小熊研究会 

2002年度秋学期

最終レポート

〜カルチュラル・スタディーズの思想的背景と実践〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶應義塾大学 総合政策学部 3年

70006572

s00657kn@sfc.keio.ac.jp

中川 圭

 

 

 

 

1.はじめに

 英国をその出発点とする「カルテュラル・スタディーズ」は現在世界中にその波紋を広げている。このカルテュラル・スタディーズは日本語に訳すと文字通り「文化研究」になるわけだが、これが素直に直訳されず、カルチュラル・スタディーズとして輸入されてきたところにこの分野の複雑性があるということをここで強調しておきたい。即ち、これは従来の文化研究と距離を置くところに新しさがあるのであり、重要性があるといえよう。

 こうしたカルテュラル・スタディーズの中でも理論と実践とに分けられる。学問としての実践と言われても、それを中々理解するのは難しいかもしれない。しかし、カルテュラル・スタディーズを理解するためには、この実践の分野とは何かを理論的に解読していくが必要であると思われる。

 以下では、上記の目的を達成するためにカルテュラル・スタディーズの理論ができた思想的背景を読み解いていくことにする。

 

2.カルテュラル・スタディーズが生まれてきた時代背景

 文化を見直す作業であるカルテュラル・スタディーズが英国で生まれたことにはしっかりとした理由が存在する。それは、やはり高級文化がしっかり根付よく残っていた英国だからこそだといえよう。

 一般的にイメージがあるように、従来英国というのは高級文化を重要視し、それ以外の文化は存在しないという考え方が根強く残った国であった。これは、1869年にマシュー・アーノルドによって書かれた『文化と無秩序』によっても裏付けられる。この本の中でアーノルドは、労働者たちを「教養のない」大衆とみなし、彼らは文化を理解することはできない者だと考えていた。

 しかし、こうした考え方も第二次世界大戦後に変化を迎える。文化のアメリカナイゼーションと言われるように、アメリカの自動車、ジャズ、コカ・コーラ、ハリウッド映画、大衆雑誌など大衆文化と呼べる多くの文化が英国に参入してきた。そして、また同時に、労働者階級の高等教育への進学率が増加した。さらには多くの外国人の入国による移民問題も本格化してきたのである。

 学問の分野では、こうして新たに生まれた新人類を理解しなければならない。また、既存の学問体系では、こうした層の問題意識を全てカヴァーすることができないという問題が生まれた。そうして、大衆文化の代表的なものであるテレビを扱う、テレビリテラシーを教えるオープンユニバーシティーなどが生まれ、また、後にカルテュラル・スタディーズを生み出したとされるバーミングハム大学の現代文化研究センター(CCCS: Center for Contemporary Cultural Studies)もこうした流れの下、設立に至った。そして、ここではカルテュラル・スタディーズと呼ばれる分野を確立し、従来の文化研究、大衆研究など様々な分野の更なる発展に一役買う結果となったのである。

 

3.思想史としてのカルテュラル・スタディーズ

 上記で述べたようにカルテュラル・スタディーズは結果として、CCCSで大成する結果となったが、その背景には多くの思想的な影響がる。その一つ目として、大衆研究、労働者階級研究の流れである、そして後に、それが大衆文化の流れと合流し様々な議論を展開した後、現在のカルテュラル・スタディーズに至ったと解釈することが可能である。

 労働者は何時、どのような時に立ち上がるのか。という問題意識のもとに大衆研究をしたE.P.トムスンから労働者階級研究の出発であった言える。彼は、伝統的マルクス主義歴史家であり、1963年に発表された『英国労働者階級の形成』では、進歩主義的な歴史観の中でしばしば忘却されてしまっている工場労働者や農民たちの生活を描き出すことで、歴史の中にその活動を回復しようとした。彼のこうした議論は、その時代フランスで流行していた構造主義に対するアンチテーゼであるといえる。構造主義がしばしば高度に抽象的・論理的であり、人間の主体の力を軽視しがちだったのに対し、文化主義には「理論」に対する不信感があり、むしろ歴史や地理の固有性・個別性に徹底的にこだわり、人間主体の力を時には過剰なまでに強調した。

 こうした民衆が自ら立ち上がるという考え方は、モラル・エコノミーとして多くの分野で広く受け継がれていった。そして、その主流のものの一つとして今回取り上げているカルテュラル・スタディーズがあるのである。

 このカルテュラル・スタディーズの中ではこうした議論を受け継いだのはレイモンド・ウィリアムズである。彼は、E.P.トムスンの大衆の独自性という部分に影響を与えられ、それを文化のレベルに応用した。彼は、1961年の著作『長い革命』において「感情の構造」という語によって、「文化」を新しく定義づけようとした。ウィリアムズによれば、どんな時代もある特定の生活感覚、ある特定の抽象的な「色彩」を持っており、そこにある「感情の構造」がその時代の「文化」であるとする。

