2002年度秋学期 小熊研究会1

マルクス『ドイツ・イデオロギー』まとめ

総合政策学部4年 高野裕美

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1.本書の位置付け・概観

 本書はマルクスにとって『経済学・哲学草稿』(1844)、『聖家族』(1845)などにつづく1846年の著作であり、彼の著作を初期・中期・後期とわけるとちょうど中期の作品にあたる。初期は『経済学・哲学草稿』で論じられた労働疎外論であり、後期は1858年以降の『経済学批判要綱』『経済学批判』そして『資本論』などで論じられた剰余価値の発見である。その掛け橋にあたる本書は「唯物論的歴史観」(以下「唯物史観」)を確立した代表的著作である。

 今日においてはこうして評価されている本書も、当初は出版社に相手にもされなかったようで、鼠にかじられて欠けている部分がある。(そのせいか、いま私たちが読むにはなかなかわかりにくい部分や繋がらない部分があるが…。)しかし、マルクスは後の『経済学批判』序言で、「本書は初期の哲学的思考の清算のために書いたもの」だから「鼠が批判するに任せた」と述べている。

 本書の概観としては、ヘーゲル左派(特に、バウアー、シュティルナー、フォイエルバッハなど)に対する批判であり、その所産としての唯物史観が論じられている。

 

2.ヘーゲル左派への批判とその所産としての唯物史観

 ヘーゲルの左派にしても右派にしても、かれら哲学者は、だれもドイツ哲学とドイツの現実あるいはドイツの物質的環境との関連について論じようとはしていない。彼らは皆現存の世界における普遍的なものの支配やその宗教的な理解を信じている点では共通しているのであって、ヘーゲル左派も右派も同じコインの裏と表に過ぎない。前者がそれを誉めたたえる一方、後者はそれが簒奪であるとして疑うのに過ぎないのである。

 人間史の第一の前提は、生きた人間的諸個人の存在と彼らの自然に対する関係、彼らによる自然の変形から出発しなければならない。彼らがなんであるかは、彼らの生産、すなわち、彼らが何を生産するのか、また彼らがいかに生産するのかと一致する。したがって諸個人がなんであるかは、彼らの生産の物質的諸条件に依存する。生活手段の生産とはすなわち物質的生活の生産であり、それは生活様式を規定する。また、人口増加によって生産が始まり、生産によって人口増加が条件づけられる。

 したがって、フォイエルバッハたちが主張しようとする人間の「解放」も、思想の事業としては決して成功しない。それは、歴史的な事業であって、歴史的諸関係によって、すなわち工業,商業,農業,交通の状態によってのみ実現されうるのである。だからこそ、大事なことは現存の世界を変革すること、眼前の事物を実践的に攻撃し変えることである。フォイエルバッハたちがするように、歴史を考慮に入れない「普遍的なもの」の存在を前提とする時点で、既にそれは誤りを犯している。また、常に人間と自然とは関わり合い、その過程で産業が生まれてきたという洞察が成り立つにも関わらず、人間と自然の統一などということを唱えてしまう誤りも犯してしまう。フォイエルバッハたちは、つねにあらゆるものを普遍的抽象的な範疇にとどめてしまうことで、感性的世界を活動的なそのものとして把握することに失敗し、観念論へ逆戻りしてしまう。したがって、彼らは自らを共産主義者だと自認しているが、実際には現存の事実に正しい意識を提示するだけで、共産主義者にとって最も重要な現存するものを覆す作業をなんら行なわない。それは「存在」と「本質」の議論においても見られる特徴であって、彼は「存在」はいつも「本質」に一致するのであって、そうでないならそれは単なる偶然か異常として認識する。しかし共産主義は、「存在」を「本質」に一致させる革命を志向するのである。

 すなわち、昨今のドイツ哲学にとっては唯物論と歴史が全く分離してしまっていることが問題である。ここに唯物史観という論点を提示する。

 これは、人間的存在、または歴史のための4つの契機である。

 @「歴史をつくる」ことができるためには生きることができなければならない

 A「生きる」ための諸手段、物質的生活そのものの生産

B       最初の充足が次の欲求を生み出す

C       他の人間たちを生み出し、繁殖をはじめる

 ⇒このように見てみると、人間的存在や歴史においては、あらゆるものが自然的な関係と社会的な関係という二重の関係のなかで生み出されている。社会的な関係とは、幾人かの個人の「協働」が理解されているということである。生産様式や生産力とは「協働」の特定の様式と結びついており、「人類の歴史」を規定する大きな要因となっている。

