小熊研究会1最終レポート

フランツ・ファノン 『黒い皮膚・白い仮面』

≪フランツ・ファノン〜人間解放の思想家≫

環境情報学部四年 79953735 小林伸也

 

1、本レポートの目的

小熊研究会1で19日に行った、「黒い皮膚・白い仮面」に関する発表内容を手際よく整理することで、鍵となる概念である「人間解放」がファノンにとって何を意味していたのかを記述することを目指す。では本レポートの構成を説明しよう。まず、第二章では内容の紹介に入る前に著者ファノンの経歴を概覧する。何故なら、ファノンがどのような人物なのかを記述することが本著の理解に役立つからだ。

第三章以後は本著の内容紹介に入る。第三章では本著の主題とそこにどのような意図が込められていたのかについて書物全体を概説する。続く第四章では、本著の章立てを参考にしつつ述べられている疎外を巡る分析をテーマ毎に整理する。第五章では、そうした観点を基にニグロの生体験をファノンの記述するイメージから再構成する。第六章では、自己解放の鍵となる“認知”という概念について、ファノンに影響を及ぼした思想家との関係を踏まえつつ整理する。最後に、第七章では「人間解放」に込められたファノンの意味と、そこから私が感じたことを述べさせて頂く。

 

2、フランツ・ファノンとは何者か

「黒い皮膚・白い仮面」を読み解くためには、著者であるファノンがどのような人物であるかを把握する必要がある。よって、まず彼の生まれ育った場所、そして彼の家族を通して人格形成のプロセスを眺めてみよう。

フランツ・ファノンは1925年、西インド諸島フランス領マルチニック島に黒人として生まれた。マルチニックはフランスの海外県であり、様々な闘争の歴史を経て形式上には本国に近い地位を獲得するに至っていた。その中でも、彼が育ったのはフォールド・フランスという首都であり、そこはカリブに浮かぶアンティーク諸島中で最も開化しているとされる場所であった。こうした環境の中、ファノンは当地では上層に属する家庭で青少年期までを過ごすことになる。無料の小学校とは異なり、授業料の必要な高等中学校に進学する子供は島の中でわずか4%であったという事実が教育において彼は特権階級に属していたことを窺わせる。

では、次にファノンの家族について眺めてみよう。彼の両親はどのような人たちだったのだろうか。父親はインド系移民労働者の末裔であり、母親はオランダ系の姿勢混血児であった。この二人の性格についてユーモアを交えて形容するなら、「遊び人の父親、肝っ玉おっかあ」となる。夫婦仲は良くなかったが教育には熱心で、子供たちに対しては権威的に接していたようである。次に兄弟に目を向けよう。

フランツは男女共に4、即ち計8人兄弟の三男であった。ここで注目すべきは「皮膚の色」である。8人の兄弟の皮膚の色は各々異なっており、中でもフランツの皮膚の色は最も黒に近かった。「うちはニグロの一家じゃない」と混血の母親は口にしており、皮膚の色に潜む序列が後々のファノンの思想形成に何らかの影響を及ぼしたことは考えられる。

このような青少年期を経た後、第二次大戦時には自ら志願してフランス軍として戦った。戦後はリヨンで精神医学を専攻し後の思想形成に影響を受ける。1952年には処女作「黒い皮膚・白い仮面」を出版し脚光を浴びる。

後に白人女性と結婚し、1953年にはアルジェリアの病院に赴任。アルジェリア革命勃発後は民族解放戦線を助け、治療と精神病棟のあり方を巡り奮闘を重ねる。1956年には病院を辞職して解放戦線に身を投じる。だが、1961年にアルジェリア独立の日を待たずアメリカで病に倒れることになる。

 

3、「黒い皮膚・白い仮面」とは

「黒い皮膚・白い仮面」は、二グロとして実存することの精神病理、並びに哲学的解明を主題としている。ではニグロとして実存することの精神病理とはどのようなものか。その本質は、著名に集約されている。それは被植民者としての実存を強いられているニグロが、身体的には「黒い皮膚」であるにも拘らず、意識的には「白い仮面」を装おうという現象を指している。この自分とは何者なのかというアイデンティティを巡る葛藤こそがファノンをして本著を書かしめた出発点といえる。

