2003年度 春学期 小熊研究会1        20030609

     「ゲイ・レズビアンムーブメント」  日本生活編  発表用レジュメ 

                          環境情報学部4年 小林伸也

 

第一章、イントロダクション(本プレゼンのアウトラインと目的)

@日本におけるゲイ/レズビアン・ムーブメントの概観

Aゲイ/レズビアン・スタディーズの紹介

Bクィア・スタディーズの紹介

C各領域間での論争(ゲイ・スタディーズ/レズビアン・スタディーズ/クィア・スタディーズ)

Dゲイ・レズビアンとして生きるということ

⇒日本のゲイ/レズビアン・ムーブメントにおける理論/運動/生活の関係を考えてもらう

 

第二章、日本のゲイ/レズビアン・ムーブメントの背景(*事後的整理)

     レズビアン・・・リブ運動の一部として七〇年代から存在

          掛札インパクト 

☆ ゲイ ・・・エイズ問題(80年代後半)まで大々的には表面化せず

大きく3つの流れ

         @コミュニティ研究の流れ(欧米のレズビアン・フェミニズムの影響、伏見インパクト)

         Aゲイ・スタディーズの流れ(リブ→HIV、府中青年の家裁判)

         Bクィア・スタディーの流れ

 

90年代初頭:リブ勃興期

・「府中青年の家」裁判 アイデンティティ・ポリティクスの先駆け

90年代前半: ゲイ・ブーム期

・マス・メディアによりゲイがポピュラーに(イベント、雑誌、記事大幅増加)

「ゲイ文化」という概念の創出

→普通でお洒落で面白いゲイというイメージ

・「ゲイナイト」という装置

    →ゲイ産業(風俗・ポルノ・水商売)のイメージから脱却。自己肯定感と快楽に基づく主体化

    →雇用の創出(ドラッグ・クィーンなど)

・「プライベート・ゲイ・ライフ」、「『レズビアンである』、ということ』刊行

90年代半〜現在:ライフスタイル化期 

・インターネットのインパクト。ライフスタイルとしてのゲイ化

   →ゲイライフ、パートナーなど新しい言葉の戦略的導入。編者の顔出し。イメージ転換。

 

                

第三章、日本のゲイ/レズビアン・スタディーズとは(誰が何のために何を?)

(1)独占される表象

@HIVのスケープゴート

・同性愛者=病気というメタファー

・AIDSパニックのスケープゴート(犠牲者としてのレズビアン)

Cf HIV感染者の中には同性愛者が存在する ⇔ 同性愛者ならHIV感染者だ

                       → 危険なのは同性愛者だ

Aゲイ・ブーム(ファッションとしてのゲイ、異性愛者による“ゲイネス”の消費)

(2)フォビアという問題→「府中青年の家事件」

(3)浮上した課題

☆当事者による当事者のための運動。

「当事者たるゲイによって担われ、ゲイが自己について考え、よりよく生きることに寄与すること、さらに異性の間の愛情のみに価値を置き、それを至上のものとして同性愛者を差別する社会の意識と構造を分析することによって、同性愛恐怖・嫌悪と闘っていくのに役に立つ学問」(ヴィンセント1997

@     ゲイとしての主体をいかにして確立するか(アイデンティティの確立と権利の獲得)

 A ゲイ・フォビアと闘う

 

第四章、日本の「ゲイ/レズビアン・スタディーズ」における議論

〜どのような展開、何を問題としているのか〜

 

<1>何をゲイ/レズビアン・スタディーズと呼びうるのか

(1)当事者/非当事者という問題

・当事者とは誰か→当事者と言明をする(出来る)者/しない(出来ない)者

「『当事者』主義」vs「『反当事者』主義」→当事者:非当事者=弱者:強者?

