小熊研究会1プレゼンテーション
『天皇のページェント〜近代日本の歴史民族誌から』
環境情報学部3年高橋直樹 t00601nt@sfc.keio.ac.jp
問題意識
創られた伝統を歴史化していくことが、国家と国民的アイデンティティーの自明性・恒久性に疑問を投げかけられるという姿勢から始まる。
「主題」は近代日本のナショナリズムが誕生する上で公的な儀礼が果たした役割とは?
・ 公式のイデオロギーを演技化して、国民共同体意識を育む
・ 帝国主義時代、対外的な競争意識から国威発揚の舞台としての利用
研究内容
解釈人類学的な記述とメディア・イベント研究を、近代天皇制がしかれるときに焦点を絞って行い、そこで歴史の亀裂が起きていることを示す。そこには膨大な量の「起源の記憶喪失」がある。対象は明治政府関連の高官・学者らの政策提言、同時代の外国人のコメント、天皇に関する絵画・儀式様式・建築構造。
特色
劇場国家という概念を用いたクリフォード・ギアツを代表とする解釈人類学の影響から、非言語的な記号を分析し、その中に現れる“観念”を捉えようと試みている。すなわち国家的ページェントとは、「国家が一体どのようなものか」の観念を表したミクロコスモスを作り出すものであり、それにより国家が営まれるという考えに基づいている。なお、メディア・イベントの分析にあたってはミシェル・フーコーの“まなざし”の観点を用い、天皇のまなざしが国民的アイデンティティーの形成にどのように働きかけているかを捉えようとしている。
第一章「近代日本の文化的創出」では、国家の自明性・連続性に疑問を打ち出すために、ある時期に伝統が作られていく、その歴史の断絶の瞬間を捉えるという本書の姿勢の表明と、それにあたって対象としていくもの、その手法を説明するものとなっている。
第二章「巡幸する天皇と日本の儀礼的地景」では、施政者側の「国家」の創設にあたって天皇の利用方法、特に場所や空間と象徴性の関係を中心にその経過を追っている。
第三章「近代国家のページェント」では、人類学的に儀礼の分析をして、天皇に関する儀礼がどのような世界観を表し、なおかつ生み出す契機にもなっているのかを述べている。
第四章「天皇のまなざし」では、“まなざし”という観点から、天皇の近代的国家という体制を成り立たせるための視覚的支配を行う機能を、具体的なメディア・イベント分析の中で述べている。
第五章「「象徴天皇」と電子メディア時代のページェント」では、伝統が創造される、いわゆる歴史の断絶の瞬間ではなく、現代の体制が維持されている中での電子メディアを分析し、その特性(シュミラークル化)とそれがはたしている機能(反らせの政治)を述べている。
ある前近代的な共同体が、国家になるためには
それ以前の身分や地方を越えた均質な共同体≒想像の共同体が生まれる必要がある。
公式のイデオロギーを演劇化して、国民共同体意識を育める公的ページェントを使用
1、天皇を知らない民衆 聖徳皇太子尊職人立願の図(資料1)
政治とは無関係で現世利益的な、民間信仰の対象として
「国家の中心としての天皇があり、それが政治を担っていくこと」を示す。
「記憶の場」=「天皇を中心とする国家の過去を想起させる記憶、あるいは時の国家的偉業を記念し、その将来の可能性を象徴的に表す記憶を構成する上で役立つような、物質的な意味の担い手」を創設
2、巡幸型ページェント
国家とその中心、天皇の正統性を物語る世界観が、髭、髪型、装飾品、乗り物の種類、人員の配置など、非言語的な記号としてちりばめられ、一つのミクロコスモスを表現する。
⇔記号的世界に対する予備知識無し。
新しい権威の存在、天皇による可視的支配の根拠を示す効果
3、トポグラフィーの利用の開始
巡幸型天皇の滞在場所=東京、伝統を示す物的・象徴的な場=京都
「祭政一致」全神社、神職を神祇官直属に
軍事的英雄の銅像建立、大鳥居の建造、全国区の整備へ
4、巡幸型から帝都を中心としたページェントへ
巡幸型=空間的統合のみ⇔帝都型=同一の場、同時的な感覚
巡幸型の代替機能を持つ発明(肖像の小天皇、国家的祝日)
東京の儀礼的・象徴的中心性→世界へと対峙する天皇のより相応しい場に
二つの帝都と相同的な二つの天皇の肉体(図1)