 この4つの契機を考察して、ようやく人間が「意識」をもつことを見出すことができる。「意識」とは「言語」に呪われた存在である。両者は、どちらも他の人間たちとの交通の欲求や必要から生まれる社会的な産物である。それは、一方では自然に対する意識であり、他方では自分が社会の中で生きているという意識のはじまりでもある。後者の自己を社会の一部として意識する部族意識は社会的生産そのものと同じくらい、本能的なものである。であるから、それは生産性の向上や欲求の増大、また人口の増加とあいまって発展する。それによって性における分業でしかなかった分業が発展し、物質的労働と精神的労働との分割まで行き着く。そのとき、それは真に分業となり、「意識」も一人歩きをはじめる。したがって、いまや一人立ちしているかに見える「意識」も、分業の発展無しには一人歩きすることもなかったわけで、生産様式や交通形態に規定される観念であることは、これまでで自明である。

 分業は、不平等な所有の形態を生む。その萌芽はすでに家父長制という妻子供に対する夫の潜在的奴隷制のなかに見出されている。実のところ、分業と所有はほぼ同義であって、前者では、後者で活動の産物との関連で言われるのと同じことが、活動との関連で言われるだけである。分業はさらに、特殊的利害と共同的利害の矛盾を孕んでいる。人間は、その矛盾を観念や普遍性においてではなく、現実の分割された労働を前に、相互の依存性が存在しなければ特殊的利害を追求することすらままならないことを実感させられている。すなわち、自由意志的にではなく自然成長的に分業が行なわれているかぎり、彼らは活動の特定の排他的な領域を持たなければならず、その領域に縛られてしまうのである。そしてその自然成長的な分業によって増大した生産力は、彼らにとってますます疎遠な力となり、「疎外」されてしまうのだ。

 これまで述べてきたことから、歴史把握において重要なのは、現実的な生産過程を、直接的生活の物質的生産から出発して展開し、生産様式と結びつけ、それによって生み出された交通形態とその総体である市民社会を、歴史の基礎としてとらえることである。そうして宗教、哲学、道徳などという意識のさまざまな理論的産出物と形態を、市民社会から説明するのである。実のところ、哲学者たちが「世界精神」とか「自己意識」として思い浮かべていたものの実在的基礎は、生産諸力や交通形態などであって、哲学者たちがいくら概念の中で闘争しようとも歴史にはなんの影響もおよぼさない。にもかかわらず、ヘーゲルの歴史哲学で頂点を見るように、哲学者たちは、現実的諸動機の一契機にすぎない宗教や政治を支配的な契機と見て、幻想を作り上げてしまうのだ。したがって、歴史とは個々の世代の物質的・経験的行為の連続に他ならないのであって、世界史を「世界精神」とか形而上学的妖怪の単なる抽象的な行為であると封じ込めてしまうその行為にこそ、まさに人間を疎遠な力のもとに抑えつける原因があるのである。

 

3.唯物史観の論証

 前章によって、人間とは、彼らの生産諸力とこれに照応する交通とのある特定の発展によって規定されている、現実的な、活動する存在であり、諸思想、諸観念、意識や宗教などはそれ自身独立しているのではなく、活動する諸個人やその生活に規定されている、ということが理解できた。

 ではそうした「唯物史観」に基づいて実際に歴史を考察してみよう。

 生産諸力の発展は、それが単に量的な拡大(土地の開墾など)でないかぎり、分業の発展段階に比例する。分業の発展段階は、労働の材料、用具、産物と諸個人相互がどのような関連を持つかという関係性をも規定する。この関係性はすなわちそれぞれの段階の所有の形態と一致する。

