2003/06/09小熊研究会1 発表レジュメ

ゲイ・レズビアンムーヴメント(運動編)

 

環境情報学部3年 中嶋寿美子 

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0. 運動の背景

     近代以前→宗教的な戒律を破った「罪」としてキリスト原理主義の私刑の対象に。例えば中世ヨーロッパにおいて、現在で言うレズビアンは魔女狩りのうちの一つだった。

     近代以降→近代家族の神話から、それを崩すような存在に対するフォビアが生まれる。アメリカの殆どの州が男色を禁止するソドミー法を持っており、ゲイというだけで合法的に職を解雇され、魔女狩り的な暴力を受けていた。

 

近代以降のレズビアンの歴史として

     昔はレズビアンといっても男性と結婚している女性が殆どであった。経済的に依存しつづけざるを得ないような状況で、彼女らの夫たちも「女性同士ならよい」などと寛容だった。ただ19世紀には正常なものとしてみなされていた女性の間のロマンチックな友情が、20世紀には反フェミニスト感情によって「異常」なものにされた。

     ハーレムでは刑務所や監獄などのホモソーシャルな世界から比較的早く黒人レズビアンのサブカルチャーとして形成されたが、「ブッチ(男役)とフェム(女役)」など、異性愛をそのまま真似するようなかたちで発達した。

 

近代以降の時代背景として

     第二次世界大戦前→南米・アジア・アフリカ等から移民が流入し、エスニックマイノリティが都市部で増加。女性の高等教育の普及からフェミニズムの流れ

     第二次世界大戦→軍隊生活、家庭に残された女性達というホモソーシャルな経験をつくり、同性愛の存在の可視化につながる。原爆、ホロコースト、戦後のマッカーシズムなどへの反体制派、黒人市民権運動、学生運動、環境問題など

     ベトナム戦争→反戦ムードの中、自由と平等を叫ぶヒッピームーヴメントとともにあらゆる規範からの開放を求める運動がおき、自由なライフスタイルが広まる。

 

このようなものが同性愛者のゲイ・レズビアンムーヴメント、運動を生み出す基盤となり、同性愛に限らず、性が抑圧されているから解放していこうという意識が生まれた。

 

1.ゲイ・レズビアンムーヴメント(アイデンティティの形成)1970年代

1969年6月27日におきたStone Wall Riotをきっかけにゲイ・レズビアンムーヴメントが本格的に動き出す。同性愛者だというだけで度重なる嫌がらせを受けていた同性愛者たちが、NYのゲイ・レズビアンバー、Stone Wall Innで警察に連行されようとした際ついに皆で抵抗し、争いは二日間にわたった。当時の報道ではRiot、暴動とされたがこれはヘテロセクシュアルな視点からのもので、この反乱はむしろ革命的な役割を果たしている。運動が始まるわけだが、レズビアンとゲイも運動を起こすにあたり異なった主張をしていく。

 

■レズビアン・ムーヴメント

     70年代、中産階級の女性によるフェミニズムの台頭と共に政治的レズビアン(ヘテロ)なども現れ、レズビアンの主張はレズビアン・フェミニズムという形で、フェミニズムの一環としてとりこまれる。日本でも70年代にリブ運動の一環として、レズビアンたちの主張がされる。

「偏見を取り除く」よりも「女性という性からの開放」ということに焦点がおかれた、家父長制の社会に対するカウンターカルチャーとしての色彩が強い。ただレズビアンの主張はフェミニズムの「家父長制を変える」というよりも「家父長制とは別の全く新しい女性文化を主張する」、非常にラディカルなものだった。このためフェミニズム内部でもレズビアンに対する反発はあり、全米女性機構(NOW)の設立者や支持者は「ラベンダー色の脅威」と呼び批判。結局、「フェミニズムは理論でありレズビアンは実践である」「フェミニズムは異議申し立てであり、レズビア二ズムはその解決法である」などの分け方がされるようになっていく。

 

     男根主義に基づく恋愛、性愛のあり方をことごとく批判し、独特の愛し方を構築する。セックスとはダンスをすること、手をつなぐこと、見つめあうこと・・・

     /女の性役割に固執した労働者階級のレズビアンのスタイルを異性愛、性差別主義の模倣として激しく非難、化粧、スカート、ハイヒールは「隷属的な女性心理」

 

     男性のホモソーシャルな世界においてホモセクシュアルというのは非常に嫌われ排除されるものという傾向が強く、ホモソーシャルとホモセクシュアルの線引きが明確なのに対しレズビアンの歴史を見ると女性のホモソーシャルとホモセクシュアルの線引きはきわめて曖昧。「手をつなぐ」ことも性行為だとするならば、これはホモソーシャルなのかそれともホモセクシュアルなのか。