・当事者/代弁の問題(当事者性の功罪⇔代表/代弁の功罪)

「あなたの問題は私の問題とは違う。あなたの解いた問題の解き方では私の問題は解けない」(上野1997

→だがこの発言は相手が相手なりの問題を解いたからこそ言えるのではないのか

     「当事者はなりたくて当事者になるとは限らない」

EX カムアウト・・・他に人がいないと自動的に代表者と認知される

→「これは私の意見であって、同性愛者全体の意見ではないのだけど」という枕詞
・何のための当事者か(当事者性の意味)

@中立・客観を装う一面的な研究に対する告発

A抵抗の手段、研究批判や議論の場における正当性の根拠

・無自覚/自覚という問題

→セクシュアリティを支える諸構造に対する無自覚/自覚

 

(2)今後ゲイ/レズビアン・スタディーズは何を目指すべきか

「新たなゲイ/レズビアンについての言説を加えることではなく、ゲイ/レズビアンに

その経験された『現実』を語らせる、ゲイ/レズビアンが語る」という課題を担う物

                                  (砂川)

 

(3)レズビアン・スタディーズについてゲイが語るという問題

@レズビアン・スタディーズ研究欠落への喚起?

A欧米のレズビアン・スタディーズからの多分な影響

 

<2>アイデンティティという問題(本質主義と構築主義 フェミニズムの回参照

@アメリカのケース(社会運動編参照)

     背景→黒人公民権運動などからの影響が大きい。故にエスニック/人種差別の文 

   脈(アイデンティティも含めて)で語るという傾向が強い。

・集団表象/代表としての「アイデンティティ」:反フォビアと権利の獲得

個人の存在に関わる個体の「アイデンティティ」:欲望に基づくライフスタイルの構築

・マジョリティに対するカウンターとしてアイデンティティを形成

→運動の拡大と供に、セクシュアリティというエスニックの比喩では抜け落ちていた問題が発生。

→集団内部差異の顕在化(アイデンティティ・ポリティクスの陥穽)、クィア的問題

裕福な白人ゲイ、ゲイ中心の問題形成(レズビアンへの蔑視)、他のSMの排除、ポスト構造主義

 

A日本のケース

☆背景−米国の議論を輸入・経由したアイデンティティ問題。(年表参照)

    →「ゲイ」という言葉を戦略的に輸入。リブを通じて主体化を図ろうとしたが、、、

(1)   当事者の抵抗〜何が主体化を阻んでいたのか

@カムアウトすることへのネガティブな反応

 →当事者をも規制するホモ・フォビア Ex 商業雑誌のケース

・編集者自身の抱えるフォビアの問題(マーケットや読者の問題だけでなく) 

→「ゲイ」を男と男の絆と置き換え、同性愛者であることを隠蔽

・ゲイ(多くはホモ・フォビアが強い)を怖がらせないようにゲイを肯定するというジレンマ

→リブという形でアイデンティティを樹立しにくい

→商業的なものとリブ的なものの接点をどこに見出すのか

Aアイデンティティへの懐疑

→「性なんて人間の多様な要素の一つなんだから、ホモを大げさに捉えても仕方ない」という根強い考え方  

  B異性愛者による表象       

・「ゲイ・ブーム」(伏見)

  →異性愛者によって収奪される「ゲイ」。ゲイのゲイネス化。流行としてのバイセクシュアル

   CF 現「性的多様性」、「多様な性を認める」という言葉にも陥穽?

・「レズビアン」というスティグマ(掛札)

  →男と女(フェミニスト)による収奪

(@)ポルノグラフィとしての「レズビアン」

→「女と女がまるで男と女のようにセックスしている姿」、「性的な部分だけしか存在しない存在」

   「女に対して男のような性欲をもつ者」

(A)イデオロギーとしての「レズビアン」・・・レズビアニスト≠レズビアン、上野/掛札(+平野)論争

  Cポスト構造主義の影響

・アイデンティティ=近代社会化の産物。≠獲得すべき目標、解体すべく働きかける対象

 

(2)アイデンティティをどう立てていくのか

・戦略的本質主義

→アイデンティティの構築性を認めた上で、目的に応じて戦略的に本質主義を用いるという思想

→セクシュアリティを抑圧する構造(ヘテロセクシズム)の改体を目標としつつも、暫定的に権利

の獲得を目指すという思想

     日本的文脈を考慮した苦心の産物?

