小熊英二研究会U 6月27日 発表レジュメ

主婦の無償労働とは何か

−主婦論争における“無償”の意味と主婦の役割分析を通して−」

総合政策学部3年 石井幸代

   70000612 s00061si

1.序論

1−1.私の問題意識と研究の目的

世界的な女性政策の流れと日本の少子高齢化や財政不足対策を受けて、近年、政府は主婦の職場進出を積極的に奨励し始めた。その流れは「男女共同参画社会基本法」(資料1)にも見ることができる。男女共同参画社会基本法は、男女平等に向った前進的かつ画期的な法律であるのだが、政府の目的の比重が「女性の解放」ではなく「日本経済のため」にあるとするならば、そのようにして女性が職場進出することに問題はないのだろうか。「外で働く賃労働」が「内で働く無償労働」より価値があるとする認識でもって家庭の機能を維持していくことは可能なのだろうか?以上が私の問題意識である。

私は、主婦の無償労働が有用であり賃労働と同じだけの価値があることを前提に、社会が主婦に職場進出を望むのであれば、今まで主婦が行なってきた労働をどのようにカバー(分担)すべきかとの議論が不可欠であろうと考えている。そのためのステップとして、先ずは主婦の無償労働とは何であるのか、を主婦論争を研究することで明らかにしたいと考えている。

1−2.研究の方法

主婦論争における主婦の役割と主婦の無償労働の中味を整理して、主婦の行なっている仕事の価値(主婦の価値ではない)について再評価し、これからの主婦の社会進出に向けて、誰が何をどのように担っていったらいいのかを考えてみたい。

1−3.仮説

 主婦論争を主婦の役割ごとに分類することで、これまで食い違っていた論者の意見から整合性を導き出せないか。そのことで、主婦の無償労働の内容(種類や質)と主婦の役割をより明らかにできないか?

1−4.研究対象

 主婦論争(第1次〜第3次まで)を対象とする。主婦論争は、主婦の問題について論点が出尽くしたといわれているほど多面的で、かつ、世界に先駆けて主婦の労働を価値化しようと提案した画期的なものであった。しかし、それら議論の前提となる主婦の仕事の内容や役割の認識がまちまちであっため、主婦の労働の単純な比較が困難であった。そこでこれまでの主婦論争を再検討し、主婦のどのような役割をいかに考えていたのかを整理することで、その時代の主婦にどのような役割が求められていたのかを明らかにしたいと考えている。

1−5.研究の具体的方法・手法について

 過去に行われた家事労働の統計解析結果(経済企画庁、家事の難易度分析)と、私なりの主婦論争の言説分析(“無償”の意味分析と主婦の役割分析)を通して、主婦の無償労働の内容を明らかにする

1−6.先行研究

<主婦論争について>

 「主婦は職業か」という問題提起で始まった主婦論争は、主婦の役割を考える上で格好の研究対象となった。第1次〜第3次主婦論争まで、様々な論者によって複数の雑誌上で多面的な議論が行われた。なかでも第2次主婦論争では世界に先駆けて、「家事労働を経済換算する」可能性について経済学者を交えて議論が行なわれている。たとえば上野(1982)ではその代表的な論文を掲載し、あわせて主婦論争研究の論文を収録した。そのほかにも同様のテーマに関して野原(1978)、むらき(1977)がある(現在内容を整理中)。

なお上野(1982)に見られる神田道子氏、駒野陽子氏、上野千鶴子氏による主婦論争研究では、3者とも論者の立場の違い(仕事をもつべき派や家にいるべき派、市民活動をしよう派など)をそれぞれの言葉で説明している。これら議論は、何らかの収束点へと向うことなく、逆に論者の対立関係を際立たせることとなり、この対立は今日も解消していない。しかし、各論文をよく読むと、論者が指摘している主婦の仕事の内容や役割の論点に関してその前提にずれがあることがわかる。このずれが、論争を混乱させていると考えられる。つまり、違う役割(議論の土台)について違う意見を持っていても、それは本来の対立ではないということである。だとすると、細かい主婦の仕事内容別に整理分析してみることで、そこから論理の共通性、主婦の仕事の問題点(何故それが主婦の仕事であるのか等)が浮かび上がるのではないかと考えた。これはまた、主婦の無償労働という漠然とした仕事内容をより明確化するという作業でもある。

