2003年度春学期 小熊研究会1 「ナショナリズム」コメント

 

ことば・思想史・いたこの口寄せ

 

総合政策学部四年 小山田守忠

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<発表の目的>

本書『<民主>と<愛国>』における方法論と既存の理論との関連を外在的に考察する

 

 

1.言説分析とは?

・言説:ある社会の特定の時代において支配的だった言葉の体系ないし構造

 (=言語体系/言説構造、構造主義の延長)

「特定の言語が特定の時代においてどのような構造的配置をとっていたか、そしてその構造がどのように変動したかを明らかにすること」(p.18

 ・フーコーとの差違

  @「言説分析」の相違:「言説のみ」/「たんに文字に書かれた文言だけではない」

→言説と集団的/個人的心情、政治・経済的状況、人々の生活状況との相関

  Aタイムスパンの相違:数百年/3040

   →言説の変動要因の記述へ

  B言説の変動要因の設定:言及なし/「心情」と「読みかえ」、世代交代

 

 

2.心情と心性

・アナール派歴史学と「心性」

  「社会構造の変動→「心性」の変容→言葉、概念の意味変容」

  →本書は基本的にこの図式を戦後日本におけるナショナリズムの言説に応用したもの

 ・アナール派との差違

  @タイムスパンの相違

  Aエイジェンシーとしての心情:「心情は言語体系の変化を促すものであると同時に既存の言語体系に拘束されているものでもある」

  B「頂点的知識人」に対するスタンス:「輸入」概念を駆使する知識人=民衆と隔絶/そうした概念の「領有」、無意識的な「誤読」

  C「中央史」的スタンス

 

3.モラル・エコノミー論と60年安保

・ある集団のもっている習俗/倫理の配置、運営、規範など

・「いかに民衆反乱(マルクス主義の主導でない)が起きるか」という問題意識

 民衆反乱は必ずしも飢えたから起こるのではない、@崩れかけたモラルの再建、A自

分達のモラルの確認、B一種のお祭りとして反乱が起きる

・日本では安丸良夫「民衆思想史」、色川大吉「精神史」等が存在(60年安保が背景)

 牧原憲夫もこの視点を受け継ぐ(「客分」と「仁政」、近代的国民意識形成との相関)

・本書においては「共通経験が生み出した集団的な心情」の再構成という形

 その根幹としての戦争体験→60年安保運動の盛り上がりの読み解きへ

・ルソーの「一般意思」を感じさせる記述(筆者はもともと政治思想が基礎教養)

 「自立した個人が他者との連帯を回復する瞬間」を描く

 

 

4.ディスコミュニケーション論としての思想史の系譜

 ・鶴見俊輔「二人の哲学者」:コミュニケーションしようとする意図をもちながらディスコミュニケーションをつくりだしてしまう状況が存在

  →「目に見える」思想史の限界、「語られないもの」「断絶」への注目

・鶴見俊輔ら編『共同研究 転向』:「同情」としての哲学、「想像力」

 見田宗介『気流の鳴る音』:「見る」こと、「畏れる力」

 

5.最後に――まとめと感想

 ・外在的評価/「お勉強」を終えて

 ・いたこの口寄せ

 

 

<参考文献>

小熊英二『<民主>と<愛国>』新曜社、2002

小熊英二『<日本人>の境界』新曜社、1998

小熊英二『単一民族神話の起源』新曜社、1995

小熊英二/上野陽子『<癒し>のナショナリズム』慶應義塾大学出版会、2003

小熊英二「ご書評に応えて」(『相関社会科学』第9号)2000

小熊英二「起源と歴史」(『EDGE11号)APO2000

小熊英二「柳田の経世済民の志はどこにいったのか」(『理戦』71号)実践社、2002

小熊英二/姜尚中「ナショナリズムをめぐって」(『青春と読書』20035月号)、集英社、2003

小熊英二「思想も運動も度量の広さが大切」(『理戦』73号)、実践社、2003

ミシェル・フーコー『知の考古学』(改訳版新装)河出書房新社、1995

ミシェル・フーコー『性の歴史1 知への意思』新潮社、1986

フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』みすず書房、1980

ロジェ・シャルチェ『書物の秩序』文化科学高等研究院出版局、1993

ジュディス・バトラー『ジェンダートラブル』青土社、1999

E.J.ホブズボーム『反乱の原初形態』中央公論社、1971

J.C.スコット『モーラル・エコノミー』勁草書房、1999

色川大吉『明治精神史』(上下)講談社、1976

安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』青木書店、1974

牧原憲夫『客分と国民のあいだ』吉川弘文館、1998

丸山真男『忠誠と反逆』筑摩書房、1998

石田雄『近代日本の政治文化と言語象徴』東京大学出版会、1983

思想の科学研究会編『改訂増補 共同研究 転向』(上中下)平凡社、1978

鶴見俊輔『期待と回想』(上下)晶文社、1997

吉川勇一/道場親信「ベトナムからイラクへ」『現代思想』036月号

 

<参考URL

小熊研究会HP http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/ 

慶應義塾大学出版会HP 『<癒し>のナショナリズム』あとがきPart

http://www.keio-up.co.jp/iyasi/atogaki.htm

 