 所有の第一の形態は「部族所有」である。狩や漁、牧畜や耕作で暮らしている生産の未発展な段階であり、家族内に生じた自然成長的な分業のいっそうの拡大のみが存在する。家父長的部族長たち⇒部族構成員⇒奴隷たち という社会的編成をとる。

 所有の第二の形態は「古代的な共同体所有および国家所有」である。協定あるいは征服によるいくつかの部族の一都市への結合として成り立つ。能動的公民たちが、奴隷たちに対応するかたちで、共同体的な私的所有権を行使している。労働は奴隷たちだけに帰属しており、理性と肉体の分離が見えはじめる。ここに階級関係が成立しはじめ、私的所有の集中も発生する。農村と都市の利害対立、工業と海上貿易の対立、農民のプロレタリアートへの転化なども徐々に起こりはじめる。ただしプロレタリアートはまだそれ以後の階級的な特色をもっておらず、単なる中間的地位として存在している時代である。

 所有の第三の形態は「封建的または身分的所有」である。封建時代は、ローマ帝国の衰亡と共に混乱の中で農業も工業も商業も衰退した状況で成立してきた時代で、農村から始まった。農村においては[貴族⇔農奴的小農民(奴隷ではなく)]、都市においては[親方⇔徒弟]という、「局限された生産諸関係―わずかで未熟な農耕と手工業的な工業―」を基礎にした社会的編成をもっていた。したがって、農村と都市の対立や身分の明確な区別はあっても、分業はあまり発展しなかった。

 それ以降、大工業の成立を基点とした前後の時代からは、より詳細な考察が成されている。

 大工業の成立を基点とした生産様式の発展前後で以下のような変化を確認することができる。

 

第一の段階

項目

第二の段階

耕地、水などの

自然成長的生産用具

生産用具

文明によって作り出された

生産用具、また労働者自身

自然

従属の対象

労働の生産物

直接的で自然成長的な支配

支配関係

資本の支配

家族・部族・土地など、何らかの絆によって一体

(人格的)

結合形態

たがいに独立していて

交換によってのみ結合

(貨幣による媒介)

人間と自然の間

(労働を加えて諸生産物を得る)

交換関係

人間たち自身の間

 

区別されていない

精神的労働と肉体的労働の区別

区別されている

 

 精神的労働と肉体的労働の分割は、都市と農村の分離であり、さらに資本と土地所有との分離であった。精神的労働と肉体的労働の分離プロセスの中で、都市と農村の分離がどのように進み、また分業がどのように発展したのかを考察することができる。

@     中世において自由になった農奴たちが、自らの労働力を唯一の所有物として、都市へ流入していった。都市の側では、そうした逃散農奴たちに対抗して自らの身を守るために同職組合において結合した。逃散農奴たちは、都市で生きていくために同職組合の共同体、その秩序に服さざるをえなかった。また諸都市における日雇い労働者の必要性や都市の側が既存の権威を保持することによって、彼らは賤民という地位にとどまらされることもしばしばだった。同職組合的秩序に組み入れられているものたちも、親方たちの二重の力:自分の親方の影響力と他の親方たちに対するときの結束力 によって現存の秩序に結び付けられていた。したがって、比較的搾取される地位にあったものたちは都市においても農村においても分散性と革命の未熟さのために、蜂起を起こしてもあまり成功しなかった。したがってこれらの都市における資本は、まだ自然成長的で、世襲的な取引や身分的な性格をもっていた。分業に関しては(P1929)で「所有の段階」に言及した際にも述べているように、このころはほとんど未発達であり、自分の労働に無関心な現代の労働者よりも、はるかにその「労働に」従属させられていた。

A     分業の拡大は、生産と交通の分離、商人たちという特殊な階級の形成によって成されたといって良い。交通が拡大し、通信手段や政治的な関係性がそれを許すとき、周辺との商業的な結びつきは実際に広がっていくのである。生産と交通の相互作用が生じて、分業が進む。最終的には、交通が世界交通になって、大工業を土台にもって、あらゆる国民が競争戦にひきこまれてはじめて、獲得された生産諸力の存続が保障されることとなる。(交通の発達無しには、いつ攻めこまれて新しい発明をぶち壊されるかわからない。したがって裏を返せば、このように生産諸力の存続がある程度成り立っている今の社会は世界交通無しには語りえないということを表している。)