@ 上野千鶴子、『主婦論争を読むT』『主婦論争を読むU』勁草書房、1982

   掲載論文として

・上野千鶴子、「解説 主婦の戦後史 −主婦論争の時代的背景−」

・神田道子、「主婦論争」

・駒野陽子、「「主婦論争」再考」

・上野千鶴子、「解説 主婦論争を解読する」

A 野原佐久良、「家事労働について −「初期主婦論争」「家事論争」を中心として(女性の経済的自立と家事労働)」現在Vol.5 女性問題研究会、1978.12

B むらき数子、「主婦であることの不安 −主婦論争の背景(いま、主婦とは何か<特集>)」思想の科学、1977.6

1−7.本研究の意義

“無償労働”の把握と、主婦論争の分析を通した主婦の役割の確認作業を通じて、基本的な家事労働と選択的な家事労働、社会化できる仕事と家庭に残すべき仕事に分類し、今後の女性政策、家族政策の参考にできればと思っている。

2.本論

 この章では、各論争(第1次〜第3次主婦論争)のメインテーマ(論点)の概要を述べ、3人の研究者(神田氏、駒野氏、上野氏)による各論者の立場分析の内容を紹介する。また、実際の家事労働分析結果を検証しつつ、私の問題意識に基いて、主婦論争の分析を行なうこととする。

 

2−1.主婦論争の歴史的位置付け(年表から)

 <主婦論争と国内外の女性政策の流れ>

1955年〜 日本で第1次主婦論争(初期主婦論争)

 1960年〜 日本で第2次主婦論争(後期主婦論争)→ 家事労働有償化論の提案(日本発)

    <1960年後半〜70年代初頭 欧米で、「家事労働論争」→貨幣換算実施>

 1967年 女性差別撤廃宣言(法的拘束力なし)

 1972年〜 日本で第3次主婦論争

  1. 女性差別撤廃条約採択(法的拘束力−「世界女性の憲法」)

  1.  男女雇用機会均等法成立

1995年 第4回国連世界女性会議(通称:北京会議)の行動綱領にアンペイドワーク評価の項目

1997年 日本で初めて「無償労働の貨幣評価」が行われる(経済企画庁)

1999年 男女共同参画社会基本法制定

2−2.主婦論争で何が議論されたのか?

 第1次主婦論争では、石垣(1955)から始まって「主婦は職業か?」「主婦の役割は何か?」というようなことが議論された。少し後になって第2次主婦論争では、磯野(1960)が主婦労働の中の家事労働に焦点をあて、「家事労働は経済的に評価できないか?」という問題提起をおこない、経済学者も交えて家事労働の有償性について話し合われた。一般には前者を前期主婦論争、後者を後期主婦論争と呼んでいる。神田氏、駒野氏はこの2つについて研究を行った。その後、上野千鶴子は、武田(1972)の「主婦は解放された存在か?」というテーマ提示で再開された一連の論争を第3次主婦論争と名付け、新たな分析対象に加えている。 では次に,3人の研究者各論者による立場の分類と対立の構図を簡単に説明する。(資料2)

 3者に共通しているのは、各論者の立場の違いを明らかにしたことであった。しかし、それによって、対立を深める事となり、互いの共通点を見出すという作業は行われなかった。アンペイドワークの配分にしても、後に久場(1994)が指摘するように、問題点が残る形となった。(資料3)

◎ 論争のきっかけとなた論文

1次主婦論争 石垣綾子、「主婦という第二職業論」(婦人公論 19552月号)

2次主婦論争 磯野富士子、「婦人解放論の混迷」(朝日ジャーナル 1960410日号)

3次主婦論争 武田京子、「主婦こそ解放された人間像」(婦人公論 19724月号)

2−3.主婦の役割と無償労働の評価(家事労働分析と主婦論争分析)

主婦の仕事の評価の難しさとして、家事といったときに思い描く仕事のイメージが極端に異なることが挙げられる。また、人によってやっていることも違う上、数値化も困難なため、社会から見えにくく客観的に評価のしづらい仕事であるといえる。では、主婦の仕事の内容をどのように把握したらよいのだろうか?