故に本著の目的は、黒人の精神的疎外のプロセスを分析することで、黒い皮膚の人間を自身から如何に解放するかを提示する点にある。いわば、黒人に鏡をつきつけることで、自己検討/解放の処方箋を提示している。系統的に構成されておらず、詩か散文めいた印象を読者に与える本著は、アンティル諸島の黒人への目覚めの呼びかけさえといえる。尚、ここでいう疎外とは自己疎外を意味し、他者との関係/神話的イメージ/価値観の中に黒い皮膚を持っているという意識がもたらす様々な歪みを指す。詳しくは次章以下を参照して頂きたい。

 

4、各章分析

(1)   言語と表象の問題

ファノンの問題意識は、被植民地状況を生きる黒人が植民地本国の言語に対して特徴的に位置づけられてしまうプロセスとその理由の解明にある。黒人の分裂は次のような形に象徴される。即ち、黒人は黒人といる時と白人といる時とでは行動の仕方が異なるのである。そして、この分裂をファノンは植民地主義の直接の結果として捉えている。では、具体的にどのように行動面での差が現れるのか。ニグロの間の関係、次にニグロと白人の関係において彼はこの問題を考察している。

例えば、ファノンは帰朝者の例を挙げている。本国に教育を受けにいく人物は、アンティル諸島では教育を受けたエリートである。そもそも彼らはクレオール語を使用する土着民と異なり、フランス語を使用する特権階層に属している。だが、一度本国に留学するや否や、言葉遣いと態度に変化が生じる。帰朝者を出迎える植民地側の住民のいう「フランス人のフランス語に近づこうとするパリかぶれ」と化すのだ。では、何故にこのような変化が生じるのだろうか。その理由をファノンは次のように説明する。

「アンティル諸島の黒人は、フランス語を自分の国語とするだけ、より一層白人に近くなる。言い換えれば、より一層本当の人間に近づいていく。(p40)」

 

ここから分かるのは、言語を話すことと意識の有り様の密接な関係であり、また植民地本国の言語(仏語)に対して土着の言語(クレオル語)が位階上“被植民者の意識において”下位に位置づけられているという事実である。ここで重要なのは、植民者/被殖民者、白人/黒人、といった安直な二項対立ではなく、序列化が発生しているという点である。

ここで皮肉なのは、白人にニグロを一括して表象するが、表象された当のニグロの間にさえも実は序列化の波が押し寄せるという点である。マルチニック人、アンティル人、セネガル人という順に、地域や皮膚の色/言葉遣い/態度など様々なレベルでそれ以前には見出しえなかった差異化が植民者との接触で形成されてしまうのだ。白人による表象の独占もその傾向に拍車をかける。

白人は黒人に対して、片言で話しかけるなど、あたかも大人が子供に接するかのごとき態度をとる。それは白人による黒人の「片言を話すもの」への封じ込めであり、表象の独占に繋がってしまう。また、広告や映画での表象もニグロのステレオタイプ化をもたらす。ニグロは常に「よいニグロ」であらねばならない。そしてそれは「ニグロだけど、XXXXよい」という一定の形で提示されなければならないのだ。

ファノンは人格形成期における表象の影響を本著の様々な箇所で重視しているが、こうした表象の独占と非対称性が再生産されてしまう現状に苛立ちを覚えている。ではファノンは何を求めているのか。彼自身は次のように語っている。

 

「人間性や、尊厳の感覚や、愛や、慈悲に訴えることによって黒人が白人と同等であることを証明し、認めさせるのは容易い。だが、私たちが欲するのは、黒人を手助けして、植民地状況の中で育まれたコンプレックスの塊から、彼自身を解き放つことにある。(p53)」

 

ではそれは如何に可能となるとファノンは考えていたのだろうか。その前に、言葉により形成された意識が恋愛という関係にどのような歪みをもたらすかについて眺めてみよう。

 

(2)   恋愛の問題〜白人の異性に対する黒人男女の屈折

これらの関係を考えるに際して、参考になる概念として“劣等コンプレックス”が挙げられる。これは、植民地原住民の心理的歪みを神経症として精神医学の言語で説明ものである。では具体的に劣等コンプレックスはどのような形で現れ影響を及ぼしているのだろうか。