B     こうして飛躍的に発達した分業は、次の結果として、諸マニュファクチュアを生み出す。マニュファクチュアは、人口と資本の集中が前提条件である。最初に発達したマニュファクチュアは織物業であった。人口の増大による単純な需要の増加、交通の拡大によってはやめられた流通による資本の蓄積と需要の掘り起こし、これらが織物業にぴったりとはまり、またそれによって生産形態が変化していった。機械化と分業によって非熟練工で事足りるようになった労働の性質から、それまでの同職組合的秩序とあいいれず、村や市場町でいとなまれた。人口の集中をもたらした商人が、さらに自然成長的資本(土地や職人など)を極力減らして、非熟練工と機械を集中させたことによって、現代にも見られる資本がここに既に誕生している。マニュファクチュアは、中世の逃散農奴たちにとって都市の同職組合が避難所だったのと同様に、同職組合からあふれた労働者の避難所であった。こうして徐々に農村と都市、都市の内部、それぞれで分裂と集中が起こっていくのが見て取れる。人口の集中は、しかし、商人の力だけではない。15,6世紀のイギリスで積極的に行なわれた囲い込みによって生じた浮浪者群の寄与するところは大きい。彼らは絞首刑にさらされるほどの人数に膨れ上がり、最終的にイギリスの産業革命下で労働力として吸収されていったのである。 またマニュファクチュアにおいては、以前の同職組合における家父長的な関係性が、労働者と資本家の間の貨幣関係へとって変わられた。同職組合とマニュファクチュアが出会うところでは、後者が回転の速い資本蓄積を可能にして生産を拡張させたのに対して、前者が自然成長的な資本のまま生産の拡張への刺激を受けなかったために、前者は後者の支配に屈することとなった。

交通の発達における商人やマニュファクチュアなど諸集団の関係性

第一の時代

金銀の流通量がわずかであったので金属の輸出を禁止し、都市人口に働き口を確保するために外資工業に諸特権を与えた。また租税が課せられ、のちに近代諸国家の国庫にとって重要な位置を占めた。徐々に貨幣を欠かすことができなくなった国家は金銀輸出禁止を国庫のために続け、そうして国内に滞留している大金はブルジョワたちの恰好の餌となった。

第二の時代(17世紀半ば〜18世紀末)

これは植民地獲得競争のころで、このときは諸植民地が有力な消費者であった。したがって、政治的な意義からも商業と航海が急速に拡大し、マニュファクチュアは副次的な役割を果した。マニュファクチュアは当時、国内市場では諸保護関税によって、植民地市場では諸独占によって、国外市場では諸差別関税(輸出国ごとの差別に基づく関税)によって、保護されていた。実際そうした保護無しには周辺諸国から受けるわずかな変化で衰退させられる危険があったため、マニュファクチュアは自由競争などという賭けには出られなかったのである。ただ、商業都市や海岸都市がいちじるしく文明化され、そこが躍国家にとって外貨獲得のキーポイントとなったため、政治的意義にも合致して、実際に国家保護と独占を迫り最終的に一番受け入れられていたのは商人や船主の方であった。

C     まだまださもしくせせこましい精神がこびりついていた上記のような時代を一掃したのは、既存の生産諸力をさらに超える需要であり、それは大工業によってもたらされた。それは、イギリス一国へのマニュファクチュアと商業の集中が、この国に相対的な世界市場を作り出したことによって生まれた需要であった。大工業はあらゆる保護を取っ払って競争を普遍化し、交流諸手段と近代的世界市場を生み出した。それまで副次的に扱われていたマニュファクチュアが商業を支配化におき、すべての資本を産業資本にかえ、貨幣制度と資本の集中を普遍化した。こうしてマニュファクチュアはそれまでの自然成長的な排他性を廃して、すべてを貨幣関係に解消し、はじめて世界史を生み出したと言える。この時代は金銀輸出諸禁令がなくなり、現在見られるような貨幣制度や債権や株の制度が確立した時期でもある。(こうした大工業は全世界同時的に発達するわけではないが、階級運動とは国際的に行なわれるものであるから、それを阻みはしない。)