  →構築しつつ脱構築する(構築と本質という見かけ上の対立。目的が異なる)

ex、アイデンティティ2段階論(BY 浅田彰)

・異なるレベルのアイデンティティ

日常生活の中で個人が実感しうる「アイデンティティ」、解放運動などにおいて意識的に主張される

「アイデンティティ」、抽象的に思考される「アイデンティティ」

 

⇒「ゲイ」・「レズビアン」アイデンティティは誰によってどう表象/代表され、誰を排除するのかを文脈に即してそのつど考察していくことが必要なのでは?

 

<3>クィア・スタディーズのインパクト

(1)   クィアとは

本来ゲイやレズビアンといった、いわゆる性的少数者を揶揄する言葉。直訳すると「変態」という意味。

Ex、「我々はクィアです」「クィア的XX」→文脈により意味するところは変る

@マイノリティ集団内部の一枚岩性への反発

→クィアというタームは、ゲイ・レズビアン・アイデンティティを社会的構築物として捉え、脱構築する

理論の名称として90年代からセクシュアリティ研究の分野で使われている。

 

Cf「性愛の対象に女を選ぶか男を選ぶかという軸だけをとって、それがアイデンティティのベースになっているのはおかしい、というのは当たり前で、たとえば「主人と家庭を大切にしつつ、ステキな彼女と出会いたい」と文通欄に投稿する主婦レズビアンの方と(草の根系レズビアン・アクティヴィストの)私とじゃ、アイデンティティ・ポリティクスで共闘できるわけはないじゃない」

「Queer Japan Vol1」 座談会 溝口彰子発言より

A異性愛制度の改体

・本質なきアイデンティティ←正常な、正統的な、支配的なものとぶつかるもの

「実証的な心理とか確固とした現実に基づく必要は全くない」 

「何か特定のものを指し示すとは限らない」(ハルプリン1997

→「変態」を性的な領域でのみ語るのではなく、日常生活、結婚制度、社会問題からアートまで、あらゆる場をクィア的視点で見直す。スタンダードの不条理、特異性、「常識」を再検討する。

 

☆日本という文脈での“クィア”

→ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、TS、TGといったセクシュアル・マイノリティを包括的に表

現する概念に。なんとなくマイノリティ同士連帯???

「マイノリティ同士、お互いに助け合いましょう」??? 東京レズビアン&ゲイ・パレード

 

(2)何のためのクィア理論

@クィア≠セクシュアル・マイノリティ

→対場の違いの明確化(誰に対して何を要求したいのかを明確にしないと意味がない)

→利害調整(立場の違いの存在を前提)としての連帯・共闘

→主体性、当事者意識が低い(誰かがやってくれて、自分は美味しいとこだけ頂こうという風潮)

A     煙幕としてのクィア

→「脱アイデンティティ派(クィア理論研究者)の宣言によるゲイの相対化を防ぎ、ようやく成立し始めたゲイ・アイデンティティが骨抜きになるのを防ごうと、、、」

「Queer Japan Vol1」 座談会 伏見憲明発言より)

→「問題なのは自分が何者なのかわからなくてもいいじゃないと堂々と言える土壌を90年代は作ってし

まったことなんです」(「Queer Japan Vol1」 座談会 より

→境を曖昧にすること≠セクシュアリティを名づけること

→セクシュアル・マイノリティ内部にTGやTSの流入。全てを受け入れようとすると何も出来なくなる

→互いの違いと共通点の両方を探すことが必要

 

(2)クィア・スタディーズ(構築主義的)vsゲイ/レズビアン・スタディーズ(本質主義的)という不毛

・クィア・スタディーズによるゲイ/レズビアン・スタディーズ批判

@単一のセクシュアル・アイデンティティに還元出来ない多様性を封じ込める

A同性愛/異性愛という二項対立の堅持がセクシュアリティの連続性を無視。カテゴリの再生産

B性別とセクシュアリティの共犯関係を問いに付していない

・ゲイ/レズビアン・スタディーズによるクィア・スタディーズへの反論

@ゲイ/レズビアン・スタディーズを一枚岩として見すぎ CF 文化人類学の蓄積

A“先行”ゲイ/レズビアン・スタディーズの再評価  CF 伏見、掛札など

・クィア的問題(ヘテロセクシズム解体)いかになされるべきか

→二項対立を崩し、セクシュアリティとアイデンティティの結びつきを断ち切る

→ヘテロセクシズムのプロセスを解明する

 