 2−3−1.家事労働の分析の試み

  世界の動きに合わせ、1997年、経済企画庁は初めて公的に「無償労働(アンペイドワーク)の貨幣換算」を行った。評価の方法は、3通り「機会費用法 OC法」「代替費用法 RC法(RC-S法、RC-G法)」である。(資料45結果は以下の通り。

@全無償労働の90%近くを女性が担っている(額にすると男性の5倍)。AGDP(国内総生産)の21%にもあたるアンペイドワークを確認。B日本のアンペイドワークのGDP比率は、欧州に比べ格段に低い(約1/3)。これは、換算に際し女性の賃金が外国に比べて低いことが原因とされている。このように、我が国においても多くの<影の経済>が存在し、それが市場経済を支えている実態が改めて明らかになった。そして、日本ではその多くを女性が担っているために、女性は「二流の労働者」「二重の労働」として苛酷な立場に置かれていることが数字の上からも明らかになったといえる。

 他に、家事労働の中味の実態を経済換算ではない方法で明らかにした調査がある。1989年に直井道子(当時、東京学芸大学助教授)のグループが行った家事労働の分析(直井、1989)である。ここでは家事労働を「一般的な家事」「育児」「社会活動(PTA他)」と規定している。直井らは主婦の仕事を「もの」「こと」「データ」に分け、複雑度をつけて分析し、賃労働との比較を試みた。

 分析によると、家事は複雑性の低い仕事が多い反面、職業(パート労働)に比べて自主的判断の必要な仕事が残っており(やりがい)、複雑な仕事をしていることがわかった。これらの結果から、家事の仕事内容のほうがパート労働に比べれば、より総合的、かつ全人的(ゼネラリスト)であり、部分的には複雑なスキル(スペシャリスト)を要する高度な仕事だということができる。このことから、パート労働の場合、主婦は外で働くほうが自己実現が果たせる(幸せになれる)とは必ずしも言えないことがわかった。

2−3−2.私の主婦論争分析

これらの分析結果からもある程度主婦の置かれた状況と仕事の内容は理解できる。では、主婦論争の論者は主婦の仕事や役割について、どのように述べていたのだろうか?これから、本研究のオリジナリティである、主婦論争の分析軸を説明する。

私が注目したのは2点。1つ目は、“無償”という意味である。一般に、無償には2つの意味が付されている。「支払われない(タダ)」という意味と「支払われることを想定していない」という意味である。論者が“無償”という言葉を引用した時に、どちらの意味で使用していたのかを分類することで、主婦の無償性をどのように考えていたのかを明らかにしたい。

2つ目は、“主婦の役割”についての認識である。主婦はいろいろな仕事を受け持っているが、論者によって認識されていなかったり、過大評価されている仕事があり、論点の土台がまちまちである。そこで、主婦の仕事の内容別に論者の意見を整理することで、各々の仕事についてどのような評価を下しているのかを明らかにしたい。この2つの作業を通して、主婦論争における主婦の無償労働とは何であったかを考えてみたいと思う。

<主婦論争で各論者が想定した“無償”の意味分析>A4資料1枚目参照)

−分析結果−

@ 第1次主婦論争では、主に支払われる必要がない(主婦)労働について議論していた。一方で、第2次主婦論争では、本来支払われるべき(家事・自家)労働に議論が移ったことがわかる。唯一人、水田は両方の意味で「無償」という言葉を使用していた。

