2002年度小熊研究会T

『全体主義の起源』                        

                               総合政策3

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                             横川大輔

『全体主義の起源』においてハンナ・アレントは20世紀において組織的な大量虐殺を引き起こした全体主義を解明し、その起源を帝国主義的側面に求めて解き明かした。

 

@     19世紀政治秩序

アレントは19世紀政治秩序の特徴として国民国家(nation state)、階級社会、政党政治の3つをあげている。

T.国民国家

アレントは国民国家とは歴史と文化の共有、いいかえれば記憶の共有を持つものであり、それになおかつ領土が一致したものであるとの見解を示している.そして典型と例外とを逆転させ、19世紀にすでに存在していた国民国家の矛盾をしめしている。つまり、国家の原理というのは民族や出自に関係なく、万人を法的に保護することであるが、国民国家における文化と歴史の共有という原理(nationの原理)と矛盾しているというのだ。そして、国民国家は西欧型ナショナリズムには妥当したが、真の土着農民階級が存在しなかった東欧・中欧では成功していなかったと指摘している。また繰り返しになるがアレントは国民国家とは「歴史と文化」の共有に基づくものであると考えるため、国民国家の原理と人種主義、帝国主義の原理は本来相反するものであり、矛盾すると指摘している。

 

U.階級社会

アレントは政党が各階級の利益を代表することによって政治性を失った社会が統合させていたと指摘する。つまり、アレントのいう19世紀社会とはnationの構成員たる同質的なものとしての市民の政治的空間における平等と階級的なヒエラルキー区分に基づく小集団の構成員としての社会的不平等が表裏一体に結びついているのが基本的なあり方だと考えていた。

 

V.政党政治

ここでもアレントは一般的な典型と例外を逆転させる見解をしめしている。イギリスを例外としてそれ以外の大陸型政党政治において政党は「まず第一に公的問題に全く無関心な私的な個人の集合体。」と指摘している。イギリス、アメリカに代表されるアングロサクソン型二大政党制においては政党=権力と考え、私的利害は党内闘争において表明されるのに対して、大陸型の多数政党制においては国家=権力であり、政党はあくまで各階級の利益代表でしかない。

 

A     帝国主義

次にアレントは帝国主義について述べている。アレントは帝国主義とは「資本輸出と人種妄想と官僚制的行政装置の奇妙な混合物」であると述べている。帝国主義が成立した時期は1885年のアフリカ分割のベルリン会議から第一次世界大戦の勃発までと考えており、その原因として1860年代に英国で始まり、70年代にヨーロッパ全土に広がった不況をあげている。そして帝国主義の特徴を余剰資本の輸出、人種主義、官僚制支配、ヨーロッパの伝統・倫理の崩壊の4つをあげている。

 

(1)T.余剰資本の輸出

余剰資本の輸出とともに「権力」と「過剰な人口」も輸出されたとアレントは指摘している。この「権力」は法によらない官僚制支配へとつながる。そして「過剰な人口」に関しては「モッブ」として説明している。「モッブ」とはあらゆる階層からの脱落者であり、市場原理に従ってこうどうする我利我利亡者であり、ブルジョアとの結びつきが強い。賊民的立場から選民的立場へと短絡的になりあがろうとするものであり、大衆とは違う。また別の特性として没倫理性、無責任性もあげられ、「社会の屑である。」ともアレントは言い放っている。これらの三つが輸出された結果、膨張のための膨張という経済的原理が政治的原理となった。

 

U.人種主義(イデオロギー)

アレントによればこの人種主義と次の官僚制支配が帝国主義を特徴づける支配形態である。繰り返しになるがアレントはネーションと人種、ナショナリズムと人種を対立的なものとして捉えている。しかしながら、この対立はあらゆる場合に当てはまるのではなく、ネーションとしての自己意識の根底にあるものが「血統」といったものに関係する場合この対立は成り立たない。このようなものをアレントは種族的ナショナリズムと呼んでいるが、この種族的ナショナリズムにおいてはナショナリズムと人種主義の区別はなくなる。このようなナショナリズムとしては近代における反ユダヤ主義が良い例であろう。