     この女性におけるホモソーシャルとホモセクシュアルの線引きが曖昧であるということ、また男性同性愛者で最も可視的なのは白人男性であるというところに、近代の資本主義社会というものが深く関係しているのではないか。

 

■ゲイ・ムーヴメント

ベトナム反戦ムードの中、自由と平等をスローガンにしたヒッピームーヴメントとともに、自由なライフスタイルを求める傾向が強くなる。カミングアウトが非常に叫ばれた時期であるが、一方でGay Culture(一般:自由で新しいライフスタイル・アイデンティティを追求) とGay politics(エリート:実際の権利獲得のために選挙の出馬や集票、他のマイノリティとの連携など)の分離ということにもつながっていく。

 

     なぜ「カミングアウト」しなければならないのか?

同性愛者には目に見えるスティグマ(烙印)がない、と言っていたように、ゲイやレズビアンは見ただけでは同性愛者かどうかは分からない、不可視なものだから。

1.人種、女性 ・・・可視的でカミングアウトは必要ない

2.在日韓国/朝鮮人の「本名宣言」・・・不可視的でカミングアウトは

→同性愛の「カミングアウト」との類似。だが同性愛者の社会的アイデンティティは歴史的に見れば比較的新しい現象であり、民族的アイデンティティと違って堅固なコミュニティや長い間に蓄積された血統や伝統といった基盤がない。(資料3)

 

     カミングアウトにはどんな意味があるのか?・・・アイデンティティ形成

@     gay prideとしてのアイデンティティを獲得(自己同一性)

A     市民運動のための連帯(当時者性)・・・政治的な意味合いが強い

異性愛社会にあって「妻」「夫」の話は別にプライベートでも何でもないが、同性愛者の場合はあたかもプライベートな寝室の話を持ち出したかのように受け取られやすい(資料2)。

カミングアウト「Come out of the closet」という言葉は、あらゆるゲイ・レズビアンが可視なものになれば抑圧はなくなるだろうということだったが、潜在的なゲイに対するホモフォビアを強くしてしまった面もある。しかしそれでもカミングアウト、可視化になることのもたらした結果は非常に大きかった。

 

     アメリカ合衆国の約半分でソドミー法が廃止される

     同性愛の非病理性が認められるようになった:DSM(精神障害のための診断統計マニュアル/アメリカ精神医学学会)での記述からだんだん病的な意味がなくなっていき、最終的には精神障害、つまり病気ではないと認められた。初期は電気ショックを与えるなどの「治療」が行われていたが、その効果が見られなかったこと、また精神科医など内部からのカミングアウトがあったことが大きな原因となった。(資料4)

→アメリカでは87年に非病理性が認められているのに、日本では95年になって初めて精神医学学会が認めた。それも単にアメリカの輸入として。アメリカで非病理性が認められてからも、それ以前の同性愛を病理とみなす論文の翻訳本が無批判に出ていた。Imidasから「病気」だとする記述がなくなる。

2.バックラッシュ(アイデンティティの解体)1980年代

70年代の運動は、60年代のフラワーチルドレンによる社会革命の波に乗ることができたが、主流文化が保守に回帰した80年代にはその勢いも失われる。一方文化研究・文学理論、ポストモダン・フェミニズムが台頭し始め、調査と理論がせめぎあいを見せながらも、研究者とコミュニティの協力体制が作られていった(セジウィック、バトラーへ)。

 

     保守党政権→米では保守派のレーガン政権の下、急速なバックラッシュ。

     アイデンティティの解体

マイノリティ内部での多様化→より細分化された個のアイデンティティ獲得へ +

ゲイ・レズビアンムーヴメントという大きな運動の消滅 −

     HIVの蔓延

政府の対策「エイズは同性愛者の病気=異性愛者は安全」だとして異性愛社会の不安を取り除くことに終始し、実際の対策を考えるどころか同性愛者を排除する傾向にあった。感染の行為ではなく主体であるはずの同性愛者(男性)が病気の根源とされる。キリスト教団体から「天罰」などの声。

 

@     アメリカ:ラディカル/レーガン就任時はエイズを認めず→同性愛者の病気

A     フランス:ラディカル/1987年までコンドームの使用許可を出さず→同性愛者の病気

B     イギリス:ラディカル/魔女狩り的世論(→健全な異性愛社会の敵)

 

C     オランダ:ラディカリズムの不在/リスク・グループに権威(→病気、同性愛者に一任)

リスク・グループである同性愛者にエイズ対策を一任「専門知識は経験に依拠する」

→エイズに関しあまり政治的な「不満」を持たない(政府に不満が出にくい)

→ラディカルなエイズ・アクティヴィズムは展開されない

しかしキャンペーンで強調されたのはコンドームの使用ではなく、とにかくセックスを控えるようにということで、なかなか受け入れられなかった。もしこのメッセージが同性愛者のエリートからではなく、異性愛の政府当局からのものであればより敏感に反応し迅速に議論され批判されていただろうか?