  1. 本来支払われるべき労働に、農家や商店の“無償”の自家労働をイメージしていた人が7人いた。しかし、論者によっては、この二つは同レベルの問題ではなく、後者(自家労働)は当然賃金で支払われるべきものだとしている。前者(家事労働)については、貨幣換算する提案や夫から取り戻す方法、社会保障にのせるなど意見が分かれた。
  2. 支払われる必要がない労働に対しても、同じく社会保障(年金、出産手当、産休、育児休業、育児・児童手当)を充実させるべきだとの意見が4人いた。そして「生活を守れ」や「愛情の問題だから、社会化できない最も重要な機能である」などと家事の社会化一本の政策には疑問を持っている論者もいた。
  3. 本来支払われるべき労働は、多くの論者がタダ働きである矛盾や弊害を語っているのに対し、高木だけは別の見解を持っていた。高木は、「家事労働や自家労働が無報酬であるから女性が解放されないのではなく、国家資本主義下の家族主義こそが問題なのだ。つまり、家事労働の有償化は、自己目的的な生活(私的労働)が資本のための労働力生産におきかえられてしまうことで、近代化の立場で賃労働者化を肯定することになる」と述べている。

   この点については、多くの学者が近代化の限界と問題点を語っている。例えば、都市化を危ぶむ矢澤(1993)は環境や文化など「4つの危機」を挙げているし(資料6、主体性の喪失を危惧する山崎(1984)の意見(資料7)などもある。また、海外では、イヴァン・イリイチという経済学者が「シャドウワーク」という言葉を生み出し、独自の近代化批判を展開している。(資料8)

<主婦論争で各論者が主張した“主婦の役割”の分析>(A4資料2枚目以降)

作業仮説

@ 基本的家事労働を、主婦の重要な仕事と考えている人はいない(代替可能な仕事)

  1. 基本的家事労働を、家族の仕事だと思っている人はいない(家事は妻の仕事)
  2. 選択的家事労働を、主婦の仕事だと考えている人はいない(趣味である)
  3. 職場進出論を唱えている人は、家政について言及していない(主婦の仕事は家事と育児だけ)
  4. 家政や育児を重視する人は、働くのに消極的である(家庭は大事)
  5. 家事労働に悪い印象を持っている人は、職場進出したがる(家事は退屈)
  6. 職場進出を勧める人は、ボランティア活動には消極的である(無償だから)

−分析結果− 

(人数は一論文1人として計算した。また、職場進出データはMで修正した立場を使用した。)

@  25人中、消滅し社会化…6人、主婦がやって評価…9人、その他・言及なし…10

  一般に家事は消費だけだとする意見に対し、生産的労働であるとする意見。また、消費はくだらなくないなどの意見あり

  1. 3人のみ言及あり。夫や子供など家族で分担すべきという意見も存在した。前述した久場嬉子の主婦論争評価では、このことがほとんど議論に乗らなかったとあるが、数名の論者は認識していたことがわかる。特に磯野は、イリイチ的な視点を持っていたと思われる。
  2. 4人のみ言及あり。産業が肩代わりして趣味的だという意見。磯野のみ、家事と認める。
  3. 5人中、梅棹を除く4人は言及なし。梅棹は、主婦権があることを認めつつも、武家的封建体制の延長、究極は妻の遊女化であるとした。つまり家政を主婦の仕事として認識していないか、若しくは有害であると主張している。
  4. 18人中、職場進出派…7人、家庭重視派…5人、言及なし…6人。 家政や育児を重視する人はやはり仕事には関心が薄いようだ。尚、ボランティアと家政・育児の間には相関はみられなかった。
  5. 4人中、磯野を除く3人は職場進出派であった。磯野は、「いずれ家事は消滅する」という文脈であり、別の論文で家事労働の経済価値を主張しているのでここでは除外する。結果は、家事が煩わしい人は外で働くことを希望していると言える。
  6. 11人中、ボランティア評価派…6人、言及なし…5人。無償のボランティアよりも仕事をするべきだという潜在意識はみられなかった。むしろ働く女性の半数はボランティアを評価していることがわかる。また、ボランティアの人が職場進出を評価しているかについては、職場進出評価派…6人、職場進出消極派…2人、言及なし…4人、でこちらも半数が職場進出を応援していることがわかった。
  7. その他、分析結果からわかること

