2003年度春学期小熊研究会T 7/7(月)

「世界システム論から見る、グローバリゼーションとフェミニズム

〜ウォーラーステイン及びマリア・ミースを中心として〜」

総合政策学部3年 谷野直庸(7105665/s01566nt

 

〇はじめに

「近代」という時代は、その当初からそもそも「グローバル」であったという認識は一般的でさえある。この「近代」がその起源から一貫して「グローバル」なシステムであったという点を、近代世界システム論として体系的かつ明瞭に示したのがウォーラーステインである。今回の報告では、そのウォーラーステインの近代世界システム論の基本概念を紹介し、その上で世界システム論によるフェミニズム経済構造分析を用いて、途上国を世界市場に統合させるNIDL(新国際分業体制)を論じたマリア・ミースの議論に入っていく。

 

<第一部>

    ウォーラーステインの近代世界システム論の理論的枠組み●

〜『史的システムとしての資本主義』を中心として〜

 

@著者紹介:I・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein

→1930年生まれ。アメリカの社会学・歴史学者。76年以降、ニューヨーク州立大学社会学講座の主任教授を務める。また、「経済・『史的システム』・文明に関するフェルナン・ブローデル記念研究所」所長を兼任。94年〜98年に渡り、国際社会学会の会長を務める。主著に『近代世界システム』、『史的システムとしての資本主義』、『資本主義世界経済』『世界経済の政治学』、『脱社会科学――19世紀パラダイムの限界』等が挙げられる。

 

A近代世界システム論の概略

■一国史観的な歴史観や、国別の比較史的歴史観とは全く異なる、全世界を単一の世界システムと見なす。その起源は、「16世紀」の「西ヨーロッパ」にまで遡り、その時に初めて大規模な地域間分業体制(近代世界システム)が誕生したと説く。

     理論的には、上記のように国別の発展段階論を否定し、中心=周辺(半周辺)という関係で世界が一つにまとまっているとする。マルクス主義的な開発論のひとつである「従属理論」や世界資本主義論を、その理論的前提としている。

 

B     近代世界システム論における重要概念

→ここでは、『近代世界システム』で述べられているウォーラーステインの議論をより明瞭に理解するために必須となる基本概念を紹介する。以下の基本概念に対する理解なくしては、ウォーラーステインの近代世界システム論の把握は困難である。Aの近代世界システム論の概略と合わせて理解していただきたい。

 

     「帝国」と「世界経済」

     歴史上、数多存在した「世界システム」は、「帝国」と「世界経済」に分類することができる。まず、「帝国」という概念は、世界システム全体が「政治的に」統合されている状態を指すものである。システム全体を支配する壮大な「政治」機構が存在するという形態の「世界システム」は、歴史的に見ると数多く見受けられる。古代の諸王国や、中国の歴代王朝などがその典型である。

 

→「帝国」の特徴としては、地域間の結びつきは強化されるが、その反面、統治の維持費用が莫大なものとなり、その結果政治的に破綻してしまう。

 

     「世界経済」という概念は、16世紀以降、「西ヨーロッパ」を「中核」とした、「資本主義的」な世界システムということを表す。この、資本主義世界経済という形態をとったシステムが唯一の「世界経済」の体制を保持している。

→この「世界経済」という世界システムの特徴として、経済的には大規模な分業体制を

保持しつつも、政治的には統合されていない、という点が挙げられる。「中核」国などの国家機構が、各々に主権を保持しているからである。

 

     「中核」と「周辺」及び「半周辺」

ウォーラーステインは、近代とはその当初から一貫してグローバルな体制であったと主張する。前述のように、彼は、「諸国家の集合」として捉えられてきた既存の社会科学や歴史学の批判として、近代世界を「単一」のシステムとして見る観点を提示した。しかしながら、「単一」=世界の「均質」では毛頭ない。

     そもそも、近代世界システムは「中核」と「周辺」及び「半周辺」から成っている。「中核」とは、「周辺」との間における巨大な分業体制を利用してシステム全体の経済的余剰の大変を占めている国。