 

D     日本:ラディカリズムの不在/非加熱製剤使用の隠蔽(→同性愛者の病気)

宗教など、同性愛に対し暴力的なまでの強いカウンターとなるものが不在。

@     同性愛を「罪」とする罰則は定められてはいない、人々も暴力的なまでではない +

A     カミングアウトしても「寛容=無視」されクローゼットに押し込められたまま ―

アメリカ在住の日本人のゲイで感染者が報道されたことにより、非加熱製剤の使用を許可してHIVが広まった厚生省の怠慢は陰に隠れた。また非加熱製剤問題に目がそらされた結果、safer Sexなど、政府の感染する行為を問題にした積極的な対応はされていない。

→ラディカル・アクティヴィズムACT-UP(Aids Coalition To Unleash Power)の設立へ。エイズ危機に対する異性愛社会の遅々とした対処に業を煮やしたゲイと、80年代の穏健化に反発し彼らを支持する少数の若年層のレズビアンによって作られる。

→日本において、アカー(OCCUR)、動くゲイとレズビアンの会が結成される。

 

ある程度「可視化になったゲイ」というを利用して「同性愛者の病気(だから異性愛者は大丈夫)」という方向で多数派のパニックを防ごうと先程伊藤さんが普遍化とマイノリティ化ということを言っていたように、ゲイの存在を認めつつ、ここではエイズの感染は「行為が問題である(同性愛者だけの問題ではない)」と普遍化して、きちんと現状を見て対処していくことが求められている。

 

3. 多様化する性(アイデンティティのビッグバン)1990年代〜

     性の多様化、「クィア」

ゲイ・レズビアン運動が様々に形を変えながら進む中で、91年、テレサ・デ・ローレティスによって、これまでの異性愛主義とは何かを問い直し、規範のアイデンティティを攪乱するものとして「クィア」という理論が提唱された。クィアとはゲイの蔑称faggotやfairy、レズビアンの蔑称lezzyやdykeの同義語であるQueer(変態)という意味である。

 

「クィア」という言葉の意味する広さと曖昧さゆえに、中身が曖昧なまま言葉が先行している。→マイノリティ化と普遍化という問題。実際にこの「クィア」という理論を使おうとするとき、誰のために、どう使っていくのか。当事者として実際の運動を起こそうとする時の有効性、翻訳の有効性が問われる(⇒実存編へ)

 

 

≪資料≫

1.だが、多数派の形にもとづいて異性愛はこういうものと思われているように、多数派の形にもとづいてレズビアンはこういうものという思い込みがレズビアンのなかでもつくられている。だから、ある女性と親密になりたいという思いを初めて抱いたとき、女性はそれまで自分がいた「異性愛」(を「正常」とする社会)の円の中心から「レズビアン」の円の中心へと一足飛びに変わることを要求されてしまう。自分の心のなかで起きていくわずかずつの変化を自覚し、それにしたがって親密さをつくりあげていくことなしに。(「『レズビアン』である、ということ」より)

 

2.異性愛者であることは「言うまでもない」ひとつの属性であり、すなわち異性愛者の「アイデンティティ」は決して個人的に秘匿すべきプライベートなものではない。異性愛者の場合は自分がどういうセックスをするのかを公的な場所で言わないかもしれないが、自分の奥さんや夫の話を口にすることをはばからない。つまり、異性愛者のアイデンティティはプライベートな部分とパブリックな部分にきれいに分離されているのだ。ところが、異性愛者のアイデンティティはその中の純粋に性的な部分がこうして防衛的なプライバシーのうちに包まれるのに対して、同性愛者のアイデンティティはすべての部分がセックスと同一視されがちであり、そのためにアイデンティティ全体がこのプライバシーによって覆われてしまうのである。このようなわけで、ゲイの男性はそのパートナーの話をしただけで、「プライベート」な隠すべきセックスを、表立ったパブリックな場所に必要も無く持ち出してきた発言として受け取られてしまいがちなのだ。(ゲイ・スタディーズより)

 