  8. 基本的家事労働を評価している人が意外に多い。例えば、平塚の「消費行動はくだらなくない」という主張は、家庭が受動的な消費活動機関であるという定説に対しての生活者からの反論である。後に平塚は生活クラブ生協の前身である消費者団体をつくることになった。他にも、大熊の「消費者である前に生産加工者である」という主張は、後の磯野の「家事労働は夫の労働力の生産であり、経済的に価値がある」という論文につながっていくことを予測させるものである。
  9. 家事労働については、25人中、22人が言及しているが、家政については11人(半数)のみが言及している。このことは、主婦労働に「家政」という重要な役割があることが主婦の間で必ずしも認知されていないと言えるのではないだろうか。
  10. 育児については、25人中、20人が言及、うち4人が、主婦だけが育児を担当することに疑問を持っていた。そして、2人のみが男性の育児参加についてふれていた。一方、女性の育児が望ましいとする意見は4人だった。
  11. 介護については、25人中、わずかに3人が言及。この時代は、ほとんど介護は問題とされていないように見える。誰が介護をしていたのか?(長生きの年寄りは元気だった?)
  12. 自家労働については、評価が二分した。評価する…7人、あまり評価しない…7人。自家労働に対する主婦の価値を認める意見と、逆に主婦の価値を下げる働きがあるとする意見。
  13. ボランティアは、25人中、12人が言及。評価している分布は、職場進出派…4人、家庭重視派…2人、主婦運動派…6人、(言及なし…15人)であった。ボランティアの目的は、「社会をつくる」「社会の仕組みを変える」「世の中を変える」など。当時、マルクス主義が浸透しており、社会主義運動と主婦の解放の一体化が叫ばれていた。これらから、主婦の社会活動の目的も、生きがいなどではなく社会変革にあったのだと思われる。また、「男女共同」を主張するものが2人いたことは、今日の「男女共同参画社会」の先駆的要素をみることもできる。
  14. 職業については、やはり意見が分かれた。25人中、18人が言及。積極的進出派…7人、条件付進出派…11人。積極派の意見としては、男女平等・対等…4人、人権・独立…2人、生きがい…1人。ここで、条件付の立場を、積極的進出派(働きたい人は働く方がいい)と消極的進出派(働くことはデメリットが多い)に分けると、それぞれ積極派…4人、消極派…7人となる。積極派を冒頭の人数と統合すると、積極進出派…11人、条件付き進出派…7人となり、立場が逆転する。

このことは、今までの主婦論争研究で述べられていた、「職場進出論」(外で働く)と「家庭擁護論」(家で働く)、「主婦運動論」(外でボランティアで働く)の深い溝を埋めることになると思われる。多くの論者は、主婦が働くことを支持していて、しかしそれは必ずしもすべての主婦にそうしなさいと言っているわけではなく、あくまで個人の環境と自由意志に基いて決定すればよいと考えていたようだ。また、主婦の就労を認めず家に入るべきだとして家庭に囲い込むような言説というものはみられなかった。このことからも、各論者は主婦の就労に対し、柔軟な考えを持っていたことがわかった。

 2−3−5.主婦の役割の総合分析結果

  以上、3つの分析(経企庁の分析、家事労働の分析、主婦論争の分析)を通して、主婦の置かれた状況と、主婦が行なってきた労働について考察してきた。おさらいすると、日本の主婦は、家事を一手に引き受けていて、夫より働いているにもかかわらず、経済的に自立を果たせていない。しかし一方で、家庭における主婦の仕事は、職場(パートタイム)で働くよりも広範で複雑高度なものでもあり、主婦の経済的自立(ここではパート労働)が必ずしも主婦の自己実現につながるということにはならない可能性がある。

