小熊研究会T 2003/07/07 mon
グローバリゼーション 〜WTOと反グローバリゼーション運動〜
総合政策学部4年
山田太喜(Taiki YAMADA)
学籍番号:70230380
ログイン:s02538ty
◆ 本発表の目的
I・ウォーラーステインの世界システム論を踏まえて、グローバリゼーションの一形態として、WTOを紹介し及びそれに対する反グローバリズム運動を取り上げ紹介する。
◆ 著者紹介
伊豫谷登士翁(いよたに・としお)
1947年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科教授(越境移動論)。現在の研究領域は、移民研究、グローバリゼーション研究。
櫻井公人(さくらい・きみひと)
1957年生まれ。阪南大流通学部・大学院企業情報研究科。国際政治経済学。
田中徹二(たなか・てつじ)
1947年生まれ。ATTAC Japan(首都圏)。NGO活動家。
◆ WTO(World Trade Organization)
・ WTOとは
WTOは、1947年に成立したGATT(関税・貿易一般協定)に加え、8回目のラウンドである、ウルグアイ・ラウンド交渉(86〜93年)で成立した複数の協定を運営・改訂するための法的拘束力を持つ国際機関として95年1月に発効。
本部はジュネーブ。WTOに加盟する144の国・地域(2002年1月現在)で世界貿易の97%を占め、ロシアをはじめ未加盟の約30か国が加盟申請の作業中である。
・ WTOの経緯
WTOの前身はGATT(:関税と貿易に関する一般協定、1947年に23カ国の参加によって発足)であり、これは1930年代大不況や第二次世界大戦の要因ともなった関税引き上げ競争などの保護貿易主義を退け、特定の貿易相手国を差別することなく自由貿易を広げていこうとしたものである。
GATTでは関税引き下げのための一括交渉(ラウンド)が八回行われ、関税率の低下が世界貿易を拡大させた。2000年の貿易量は1950年に比べて22倍になっている。
1986年に開始が宣言されたGATTウルグアイ・ラウンドの基本合意後、1994年4月に調印された「WTOを設立するマラケシュ協定」によって、1995年1月にWTOは発足した。
第一回閣僚会議は1996年12月にシンガポールで開催され、電子部品などについて2000年までの関税撤廃をめざす情報技術協定(ITA)で合意した。
第二回閣僚会議は1998年5月ジュネーブで開催され、新ラウンドの予備交渉開始を決定した。
1999年11月シアトルでの第三回閣僚会議では、「反グローバル化」を掲げるNGOの活動などもあり、新ラウンド開始を合意できずに終わっている。
2001年11月にカタールのドーハで開催された第四回閣僚会議で新ラウンド開始が合意され、中国と台湾の加盟も決定された。
◆ 反グローバリゼーション運動
20世紀の終わりに近づくにつれて、反グローバリゼーション運動が全世界で激しく巻き起こり、国際政治の舞台へと登場するようになった。
・ 1999年米国シアトルで開催されたWTO第三回閣僚会議に対しての抗議行動
この行動には、全世界から7万人の市民、500を超えるNGOが集まった。
@ WTO新ラウンド反対という一致点のもとに、これまであまり共同作業を取ったことのなかった労働組合を含む実に多様なNGO・社会運動団体が結集したこと。
A 国境を超えて市民が結集したこと。
ex.労働組合の主力であるAFL-CIO(労働総同盟産業会議:米国のナショナルセンター)の集会だけでも全世界144カ国から闘う人々が参加した。
※ この大規模な行動が引き金のひとつとなって、新ラウンド立ち上げが破綻してしまったということで世界を驚かすことになった。また、NGO・社会運動団体側は、この駆動を契機にしてそれからの反グローバル化運動を、「シアトルのように」という合言葉のもとに闘うことになった。
・ 2001年7月イタリア・ジェノバでのG8サミット
イタリア当局の野蛮な弾圧体制にも関わらず、参加者は国境を越え主催側の予測をはるかに上回る30万人もの人々が結集した。この闘いの成果は、全世界のNGO・社会運動団体のネットワークが飛躍的に進んだことである。(反グローバリゼーション運動の頂点)
◆ なぜ「反グローバル化」を掲げるNGOはWTOの閣僚会議をターゲットに選んだのか。
仮にWTOのような国際機関が失われれば、どの国にもはかり知れない打撃となる。しかし、WTOはどの国にも優しく中立的であるとは限らず、いずれかの国にもっとも良く奉仕する期間となっていることも否定できない。
・ WTOが中立的でない要因としては以下の二点が挙げられる。
@ WTOの基本的な性格は、GATTウルグアイ・ラウンドを開始したレーガン政権の政策が骨格を決めた。
A 財政と貿易の双子の赤字を抱え、産業の空洞化に悩んだ当時のアメリカは、農産物輸出の促進、知的財産権重視(プロパテント政策)、二国間協議と多国間協議(GATT)の併用といった路線を打ち出し、ウルグアイ・ラウンド交渉にそれぞれの課題の解決を求めた。
・ また、WTOに対して「反グローバル化」運動を起こす要因としては以下の三点が挙げられる。
@ WTO協議がグリーンルームにおける先進国指導の密室協議で大筋を決められてしまうという途上国の不満。
A 多国間協議からの退出を「脅迫」に使って二国間協議で成果を得るといった、共和党政権期に現れた外交スタイル。
B 現実には(1999年から見て)過去5年間で少数の強国や多国籍企業に富が集中し、貧困が増加し、持続不可能な生産・消費パターンはさらに加速したという分析。
※ ウルグアイ・ラウンドの交渉分野に当時のアメリカの政策課題が盛り込まれたせいで、WTOは貿易だけを扱う機関ではなくなり、「グローバル化」運動の対象となった。
◆ まとめ
・ WTOの本来の趣旨であった、「多国間で一律に適用されるルール」は、骨格を作ったアメリカの意思が多分に含まれていた。
・ 多国間機構である国際機関は、中立的に運営されても結局は超大国の意向に沿う。それがあまりに露骨な「アメリカ化」の手段と見られたときに、反発は予想以上に激しいものとなり、存立意義まで問われることになった。
◆ 参考文献
伊豫谷登士翁『グローバリゼーション』作品社、2002年。
伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か』平凡社、2002年。
桜井公人・小野寺佳光『グローバル化の政治経済学』晃洋書房、1998年。
市民フォーラム2001『WTOが世界を変える?−身近な矛盾からグローバル化が見える』市民フォーラム2001事務局、1999年。
I・ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』岩波書店、2001年。
I・ウォーラーステイン『世界を読み解く』藤原書店、2003年。
S・サッセン『グローバリゼーションの時代』平凡社、2002年。