相互補完的使い分けが可能なトポグフラフィーの成立
新宗教による国家の地景観(民衆の生活文化を代表)
民衆のフォークロアによるページェント理解
5、まなざす天皇
存在は確実、しかし不可視、の天皇=一方的に視線の基点(資料2)
統制の取れた膨大な兵士と見えない天皇(資料3)
まなざしの基点が不明なため、無限(場所、時間が)のまなざしに
まなざしにあわせる自立的な人間、規律を内面化した主体を創る諸制度
6、相互補完的なトポグラフィー利用
代替わり 天皇の衰退(東京)→天皇位への回帰(京都)(資料4)
超越的存在イメージによる無限、永遠性の確保
専制君主的権力と規律・訓練の権力の並存→不在の観客、空虚な中心
7、電子メディアのページェント
玉音放送、喋り始めた天皇
「現実よりも現実に近い」世界を描く→支配的な意味体系の伝達
「あらゆるものが説明のゆく、一貫性のある、閉じた物語」
読みの多様性→アウラの喪失←唯一性、一回性をもたないメディア
消費される天皇=監視する超越的な天皇から覗かれるかわいらしい天皇へ
平板に凡庸に、しかし常に存在してきた天皇制、無害ゆえにゆるやかな肯定へ
↓
反らせの政治(再軍備、マイノリティ問題)
結び
本書は、きわめて広範な対象を人類学的手法、歴史学的手法をさまざまに交えて研究している。これは著者の文化研究という姿勢、「すなわちジェンダー、階級、国家、エスニシティ―、セクシュアリティー、宗教、世代といった様々な「差異」をめぐる力関係を明らかにできるような問い」の枠組みを重視することに負うものである。
この姿勢において、全体としてホブズボウム等の「創られた伝統」の中に本書を位置付けようとする試みがなされたのであり、ギアツの解釈的な記述をしながらも、超歴史的な構造は否定して厳密な歴史化を行っているのだろう。
参考文献
ミシェル・フーコー「監獄の誕生」(新潮社)1977年
桜井哲夫「フーコー」(講談社)
エリック・ホブズボウム等編「創られた伝統」(紀伊国屋書店)1992年
クリフォード・ギアツ「ヌガラ」(みすず書房)1979年
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」(紀伊国屋書店)1979年
資料1 年表
ページェント以前・想像の共同体成立前
徳川時代、 民衆は強い国民意識、国家の中心としての「天皇」のイメージをもたない
徳川初期、 階層的社会を有機的・調和的に動かすべしという支配的言説もあり
(十七世紀後半 京都・大阪での「日本」意識はかすかにはみられる)
一八六八年「聖徳皇太子尊諸職人立願之図」p13、天皇は民間伝説上の存在
徳川末期 水戸学の会沢正志斎の新論p17にみられる儀礼の重視
巡幸型天皇のイメージコントロールと儀礼的地形の創設(第二章)
一八六八年 神祇官を設置しすべての神社と神職を管理し、祭政一致の原則に
同年 巡幸の開始
一八六八年 菊花御紋を天皇家の紋章と定める
一八七二年 中国―西国巡幸
一八七三年 国家的祝日を作り始める
一八七三年 国家的・軍事的英雄の大村益次郎の銅像建立
一八七六年 二〇九一人裸体で、四四九五人立小便で逮捕
一八七八年 北陸―東海道巡幸
一八八〇年 東北巡幸
同時期 東京を国家の象徴的、儀礼的中心たる帝都として作る考えが表われる
一八八〇年代後半 東京あるいは京都での皇室ページェント
一八八一年 山形―秋田―北海道巡幸
一八八五年 山口―広島―岡山巡幸
皇室のページェントが国民的記憶になっていく(第三、四章)
一八八九年 新皇居完成(近代日本の象徴的・儀礼的トポグラフィーの基本的構図完成)
同年2月 明治憲法発布式典
一八九七年 全尋常小学校に天皇の肖像が行き渡る(一八八〇年代初頭から開始)
一九〇六年 凱旋大観兵式のため大通り建設(まなざす天皇)
一九一二年 明治天皇逝去(天皇と天皇位のトポグラフィーによるイメージ操作)
凡庸さこそが支配する、電子メディア時代のページェント(第五章)
一九四五年 敗戦玉音放送にて天皇の声が流れる(声の資本主義、参照)
一九八九年 昭和天皇逝去
近代的家族観の体現者
西欧と対抗する
理想的成人像のリーダー
現支配体制の正統性
不可視な超越的存在のための根拠