     「周辺」は経済的に「中核」に従属させられ、文化的にも「中核」のそれが優位に立つ。

     「中核」は、経済的には製造業や第三次産業に集中し、そこでは「自由な賃金労働」が優越する。産業革命の工場制の典型的雇用形態である。これに対して、「周辺」は鉱山業や農業のような第一次産業に集中している。労働形態としては、奴隷制や再版農奴制などが主流である。(ここで言う強制的な労働形態もまた、「周辺」における労働形態であるという意味でしかなく、あくまで資本主義的世界経済システムの一労働形態である。)その帰結として、両者間の貿易関係は、「中核」からの工業製品と、「周辺」からの原材料及び食料の交換という形態を取らざるを得ない。

→古典的国際分業IDL。第二部のNIDLとの関連にも注目。)

     以上の論点から、「中核」による「周辺」の搾取の必然性を明瞭に解明し、南北問題のような「格差」を生む歴史的構造を解明した。

 

     「ヘゲモニー」

     16世紀以降の近代世界システムの歴史においては、ときとして「中核諸国」の中の一国が圧倒的な経済的覇権を確立し、他の「中核」諸国を寄せ付けないような状況が発生した。このような一国が、他の「中核」諸国を圧倒的に優位する状態を「ヘゲモニー」と呼ぶ。

     ヘゲモニー国家の具体例として、17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、20世紀以降からベトナム戦争までのアメリカ合衆国を挙げられる。

     これらヘゲモニー国家は、生産・流通・金融の順で覇権を確立し、この順で覇権を喪失していく。

 

     「反システム運動」

     「反システム運動」とは、近代世界システムにおいて、システムの部分的改良や漸進的改良による現状の改善を否定し、なんらかのレベルでシステムそれ自体を変革することを要求の土台とする社会的、政治的、知的運動のことを指す。

     古典的な反システム運動は、社会主義運動と民族解放運動である。これらは、ともに、階級的マイノリティと人種的なマイノリティの運動として、近代世界システムの構造的な矛盾が集約的にあらわれる二つの軸であった。

     「反システム運動」という概念のメリットは、近代世界システムが構造的にもたらす矛盾が、どのような場や運動を通して顕在化するのかという点を鑑みる際に、運動のミクロ的状況を、近代世界システムのマクロ的構造との関連で評価・判断するパースペクティブを提起すること。また、古典的な「反システム運動」である、社会主義運動や民族解放運動、フェミニズム(→第二部で詳細に言及)等の個々の運動を、史的分析の中で系譜的に関連させ、比較・再検討を可能にするということ。

 

CI・ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』の概略

 

 

T「万物の商品化―ー資本の生産」

概要:近代世界システム、すなわち歴史的システムとしての資本主義は、諸々の生産活動を統合する場である。そのような観点から、様々な社会過程や土地・労働力の商品化がいかにして進められるのかが論じられている。

 

     万物の商品化と商品連鎖

近代以前の歴史的社会システムにおいては、自己増殖を至上の目的とする資本の循環が完結することはなかった。しかしながら、近代以降の史的システムとしての資本主義は、それ以前において「市場」を介さずに展開されていた交換過程や生産過程、投資過程の広範かつ壮大な商品化という事態をもたらした。

 さらに、これらの商品化にとどまらず、この生産過程は複雑で多様な商品の連鎖として、相互補完的な関係となった。このような意味で、史的システムとしての資本主義は、あらゆる生産活動を統合するシステムとなりうるし、そのシステム内においては、資本蓄積至上主義が支配的であるのだ。

 

     賃金労働制度と労働の社会的区別

現実に即して言えば、活動主体である経済単位は世帯(ハウスホールド)である。そして、この世帯構造という論理において、労働者階級に対する生産的労働と非生産的労働という社会的区別が施される。生産的労働とは、現金収入(主に賃金労働)を得ることの出来る労働を指し、非生産労働とは世帯にとって欠かすことの出来ないものではあるが、自給的活動にすぎないものを指し、当然のことながら後者の労働は商品化されることはほとんどないと言ってよい。史的システムとしての資本主義において、上記の区別は明確なものとなった。

また、特筆すべき点は、史的システムとしての資本主義において、このような分業の慣習化(生産的か非生産的か)が、労働の価値評価と結び付けられたことであり、その帰結として性差別が制度化されるに至ったのである。

