小熊研究会T 2002610

「戦略としての家族―近代日本の国民国家形成と女性」 補足

                                   総合政策学部3年

                                                                 鈴木麻衣子

                             s00530ms@sfc.keio.ac.jp

 

問題の所在

『戦略としての家族』では明治期の家族が国家へ戦略的に組み込まれていった過程が明らかになった。筆者は「近代、そして現代における家族の変容とそれをめぐる「政治」のプロセスを探ることをねらい」としているが大正以降の家族の変容には触れられていない。また近代家族の成立要因として「国民国家形成」とともに挙げられている「産業化」についての記述が少ない。

そこで本報告では補足として、Tでアジア・太平洋戦争という国民国家最大の事業のもとで家族、とくに女性が政治的装置としてどのようにあつかわれたのかを考える。また戦後、「国民国家形成」という近代家族の成立要因が薄れ、「産業化」が家族に与える影響が増大し、家族のあり方も変化した。Uでは戦後から高度成長期までの家族の変容を産業化が与えた影響を中心に明らかにする。そしてVでは家族、フェミニズムの大きな潮流を紹介する。

 

T.戦時下における家族・女性

女性の国民化と総動員体制

     1930年代末期に国民精神総動員運動

大日本国防婦人会:家庭婦人と皇国と戦争とを強く結びつけた。

出征兵士の見送り、遺骨や帰還兵士の歓迎、軍施設での洗濯など

スローガン「国防は台所から」

     1942年 大日本婦人会結成 「二十歳以上の未婚女性を除くすべての日本婦人」を会員とする国策団体

     女性を含む全国民の総動員制がつくられる。1944年女子挺身勤労令、45年国民勤労動員令など

 

戦時下の人口政策

・戦時期の人口増加政策は出産増加が中心。女性の身体・母体は生殖の器械になり、もっとも私的なことである性、出産、育児はすべて国家が直接に管理し、強制するお国へのご奉公、「結婚報国」「育児報国」となった。

1938年 母子保護法、

厚生省設置

1940年 国民優生法

      10子以上の優良多子家庭の表彰

941年 人口政策確立要綱 今後20年間の間に2700万人増やす

      人口増加のために出産増加、結婚奨励、健全なる家族制度の維持、母性育成、避妊・堕胎の禁止

     政府が出征兵士の妻の貞操管理。日本女性の「妻」「母」としての聖性を維持するため。家族こそは行軍兵士の男性性を定義する砦であった。

     その影には「性の二重基準」の暗黒面、「母性」に対して「娼婦性」を担わされた「従軍慰安婦」の女性たちがいた。

 

「国民国家」のジェンダー戦略とそのディレンマ

     総力戦という「公領域」のかつてない肥大の時期にあたって、国民国家のジェンダー編成を再編するオプションには2通りある。

○「性別役割分担」を維持したまま私領域の国家化を目指すこと(分離型)

○「性別役割分担」そのものを解体することである(参加型)

     日本は「分離型」。女子徴兵には踏み切ろうとしない。

女性の戦闘参加は「国民」を定義する決定的な性別境界を解体し、そのことによって兵士の男性としての自己定義を掘り崩す。

・ その代わり国家が銃後の女性に期待したのは「出産兵士」としての役割と「経済戦の戦士」としての役割。

子どもを立派な兵士に育てる「軍国の母」

子どもの戦死の知らせを泰然として受け取る「靖国の母」

実際に戦争でなくなった兵士の貧しい母たちが「軍国の母」「靖国の母」として「名誉の家」として賞賛される。

     男は国外の<前線>に、女は国内の<銃後>に。

国家を家族に見立てて男()たちの銃後を守り、しっかり家()の戸締りをするのは女()たちの役割とした認識があった。侵略戦争のための総力戦の中でこれまで<家>の内と外に分けられていた性別役割分業はその規模を一挙に国家大にまで拡大した。

 

     フェミニストの反応

     総動員体制は少なくとも婦人運動家の目からは、従来のもろもろの婦人問題、女性の労働参加と母性保護、女性の公的活動と法的・政治的地位の向上などの懸案事項を一挙に解決する「革新」とみえた。自らの意思で戦争に協力した。

