「文化の新しい歴史学」――「文化」への注目――

総合政策学部三年

木村 和穂

s00327kk@sfc.keio.ac.jp

 

はじめに

今回の報告では、「マルクス主義歴史学」と「アナール派」という歴史学における二大潮流を概観し、この両者において、「政治」でも「経済」でもない領域――「社会」「文化」「意識」――への注目がいかにして起こってきたのか述べる。歴史学はなぜそのような領域へと足を踏み入れるようになったのか。リン・ハントらが提唱する「文化の新しい歴史学」とは何か。

 

マルクス主義歴史学

・歴史の動因を下部構造にもとめる、発展段階論的な歴史

50年代後半頃から新たな展開をみせる、「下からの歴史」

・エリク・ホブズボウム『イギリス労働史研究』1964年

政治指導者や政治制度などの伝統的歴史研究から、労働者の日常生活の研究へ。

E・P・トムスン『イギリス労働者階級の形成』1963年

下部・上部構造というメタファーを拒否し、「文化的・道徳的調停」(モラル・エコノミー)に注目。

・レイモンド・ウィリアムズ『文化と社会』1958年―――カルチュラル・スタディーズ

伝統的マルクス主義の二分法を批判、統合するプロセスとしての「文化」を研究

アルチュセール(重層的決定)、グラムシ(ヘゲモニー論)の応用

文化は経済的関係性にたんに依存しているのでも、それからまったく独立しているのでもない。

記号論の影響(文化をテクストとして読む)

 

アナール派――「新しい歴史学」

・全体史への志向、事件史(政治史)・理念史(思想史)・外交史へのアンチ

・統計資料を使用、経済や人口の変動分析と社会構造の変動分析

・マルクス主義と距離をとる(経済決定論、歴史法則実在論へのアンチ)

「経済」「階級」だけでは説明がつかない、「現実はもっと複雑だ」

・経済的説明原理の後退、因果連関よりは相互連関

60年代、言語学・社会学・人類学との接近により研究対象が拡大

儀礼と信仰、親族構造、学校教育、生と死を前にしての態度 マンタリテへの注目

 

文化の新しい歴史学

・「文化」の「新しい歴史学」

アナール的な心性の歴史と人類学のアプローチを組み合わせる

・文章以外の資料も積極的に利用(図像、建築など)

・プラティークの歴史(意味作用を作り出す実践の歴史)

書物の使い方、読み方、解釈の仕方を定める「読書規範」の抽出

・儀礼・象徴への注目(人類学の影響)

 

リン・ハント『フランス革命の政治文化』

・コンピューターを使った統計処理

・マルクス主義的解釈、近代化論的解釈を批判

「新しい政治階級は、ひとつの固定し、安定したカテゴリーではなかった。」(ハント、P260

・「文化」をテクストとして読む(階級的同一性は否定)

・解釈人類学を応用、象徴を組み合わせて創り上げられている意味の世界を再構築する試み

 

参考文献

リン・ハント『フランス革命の政治文化』松浦義弘訳、平凡社、1989年(1984年)

リン・ハント『文化の新しい歴史学』筒井清忠訳、岩波書店、1993年(1989年)

ジャック・ルゴフ他『歴史・文化・表象』二宮宏之編訳、岩波書店、1992

ロジェ・シャルチエ『読書と読者』長谷川輝夫・宮下志郎訳、みすず書房、1994年(1982年)

河野仁「アメリカ歴史社会学の現状と課題」「思想」岩波書店、19922月号

EP・トムスン、NZ・デイヴィス他『歴史家たち』近藤和彦他編訳、名古屋大学出版会、1990

E・ル・ロワ・ラデュリ『新しい歴史』樺山紘一他訳、藤原書店、1991年(1978年)

グレアム・ターナー『カルチュラル・スタディーズ入門』作品社、1999

多木浩二『絵で見るフランス革命』岩波書店、1989

Lynn Hunt UCLA Homepagehttp://www.sscnet.ucla.edu/history/hunt/

 

 