      

                      「賃金労働制度の誕生/プロレタリアートの出現」⇒労働の二分化

 

 

       労働の価値評価と結びついた帰結としての「性差別」の制度化

 

  この性差別は一例であるが、ウォーラーステインは史的システムとしての資本主義において、諸々の区別・区分・段差を生み出すことによって、あらゆる格差が正当化されると説く。具体例としては、国家(先進国と途上国)、人種(白人と有色人種)、労働(生産的労働と非生産的労働)など、この理論が適応可能な範囲はあらゆる分野に広がる。このような格差は、史的システムとしての資本主義においては正当化され隠蔽されるのである。

 

     労働の商品化の実際

史的システムとしての資本主義においては、歴史的に見て恒常的に分配の両極化が進行し、資本蓄積が一方に集中していく傾向がある。と同時に、かなり緩慢なペースではあるがプロレタリア化の過程が進行し、このことが利潤を押し下げてきた。それに加えて、近代世界システムの地理的空間的範囲が拡大するにつれ、周辺及び半周辺地域の半プロレタリア世帯の出現を促進してきた事実もある。つまりは、史的システムとしての資本主義の構造上、それは永遠に「周辺及び半周辺地域」を必要とし(この理屈は上記の通りである)、中核と周辺との区分によるギャップからのみ利潤を押し上げることが可能なのである。であるから、労働力が商品化される中で、完全なプロレタリア世帯というのは、中核地域の極一部にしかすぎず、世界の大半は、半プロレタリア世帯であり、またそうならざるを得ないのである。このことは、中核においても周辺及び半周辺においても、その質的差異は認められるが、当てはまることである。

 

U「資本蓄積の政治学―利益獲得競争」

概要:資本主義の本質である資本蓄積のメカニズムを論じた章。報酬の分配が不平等化する資本主義経済システムにおいて、人々がどのようにして自己の利益を図り、他人にはそれを阻止しようとしてきたのかを中心に述べられている。また、資本蓄積・分配の不平等の必然的帰結としての反世界システム運動についての言及も詳しい。

 

     国家権力の重要性

近代資本主義の歴史を通じて、あらゆる政治闘争の戦略目標と捉えられて来たものが、他ならぬ国家権力である。近代資本主義における経済過程において国家権力は不可欠な要素である。その国家権力の重要性を理解する上で、注目すべき点は三点ある。

一つ目は、領土の支配権である。国家には当然の事ながら国境の存在と相互不可分である。この領土の支配権・国境の存在によって、国境を越える「人やもの」の動向を監督する責任を明確にすることが出来た。歴史的にこの国境をめぐって様々な政治闘争が繰り広げられてきた。当然、その背景には、国境が変更することで(合併や植民地化、分離や植民地の独立等)、近代世界システムにおける社会的分業のパターンが即座に影響を受けるという事実があったからである。

二つ目は、自国領内における社会的生産関係を支配する規制を決まるのは、国家に固有の法的権利であるということだ。国家は自国内の生産関係を変更する、あらゆる法的権利を有していた。国家は、労働力の商品化を推進し、租税納入義務を課して労働者を賃金労働に向かわせ、また労働者の完全プロレタリア化を阻止しようとすることもあった。これらの政策も、当然のことながら、それが資本蓄積にどういった影響を与えるかという観点に立脚したものであった。

三つ目は、課税権である。課税制度自体は、近代世界システム独自のものではなく、それ以前からも存在していたものである。しかしながら、近代世界システムは、以下の二点において租税制度のあり様を変更した。第一点目は、租税が、臨時の強制徴収に比べて、国家の主要な財となったこと。二つ目は、生産物や蓄積された資本の価値の総量の中に占める租税の割合が確実に上昇したということである。つまり、国家がより多くの資本を握って、その存在感が増してきたということだ。

結局、第三点目の課税権は、特定の集団に資本蓄積の集中を促す最も効果的な方法であり、国家の再分配機能は、分配の不平等や格差をより拡大させる巨大なメカニズムとして大きな役割を担っていたのだ。この課税制度も、政府のもうひとつの帰納である社会的間接資本の供給も、よりいっそうの資本蓄積をその集中に貢献してきたのであり、必ずしも労働者の生活水準の向上をもたらしていた訳ではなかったのである。