主婦論争では2つの“無償”の意味を無意識に使い分けているが、タダ働きの部分については、何らかの形で有償化(価値化)する必要があると言う主張が多い。また、すべての家事労働を社会化するのではなく、生活的自立のために家族で分担して行なう部分を残すことが好ましいのではないかという考え方もある。

主婦の役割は、家事労働の他に家政という仕事があり、加えて育児をどうするかが大きな課題であった。また、「社会参画」の方法としては、ボランティアや職場進出があり、両方とも好意的に受け止められている。どちらを選ぶかは、個人の自由選択に任せるということになる。

3.結論 −主婦論争の整合性から導き出せるもの−

秋学期にもう少し細かい分析作業を行い、この研究から新しくわかったことをのべる予定です。

4.今後の課題として

  1.主婦論争に言及しているテキストや論文を探す。

2.引き続き分析を行なって、結論を導く

3.経済的自立と女性の解放についても調べてみたい

可能であれば、最終目標として、新しいアンペイドワークのシェアリングのあり方を提言できればと思っている。

 

資料1

<男女共同参画社会基本法 前文>(1999年)

我が国においては、日本国憲法に個人の尊厳と法のもとの平等がうたわれ、男女平等の実現に向けた様々な取組が、国際社会における取組とも連動しつつ、着実に進められてきたが、なお一層の努力が必要とされている。一方、少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済状況の急速な変化に対応していく上で、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現を21世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置付け、社会のあらゆる分野において、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の推進を図っていくことが重要である。ここに、男女共同参画社会の形成についての基本理念を明らかにしてその方向を示し、将来に向って国、地方公共団体及び国民の男女共同参画社会の形成の促進に関する取組を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。

資料2

<神田道子氏分析>

初期主婦論争

@ 職場進出論−石垣、嶋津、田中   A 家庭重視論−坂西、大熊、 

B 主婦運動論−平塚,清水,丸岡,

後期主婦論争

@ 交換価値肯定論−磯野   A 交換価値否定論−黒川、高木

B 交換価値否定論+有償化論−毛利、水田

対立を表す文言

A.初期論争における職場進出論、家庭重視論はこの論争においてはじめてあらわれたのではなく、女性解放論のなかでこれまでもずっと存在してきており、この二つの論は家庭における女性の役割についてはまったく反対の立場をとり、両者はつねに論争の契機をはらんでいた。

B.主婦の家事労働が有用であるという独自の理論化をめざして、あえて経済的価値論を持ち込んだ。ところが、論争は、主婦労働は交換価値を生まないのだから、それによって経済的自立は不可能という論者と、無償労働にされているのだから、有償労働にすることによって経済的自立が可能だという論者に分かれて明確な一致点が見出せずに終わった。…このような傾向も相俟って革新的女性解放の方向は結論が明確に出ないままに、職場進出論・主婦運動論の2つのルートが並行し、どちらを選択するかは個人の自由であるという傾向が強まった。

<駒野陽子氏分析>

前期主婦論争

@ 性別役割肯定論−坂西、福田  A 職業進出必然論−田中、嶋津、梅棹

B 市民的婦人運動論−清水、平塚

後期主婦論争

@ 性別役割肯定論−磯野富士子  A 主婦年金制−水田珠枝

B 市民的婦人運動論−渡辺、高木、毛利  C 家庭経営体論−畠山

対立を表す文言

A.主婦の就業が増えるにつれて、家事のすべてを女性が引き受けていることへの疑問が出ている。…しかし、一方では依然として、性別役割の典型である家事労働評価の要求も強く、働く女性と専業主婦の間に新たな対立も生まれている。

B.この結果、主婦労働を、職業労働と同価値において、主婦の経済的独立を主張する性別役割肯定論と、主婦労働は価値を生まないのだから、職業につく以外は経済的自立はあり得ない、とする職業進出論は、またもバッチリと対立して、働く女性と主婦の亀裂はいっそうはっきりしてしまった。