3.アイデンティティを考えるのは同性愛者にとって特に難しい問題だ。一方それは、その困難さに比例して重要な課題でもある。この困難は女性やアメリカにおける黒人などと違い、同性愛者であることが必ずしも外見から判断できないことによる。アイデンティティが身体的な記号によって示されないのである。言うまでもなく、厳密な意味で性別や人種というアイデンティティも生物学的な身体性に基づいているわけではない。だがアイデンティティを与える動かし難い文化的仕掛けが、主にその身体性を読むこと(あるいは読めるようなものにすること)によって機能している以上、ほとんどの女性や黒人は自らのアイデンティティを名乗らなくても周囲がそれを認識するようになっているわけだ。これに対して同性愛者の場合、先に論じたようにカミングアウトしない限りいわゆる「普通の人間」とされざるを得ない。(ゲイ・スタディーズより)

 

4.DSM(精神障害のための診断統計マニュアル/アメリカ精神医学学会)の表記の変化

DSM以前      :「精神病的人格」

DSM-T  (1952年):「病的な人格障害」

DSM-U  (1968年):「人格障害」

DSM-U7改(1973年):「性的指向障害」

DSM-V  (1980年):「性心理障害」「自我異和的同性愛」のみを残し外される

DSM-V-R (1987年):同性愛が精神医学の対象から外される

(「ジェンダーがわかる。」「アメリカのゲイたち」より)

 

5.オランダの分極型社会

分極型社会では、共通の利害関係にあるメンバーが結束した極・集団を結成し、政府はその複数ある極の間での利害関係の調整という役割を担う。カトリック・プロテスタント・非宗教系それぞれの極が自治を与えられたオランダでは、このような合意形成型の政治技法も発達していく。・・・・・・また、分極型社会の崩壊はかつてそれぞれの極内部で存在していた集団的なアイデンティティの蒸発現象も生み出し、後には非政治的で商業的な個人主義だけが残ることになった。(オランダ・ゲイ・アイデンティティの脱政治化、解題)

 

6.府中青年の家事件

1990年、アカー(動くゲイとレズビアンの会)が府中青年の家を利用中に、他の利用者から差別的な言葉を浴びせられる、入浴をのぞきはやしたてられるなどの嫌がらせを受けた。しかし職員は善処を講ぜず、逆に同性愛者の今後の利用禁止を決定した。アカーはこの問題を東京地裁に訴え勝訴。都側の控訴に対して東京高裁は、行政当局が職務を行う際には、同性愛者へのきめこまかい配慮と権利・利益の十分な擁護が要請されているとし、都側の言い分を完全に退け、アカーの勝訴が確定した。

 

7.クィア

「クィア・ネーション」の良さはすぐに行動に出ることです。私たちは、レスビアンとゲイの問題に関して果てしなく議論をするのにいやけがさしています。もうこれ以上机の上で作戦を練るのは嫌。・・・・・・もっと挑発的なことがしたいのです。(レスビアンの歴史、1990年、NYのACT-UPによる団体Queer Nationより)

クィア理論という爆発の中心にもしも「ビッグバン」というものがあるとすれば、それはまさしくアイデンティティという概念それ自身である。(ハリエット・マリノウィッツ/クィア・セオリー:誰のセオリー?)

 

「クィア」という語は、パフォーマティヴィティの内部の勢力と抵抗、安定性と変動性の位置の問題を提起する呼びかけとして現れる。・・・「クィア」という主張は、定型を示す語として必要ではあるが、しかし、その代表される者を十分に説明するものではない。(ジュディス・バトラー/批判的にクィア)

 

レズビアン・ゲイスタディーズの基盤になっている主体の形成のためには、同性愛者が何者にも非難されることなく安全に考える場所が必要であり、そこでの相互作用を通してのみ、主体の形成が必要になるという事実も忘れてはならない。主体が形成される中で、他者との関係に目を向け、そこに含まれている複雑な問題に対処できるようになるのだ。そうでなければ、語られるだけの「研究対象」として権力の網の目の中に簡単にからめとられてしまうのである。(ゲイ・スタディーズより)

 

≪参考文献≫

AERA Mook 「ジェンダーがわかる。」

掛札悠子「『レズビアン』である、ということ」

キース・ヴィンセント・風間孝・河口和也「ゲイ・スタディーズ」

栗木千恵子「アメリカのゲイたち」

現代思想1997年5月号「ゲイ・レズビアンスタディーズ」

批評空間1996年U‐8

ユリイカ1996年11月「クィア・リーディング」

ランディ・シルツ著/藤井留美訳「ゲイの市長と呼ばれた男」

リリアン・フェダマン著/富岡明美・原美奈子訳「レズビアンの歴史」

Film: The times of Harvey Milk / San Francisco Black Sand Productions