 

     反システム運動

上述の通り、史的システムとしての資本主義における資本蓄積の進行が、必ずしも労働者の生活水準の向上に結びついていた訳ではないことは明らかである。このような状態がより深刻の度合いを増していくと、当然の帰結として反世界システム運動が勃興する。この反システム運動としては、労働・社会主義運動とナショナリズムを挙げることが出来る。前者は、都市の賃金労働者(プロレタリアート)と、ブルジョワジーとの間での抗争である。この運動の争点は、「報酬」の分配が不平等であり、抑圧的であるというものであり、中核における反体制運動と定義できる。それに対して後者は、大多数の「抑圧された民族」と政治的支配権を持った少数の優勢な「民族」との間での抗争である。この運動の争点は、諸々の「権利」の分配が不平等であり、抑圧的であるというものであり、周辺による反中核運動と定義できる。

この二種類の運動は、相互に相容れない存在と考えられがちであるが、以下の二点の構造に関しては類似性が見受けられる。一つ目は、両者の運動ともに、最終的には国家権力の奪取を目的としていたこと。二つ目は、革命的なイデオロギーに基づいて、民衆の力を必要としていたことである。しかしながら、これらの運動自体の構造上、国家権力を掌握するということに関してのみは、成功してしまうことが多かったために、運動本来の反システムの傾向が衰退してしまうことが見受けられた。つまり、史的システムとしての資本主義の政治構造が変革しない限りにおいて、反システム運動の側には選択肢が無く、国家権力の奪取によってシステムの「改良」という矛盾した結果をもたらすということも事実である。

 

     史的システムとしての資本主義は、恩恵をもたらしたか?

この章の最後で、筆者は史的システムとしての資本主義が恩恵をもたらしたのかどうか、という点を論じている。結局、史的システムとしての資本主義が覆う全時代的及び全地域的観点において、資本蓄積が恒常的に進められたということは、このシステムの中では格差が絶え間なく拡大していることを意味するのであり、このシステムが恩恵をもたらしたかどうかということは、すぐれて相対的な問題であると括っている。

 

V「真理はアヘンであるー合理主義と合理化」

概要:近代世界システム、いまり史的システムとしての資本主義のイデオロギーである、「真理の探究」・「自由」・「合理主義」などは、全て中核地域に都合のいいように、中核と周辺の格差を正当化し隠蔽するように用いられてきたということを述べている。

 

□民族集団と人種差別

 史的システムとしての資本主義の全時代、全地域を通して、民族集団と職業的・経済的役割との間には、高い相関関係が認められてきた。世界の労働力が、民族集団を基に区別されたことで、重要なことは三つある。一つ目は、労働力の再生産と労働力の配置転換を容易にしたこと。二つ目は、労働力の教育・訓練装置としての機能がその民族に生まれたこと。最後に、民族集団化によって、職業的及び経済的格差を「伝統」という名の下に、隠蔽し正当化できたことである。この三点の中で、とりわけ注目すべきなのは、第三点目であり、要するにシステムとしての人種差別(レイシズム)である。ここにおいて、人種差別とは、労働者の階層化と報酬の分配上の不平等を正当化するための重要かつ万能なイデオロギーであったのだ。各民族特有の「文化」が、それぞれの民族が異なった経済的位置を占めている主な原因であるという考えに立脚し、あらゆる不平等を隠蔽してきたのである。また、人種差別の意識は、前述の性差別の意識と同様、自己抑圧的イデオロギーとしての機能も果たすだけでなく、外からの圧力を誘発する引力ともなっているのである。

 労働力を再生産していく上で重要な人種差別と同様、幹部層を生み出し、社会化し、再生産する役割を果たした「普遍主義」、「真理」や「合理化」というイデオロギーも、結局は中核の利害を代弁し、正当化し、報酬や権利の不平等及び格差を隠蔽し、相互に納得させる装置として働いてきたのである。

 