 こうした考え方は、伝統的マルクス主義の生産関係を中心とする経済によってあらゆるものが決定されてしまうという部分の考え方に批判的であったと受け止められる。

 この、カルテュラル・スタディーズの生みの親の一人とされるレイモンド・ウィリアムズは労働者階級研究から影響を受けながらも、対象を特にその文化へとシフトしていく。彼がこの分野で強く影響を受けたのが、イタリアのマルクス主義者であるアントニオ・グラムシである。彼の代表的な概念に「ヘゲモニー理論」というものがある、従来、ヘゲモニーという語は覇権を意味するものとして認識されている。しかし、彼は、その従来型の君主が単に暴力を使って権力を行使する「覇権」が現代においては通用しなくなったという。そうではなく、現代民主主義においては支配と従属の関係はもっと複雑で流動的であり、様々な権力集団がたえず抗争し、交渉し、合意を獲得することによって支配と従属の関係が形成される。しかし、この関係性は固定されたものではなく常に一時的な均衡として、あらわれる。このプロセスを彼はヘゲモニーと呼ぶのである。

 この議論も、トムスンの支配階級が全ての覇権を牛耳り、民衆は黙ってそれを見過ごしているのでは決してないという考え方は、これに通ずるものがある。

 こうした様々思想家の影響を受けながら、ウィリアムズはその理論を確立していき、カルテュラル・スタディーズの基礎を築いた。

 ウィリアムズによってある程度の基礎を作り上げられたがカルテュラル・スタディーズはそれ以外の多くの国外の思想も絶え間なく吸収し続けてきた。まず、一つ目としてはドイツ、フランクフルト学派の影響である。1930年代のフランクフルト学派は、カルテュラル・スタディーズにとっても重要な要素である、メディア論の基礎を築いたとされる。こうしたことからも、その影響を受けたことが十分予想される。その代表としてここではヴァルター・ベンヤミンを紹介したい。彼は『複製技術時代の芸術作品』などで知られるように、文化・メディアを対象とした研究をしており、カルテュラル・スタディーズとも重なる部分が多い。彼は、資本主義時代における、芸術の商品化に対して一度は落胆するものの、逆に消費することによってそうした問題点を克服しようというモチーフを打ち出している。

 カルテュラル・スタディーズはドイツだけではなく、フランスの構造主義、記号論、ポスト・構造主義と呼ばれるものに対して否定的は面もまるものの、その影響を受けたことは否定できない。その代表格としてここでは、ロラン・バルトとミシェル・ド・セルドーの二人を取り上げたい。

 ロラン・バルトは記号論、テクスト論をその研究対象の中心とした思想家である。カルテュラル・スタディーズと繋がる概念としては、彼の「神話」というものが挙げられる。彼は神話を言葉だと説明する。しかし、ただの言葉ではなく二次的な言葉、即ち、ある意味を持った言葉からもう一度別の意味するものとして働くときに生まれる。例えば、ある言葉がそのままの意味以外にも、他の事例を含んでおり、それを彼は神話と呼ぶのである。そして、その神話は言葉だけではなく、写真、絵画、ポスター、儀式、物品などもその材料となるのである。彼のこうした議論は、後に詳しく説明する、カルテュラル・スタディーズの代表的な人物であるスチュワート・ホールの議論とも繋がり、こうした点がカルテュラル・スタディーズと接点を持っている。

 ここで挙げるもう一人のフランスの思想家、ミシェル・ド・セルトーは周縁性の歴史学、異人の文化論などを展開した歴史家である。彼は、「日常生活」というものを研究の主要な対象とする。それは、誰でもありえ、誰でもないようなそんな日常生活である。そうした彼の議論から生まれたのが「ペルーク」という概念である。これは、労働の時間にこっそり自分の趣味や生活のための活動をすることや仕事場の物品を自分のために流用することなどを意味する。本来は自分の時間を資本に譲り渡しているはずの時空において、工夫して自分の快楽を追及することが「ペルーク」である。こうした、大衆の「抵抗」という考え方に近い、彼の「ペルーク」という言葉は、上に挙げた、論者達の「民衆はただ黙っているのではなく、常に抵抗しながら生きているのである」という考え方に共通する。