 

@ 黒い皮膚の女と白人の男の場合

この関係の歪みを集約するのが“乳白化”という概念である。それは、白人の男と結婚することで血統を白くしようとする黒人の女に見られる態度を指す。それのプロセスは、感情過敏症や過剰代償行為といった概念で説明される。とりわけ興味深いのは、黒人の女性と混血の女性を比較した場合である。ファノンは次のように述べる。

 

「前者には、唯一つの可能性、ただ一つの関心しかない。白くなることだ。後者は、ただ単に白くなるだけではなく、逆行するのを避けたいと思っている。(p76)」

 

このように皮膚の色階に一種の階層を設けて、その中で上昇しようと努める競争という形で劣等コンプレックスは影響する。

 

A     黒い皮膚の男と白人の女の場合

恋愛に関して自らの“皮膚の色”に呪縛される黒人青年が例として挙げられている。彼は、「黒人の男は白人の女の肉体を求める」という性の神話に呪縛され白人女性との結婚を躊躇する内省的な黒人である。白人に愛されることで、自らが白人の愛に値する存在であることを証明してもらおうという彼の試みは、遺棄性神経症なのだが、興味深いのはその本人の意識上では“皮膚の色”が理由として想起されているという点である。では劣等コンプレックスという概念に潜む政治性について、ファノンの批判に沿ってもう少し詳細にこの概念を検討してみることにしよう。

 

(3)依存コンプレックス(マノニ氏への批判)

依存コンプレックスの発生を、精神分析医であるマノニ氏は次のように根拠付けている。彼は、その原因を植民地化以前に劣等感の芽が存在したという本質主義的な主張に求め、依存コンプレックスを無意識の欲望という概念で説明している。彼は次のようにさえ述べる。

 

「あらゆる民族が植民地化されやすいというわけではない。ただ、この欲求を持っている民族だけが植民地化される。彼らヨーロッパ人は待たれていた。彼らの進化となったものの無意識において欲望されていた。(p120)」

 

一方ファノンはこの種の説明を痛烈に皮肉り、ユングを参考にしつつ、無意識の欲望は社会的なものであり、コンプレックスは白人による植民地化に由来すると反論としている。彼にとってこのような状況を作り出しているのは、<文明人>と<原始人>との出会いであり、その結果が原因と混同され、心理学的分析により位置づけられることで誤解を産み出していると指摘する。ではファノンはどのようにしてこの状況を打破しようと考えるのだろうか。彼はマノニ氏の主張に対して自らの主張を次のように対置する。

 

「劣等意識を抱くことは、欧州人が優越意識を抱くことの土着的相関物である。劣等コンプレックス症を作るのは、人種差別主義者である。(p115)」

 

よって処方箋は次のようなものとなる。

 

「患者が自己の無意識を意識化し、二度と幻覚の乳白化を試みぬよう、そうではなく、まさしく社会構造の変革という方向で行為するように助けなければならない。(p121)」

 

このように個人と集団への組み合わされた働きかけの必要性が力説されているのだ。では働きかけはどのようになされるべきなのか。そのために、ファノンは精神病理学を検討することで、この問題を考察している。

 

(4)二グロと精神病理学

ファノンが着目したのは次の点である。即ち、アンティル人の子供が正常な家庭で成長して精神的外傷がない場合にも、大人になって白人世界に接触すると神経症になるという現象である。ただ、この問題を考察するに際して、彼は安易な精神分析学の適用について警告を発している。というのも、精神分析学は与えられた行動を家族という特殊集団内で理解することを目的としているからである。これは時に、家庭環境の諸性格の社会環境への投射をも招く。よって、特定の体験(精神的外傷)から神経症を説明するフロイトの図式の安易な適用を彼は拒否する。ではこの現象をどのように把握するべきなのか。そこで、彼はユングの“集団的無意識”という概念を参照する。

彼にとって、「マルチニック島はその集団的無意識によってヨーロッパの一部」をなしていると映る。その結果が、<白い無意識>と<黒い皮膚>との葛藤という形で噴出するというのだ。具体的には、黒=劣等という表象とその内面化が問題となる。よって、彼にとって黒人問題は次のように認識される。