W「結論―進歩と移行について」

概要:近代化以前と、近代世界システムを比較した上で、史的システムとしての資本主義が進歩したと言えるのかどうかを、鋭く論じている。また、反システム運動の高まりとともに、今現在史的システムとしての資本主義が頂点をすぎ、衰退の危機に陥っていることを指摘している。

 

     進歩思想

進歩の観念こそが、封建制から資本主義への移行過程全体を正当化するものであった。そして、近代以前の史的システムを現在の史的システムとしての資本主義を比較してみると、必ずしも進歩しているとは言えないと筆者は指摘する。人々の豊かさや、安全性、世界の自由や平等といった点で進歩してきたとは、考えにくいと強く筆者は主張している。

また、筆者はプロレタリアートの絶対的窮乏化を弁護する。今現在でさえ、世界の労働人口の大多数は農村地区に住んでいたり、農村と都市のスラムの間を転々としている人々で、彼らの生活はおよそ500年前のそれと比較しても悪化していると指摘する。それにあわせて、史的システムとしての資本主義が生み出した性差別と人種差別に関するイデオロギー装置にも言及し、プロレタリアートは物質的にも、精神的にも、絶対的窮乏化の状態にあると説く。

 

     史的システムとしての資本主義の衰退

筆者は最後に、指摘システムとしての資本主義が発展の極に近づいている今現在こそが、本当の危険な状態であると示唆する。万物の商品化、反システム運動の頻発、合理主義的思考の拡大によって、本当の危機を迎えているのである。筆者は、社会主義は、将来実現可能な史的システムであると述べる。それはつまり、平等や公正という価値を最大限に高め、民主主義を進め、創造力を解放するような史的システムである。

 

C     近代世界システム論の問題点

     「開発」・「低開発」のセットは、基本的に市場経済の分析にすぐれて有効な概念ではあるが、我々の「生活」の全体をそれだけで把握することは困難である。「商品経済」の分析と、「非商品経済」との分析を統合しない限り、真の近代世界のバランス・シートは作成できない。

Ex)家庭内での育児やケア労働など

     世界システム論の問題として、世界システムの「展開」の評価の仕方である。「開発」・「低開発」、「中核」に住む人々のあらゆる面での恩恵と引き換えに、「周辺」の人々を抑圧・搾取するものが近代世界システムであるならば、単純に近代の歴史を「発展」や「進歩」・「成長」という表現だけでは片付けられない。

→いかにして、近代世界システムのバランス・シートを構築するのか??

 

・近代世界システムにおいて、「中核」では均質な国民からなる「国民国家」のイデオロギーが強調され、世界システムの盛期は、「国民国家」の盛期でもあるというパラドクシカルな状況を呈した。「中核」に対抗しようとした「周辺」でも、自ら「ナショナリズム」を採用せざるを得なかった。

→世界システムの終焉は、「国民国家」の終焉とも密接に連関している。

 

<第二部>

    グローバリゼーションとフェミニズム●

〜マリア・ミース『国際分業と女性』を中心として〜

 

@著者紹介:マリア・ミース(Maria Mies)

1938年生まれ。ドイツの社会学博士。ドイツを中心に国際的に活躍するフェミニストの代表的存在。インドに長く滞在し、都市と農村女性が抱える問題について調査を行った。マルクス主義フェミニズムの蓄積から構築された家父長的資本主義の分析を通して、エコロジーに迫り、世界システムを解明する。主著に、『国際分業と女性』、『世界システムと女性』、『食料と女性』等が挙げられる。

 

A論点

1−新国際分業とフェミニスト分析

・1970年代以降(第二波フェミニズム運動の生起以降)、IDL(古典的国際分業)からNIDL(新国際分業)へと、分業体制の変容が認められる。

IDL(古典的国際分業): International Division of Labor

→先進資本主義諸国=工業生産・自由な賃労働・富の蓄積 /途上国=第一次産品・原料・食料生産・強制や奴隷労働・貧困

NIDL(新国際分業):New International Division of Labor

→先進諸国の工業生産が、途上国・周辺諸地域に移転・再配置。途上国による、世界市場向けの工業製品生産が可能となる。生産の国際化・多国籍企業の企業内国際分業が、重層的・拡張的に進展する事態。

 