(4)パブリック/プライベートという問題(ヘテロセクシズム社会の欺瞞)

  理論編「セジウィック」参照

☆ゲイ・スタディーズ的な発想

・セクシュアル・アイデンティティとプライベート/パブリックの関係

→異性愛者のアイデンティティ(パブリック/プライベート)

   同性愛者のアイデンティティ(全てプライベート)

⇒同性愛者と異性愛者では“プライベート”の意味が異なることが抑圧の原因?

☆クィア・スタディーズ的な発想

・異性愛者のアイデンティティを(公的/私的)で分類しても意味はない

→むしろ問題とすべきは「ジェンダー規範」

「男性(女性)なら女性(男性)と恋愛をしてセックスをする」

・「私的なことは私的なこと」→「私的なことは公的(政治的)なこと」

→「私的な領域とは公的に作り出された“制度”である」

→「セクシュアリティとは実際には公的にコントロールされていながら私的な領域に隔離されている

ために、あたかも公的領域の干渉から自由であるかのような見かけを与えるもの」(上野1997

 

☆ ジェンダー規範

→「結婚」や「恋人の話」という形で「異性とのセックス」の存在を繰り返し示さなければならない

→セクシュアリティに纏わるジェンダー規範は私的なものとして認識されながらも、公的な場で繰り返

し示され確認されている

→私的なものとして位置づけられているセクシュアリティを公的な場に折り込むことで親密性が表現され

関係を円滑にする

→開示されるセクシュアリティが私的なものと位置づけられようと、実際は公的な機能を果たしている

 

☆カミングアウトに応用すると

     異性愛者が公的/私的を分け、同性愛者を私的空間に押し込めていることが問題ではない

     ヘテロセクシュアルというセクシュアリティが公的な場を支配し、社会関係を構成しつつも性的なものを私的なものとして位置づけていることこそが欺瞞

「カミングアウトの戦略とは公的に構成されたものとしての私的な領域から、公的な領域に領域侵犯することでカテゴリーを混乱させること」(砂川1999

 

     「府中青年の家」事件

・日本社会同性愛寛容論(差別とは何か)

公然の秘密、知ったかぶり、自称寛容、差別はなかった

→「ゲイであることは問題ではないのだが、、、」

「あなたたちのことはよく分かっている、、、」という物言いは如何にして可能となるのか

 

第五章、    ゲイ/レズビアンとして生きるということ

☆ ゲイ(男性)にとってカムアウトはどのように困難なのか

@       一過性のアイデンティティとしてのゲイ。カムアウトの空洞化

「どうして君が本当にゲイだって分かるんだい?」

A       フォビアの意図せぬ暴露、軽蔑侮蔑の具体化

「あなたがゲイだと知っていたら、あんなことは決して言わなかったわ」

B       両親や配偶者、家族への影響≠民族マイノリティの場合

「息子に聞かされて私のほうがクローゼットに投げ込まれてしまった」

C       エロティック・アイデンティティの動揺

「なんて言ったらよいのか、よく分からないよ」

D       クローゼットへの押し戻し

「私はゲイなんだ」「またーっ、そんなこと言っても信じないよ」

E       ルールモデルの欠如

 →周囲(家族)に抗ってのアイデンティティ形成、コミュニティ頼み?

