バダンテール『母性という神話』コメント
アリエス『<子供>の誕生‐アンシャンレジーム期の子供と家族』
発表者:総合政策学部2年 渡辺朋昭 学籍番号:70230217 ログイン:s02521tw
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本発表の目的
『母性という神話』は随所でアリエスに言及している。家族史をはじめ、本書が社会史研究に与えた衝撃は大きかったが、それはバダンテールの研究においても全く例外ではなかった。本発表は『<子供>の誕生』のおおまかな内容理解と、いかなる点がバダンテールに影響を与えたのか検討することを目的とする。
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主題
カテゴリーとしての<子供>という概念、そして子供意識とほぼ同時発生的に誕生する近代家族はいかにして形成されたのか。
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著者紹介
Philippe Aries(1914-1984)は「新しい歴史学」の流れを代表する歴史学者のひとり。主著は本書『<子供>の誕生』と、中世から現代までの人間の死についての観念や態度について考察した『死を前にした人間』がある。
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調査手法
もともとアナール学派の調査手法の特徴は人間の意識・感情(マンタリテ)に注目することである。本書においてアリエスは図像記述や墓碑銘、日誌、書簡などを駆使し、中世には存在しなかった<子供>という意識が近代になって人々の中にどのように形成されたのか明らかする。基本的には「中世の意識はこうだったが、近代になるとこのように意識が変化した」という図式となっている。
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本論
1.<子供>の誕生〜「小さな大人」から<子供>へ
◇中世:子供期の不在(=大人と子供の未分離)
幼児死亡率が高い→家族の数のうちに入らない→それ以後は「小さな大人」
「小さな大人」となった<子供>は徒弟や奉公となって大人の世界に入っていく
(具体例)
服装:子供と大人は同じ服装
遊び:年に関係のない諸々にとっての「遊び」
性:子供に対する性道徳の配慮なし
◇近代:子供への関心、注目(=大人と子供の分離)
子供という枠組みが出来上がる→子供と大人の分離させる意識の発生→子供の特殊性に注目した新たなまなざしの発生
@ 子供に対する愛らしさからくる可愛がりのまなざし
→家庭環境の中や、幼児たちを相手にするさいに出現
A 子供についての生理的、道徳的、性的な問題についての配慮からくるまなざし(≒躾)
→家庭の外部から、文明的で理性的な習俗を待ち望む聖職者やモラリストより発せられる
一八世紀になると、二つのまなざしは結び付けられて、家庭の中にみとめられる。
⇒保護され、愛され、教育される対象としての「子供」へ
2.近代家族の発生
◇教育の担い手
中世:徒弟修行・家庭奉公
七歳になった子供を徒弟として他家へ送りこみ、一方ではあかの他人の子供たちを自分のところに受け入れる。子供は見習修行での生活を通して知識と実務経験を得る。
(徒弟修業:日常生活で子供と大人は未分離)
→自分の子供たちを自分の手元には置かない
→家族は、親子の間で深い実存的な感情を培うことができない
近代:学校
学校は子供から大人への過渡期の社会的な手ほどきの通常手段となる
(学校:子供である生徒と、大人である教師=子供と大人の分離)
→子供たち他人の家に手放すことがなくなる
→親子間の感情的な交流の深まり
◇家族構成と地域の社交形態
中世:家族は共同体に対して開けている
職業生活、私生活、社交ないし社会生活の間に区別がない
本来言うところの家族のみならず、血縁関係にないものも住んでいる人数の多い大所帯
→家族意識が形成されにくい
近代:家族は共同体に対して閉じた存在になる
人びとは、社交生活、職業生活、私生活をそれぞれ分離させる(375頁)
家屋は親子のみに縮小された家族に占められることになり、そこから奉公人や顧客、友人たちは遠ざけられる(376頁)
→情緒的結びつきを持つ家族意識の芽生え
このようにして形成された近代家族では、「子供」は以前と比べてはるかに重要な登場人物となり、親の関心が子供へと向かうようになる。
→子供への二つのまなざしへ
※近代家族はブルジョワから発生した。他の階層では学校の影響は少なく、長いあいだ旧来の見習修行という慣行は存在し続けた。だが徐々に他の階層にも学校教育は浸透していき、近代家族化していくことになる。
■近代家族論におけるアリエスの影響
家族意識の出現するのは十六世紀から十七世紀以降である
→近代家族は歴史的にみると普遍的ではない
→家族形態は唯一普遍なモデルが存在するのではなく、変化するもの
→母性愛は本能なのか?(=バダンテールの問い)
→中世には母性愛が見られない場合が多い=母性愛は普遍ではない
■ 疑問点
中世と近代の家族形態の差異は説明されているが、同時代の中産階級以外の階層についてはほとんど論じられていない。
→ショーターへ
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参考文献
P.アリエス『<子供>の誕生』みすず書房、1980年
E.バダンテール『母性という神話』筑摩書房、1998年
上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』岩波書店、1994年
牟田和恵『戦略としての家族』新曜社、1996年
落合恵美子『21世紀家族へ(新版)』有斐閣、1997年
江原由美子編『ジェンダーの社会学』新曜社、1989年
ドンズロ『家族に介入する社会』新曜社、1991年
ヴィジョンと社会システム「近代家族と<子供>の誕生」レジュメ、2001年
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資料
1.小さな子供は死去する可能性があるゆえに数のうちには入っていなかったのである。「私はまだ乳呑み児であった子供を二、三人亡くした。痛恨の思いがなかったわけではないが、不満は感じなかった」と、モンテーニュは述懐している。子供はその生存の可能性が不確実な、この死亡率の高い時期を通過するとすぐに、大人と一緒にされていたのだった。(123頁)
2.十六世紀から十七世紀にかけて、こうして迸り出る家族意識は子供の意識と不可分である。私たちがこの本の最初に分析した子供期に向けられた関心は、このさらに普遍的な意識である家族意識の一つの形態、一つの個別の表現に過ぎない。(330頁)
3.「近代家族」という概念を社会史が打ち出したことの一番の功績は、わたしたちが「これが当たり前の家族だ」と思っている家族は、けっして当たり前なわけではなかったと、目を開かせてくれたことではないでしょうか。(『21世紀家族へ』107頁)
4.民衆階層が、彼らを支配する者たちの家族主義の命令にしたがって、ブルジョワ階級のモラルに執着する理由は何か。家族の生活は、ブルジョワ階級のモデルの魅力だけで、普遍的な価値のあるものになると言えるだろうか。また、民衆階層の中での家族の感情が、他の社会階級のばあいと同じ性質であり、同じ構成の論理にしたがい、同じ価値、同じ希望、同じ効果をもつということを、何によって確認できるであろうか。(「家族に介入する社会」5頁)