 こうした、一連の考え方の具体例として、ここでは、カルテュラル・スタディーズの代表的作品である、ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』を挙げたい。この本は、イギリスの不良少年たちへのインタビューをし、エスノグラフィー(民族誌)的調査を行ったものである。若者達が学校で反抗的な不良文化をつくりあげ、それによって、教師や国家が押し付けてくる規範的な価値に対して、自分達の価値や世界を学校内につくりだしていく過程を描いた。しかし、ここで彼が注目するのは、それでも、彼らは工場労働者になってしまう、即ち、階級の再生産が行われてしまうという皮肉である。これは、上で述べた議論で言うならば、民衆は抵抗しながらも、やはり階級が形成されてしまうということである。ただ大切なのは、一見、資本主義的な価値観が自動的に労働者階級を生産しているように見えるこの現実を、実は、そこには抵抗が存在するがそれが自然と、いつの間にか再生産されてしまうということを実証した点である。

 

4.スチュワート・ホールの議論

 カルテュラル・スタディーズの思想史を一通り述べた上で、カルテュラル・スタディーズを世に広めた功績者であるスチュワート・ホールとその理論及び、彼が所長となったCCCS(バーミングハム大学現代文化研究センター)について論じていきたい。

 このCCCSは発足当初はバーミングハム大学の中でも周縁に追いやられていた組織であった。しかし、後の卒業生の活躍から、その成果を再評価されるに至る。ここで、スチュワート・ホールは1969年にセンター長に就任する。そして、それ以後、カルテュラル・スタディーズを世界に広め、飛躍的に活躍をするようになる。

 スチュワート・ホールは1932年にジャマイカの比較的裕福な家庭に生まれる。その後、英国のオックスフォードに留学し、イギリスで移民としての生活をスタートさせるのである。この移民という存在が彼の後の議論に影響を及ぼすこととなる。後に、ニュー・レフトの機関紙である、『ニュー・レフト・レヴュー』の編集に関わることとなり、これを通して、「3.」で挙げたロラン・バルト、アントニオ・グラムシや後に挙げるフランスの構造主義思想家ルイ・アルチュセールの思想を吸収することとなる。

 それでは、CCCSで、ホールは一体何を教えていたのだろうか。それは、一言で言えば「何でもあり」の教育システムであった。強いて言えば、学生の問題意識をもとにそれを解き明かしていくことである。ホールはしばしば「カルテュラル・スタディーズは、「汚い」世界の問題をアカデミズムという「清潔な」空間に持ち込むことである」と述べているように、学生が持ち込む「生」の問題意識をそのまま研究対象とすることがここでは頻繁に行われたいたのである。

 しかし、「何でもあり」という状況の中でもやはり大衆文化を扱うものであるから、やはりその中心となるのはメディア研究である。ここで、その代表としてホールのメディア論を紹介したい。

 ホールは、1920年代から現在までのメディア研究を3局面に分類する。まず、彼のいうメディア研究の第1局面としては1920年代から40年代までである。この局面の研究者は、「3.」で述べたフランクフルト学派のヴァルター・ベンヤミンなどである。彼らは、メディアを大衆文化に対して否定的な影響のみを与える強力で広範囲に及ぶ無媒介な力であるとみなしていた。

 しかし、こうした考え方は第2局面のアメリカ、マス・コミュニケーション研究によって完全に否定された。彼らはメディアを社会の反映に過ぎないとみなしていた。民主主義社会における多元性は全てメディアの中に表出される(民主主義という合意の上で)と彼らは言うのである。しかし、多元主義が依拠する合意の形成過程、即ち、どのようにその複雑性、多元性が合意に至るのか、そしてそれはどういったプロセスを踏んで行われるのかは問題にされることはなかった。

 第3の局面としては1960年代から現在までである。ここでは、単なる反映という考え方に変わって、メディアを通じた「現実」の構築ということが、再び批判的メディア研究の主要な論点として舞い戻ってきたのである。

 ホールは、この中で特に第2局面と第3局面の間の断絶に議論の焦点をあてている。第2局面の行動科学による社会学的アプローチが唱える多元主義的モデルは「現実」が自然に発生したものとして捉えているが、ホールはこれを否定する。ホールはそうではなく、「現実」は、メディアが世界や「現実的なもの」、「自然的なもの」の表象をイデオロギー的に形成、構造化することを通じて波及すると説明する。

 しかし、注意しておかなければならないのはここで言うイデオロギーの概念とはフランスの代表的構造主義哲学者であるルイ・アルチュセールの「イデオロギー理論」を踏まえたものである。アルチュセールは権力構造を国家装置(国家が具体的に権力をしばしば暴力という形で行使すること)とイデオロギーの国家装置(国家から比較的独立した私的領域に属しているもの)との二つに分類した。前者は、警察、軍隊、裁判所などであり、後者は教会や学校、労働組合や文化、そしてメディアなどが挙げられる。しかし、ここで重要なのはアルチュセールがこのイデオロギーの領域を経済的な生産関係によって決定されながらも、決定され得ない残余をはらみ、さらには逆に生産関係を決定するものとして捉えている点である。即ち、これを応用したホールの言葉を借りるのならば、「イデオロギーは闘争の場であり、勝ち取られる目標であって、支配的集団による永遠の所有物ではないのである。」ということである。