資料

1.カルチュラル・スタディーズに道をつけたマルクス主義は、<批判的>マルクス主義だった。それは、批判的マルクス主義が、文化の研究に対するそれまでのマルクス主義的アプローチの還元主義的傾向に異議を唱えたという点においてである。とくに英国では、文化を芸術作品や文学作品と見るにしても特定の社会階級の生活様式と見るにしても、それまでのマルクス主義は、文化を経済関係によって完全に決定されてしまうものとみなす傾向があった。これに対して、カルチュラル・スタディーズの思考法の発展に影響を与えたマルクス主義のアプローチは、文化はたんに経済関係に依存しているだけではないとした。したがって文化をたんなる経済関係の反映物とみなすことはできないとしたのだった。批判的マルクス主義は、文化が経済的・政治的関係性からたんに受動的に影響を受けているだけではなく、経済的・政治的関係に能動的に影響しているという事実から、文化の「相対的自律」を主張したのだった。(Bennett, “Popular Culture”,1981,p7

 

2.「現実は、はるかに複雑であり、はるかにニュアンスに富んでおり、はるかによくわかっていないのだ」(グーベール『アンシアン・レジーム』第一巻末尾)

 

3.「リュシアン・フェーヴル(アナール)の場合は典型的だけれども、どこに基礎があるとはまったくいわない。一段目、二段目、三段目というふうに、たとえば石を積んでいく。一段目が経済で、二段目が社会、三段目が意識なりイデオロギーだという考え方、これは石工のイメージだとリュシアン・フェーヴルは言う。それに対して自分の考えている歴史のイメージは何本か平行に張ってある電線のようなものだと。ある線に経済の電流が流れる、隣の線に心性の電流が流れる、もう一本先には社会関係の電流が流れる。どこに電流が流れても必ず両側の電線に影響を及ぼすのだという言い方をする。」(「「社会史」を考える」においての二宮宏之氏の発言)

 

4.文化とは経済的・社会的諸関係の上部や傍らに位置するものではない。個人は表象を介して自己の存在の意味を構築するのであり、この意味が言葉・ふるまい・儀礼のうちに書き込まれるのである。したがって、これらの表象に分節されない慣習行動というものは存在しない。それゆえ社会的機能を調節するメカニズムや個人間の関係を決定する構造とは、社会に関する対立する知覚相互の間に作り出される関係の結果として、つねに不安定かつ葛藤をはらんだものとして理解されねばならないのである。経済行動を組織し、個人間の絆を張り巡らしていく営為なるものを、ただひとつの物質的合目的性とか社会的効果だけに封じ込めようとしても無理というものだ。それらは人間が自分達の世界にその意味作用を付与した多元的な方法を行為として表現しているわけだから、すべての慣習行動は社会的、経済的であると同時に「文化的」なのである。(ロジェ・シャルチエ『読書と読者』P14

 

5.「階級を無視するつもりはありません。ただこのところ、社会の結びつきや分裂に、階級以外の要素が作用することを強調しているのです」(N・デイヴィス『歴史家たち』p95

6.「人類学に依拠するずっと前から、わたしは階級がすべての言動の規程因かどうか、考え直していたんです。当時考えたのは、こうです。社会経済的な生活は意識に重大な影響を及ぼしますが、狭い唯物論的な回路をとおって、経済問題が単純に信仰の場にコピーされるというのは違う。」(N・デイヴィス『歴史家たち』p96

 

7.「労働組合の人々が自分達の秘密の儀礼について明かしている資料を見つけたんです。(中略)それ以前に手にしていたマルクス的、ウェーバー的、あるいは社会学的概念では、答えることができなかった。」(N・デイヴィス『歴史家たち』p96

 

8.「以前はですね、理念を調べて、著者や、著者のパトロンの社会的位置を考慮しました。今では、著者、版元、読者、そしてテクストの間の関係を全部みます。」(N・デイヴィス『歴史家たち』p98

 

9.マルクス主義者の解釈と同様、近代化論的解釈は、まちがっているというより、分析上の厳密さを欠いているのである。(ハント『フランス革命の政治文化』P245

 

10.私の目的は、革命の言説を一つの安定した意味体系(例えば共同体の反映)に還元することではなかった。むしろ、共同体という意識をつくると同時に新しい社会的・政治的・文化的闘争の領域を作り上げることに、すなわち統一と差違を同時に可能にすることに、政治的言説がいかにレトリック的に利用されえたかを示すのが私の目的であった。この試みの要点は、言語的実践が、単に社会的現実を反映しているというよりも、積極的に権力の道具となりうる(あるいはそれを構成しうる)ような方法を検討することにあった。(リン・ハント『文化の新しい歴史学』P20)