2003年春学期 小熊研究会T発表
『登校拒否のエスノグラフィー』
総合政策学部4年
70007185
念佛明奈
1.本書について
1−1.著者について
1−2.本書の構成
前半:<登校拒否>が「問題」にされていった歴史 後半:実際の東京シューレのエスノグラフィー
2.本論
2−1.「登校拒否問題」の構築
〜「登校拒否」はどのように「問題」にされていったのか〜
A.構築主義の手法
構築主義のアプローチ―つまり社会問題を【ある想定された状態について苦情を述べ、意義を申し立てる個人やグループの活動であると定義し説明】する方法を用いて、どういう立場の人たちがどのように<登校拒否>というカテゴリーを定義し、また再定義していたったのかを明らかにする。
B.1期「登校拒否問題」の提起(1950年代中頃〜1970年頃)
児童精神科医や心理学者による病理としての定義づけ
・1950年代末の児童精神科医による問題提起 「登校忌避」「学校恐怖」というコトバ
→病理であると定義付けられた<登校拒否>
・マスコミの報道記事
C.2期 実践的対応期(1970年頃〜1980年代半ば頃)
非専門家たち(行政・その他の人)の参入
・戸塚ヨットスクール事件(1983年)
→登校拒否を治療の対象とすることに対する異議のみられないマスコミの反応
・文部省の取り組み 生徒指導資料(1971)に独立した項目として「登校拒否」が登場
→「登校拒否問題」が生徒指導の中心的課題に
原因「本人の自我の形成の破たん」「親の態度」(本人の性格傾向・家族関係)、
対処法「より権威的に登校を指示すること」「もっぱら受容的なカウンセリング」などの成功例
・キャンプ療法(体育学者などの取り組み)
「健常児との対人理解・対人関係向上をはかる健常児との統合キャンプ」
→早期の学校復帰を促進するのが目的
・精神科医・心理学者の取り組みの多様化 「希望会」発足(国立国府台病院内1973年)
D.3期 登校拒否は病気じゃない(1984年〜)
当事者による<登校拒否>のカテゴリーの定義をめぐる攻防
・「希望会」→「登校拒否を考える会」発足(1984年)→東京シューレ設立(1985年)
・<登校拒否>を病理と見る見方やそういった見方に基づいた対応への異議申し立て
「三〇代まで尾引く登校拒否症 早期完治しないと無気力症に」朝日新聞記事(1988年)
・雑誌見出しでみる報道姿勢の変化
2−2.東京シュ―レのエスノグラフィー・秩序のあり方、アイデンティティ
〜子どもたちが抜け出し、はじきだされてきた学校を中心とした世界のどこが苦痛だったのか〜
A.フリースクールとは
・欧米のフリースクール シュタイナー学校やサマーヒル・スクール
・日本のフリースクール 欧米の思想と実践型/不登校の子どもの居場所
B.学校外の居場所のエスノグラフィー
・呼称
子どもたちにとっての関係規範の意味
・「強制されない場」としての東京シューレ 3つの理念「自由」「自治」「個の尊重」
・学校に囲い込まれる学齢期の子どもたち 「家庭の学校化」
C.<登校拒否>をしている子どものアイデンティティ
・3つの自己定義
「学校に行けなかったもの」
「今は学校に行ってないもの」
「学校に行かないことを選んだもの」
・文部省認定による新たな圧力 1992年「民間施設」での通いの日数を学校での「出席扱い」に
3.感想
・不登校(登校拒否)の中の格差
・「所属する」ことの安心感
参考文献
『登校拒否のエスノグラフィー』朝倉景樹 彩流社 1995年2月20日
『フリースクールとはなにか』NPO法人東京シューレ 教育史料出版会 2000年7月5日