2002秋学期小熊研究会T(11/8

 

マルクスの唯物史観 〜『ドイツ・イデオロギー』を中心に〜

総合政策学部4年 高野裕美

 

 

1.『ドイツ・イデオロギー』の位置付け

 

『経済学・哲学草稿』(1844年)…労働疎外論

 『聖家族』(1845年)、『ドイツ・イデオロギー』(1846年)…唯物論的歴史観

 『経済学批判要綱』(1858年)、『経済学批判』(1859年)…剰余価値の発見

 『資本論』(1867年/第一部のみ)

マルクス自身による『ドイツ・イデオロギー』の定義(『経済学批判』序言)

「導きの糸」「以前の哲学的意識の清算」「鼠による批判」

 

 *疎外論は乗り越えられているのか?

 

 

2. 唯物史観

 

批判の対象は、ヘーゲル左派であり、その観念論的な議論

唯物論と唯物史観(→資料1)

 

歴史の根本条件

 @生きる→生存諸手段の必要性→生産

A必要最低限の欲求の充足によって、次の段階の欲求がうまれる

B人の生産、繁殖

 社会的諸関係の発展:家族→より大きな新しい社会的諸関係へ

 

C分業の発展(=所有のそれぞれの段階の発展) →生産諸力の発展

1) 部族所有

(生産の未発展な段階・大量の未耕作地、家庭内の自然成長的な分業の拡大のみ、潜在的な奴隷制)

 2)古代的な共同体所有・国家所有

 (奴隷制の存続、奴隷に対応した共同体的私的所有、階級関係の形成、

  有産市民と奴隷の間の中間的地位にあるプロレタリアート)

 

 3)封建的・身分的所有

 (貴族⇔農奴的小農民(not奴隷)、職人⇔徒弟 

  …「局限された生産諸関係」(P25)、分業はほとんどない)

 

 4) 私的所有

  ・「交通」(=平たく言えば、コミュニケーション)の発達と商人の形成

   (諸都市間の関連、その相互作用としての生産の分離、

    諸マニュファクチュアの発生→資本の集中・蓄積と可動化、

                  家父長的関係から貨幣関係へ)

  ・大工業の成立

   (様々な保護制度や関税などを押し破る、競争の普遍化、世界市場、

    完全なる貨幣関係:資本家と労働者の対立)

 

 

第一の段階

項目

第二の段階

耕地、水などの

自然成長的生産用具

生産用具

文明によって作り出された

生産用具、また労働者自身

自然

従属の対象

労働の生産物

直接的で自然成長的な支配

支配関係

資本の支配

家族・部族・土地など、何らかの絆によって一体

(人格的)

結合形態

たがいに独立していて

交換によってのみ結合

(貨幣による媒介)

人間と自然の間

(労働を加えて諸生産物を得る)

交換関係

人間たち自身の間

 

区別されていない

精神的労働と肉体的労働の区別

区別されている

 

 

 

 

3.「労働疎外論」

 

精神的労働と肉体的労働の区別、資本家と労働者の対立

→@生産物からの疎外:労働者の生産物は資本家のものになる

  A人間の自己疎外:目的定立をともなった、喜びを感じられる労働ではなくなる

 →資料2,3

 

 

 

4. 革命について

 

「矛盾」「疎外」の解消のために、プロレタリアートによる大規模の革命が必要

生産諸力の現存の総体の獲得→私的所有の終焉→所有が万人に従属

 

  →自己活動(人格的個人)と物質的生活(階級的個人)が一致する。

   自然成長性の廃棄。                    (→資料4)

  →諸個人の総体的諸個人への発展(階級・家族の廃止)

 

5. さいごに

 

大工業の誕生によって分業=私的所有が極めて発達していなければ、その廃止(止揚)も起きえない。

(→資料5)

資本主義に内包された矛盾が、資本主義を成り立たせている一方で、資本主義を破壊する種となる。そして共産主義は資本主義の否定でありながら、資本主義のある程度の発達なしには到達しえない。

 

 

 

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+参考文献

マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(新日本出版社)

内田義彦『資本論の世界』(岩波新書)

マルクス『経済学・哲学草稿』(岩波文庫)

 

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++資料

 

資料1

「フォイエルバッハが唯物論者であるかぎりでは、歴史は彼のところに現われず、また彼が歴史を考慮にいれるかぎりでは、彼は唯物論者ではない。彼の場合は唯物論と歴史が全く分離している…」(P34〜35)

 

資料2

「つまり、労働が分割されはじめるやいなや、各人は活動の特定の排他的な領域をもち、その領域が彼におしつけられ、そこから彼は抜け出すことができない。」(P44)

 

資料3

「以前の諸時代には、自己活動と物質的生活の産出とは、それらが別々の人物に属したことによって分けられていて、物質的生活の産出は、諸個人自身の局限性のためにまだ低級な種類の自己活動とみなされたが、これにたいして、今日では、一般に物質的生活が目的として現われ、この物質的生活の産出、すなわち労働(これが、自己活動の、今日では唯一可能な、しかしわれわれが見たように、否定的な形態である)が手段として現われるほどに、自己活動と物質的生活の産出とはばらばらになっている。」(P97)

 

資料4

「他方、各人が活動の排他的な領域をもつのではなく、むしろそれぞれの任意の部門で自分を発達させることができる共産主義社会においては、社会が全般的生産を規制し、そして、まさにそのことによって私は、今日はこれをし、明日はあれをするということができるようになり、私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判をするということができるようになる。」(P44)

 

資料5

「大工業においては、生産用具と私的所有との矛盾が、はじめて大工業の産物となるが、そのような産物を産みだすためには、大工業が既に非常に発達していなければならない。したがって、大工業とともに私的所有の廃止もはじめて可能なのである。」(P66)