 こうして形成されるイデオロギーの効果は、それ自体を目立たないようにすることであり、それによってメッセージは「現実」についての自然で自発的な提示であると思われるようになる。ホールはこの現象を「現実効果(Reality Effect)」と呼んでいる。ここで、一つ具体例を挙げてみたい。ホールが共著で発表した「ポリシング・ザ・クライシス:強盗、国家、法、秩序」(1976年)という論文で、彼はメディアにおける表象とメディアの役割の分析を行っている。ここで、彼はある事件を分析し、メディアがどのように「強盗」と黒人とを結び付けていくかを解明する。そして、メディアに自律性があるからこそ、メディアが権力の一部としてではなく、アルチュセールの言葉を借りるとするならば国家装置から離れたところに存在するからこそ(=目立たなくする)、支配的な権力にとって都合の良いパブリック・イメージが形成されると説明する。何故なら人は「客観的」とされるものを信用するからである。

 こうして、ホールは1960年以前のアメリカの行動主義的アプローチが唱える、「メディアは現実をそのまま反映させたもの」という議論を否定したのである。

 こうした、議論を踏まえると彼の最も有名な「コード化/脱コード化」の概念は理解しやすくなるであろう。「コード化」とはメッセージの送り手が、送りたいメッセージを生産―流通―消費のプロセスに組み込んで、ある意味を持たせるために加工すること、即ちメッセージの構成の瞬間である。一方、「脱コード化」は反対にコードが読まれ、理解される瞬間である。しかし、ここで彼は「脱コード化」のプロセスは単なる消費ではなく、能動的な消費の「生産」と考えたのである。視聴者は、ただ単にメディアのメッセージを資本の利益に適うように読み解くのではないということである。これは、先ほど述べた、アルチュセールの「イデオロギーの領域を経済的な生産関係によって決定されながらも、決定され得ない残余をはらみ、さらには逆に生産関係を決定するもの」という考え方や、「3.」で述べた、グラムシの「ヘゲモニー論」からの強い影響によるものといえよう。

 

5.実践としてのカルテュラル・スタディーズ

 以上、カルテュラル・スタディーズの理論的背景を述べてきたが、多くの書物で「カルテュラル・スタディーズとは一つの統一した体系を持ついわゆる「理論」ではない。」とあるように、また、ホールが繰り返し「私は思想家、哲学者ではない」と述べているように、カルチュラル・スタディーズは理論ではないのである。

 「4.」において、CCCSの活動に関しては多少触れたが、カルテュラル・スタディーズは研究対象が明確で、それを理論化していくという従来型の学問的枠組みとは一線を画すものである。それは、その研究対象が全てであり、また、ただ単に既存のものを批評的に分析していくことを目的とせず、自らがメディアを作り出す、という「実践」がそこで行われるからである。具体的に言うならば、サブ・カルチャー研究も行われると同時に、そうしたサブ・カルチャー自体も自らが作り出していくこともカルテュラル・スタディーズとなるのである。

 冒頭の、「カルテュラル・スタディーズは「理論」ではない」という言葉を正確に表現するならば、「カルテュラル・スタディーズは「理論」の中には納まりきらない」と言い換えることができるのではいだろうか。

 

6.おわりに

 近年流行している、エスニシティ研究の流れ、ポスト・コロニアリズム論の流れ、新たなフェミニズムの流れ、そして今回題材としたカルテュラル・スタディーズの流れは、その思想的背景から、思想としての特徴まで、複雑に重なり合っている。

 カルテュラル・スタディーズをはじめとしたこうした新たな学問体系は実践を含んだ一つの枠組みは、価値相対主義の罠にかかった多くの思想的体系に明るい未来を翳しているといえる。しかし、本レポートで述べたようにそれ自体の特性を理解するのは難しく、そういった難点を乗り越えてはじめて大きなうねりとなって社会を動かすまでに至るであろうと予想される。

 

 

参考文献

     『カルチュラル・スタディーズ入門』上野俊哉/毛利嘉孝 ちくま新書 2000

     『実践カルチュラル・スタディーズ』上野俊哉/毛利嘉孝 ちくま新書 2002

     『現代思想 スチュアート・ホール特集』青土社 1998

     『現代思想フォーカス88』木田元 新書館 2001

     『カルチュラルスタディーズ入門』グレアム・ターナー 作品社