2002年度春学期小熊研究会1

『<日本人>の境界』コメント

小熊英二を読む

総合政策学部三年 小山田守忠

 

<本コメントの主題>

本書(『<日本人>の境界』)と前著(『単一民族神話の起源』)が執筆された同時代の社会状況をさぐる中で、本書と前著に共通する筆者の問題意識を探る。

1.80年代後半〜90年代半ばの社会状況

 ・バブル末期:日本企業の海外進出(特にアジア地域)が盛んに、年率10〜5%の経済成長の持続、ODA拠出額の増加、外国人労働者の大量流入

 ・ポスト冷戦期:東西冷戦の終結による超国家的連帯(=米への追随主義?)の緩み

 「国際化」社会における「経済大国日本」の位置、アイデンティティのあり方が問題に

  →日本社会の「閉鎖性」が批判され「多民族国家日本」が(広義の)ナショナルアイデンティティーに

2.同時代の論壇・学会での流行

 ・文化多元主義の流行(共生、協働、「これからの日本は多民族国家になるのだから・・・」)

 ・「網野史観」の流行:非農業民、海洋民族という「日本人」観

→「太古から単一の民族だけがいた隔離された平和な辺境の島国」「異民族との接触がなく、戦争や外交に不慣れな自然児の農業民」の否定

→日本の「偏狭なナショナリズム」の批判へ

 ・国民国家論、ポストコロニアル論の台頭

  

3.『単一民族神話の起源』の登場

 ・この本では何が書かれたのか?

戦前の混合民族論→戦後の単一民族論→「国際化」とともに混合民族論の復活

  基本的に「国家膨張→多元主義」の神話的相関が描かれている

 ・何を批判対象にしているのか?

  @「広いナショナリズム」批判:多民族共生がそんなに美しいものか?(米の文化多元主義、日本の「混交民族論」など)ナショナリズムを乗り越えたと思い込んでいる無自覚な(より高次の?)ナショナリズム・国民統合思想では?

  A「網野史観」批判:網野氏個人の意図はともかく、同時代的状況の中で受け入れられる、植民地批判になっているかと思ったら「あまりなっていない」

  B俗流化した「クレオール主義」批判(帝国の膨張と適合した「雑種」「混合民族」)

4.『<日本人>の境界』へ

 ・前著『単一民族・・・』への批判(『<日本人>の境界』へつながる「外的」要因)

  上野千鶴子「国民国家自体を疑っていない」「根本的批判を欠いている」

  富山一郎「具体的な政策論の中で・・・」

 ・筆者の「個人的」要因

  「日本」「日本人」という集合名詞で語られることへの違和感

  →リアリティの追求、「日本」「日本人」の相対化・再検討へ

  戦争責任論議の変化が背景に(「天皇」「軍閥」→「日本」「日本人」の戦争責任へ)

  日本やアジア諸国の国民国家としての完成度があがった結果という側面も

 ・筆者の個人的要因、「原体験」が同時代の論調の変化に対し「スパーク」した???

5.「国民国家を超えるもの」は?

[2000:96])という評価

  @国民国家への包摂と排除の同時性を問題に

  A国民国家にとっての境界の設定を二重の「他者」の存在から説き起こした

(→「日本型オリエンタリズム」批判)

Bマイノリティナショナリズムの相対化

 ・筆者は本当に国民国家・ナショナリズムを「超えるもの」を志向しているのか?

  国民国家批判であると述べている一方で、「単純な批判」でもない

むしろ確信犯的にアンビバレント?

→安直に「次」「正解」を求める(弁証法的な?)知のあり方への批判

   「複雑さを複雑さのまま描き出す」というリアリティへのこだわり

<参考文献>

・小熊英二(1995a)『単一民族神話の起源』新曜社

・小熊英二(1995b)「自著を語る」(『情況』199510月号)情況出版

・小熊英二(1998)『<日本人>の境界』新曜社

・小熊英二、仲里効、星名宏修、長元朝浩(1999)「『<日本人>の境界』をめぐって」沖縄タイムズ 4/1417

・小熊英二、藤原帰一、阿部浩己(2000a)「戦争と記憶―日本社会の現在」(『神奈川大学評論』第三六号)神奈川大学評論編集専門委員会

・小熊英二(2000b)「ご書評に応えて」(『相関社会科学』第9号)東京大学大学院 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻

・小熊英二、村上龍(2000c)「「日本」からのエクソダス」(『文学界』20008月号)文芸春秋社、

・島田雅彦、小熊英二(2001a)「同時多発テロと戦後日本ナショナリズム」(『小説TRIPPER2001冬季号)朝日新聞社

・網野善彦、小熊英二(2001b)「人類史的転換期のなかの歴史学と日本社会(上)」(『神奈川大学評論』第三八号)神奈川大学評論編集専門委員会

・網野善彦、小熊英二(2001c)「人類史的転換期のなかの歴史学と日本社会(下)」(『神奈川大学評論』第三九号)神奈川大学評論編集専門委員会

・佐藤文香、山本純一(1999)「シンポジウム「国家の中の個人、個人の中の国家」概要―国民国家の明日は?」(『Keio SFC reviewNo.5)慶応義塾大学湘南藤沢学会

・上野千鶴子(2000)「ナショナリズムを超える思想」(『相関社会科学』第9号)東京大学大学院 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻

・富山一郎(1997)「書評 小熊英二著『単一民族神話の起源』」(『日本史研究』第四一三号)日本史研究会

・井口泰(2001)『外国人労働者新時代』筑摩書房

・姜尚中編(2001)『ポストコロニアリズム』作品社

・梶田孝道編(1992)『国際社会学』(第1版)名古屋大学出版会

<資料>

1.『単一民族神話の起源』の主題とは?

「大日本帝国時代から戦後にかけて、「日本人」の支配的な自画像といわれる単一民族神話

が、いつ、どのように発生したのかを歴史的に調べ、その機能を社会学的に分析したもの」

(小熊[1995a5]

「本書が主題とするのは民族論というかたちをとってあらわれた、「日本人」と自称する

人々のアイデンティティ意識の系譜である。ある人びとが自分たちをひとつの民族と考え

たとき、彼らがどんな自画像を描いてゆくか。そしてそれは、彼らがおかれた状況によっ

てどのように変化してゆくか。」(小熊[1995a6]

2.「集合名詞」としての「日本」「日本人」への違和感

 「私の父親は元日本兵で、満州に行っていたわけです。彼は、一九四五年になってから満州に行って、一発も弾を撃たないで、ソ連軍の捕虜になってシベリア送りにされてしまいましたから、人は一人も殺していません。私は日本兵が残虐だったとか、戦争責任があるとかいう話を聞くときに、うちの親父に戦争責任があるというふうにはどうしても思えないんです。一九四五年に、一回も参政権を行使する機会もなく、いきなり死ぬと決まっているような状況下の戦場に送られた。彼は満州にいたわけですから、たしかに「侵略していた」ことになるわけですけれども、その後三年間シベリアに抑留されて、強制労働させられて、帰ってきたら「シベリア帰りはアカだ」という嫌疑がかかって元の職場はていよくクビになる。その人間に戦争責任があるといういうふうには、私にはどうしても思えないわけです。(中略)個別に人を見ていったら、責任の重い人も、軽い人も、ほとんどない人もいる。それがなんで、いわば「集合名詞」としての「日本」「日本人」に戦争責任があったとか、なかったとかいう話になるんだという違和感を言いたかったんです。」(『神奈川大学評論』第三六号 p.22

3.リアリティの追求へ

村上「僕もわりと注意して、エッセイに「日本は」とか書かないようにしているんですけ

ど、そうすると主語を選ぶのに手間がかかるんですよね。」

小熊「それはそうですよ。僕も出版社で働いていたことがあるんですけれども、結局、ニ

ュースなども複雑な事実を短くしようとするために「日本は」とか大きな話になるんですね。そうすると、一つひとつの言葉が、衝迫力を失った状態で、ツルツル流れていっちゃうんですよ。そうではなくて僕はひとつひとつの細かいリアリティが見たいんです。たとえば「日本」といった場合に括られないものがある。あるいは「沖縄」といった場合に括られないものがある。「日本ってこうですね」あるいは「日本人はこうですね」と言った場合には、村上さんとか小熊とかそういう固有名詞としての存在はすべて消されてしまうんですよ。僕は個々のリアリティをもう少し大事にしたいという感じがあるんです。・・・・・・それで一つ一つのリアリティを積み上げていったら、あんなに厚い本を書いてしまったんですが(笑)。」(『文学界』20008月号、p.41

4.「読者」≠研究者?

「私にとって、自分の著作が読者にとって「感動」的であるか、「美しい」ものたりえているか否かのほうが、研究者間での差異や斬新さを競うことよりも関心がある。だが既存の世界の言説秩序に沿った人情話を書くだけでは、読者は「感動」はしても「美しい」とまでは感じないだろう。「美しい」と感じてもらうためには、読者に世界の存立構造そのものを疑わせ、認識を変容させるだけの衝迫力と分析を伴った研究でなくてはならない。私はそうした衝迫力を自分の言葉で生み出せるほどの創造力はないから、自分が衝迫力を感じた資料を収集し整理して、読者に手渡すというやり方をする。」(『相関社会科学』第9号、p.107

「研究における視点のとり方に関心のない読者は、序章の以下の部分はとばして、先に進まれたい」(小熊[1998:5]