 

「黒人問題は資本主義的、植民地主義的な、そしてたまたま白人のものである社会によって搾取され奴隷化され蔑視されている黒人の問題である。(p218)」

 

ではこのような誤解は何故に生じるのだろうか。そのプロセスをファノンは「白人にとってのスケープゴートとしてのニグロ」という視点で考察している。彼にとってニグロとは「現在を背負うことの出来る客体」という役割に閉じ込められた存在ということになる。対象として白人は黒人を選ぶのに加え、意識上では“白人である”黒人もまた“黒人”を選ぶ。このような客体化のプロセスを「文化的強制による奴隷」と彼は纏める。

ではこの種の葛藤を逃れるにはどのような方向が存在するのか。ファノンは二つの選択肢を提示する。まず、「私の皮膚に注意しないように他人に要求すること」。或いは、「他人が私の皮膚に気づくように欲すること」。前者から後者への移行が、ファノンの思想的な歩みに対応する。このようにこの章では理論的にファノンによる疎外の状況を説明してきたが、次にこのような状況に生きる黒人の生体験とそこからの脱出としてファノンが思い描いていたビジョンに目を移そう。

 

5、二グロの生体験

彼は「他の人間たちの中のひとりの人間である」であることを望んでいた告白する。そしてそれを不可能にするものとして「ほら、ニグロ」というという名指しを指摘する。名指しは他者の反応に対する再―反応であり、(actionではなく、reaction)肯定性の根拠を相手の認識に拠っており、自ら構築出来ない。それは「感情的硬縮」であり、人間としての認知を拒否する白人世界への闘いへと彼を向かわせる。

このような状況で彼が直面するのは、白黒両世界から二重の拒否である。非理性的な拒否の仕方に対置し、世界を「理性化」することで説得を試みる。確かに、言葉の上では理性は勝利する。だがすぐに失望に襲われる。何故なら依然として「白人並みになる(に理解される)黒人」という構図、即ち偏見の温床が温存されているからだ。そして時にそれは「白人の情緒的強直」を招く。

そこで、彼は「白/黒」における「黒」の固有性とその称揚、即ちネグリチュードに執着するようになる。それはいわば「母なる大地との一体化」といえる。黒人文明が発掘され、白人文明に対置される。だが、依然として「白/黒」という構図は保持されており、サルトル的ヒューマニズムにおける「否定的契機としてのネグリチュード」からは不十分なものと写る。そこで、彼は「歴史生成の一モーメントのネグリチュード」という認識に到達する。

では、このような認識へと至る認知のプロセスを、ファノンはどのように理論的に思い描いていたのだろうか。これまでの理論に潜む問題点とファノンの提示する理論について次に見てみよう。

 

6、二グロと認知

 認知の必要性をファノンは訴えるに際して、ファノンはアドラーとヘーゲルの理論を参照している。では、各々に対するファノンの立場を眺めていこう。

★ニグロとアドラー

 ファノンはアドラーによる性格心理学のアンティル人への適用を「現代の欺瞞」として告発する。アドラーによれば、ニグロの自己規定は常に「他者との比較による位階制に基づく自己規定」となる。ニグロとは「比較する存在」であり、常に「他者の出現」に依存しているという。図式化すると、下図の@の立場となる。

だが、ファノンはこの図式@に対して疑問を提起する。何故なら、神経症的性格の構造を呈するのはアンティル人一般に見られる現象であるからだ。彼が代わりに提起するのは図式Aである。次の発言は全てを雄弁に語っており、また認知を阻害する要因を的確に捉えている。

 

 

「マルチニック島人は自分を白人と比較するのではない。白人は父、首長、神と見なされている。マルチニック人は自分を白人の守護の下に同胞と比較するのだ。(p233)」

 

     ニグロとヘーゲル

ファノンはヘーゲルによる有名な「主人と奴隷の弁証法」に対してもここでは懐疑的な姿勢をとる。何故なら、ヘーゲル弁証法は相互的に認知しあうものとしての主人と奴隷(絶対的相互性)を前提としているからだ。アンティル諸島の場合、認知の非対称性が著しい。黒人=奴隷/白人=主人という構図からの出発、それは人格としての認知を困難にし、ヘーゲルの意図する独立した自己意識の認知とはなりえない。