2−NIDLの進展過程における、資本主義システムと女性労働分析

     NIDLのように、国際分業の新たな質的変容が、「労働力の女性化」を必然としてもたらした。

→「最後の植民地」としての女性が、資本蓄積のなかに組み込まれた。

     「労働力の女性化」とは、資本主義の外延的拡大における「二重に自由な賃労働」ではなく、性別・人種・エスニシティーにおいて制度的制約を受ける「不自由賃労働」及び、インフォーマル・セクターから生存維持経済に至るまでの「非賃金労働」の増大過程である。このような労働力は、NIDLによって再構成されるジェンダー・ヒエラルキーに基づいて再配置される。

     NIDLの展開過程における前提条件として、ミースは以下の二点を挙げる。

     多国籍企業による第三世界女性労働の「再発見」。再配置された産業・アグリビジネス・輸出指向型企業にとって、最も従順で安価な操作しやすい労働力を、周辺地域で再発見すること。

     これらの企業は、第三世界で生産された商品のすべてを「中核」諸国の消費者が、さらに買うように動因しなければならないこと。

NIDLによって結合された資本主義経済の、入り口と出口の双方で女性労働力の統合が必要(先進国既婚女性非正規雇用労働力/第三世界若年女性現業労働力)。この入り口と、出口に統合された労働力こそ「労働力の女性化」の典型的形態である。

 

3−なぜ「女性労働力」なのか?

NIDLの変容過程における、女性労働力の「再発見」の前提として、なぜ「再発見」される側が女性であるのか?ミースは以下のように説く。

     そもそも植民地化と主婦化は断絶ではなく接合されている共犯関係である。

     資本主義世界経済は国際分業と、性別分業の両者にその基盤を置いている。

     女性は、世界的規模の資本主義(及び社会主義)の蓄積プロセスにとって最適の労働力である。

     女性が最適な労働力であるのは、女性が普遍的に労働者ではなく、「主婦」であると定義されているから。つまり、女性の労働は使用価値においても商品生産においても「明確」ではなく、「自由な賃労働」として現出せず、所得創出「活動」と定義されがちである。よって、男性労働者よりも、はるかにその賃金が安くなる。

・ 世界中で女性を「主婦」と定義することによって、その労働力を安価に見積もることが出来るだけでなく、政治的にもイデオロギー的にも女性を支配することが可能となる。

     典型的な労働者である「自由な」プロレタリアを一般化しようとせず、周辺化され、主婦化された「不自由な」労働者の存在を一般化しようとする傾向がある。(その多くは女性)

     この「主婦化」、周辺化のプロセスは、性別分業と国際分業によって支えられている。

→女性が「主婦」であるという神話は、NIDLの偶然の産物・帰結ではない。むしろ、NIDLの進展のための前提である。

 

Bマリア・ミースの概念を読み解くキーワード

□資本主義的家父長制

     ・・マルクス主義フェミニズムの議論の中で生まれた言葉で、資本家による労働者の抑圧(資本主義的抑圧)と、男性による女性の抑圧(家父長制的抑圧)という二種類の抑圧の重層性や関連性、または一体性を強調するための用語である。ミースは、この議論を援用しつつも、さらに意味をつけ加え、資本主義的で、性差別的で、人種差別的で、かつ生態系破壊的な性質を持つ世界規模の単一の抑圧システムを言い表すためにこの用語を用いている。(資料3を参照)

     主婦化

     ・・人々(その大半が女性)を主婦と定義することで、その人が行っている労働の価値を引き下げ、その人々の社会的地位を従属的なものへと転落させるメカニズム。人は「主婦化」されることで、常に下働き等を行い、休むことなく待機し、無権利状態に甘んじて、低賃金でしかも愛情をもって働かなければならない。

     植民地

     ・・ミースは「植民地」を、いわゆる「経済外的」手段によって無限の自然状態のように収奪され、従属的な地位に置かれ、しかも世界経済システムに組み込まれていながら、理論上「経済の外部」として扱われるものと捉えている。この意味で、「女性」=「自然」=「殖民地」という図式が、資本主義世界経済によって提示できる。