     市川房枝 婦人参政権論者 参加型

日中戦争勃発後の1937年婦選獲得同盟その他の8団体を擁する日本婦人団体連盟を結成し、「国家総動員」体制に対して協力体制を作る。

市川房枝の軌跡は「女権=参加=婦人開放」とまとめられる。市川はそれがどんなものであれ「女性の公的活動への参加」を一貫して支持した。

     平塚らいてう 母性主義者 分離型

  女性は母性を通じて国家という公共領域に貢献するからこそ、国家から公民として母性保障を受ける権利がある。母性保障とそれにつながる福祉国家の役割、「公領域」の肥大に期待をかけた。

 

U.産業構造の転換による家族の変容

新憲法や改正された民法の出現により、男女の本質的な平等や家族制度の廃止が謳われたにもかかわらず、「経済効率」重視する産業社会の要請によって男はソトに出て働き、女はウチを守る体制が変わらず強化されていった。

 

家事と主婦の誕生

     戦後、女性は主婦化した。

産業構造の転換

農家や自営業者を中心とする社会から雇用者すなわちサラリーマンを中心とする社会。

「農家の嫁」や「自営業のおかみさん」からサラリーマンの妻として専業主婦

戦時中の工場労働からの解放。

     高度成長期には日本女性の全体の中で主婦の占める割合が圧倒的多数になり、主婦であることが強い規範性を持った時代になった。

     主婦とは何か。家事とは何か。

     家事は現在の労働力としての夫、未来の労働力としての子どもという価値を生む。

・家事とは支払われない労働。つまり「市場化されない労働」である。

戦後に市場化が進んだことで家事が誕生した。

 

耐久消費財としての子ども

     出生率の低下。戦前、戦中は4人以上が多数であったが2、3人に減少。

     戦時下の人口増加政策からの解放。農業社会では子どもは家の農業を手伝う「生産財」であったがサラリーマン社会に

転換すると子どもは育てても親には見返りがない「消費財」になった。

     「子どもは可愛がって教育しなければならないもの」

可愛がって教育するにはお金と手間がかかるようになった。

母性愛は崇高な感情である。母の子への過剰な愛情が生まれる

 

     女性は母性愛のイデオロギーは自分の生活を犠牲にして家族や子どもが優秀な労働者になるように再生産する。富国強兵をめざした「国民国家」の装置がなくなった戦後、資本主義、雇用労働の普及が女性に「良妻賢母」を強制する装置となった。

 

 

V.家族論・フェミニズム研究 

 

□フェミニズムの第一の波 19世紀の終わりから第一次大戦(日本:大正期から戦後)

 政治と経済に関心の中心―婦人参政権獲得、労働条件改善

 「母性主義者」女性の中での役割を認め、積極的に肯定して利用して公的領域での平等を獲得する。平塚らいてう。

 「解放史観」<近代>が進歩と発展をもたらすと信じる。

 

□フェミニズムの第二の波 1960年代末から(日本:’70〜ウーマンリブ以降)

「抑圧史観」近代が女性にもたらしたものに対する深い懐疑を共有している。

公私の分離と女性に付された家庭役割を疑う運動。

 

1970年代初 ウーマンズリブ

 学生運動や反体制運動などでも「女」としてしか参加出来ないことへの反発。

 公的な部分と私的な部分とを区別して優劣をつける社会常識に異議を申し立てた。

 現在の社会の中で与えられている主婦、妻、母などの女性役割に対する幻想を根底から疑う。

 近代は女性にとってどう評価されるのか。「解放史観」から「抑圧史観」へ。 

 

□マルクス主義フェミニズム

  「性支配」と「階級支配」の二つのシステムを相対的に自律的なものとして区別し、

  それらの相互作用の元に現実の女性の抑圧がある。

    家事という「シャドウワーク」により無償で労働力生産を行い、「家族」は女性を経済的・心理的に搾取しながら「社会」の再生産に貢献している。

 

 

参考文献

天沼香『日本史小百科近代 家族』東京堂出版、1997年。

上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』岩波書店、1994年。

上野千鶴子『ジェンダーとナショナリズム』青土社、1998年。

江原由美子他『ジェンダーの社会学』新曜社、1989年。

落合恵美子『21世紀家族へ 新版』有斐閣、1997年。

落合恵美子『近代家族とフェミニズム』草書房、1989年。

関口裕子他『家族と結婚の歴史』森話社、1998年。

牟田和恵『戦略としての家族』新曜社、1996年。

山田昌弘『近代家族の行方』新曜社、1997年。

.バダンテール『母性という神話』筑摩書房、1991年。

.アリエス『<子供>の誕生』みすず書房、1980年。l