 人種主義と官僚制はナチの支配におけるような全体主義においては結びついて現れているが、アレントによると当初はそれぞれ別個に発展したいったものであるという。

人種主義を生み出したのはヨーロッパ人のアフリカ先住民との出会いであったということをアレントはブーア人の例をあげながら説明している。ブーア人は17世紀なかばにオランダから野菜と肉の供給のために移住させられた。そして怠惰な寄生生活を送るうちに原始的部族の段階まで退化した。いいかえれば、ネーションの基礎となる諸契機を喪失し、民族としてのアイデンティティを全て失ったのである。その結果自分達の優越性の根拠となりうるのは生物学的特徴である白い皮膚しかなくなり、その結果狂信的な人種主義が生まれた。そしてこれをヨーロッパから流れ込んだあらゆる種類の敗残者、失業者が発見し、後に反ユダヤ主義と結びついたとアレントは言う。

 

V.官僚制支配

アレントのいう官僚制支配とは「政令による匿名の支配」のことである。つまり、永続的共同体と政治体を築こうとする法律、条約を使わずに政令による支配では安定したものを一切しりぞけ、「膨張の掟」に従うことができるというのだ。そしてこれは被支配者を純然たる管理対象として扱う「非人間的」統治形式である。

 

W.ヨーロッパの伝統・倫理の崩壊

政治的組織原理として人種を発見した結果、キリスト教的平等観念の否定が行われた。また政令による官僚制支配、そしてその官僚制支配を正当化させる無限の過程としての「膨張のための膨張」という観念が出てきた。

 

(2)汎民族運動・大陸帝国主義の特徴

 アレントはイギリスやフランスなどの海外の植民地に膨張先を求めた海外帝国主義と区別してドイツやロシアなど帝国主義に遅れて参加した国々で植民地をヨーロッパの本国領土と直接に隣接した国々に求める帝国主義を大陸帝国主義と呼ぶ。汎ゲルマン主義、汎スラブ主義といった汎民族運動はこうした大陸帝国主義とむすびついたイデオロギーであり、運動であった。大陸帝国主義と汎民族運動は別の概念であるとはいえ、分かちがたく結びついているとアレントはいう。大陸帝国主義は知識人によって誘導されたモッブの運動であり、経済的動機ではなく、政治的革命運動の性格を保持している。そしてドイツ・ロシアといった民族を代表する国家を持っている民族のみが汎民族運動と化し、魂や血といった想像上の属性を生み出した。そして反ユダヤ主義はこの中で、誤った選民性・絶対性の解釈により商売敵とみなされた結果あらわれてきた。

 

B     全体主義

全体主義とは「難民の生産と拡大再生産を政治体制の根本方針とする」体制であり、独裁や専制とは決定的に違う。

 

T.全体とは

人民全体をテロルによって政治的だけでなく、私的、社会的な生活、いいかえれば精神の中にまで入り込んで支配し、共犯関係を作ることである。簡単にいうとアトム化と画一化を徹底して世界征服をもくろむことである。

 

U.運動

運動はプロセス的思考であり、政党や議会制と真っ向から対立する。いいかえれば、運動とは不安定なものであるという点で政党、議会制と対立する。そしてアレントによれば次に述べるイデオロギーとテロルこそが全体主義を特徴付ける本質的要素である。

(1)  イデオロギー

 ナチスにおいては人種思想(汎ゲルマン主義)が使われ、ボルシェビズムにおいてはマルキシズム(無産階級社会)、汎スラブ主義(人種思想)が使われた。しかしながら、イデオロギーそのものもあくまで利用するものであり、内容は絶えず変化していく。

 

(2)  テロル

 通常の法が人間の自由を擁護するものであるのに対して、テロルとは人間と人間の間の空間(自由)を消すものである。テロルは人間を固定化する。また全体主義においては周辺に位置する人間は現実にふれる機会があるのにたいして、中心に位置する人間は現実にふれる機会がなく、専ら教義の作成に専念できる。しかしながら、そのうちに教義と現実が異なる時には現実が間違っているのであり、現実が教義に従うべきであるという本末転倒な事態が起きてくるのである。

 

 これらの全体主義によって「見捨てられた人々」が実に多く発生したことから普遍的な人権などというものはあくまでネーションの中にしか存在しないことが明らかになった。そして最後にアレントは「諸権利を持つ権利」である人権を保障するものとして、国民国家を超えた政治体の必要性について述べている。またこれとは逆に極めてローカルな政治体の必要性についてもといている。荒っぽいかもしれないが、現在の流行の言葉でいえば「グローバリゼーション」と「グローカリゼーション」の健全な棲み分けと言ったところだろうか。