     サブシステンス

     ・・生命維持、生存のための活動、又は生活そのものを指す用語。

     無賃労働

     ・・賃金という形態で報酬が支払われない労働、つまり無賃の労働のこと。具体的には、零細自営農民、家内労働者、主婦、サブシステンス生産者などによって担われている。無賃労働には「資本――賃労働関係」以外の生産関係のもとで行われる、不自由、無権利、悪条件の労働という意味も含まれる。

 

D     ミースの世界システム論的フェミニズム経済構造分析への批判

     ミースによって、資本主義市場経済分析の場を、一国経済分析つまり国民国家分析から世界システムへと拡張する理論形成がなされたが、しかしながら、ミースの使用する「女性」概念が、その集団的単一性を前提としているということ。

→フェミニズム本質主義をめぐって生起する問題、「女性」というカテゴリーの使用可能性

     ミースによる議論は、NIDLの入り口と出口における女性労働の統合形態の分析が、あくまで中心であり、その前提となっている労働力の<移動>そのものは分析対象外である。つまり、<移動>を考慮に入れないがために、NIDLの端と端で女性労働が統合されるのであり。

・ミースの説く、女性労働力の統合は、「生産―流通―消費」の次元で把握されており、広義の「サービス」は含まれない。

以上の、「人間の移動」と「サービス」に焦点を合わせて、ニューヨーク及びロサンゼルスを具体的な場として、「グローバル・シティー」の分析を行ったのが、サスキア・サッセンである。(資料4参照)

 

《資料》

1 15世紀末から16世紀初頭にかけて、ここにいう「ヨーロッパ世界経済」が出現した。それは、帝国ではないが、大帝国と同じくらいの規模を有し、大帝国と共通の特質をいくつかもっていた。ただし、帝国とは別の、新たな何かなのである。それは一種の社会システムであり、この世界が従来まったく知らなかったものである。・・・「世界経済」とは、あくまで経済上の統一体であって、帝国や都市国家、国民国家などのような政治的統一体ではない。・・・これに対して「帝国」とは政治単位である。

(『近代世界システムT』より抜粋)

 

2 ・・・主婦化とは、資本家が負担しなければならないコストを外部化することだということである。これは女性の労働力が簡単に手に入る空気や水のような天然資源と考えられているということだ。主婦化とは、同時にこれらの隠れた労働者を一人ひとり完全にばらばらにすることである。・・・自分の労働力を売るプロレタリアの「自由」は主婦の不自由に基づいている。・・・植民地と主婦化の二つのプロセスが緊密に、まあ因果関係をもって結びついているというのが私の主張である。外部の植民地化――かつては直接的な植民地であり、今日は新しい国際分業のなかにある――を搾取し続けることなしに、「内部の植民地化」――つまり稼ぎ手の男性によって維持される家族と女性――を確立することは不可能だろう。(『国際分業と女性』より抜粋)

 

3・・・近代の資本主義的家父長制によって「自然として定義づけられた」すべてのもの――母なる大地、女性、植民地――を含めなければ、現在の諸問題を含め近代の発展を理解することはできないからである。(『国際分業と女性』より抜粋)

 

4サスキア・サッセン(Saskia Sassen

アルゼンチン生まれ。コロンビア大学都市計画教授の後、シカゴ大学社会学教授。現代移民論、世界都市研究の分野で世界的に活躍している。ポリティカル・エコノミー、ジェンダー研究などの分野にも影響を与えている。主著に『労働と資本の国際移動』『グローバリゼーションの時代』等が挙げられる。

 

<参考文献>

     伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か』平凡社新書2002

     伊豫谷登士翁編『グローバリゼーション』作品社2002

     I・ウォーラーステイン『近代世界システム』岩波現代選書1981

     I・ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』岩波書店1997

     マリア・ミース『国際分業と女性』日本経済評論社1997

     マリア・ミース他『世界システムと女性』

     I・ウォーラーステイン他『世界システムを読む』状況出版2000

     川北稔『知の教科書・ウォーラーステイン』講談社2001

     I・ウォーラーステイン『世界経済の政治学』同文館1991

     上野千鶴子他『ラディカルに語れば・・・』平凡社2001

     『現代思想―2003年1月号』青土社2003

     サスキア・サッセン『グローバリゼーションの時代』平凡社1999