってしまっている。

44.青年的実践の帰結

◆真友の追求

青年同士で、互いの内面のプロセス(心情)を理解する者としての「真友」を求め、彼らは結社活動を行い、雑誌を発行した。

◆青年的実践の政治的帰結(ある青年結社の変化を例に)

明治223月、最も重要な位置にあった青年結社の一つ、青年協会が時評社と社名を改め、『青年思海』を『時務評論』と名を変えて、政治雑誌化した。そして青年結社というより一出版社としての性格が強くなったのと同時に、『時務評論』は人気を失っていった。「真友」を求める場ではなくなったからである。

◆青年の非政治化

青年的原理が非政治的主体を生成する帰結を迎えるのと同じように、青年的実践も非政治化へと向かうことになる。

@青年の実学化…政治に直接に結びつく法学は忌避され、実学を選択する傾向。

A非政治的快楽…青年の日常的実践においても、非政治化の傾向。それらは快楽に結びつけられている。

◆「少年」の誕生=非政治化の帰結

明治21113日、少年雑誌の嚆矢『少年園』創刊。内容は理科、スポーツ、読み物、なぞなぞ。厚紙の表紙に、「です・ます調」の文体。創刊したのは出版社、少年園。この『少年園』の成功により、少年雑誌のジャンルが形成される。ここで「少年」とは学校や家庭に保護され、青年の場合とは違う<教育(学校・家庭・社会・メディアからの一方的な教育的配慮の包囲網)>をされる者だとした。

「少年」は青年を批判することで成り立つというプロセスが再び(青年からさらに非政治化することで差異化を試みる)。

5.研究アプローチについての補足的説明

51.読者共同体に対するアプローチ(シャルチエの読書研究より)

ロジェ・シャルチエの読書研究における問題意識とは、「1618世紀にかけて活字で書かれたものの大量の流通はいかにして社会的結合関係の形態を変え、新しい思想の出現を可能にし、権力に対する関係を修正したか」(シャルチエ、1993)である。つまり、「『テクストの世界』と『読者の世界』との二つの世界がどのように出会うか」に注目することになる。そのためには、さまざまな読者共同体に固有な読む行為のネットワークとその規範を探る必要がある。「読者の世界」は多様であるからである。そこで「領有」という考え方が用いられる。

<領有appropriation

同一の文化的財に対峙するやり方は社会集団によって異なるということを説明する。例えば、シェークスピアを上層階級は正統的な読みをするのに対して、下層階級は違う楽しみ方をするなど。そこではもちろん様々な様式が考えられるので、ブルデューの実践とも結びついてくる。

シャルチエはテクストと書物(モノとして)と読書の三角関係を、この「領有」概念を用いて分析するのである。

『<青年>の誕生』では『国民之友』という雑誌の創り出した言説が同時代の人々に対して持ちえた機能を明らかにしようとしたために、この概念を利用した。つまり、テクストの領有をめぐる多様性を視野に入れた時に、『国民之友』の言説が普及することとなった人々には、いかなる形で引用されたのかを考える必要が出てくるというわけである。そこで木村はスローガンとして気軽に引用できる流行語などの単語やフレーズを想定した。

52.書生層への「他者の視線」と差異化distinction

明治10年代後半において、既に書生は危険な階層という認識が世間にはあった。将来の知識人層である彼らはいつでも政治化できる状態にあった。書生層こそが壮士の温床であったのである。それが明治20年代に入って自らを周囲から卓越化(差異化)するために既に獲得済みであった民権運動のスタイルを実践し、さらにそれが「壮士」的実践と名付けられることで、より意識的かつ過激的に実践するようになったのである。『国民之友』の提示した「青年」はさらに書生たちを壮士から差異化するように向けていったのである。つまり、木村は書生層における差異化の変遷として壮士と青年を位置付けた、とも言える。

<実践pratique

ある集団や階級に存在する行動や知覚の規範体系(ハビトゥス)に沿って行われる日常的な慣習行動。それは例えば身に付いた物腰など、人間が行う習慣的で反復的に遂行される行為や振る舞いを包括する。つまり、ブルデューは日常的な振る舞いの差異を分析することによって階級を説明するのである。

<主体の形成>

ある行為者が壮士的な特徴を取り込む時、それは一方では「他者の視線」によって「壮士」として認識され、そのように扱われるということ。壮士はこうして、自らの位置を定め、そこにふさわしい振る舞いを遂行することになる。いわゆるフーコーの言う「主体subject」の誕生である。

これを応用して木村は、「主観的に意識化される必要の無い『習慣』のレベル、まさに文字通り具体的な身振りを伴って行なわれる日常的実践のレベルこそが」、「壮士」かどうかを決定する、と述べている(P125)。つまり、この場合「他者の視線」が主体を規定し、そのような中で主体が実践を行うようになったということになる。

53.伝統的マルクス主義的歴史家への批判

マルクス主義的な歴史家は、壮士的実践を、英雄崇拝にかぶれて大衆の動員を忘却し、組織化も不十分なまま、いたずらに粗暴過激な行為に走る頽廃した実践としか見なかった。彼らは歴史に対する見方のうちに基準を設け、政治的実践には然るべきモデルがあるとした上で、あらゆる事象を判断している。しかし、そこには見られない、基準から外れたもの自身からの視点に立つ研究が必要だと木村は考えた。

また、特に明治20年代初頭の青年結社活動は、マルクス主義的歴史家からだけでなく、青少年集団研究家からも、民衆史家からも時期はずれのものとして位置付けられていた。しかし、青年結社の発行した薄っぺらな雑誌は大量に残されており、これらに注目しなくてはならないとも言っている。

 

 

 

6.参考文献

木村直恵著『<青年>の誕生』新曜社、1998

ブルデュー著『ディスタンクシオンT』藤原書店、1990

同『実践と構造』藤原書店1991

同『ピエール・ブルデュー 超領域の人間学』藤原書店、1990

シャルチエ著『書物の秩序』文化科学高等研究院出版局、1993

同編『書物から読書へ』みすず書房、1992