 

4.支配的諸思想について

 支配的階級の諸思想は、どの時代でも、支配的諸思想である。物質的生産のための諸手段を自由にできる階級は、それと共に精神的生産のための諸手段を意のままにできるからである。言い換えるなら、支配的諸思想とは、物質的諸関係の観念的表現にすぎないともいえる。つまり、一方の階級を支配的階級にする諸関係の観念的表現であり、その階級の支配の諸思想と捉えることができる。これは、支配的階級の諸個人がとりわけ意識をもち、思考するからであり、そうであるから彼らが支配するある歴史的時代は、彼らによって諸思想の生産と分配が規制されることで、彼らの支配的諸思想ができあがあるのである。

 歴史の主要な力の一つとして先述のうちに既に見出されている「分業」は、いまや支配的階級の中でも精神的労働と物質的労働との分割として表れている。この結果、支配階級内部において、前者が階級の幻想を形成するイデオローグとして登場し、後者は支配階級内部でそのイデオロギーに守られる身として受動的かつ受容的に振舞う。支配階級内部でのこの対立は、階級そのものが危機にさらされている実践的衝突を前にしては、対立的要素が消える。

 思弁哲学などが行なう歴史的経過の把握は、支配的階級の諸思想を支配的階級からきりはなして、諸思想の基礎となっている諸個人や世の中の状態を見落とす上にしかなりたたない。実際の諸思想の変遷というものは、ますます普遍性の形式を装う諸思想が支配する現象である。それまでの支配を覆すためには、その目的の遂行のためだけであっても、その利害を社会の全成員の利害としてしめさざるをえず、あたかも社会全体の代表者として振舞う必要がある。そしてしたがって、新しく支配的階級となるどんな階級も、それまでの支配的階級の土台よりもいっそう広い土台の上でのみ、その支配を実現する。

 だからこそ、確信犯的に普遍性を装っていく思想を本質的に扱う思弁哲学の手法は誤りなのである。歴史の中で精神の主権を証明しようとする哲学者の歴史把握の試みは、次の3点で誤りを指摘できる。

@物質的・経験的・現実的側面から諸思想をきりはなし、思想・幻想そのものの支配を認める

A思想を「概念の自己規定」としてとらえることで、経験的な関連を神秘的な関連におきかえる

B「概念の自己規定」を、さらに人格やイデオローグたちに変えることで、自らを歴史製造業者として規定しまっている。そうして唯物論的要素を全く歴史から取り除くことに成功してしまうのだ。

 

5.共産主義への展望〜いくつかの論点〜

<階級の相対性>

 階級というものを社会に本質的なものとみる見方は間違っている。商業の拡大や交流諸手段の確立によって、同じ対立者と同じ利害を巡って闘うものの存在を知らされてはじめて階級というものは生まれる。ブルジョワジーは本質的なものではないのであって、封建制との対立によって条件づけられていたかぎりで市民階級として作り上げられていたに過ぎない。交通の発達によって共通の諸条件が、階級的諸条件に発展しただけなのである。ただしブルジョワジーは封建制と対立することによって自らを一階級として作り上げたが、今度はブルジョワジーの社会が規定する競争の原理によって再び敵対しあわなければならない。また階級は、労働者に対する生産物のように、いったん作り上げると諸個人から独立して、かえって諸個人を規定するため、彼らは階級のもとに従属させられる。こうした矛盾を解消できるのは、階級そのものを解消する以外にない。

<生産諸力に関する考察>

 大工業と競争においては、諸個人の生存諸条件が私的所有と労働という2つの単純な形態に融合されている。そしてこれが貨幣によって偶然的な色彩を与えられている。私的所有のため・蓄積のために労働は行なわれるが、分業が発展すればするほど資本と労働は分裂する。分業の発展という土台の上に成り立つ私的所有と労働のこの矛盾のなかで、労働そのものは存続しうる。