しかし、一方で駒野は、性別役割分業とアンペイドワークの評価を対立としては捉えず、互いに矛盾しないものとしてそこから問題解決の途を探ろうとしていた。

C.世界行動計画をほんとうに熟読吟味すれば、「性別役割分業の排除」と「家事労働の正当な評価」は、決して矛盾したものでないことがわかる。私はここに、主婦論争の遺産をふまえ、世界行動計画の中の、「家事労働の評価」の真の意味を解明したい。

<上野千鶴子氏分析>

上野氏は、この問題は「どういう社会がのぞましいと考えるか」であり、それは、当面の運動への機能、逆機能の判断とは切り離された、原則論の立場でなければならないとして、以下の3つの論点に基いて分類軸を立てた。@家事の処理の仕方…家庭擁護論vs家庭解体論 A性別役割分業について…性分業肯定派vs性分業否定派 B体制派か解放派か…+現状維持もしくは延長派vs−現状変革もしくは解放派 である。以下にそのマトリックスを示す。

上野氏の立場は「両性自立論」(生活者としての男女の自立と平等)。つまり、「家庭擁護論」で「性分業否定派」で「−現状変革もしくは解放派」である。上野は、以下のように代表的な立場の論者を列記すると同時にすべての立場を相対化し、自分以外の立場に対して理論的な考察(反論)を試みている。

1次〜第3次主婦論争(前期+後期+追加主婦論争)

@ 「職場進出」論−石垣、嶋津、田中  A 伝統的家庭論−坂西、福田、邱

  1. 家庭「解放区」論−関島、畠山、(松田) C 社会主義婦人解放論−(多田)

対立を表す具体的文言はないが、立場ごとに分類すること自体が対立とみるならば、やはり上野氏の分類も対立関係の図式化とみて良いだろう。他の研究者よりも細かい立場の分類といえる。

資料3

主婦論争では、「家事労働は交換価値を生まないから有償にならない」というマルクス主義経済学の定義が繰り返されるだけで、なぜ家庭内の労働は交換価値を生まないのかについては問われず、さらに、男性への家事労働の分配の視点もほとんどみられないまま終わりました。家事などのアンペイドワークは、多様な人が担っている労働なのですが、ここでは、夫への「内助の功」として家事が議論の中心になり、家事は専業主婦の仕事、だから家事労働の評価といえば主婦への評価、といった展開に終わったのでした。        『「家事の値段」とは何か−アンペイドワークを測る−』より

資料4

 

 

 

             (ここに1人あたりの年間無償労働評価額 OC法 を載せる)

 

 

 

 

 

 

              (ここに諸外国における貨幣評価と無償労働時間を載せる)

 

 

 

 

 

資料5

 

 

 

 

               (ここに男女の生活時間の国際比較を載せる)

 

 

 

 

 

資料6

(矢澤澄子、「都市と女性の社会学」サイエンス社より)