F ジェンダーシステムへの反逆

 →既存の結婚制度や家族制度を破壊するインパクトを持つ

  →「子供を持たない、結婚しない、家族を持たない」を実質上同時にカミングアウト

  ≠「私はユダヤ人です」

                    セジウィック「クローゼットの認識論」(1999)より

 

☆レズビアンの抱える問題

・不況による厳しい雇用情勢、ジェンダー+セクシュアリティという問題

・コミュニティ基盤がゲイと比べて脆弱、ネットはどこまで有効か

・結婚による(ゲイ)メリットを利用できない

 

☆様々な問題

保険制度、住居探し、パートナーシップ制度(結婚)、老後の問題、育児、親の介護(同居)、恋愛、就労、医療(性感染症など)


第六章、まとめ

(1)初期研究(レズビアン・フェミニズムを発展させた生活に基づく研究と(90年代初頭)と後期研究

(ゲイ&レズビアン研究、クィア研究 (90年代半ば以後の)の分断

(2)表象/言説研究への偏り(演繹的な研究=実存と理論の実践がどう生じるのかという分析の欠如)

 

第七章、参考資料

     参考文献

・全章

「ゲイ・スタディーズ」キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也 青土社(1997

「現代思想19975月臨時増刊号『レズビアン/ゲイ・スタディーズ』」青土社

「ジェンダー・トラブル」 ジュディス・バトラー 青土社(1999

「性現象論〜差異とセクシュアリティの社会学」加藤秀一 勁草書房(1998

・第二章

「ゲイという[経験]」伏見憲明 ポット出版(2002

「Queer Japan Vol1 特集メイル・ボディ」伏見憲明編集 勁草書房(1999

「同性愛入門〜ゲイ編集」伏見憲明編集 ポット出版

・第三章

「同性愛がわかる本」伊藤悟 明石書店(2000

・第四章

「実践するセクシュアリティ〜同性愛/異性愛の政治学〜」動くゲイとレズビアンの会(1998

「構築主義とは何か」上野千鶴子編 勁草書房(2001

「Queer Japan Vol1 特集メイル・ボディ」伏見憲明編集 勁草書房(1999

「クィア・スタディーズ96」クィア・スタディーズ編集委員会 七つ森書館

「クィア・スタディーズ97」クィア・スタディーズ編集委員会 七つ森書館

「『レズビアンである』、ということ」 掛札悠子 河出書房新社(1992

「現代思想200012月号〜特集ジュディス・バトラー」 青土社

・第五章

「アンチ・ヘテロセクシズム」平野広朗 現代書館(1994

「セクシュアリティの心理学」 小倉千加子 有斐閣選書2001

・第六章

「パレード〜東京レズビアン&ゲイ2000の記録」監/編 砂川秀樹(2001

Lesbian and Gay Movements: Between soft and hard」 Wim Lunsing(2000)

     参考映像資料

The Times Of Harvey Milk」 REpstine San Francisco Black Sand Produxtions1984

     参考ウェブサイト

NPO法人 OCCUR/ 動くゲイとレズビアンの会):http://www.gb-sos.com/index.html

すこたん企画: http://www.sukotan.com/index.html

NPO法人 ぷれいす東京: http://www.ptokyo.com/

◆付属資料1、「府中青年の家」裁判概説


■発端

19902月、動くゲイとレズビアンの会(アカー)が東京都府中青年の家で合宿利用中に、他団体による差別・嫌がらせを受ける。「青年の家」所長は、嫌がらせに対処するよう要請したアカー側に対して、「都民のコンセンサスを得られていない同性愛者の施設利用は今後お断りする」と発言。更に東京都教育委員会(石川忠雄委員長)が同年4月、「男女は別室に泊まらなければならない」(性的に惹かれあう者同士が同室に泊まることが問題)という慣例「男女別室ルール」をたてに同性愛者の宿泊利用を拒否。
■東京都を提訴

アカーは翌年2月に、この都教委決定を不服として東京都を提訴東京都は「男女別室ルール」を楯に反論。「男女別室ルール」が焦点に。全国の青年の家に向けて「男女で泊まれますか」と全部電話し調査。男女でも泊めている施設や、行政の施設であっても「男女の部屋割りはグループの責任に任せる」規則化しているものを発見。また、サンフランシスコ教育委員会委員長トム・アミアーノ氏(自身がゲイであるとカミングアウトした上で教育委員にトップ当選した人物)は、説得力ある陳述を裁判所において展開。          ■第一審勝訴(1994)第二審供に勝訴(1997)。都は上告せず

参考: 諏訪ノ森法律事務所:http://www.ne.jp/asahi/law/suwanomori/