 ここで二つの事実が明らかになる。@生産諸力は、諸個人がその諸力の生産者であるにも関わらず、諸個人と独立した様相を呈す。なぜならば、生産諸力は諸個人の諸力の集まりであるが、それが生産諸力となるのはその所有者にとってだけであるからだ。実際に諸力を生み出している諸個人の交通にとっては無関係である。 A上記のように諸個人は生産諸力から切り離されているが、そういう状態であるからこそ諸個人は抽象的な諸個人として互いに結びつき諸力を構成することができる地位にある。大工業の成立する以前のある時代では、自己活動と物質的生活の産出は別々の人間に担われていたこともあったが、今日では物質的生活を送るための手段として労働があらわれ、自己活動も否定的に含み込むかたちで、物質的生活の産出が生存のための手段として現れている。

 こうした現状を抜け出すためには、まず現存の生産諸力の総体を獲得しなければならない。これはすなわち諸個人の諸能力の総体の発展である。プロレタリア革命においては、諸能力の獲得は所有の万人への従属というかたちをとることになり、そうしてはじめてあらゆることが実現する。労働と自己活動と物質的生活との一致、諸個人の総体的諸個人への発展、いっさいの自然成長性の廃棄、生産諸力総体の獲得、私的所有の終焉。

<二重の自由から真の自由へ>

 分業によって、人格的な諸関係が貨幣を介した物的な諸関係へと転化したことはこれまでに見てきた通りだが、これをふたたび廃止するためには、フォイエルバッハが言うように普遍的観念を頭の中から叩き出しても意味がない。共同社会を創設し、物的な諸力を諸個人が自分たちのもとへ従属させること以外に方法はない。そうなれば、諸個人は彼の諸素質をあらゆる方面へ発達させることができるのだ。真の共同社会においては、諸個人は真の自由を獲得できるのだ。ブルジョワジー支配の下では以前より自由になったといわれるが、それは生活のための諸条件が偶然的であるから以前よりも自由であるが、現実生活のなかではより一掃の物的強制力の下にあるためにより不自由である。すなわち、分業の発展によって、諸個人内部での生活の区別つまり人格的な自分と労働する自分との区別が顕在化する。このことによって諸個人はその生活条件の偶然性を思い知らされ自由を勝ちとるかに見え、しかしながらその生活条件に規定された階級に服従させられてしまうのである。(「二重の自由」free & free from

 逃散農奴たちは彼らがもつ生活条件を自由に展開して都市労働者となり、自由な労働に到達しただけであるが、プロレタリアートに至っては、彼ら自身の人格的生活の獲得が命題であり、そのためには彼らの存在条件である労働そのものを廃止しなければならない。したがってまたそれは、プロレタリアートに全体的表現を与えてきた国家という枠組をも倒すことを意味する。

 このような展開のなかで明らかになるのは、これまでの共同体は諸個人が階級構成員として参加した関係のなかでのみ存在したということであり、またこれに対して革命的プロレタリアたちの共同体は、諸個人が人格的自由を有して、その時々の生産諸力と交通諸形態に基づいて偶然性の中で必然的な結合を行なうところに成立するということである。

 

 

<文献>マルクス/エンゲルス(服部文男監役)『[新訳]ドイツ・イデオロギー』(新日本出版社)

 

 

<蛇足>

発表をするまでに二度読み込んで、今回こうしてまとめるためにもう一度読み込みました。そして、まとめのラフを作ってからもう一度頭を整理して、もう一度書き直しました。このくらい読みを深めると、最初は感覚でしかわからなかったことが説明できるようになったり、意味をなしていなかった部分が示唆的なことを言っているように理解できたり、とても実りの多い勉強でした。

 ただ、本当は『ドイツイデオロギー』だけでなく、『経済学・哲学草稿』や『資本論を読む』、また一緒にマルクスを発表した高橋さんや丹羽さんや木村さんの発表、さらにはマルクスの解説本なども参考にしてもっと幅の広いレポートとして仕上げたかった思いがあります。なので、これは春休みの課題にしようと思います。先生が良ければ、コメントをいただきたいのでご自宅に郵送させていただきたいと思っているのですが…いいでしょうか?このまとめにもコメントいただけると嬉しいです。

 お忙しいなか大変恐縮ですが、是非簡単でいいのでよろしくおねがいします。