日本の「都市型社会」の特徴

1.新たな技術水準のもとでソフト化が進む世界資本主義市場経済(金融化、情報化、サービス化、投機化経済など)への広範な依存

2.都市空間における職住分離、商品消費、社会的共同消費、専門機関処理の結合を基本様式とした「都市的生活様式」の国民生活全般への浸透

 3.管理社会化、高度情報化、国際化、高齢化などを基調とした政治・社会構造変動の進展

 4.国民(市民)文化の退廃・革新・成熟の同時進行

世界都市化は(世界社会の歴史的都市空間形成に示されるように)、世界資本主義中枢諸国による周辺諸国の収奪(環境、資源、労働力、資本などの)というかたちで進められ、「管理的都市化」の様相を色濃く帯び、同時にまた、周辺諸国の中枢諸国への「従属的都市化」の性格をもって進行した。…すでにJ.ハバーマスが「生活世界の植民地化」という概念によって解明しているように、資本と国家介入による都市の管理化は、個々の労働・生活主体の固有の生活世界やコミュニケーション行為を育む私的領域としての家族生活やエコロジカルな地域の領域にまで深く浸透している。 (資本主義システムでは「管理化」を逃れることは極めて困難であり)この厳しい都市の現実は、日本をはじめ世界各国でのさまざまな地域的ヴァリエーションをもって幾度にもわたり再来している都市問題や環境・生態系の危機として、また、自らの生活世界の自律的営みを取り戻そうとする労働・生活主体そのものにふりかかる「主体の危機」や彼らが培うべき「文化の危機」としても多面的に表出してきた。そこで「都市危機」の基層をなすのは、図に示されるように、労働力再生産の最小単位システム(日常生活システム)としての家族やこれを支えるエコロジカルな生活共同圏としての地域の危機である。

                                      (一章 都市に生きる女性より)

資料7

(山崎古都子「いま家事労働に問われるもの」第1章第1節より)

 (最近流行のお惣菜の宅配業は、独居老人や急病の時でなく普通に生活力がある(炊事が可能な)家庭で利用されているという文脈から)…しかし、惣菜の宅配は献立の個性を無視して、献立を商品化した例と言えるでしょう。…(家事は学習活動であるのに)、現在進行しつつある生活手段の商品化過程では、一部の生産者にのみ商品化に伴う学習過程が残されているだけです。それもスクラップアンドビルドによる文明が変化の中心にすえられたものでした。生活は学習過程を失い、商品によって操作されていくばかりです。そのために生活は商品の変化に鋭敏に反応し、つぎはぎになってしまいました。…個性の豊かさを育くむためには、商品の利用のみになったガサガサの土(生活)に、自らの作り出した堆肥を入れ、耕し、肥沃な土壌(生活)にすることが必要です。

                                     (「主体性を失った家事労働」より)

資料8

*イリイチの『シャドウワーク』論*

イヴァン・イリイチ(1926年〜)は、ウィーン生まれの歴史学者、社会哲学者、経済学者である。彼が<影の経済>(シャドウ・エコノミー)という用語を造りだしたのは、金で活動を算定する部門から締め出されていて、しかも産業化以前の社会には存在していないような人間の活動について議論するためである。

<以下シャドウワークより抜粋>

<影の経済>が起るとともに、賃金も支払われず、かといって家事が市場から自立することにいっこうに役立つわけでもない一種の労役が出現するのをみる。この新しい種類の活動の最もよい例は、人間生活の自立にかかわららない新しい家事の領域において行なわ れる主婦による<シャドウ・ワーク>であるが、実際それは、家庭を構える賃金労働者が存在する上で必要な条件となっている。このように<シャドウ・ワーク>は、賃労働と同じく近時の現象であって、しかも商品集中社会の存続にとっては、賃労働よりも根源的なものといえるだろう。人間生活の自立と自存を志向する民衆の文化に典型的に見られるヴァナキュラーな〔その地の暮らしに根ざした固有の〕活動とこの<シャドウ・ワーク>という名の活動とを区別することは、私の研究のなかで最もむずかしいが最もやりがいのある個所となる。(シャドウ・ワークは賃金が支払われない労働であり、ヴァナキュラーな活動は賃金が支払われる必要がない生活の自立・自存のための仕事である。後者は近代化で侵食され変容してしまった。)

★“労働”と“仕事”の違い(大辞林第二版より)

【労働】(強制的賃労働のニュアンス)

(1)からだを使って働くこと。特に賃金や報酬を得るために働くこと。また、一般に働くこと「八時間―する」「肉体―」

【仕事】(主体的な働きというニュアンス)

(1)生計を立てるために従事する勤め。職業。「お―は何ですか」「―を探している」

イリイチは、近代化はいろいろなところで、自立的生活を脅かしていると考えている。例えば、学校ができたために自分で勉強しなくなったとか、病院ができたために病気が囲い込まれ自己管理が疎かになるといったこと。福祉に関しても、資本による専門制度化することへの限界を指摘している。