ファノンは、この非対称な関係を次のような卓抜ともいえる描写で把握している。ニグロとはいわば「主人の態度をとることを許された奴隷」であり、白人とは「自分の奴隷に同じテーブルで食事をすることを許した主人」であると。こうしたニグロは自由のために闘ったことがなく、「自由の値」を知らない。或いはこの関係は、「違いを否定する白人」と「違いを知りそれを願うニグロ」と換言できる。ではファノンはこの両者を経た上で、どのような「人間解放」即ち認知のビジョンを描きあげたのか最後に検討してみよう。

 

7、ファノンの立場〜人間解放とは

「白い仮面・黒い皮膚」における自らの位置づけはどのようなものだったのか。換言すれば、ファノンは黒人の自己疎外をどのような立場から語っていたのだろうか。当初、彼は白/黒の二項対立、即ち「皮膚の色という牢獄」に囚われていた。だが最後には、普遍主義、大文字の人間に依拠するという立場へと至った。だが、ここで重要なのはファノンが人間という言葉を唱える時のコンテクストと、その言葉を引き受けるに要した決意の重みである。彼のいう人間とは、単に人間主義的な人間を掲げることではなく、人間になるという主体化のプロセスを意味している。

<人間>とは皮膚の色から目を背けることにより、白人と同じように認知してもらう人間ではなく、皮膚の色を直視した上で、白/黒を超えて絶対的に肯定しうる人間を指す。彼は言う。

 

「黒人の不幸は奴隷化されたということである。白人の不幸と非人間性はどこかで人間を殺してしまったことである。(p249)」

 

白人も黒人も共に<人間>から疎外された犠牲者なのだ。よって、彼は黒い世界の「詭計」の犠牲者であったり、障害を「ニグロの価値の明細書の作成」に費やすことの愚かさを唱える。また、ヘーゲルのいう大文字の<歴史>のうちに私の運命の意味を探すことの無意味さも指摘する。サルトルの言う「否定的契機としてのネグリチュード」ではなく、「歴史生成の一モーメントのネグリチュード」、即ち「今・ここ」での人間化のプロセスこそが重要なのだ。そして人間化という視点から眺めれば、「ニグロは存在しないし白人も同様に存在しない」。彼にとって真に重要なのは、人間をして作動的(actional)ならしめることなのである。

こうした彼にとって、最も問題なのは「道具に人間を支配させること」、即ち「人間による人間の、つまり他者による私の奴隷化」である。よって「人間を発見し人間を求めること」こそが、最も配慮を払うべきこととなる。彼はその体験を「黒い皮膚・白い仮面」の第五章で次のように享受している。

 

「ひとりの人間が精神の尊厳を勝利せしめる度に、一人の人間が彼の同胞を奴隷化する企てにノンという度に、私はその行為との連帯を意識したのだ。(p249)

 

そして「黒い皮膚・白い仮面」最終ページ最終行で次のように締めくくっている。苦しみと怒りと苦闘の果てに、そこから抜け出そうという試みの中で辿り着いた境地は次のようなものであった。ファノンにとって人間解放が何を意味していたのかということは第七章で述べてきたが、それを唱え実践することの意味は、ある種の“祈り”だったのではないだろうか。最後にその箇所を引用して本レポートを締め括らせて頂く。

 

「おお、私の身体よ、いつまでも私を、問い続ける人間たらしめよ!(p250最終行)」

 

 

                              (以上8739字)

     参考文献

フランツ・ファノン著作集1 「黒い皮膚・白い仮面」  みすず書房   

フランツ・ファノン著作集2 「地に呪われたる者」   みすず書房

フランツ・ファノン著作集3 「革命の社会学」     みすず書房

フランツ・ファノン著作集4 「アフリカ革命に向けて」 みすず書房

  「人類の知的遺産78 フランツ・ファノン」 海老坂武  講談社

  「社会学事典」      見田宗介・栗原彬・田中義久  弘文堂