<資料>

1.小熊「いや、私だって合理的になんか考えていないですよ。これははっきり言いますけれど、私の書いたものが合理的に見えるとか、調べる前に枠組があったんだろうとかいう人がいますが、あんな分厚い本、合理的に考えていたら書けません。私のやっている作業は・・・非常に辛気臭くて面倒なんです(笑)。何らかの非合理的な感情なりエロティシズムがないと、とうてい書けないですよ。」(『理戦』71号p.40、谷川健一との対談での小熊の発言、民俗学と合理性の関係について論じている文脈で)

 

2.小熊「一九五〇年代から六〇年代によく知られた言葉として、「わかるということは変わること」というものがある。「わかること」とは、自分の内部にあるカタログを増やしたり、自分のつくりあげた分類枠に他者を裁断し押しこめることではない。「わかること」は他者や世界と何らかの関係を持つことであり、その関係のなかで自分が変化してゆくことであるはずだ。それは自閉的な自己ではない「自己」を獲得することであり、竹内好の表現を借りるなら、「もし私がたんなる私であるなら、それは私であることですらないだろう。私が私であるためには、私は私以外のものにならなければならぬ時期というものは、かならずあるだろう」という過程でもある。

私にとって「研究」とは、そのような行為である。だからこそ「つくる会」についても、調査を伴わない一方的批判には自閉的な匂いを感じてしまう・・・」

 (『<癒し>のナショナリズム』あとがきPart2 http://www.keio-up.co.jp/iyasi/atogaki.htm

 

3.(芸術と理論について論じている文脈で)「おわかりですね。現在私がうんざりするほど仕事一途で、これまでもずっと仕事一途だったのは、そうした理由からなのです。私は自分の仕事が学問的にどのような位置にあるかなど気になりません。私にとってたいせつなのは私自身を変えることだからです。・・・自分の知識によってこのように自分を変えてゆけるということは、私の考えでは、審美的な体験に近いものです。自分の描いた絵で変われないのなら、画家が仕事をする必要などどこにあるでしょうか」(トリン・ミンハ「月が赤く満ちる時」からの孫引き)Michel Foucault, Plitics, Philosophy, Culture : Interviews and Other Writings 1977-1984. Ed.L.Kritzman, Trans.A.Sheridan et al.,(New York:Routledge),p.14

 

4.小熊「私にとって、自分の著作が読者にとって「感動」的であるか、「美しい」ものたりえているか否かのほうが、研究者間での差異や斬新さを競うことよりも関心がある。だが既存の世界の言説秩序に沿った人情話を書くだけでは、読者は「感動」はしても「美しい」とまでは感じないだろう。「美しい」と感じてもらうためには、読者に世界の存立構造そのものを疑わせ、認識を変容させるだけの衝迫力と分析を伴った研究でなくてはならない。私はそうした衝迫力を自分の言葉で生み出せるほどの創造力はないから、自分が衝迫力を感じた資料を収集し整理して、読者に手渡すというやり方をする。」(『相関社会科学』第9号、p.107

 

5.小熊「まああとは、「つくる会」への単純な対抗意識ですね。「つくる会」の設立趣意書は、彼らが作る歴史教科書の理想として、「私たちの祖先の活躍に心躍らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語です。教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語り合える教科書です」と述べられている。

誤解を恐れずに言えば、それを読んで、そういうものがいまの風潮として求められているなら、私が彼らよりももっとましなものを書いてやろうじゃないかと思った。「日本人の物語」という部分はともかく、「祖先の活躍に心躍らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる」という本を書いてやろうと。」(『理戦』73号、p.16

 

6.吉川勇一 「教える」のではない伝え方の問題

 「先日、ある雑誌に『<民主>と<愛国>』の書評を書いた(『運動経験』03年冬号)ところから、著者の小熊英二さんと何度かメールや手紙のやりとりをすることがあったのですが、小熊さんはベ平連の経験が伝わることが今必要だ、授業で取り上げたところ、小熊さんの本でベ平連のことを知った学生が、こんなに面白かったのか、わくわくすると言ったというんです。つまり単なる歴史上のこととして年表のように勉強させられると、そこに参加していた人の生の息吹までは伝わってこない。そして、昔の運動は暗かった、というイメージしか持てないということになる。だけど、ベ平連の具体的な話をすると、そんなに面白いことがあったのとなるらしいんです。小熊さんは、ベ平連の参加者の体験が、生の声として伝わるよう、ホームページ上などに載せてみたら、と提言されてきました。ただし、その際、「教えてやる」という姿勢はいけない、教えるんではなくて伝わるようにしなければ、というんです。彼らのプラスになるようなものとして提供していく、そういう場所もつくる、そして平等に議論できる場を用意することが大事なんですね」

 (吉川勇一/道場親信「ベトナムからイラクへ」『現代思想』036月号、p.49

 

7.鶴見 『共同研究 転向』より

 「思想の伝承は、非転向の直線状における一点一点でのバトン・タッチとしてでなく、むしろ、転向曲線の重複・交差の地点においてたがいに何ものかを学ぶという仕方で行われることが多い。この場合、前代の走者が迷い、つまずいたその地点こそ後代の走者にとって最も実りのある思索の出発点となり得る。前代の走者の走った転向曲線をもう一度、想像の中に走って見るということ。前代の転向体験を追体験することは、この国の思想的伝統のもっとも深いところからエネルギーをくみとることとなる」(p.5)

 「・・・私たちの目ざすべき方向は、転向体験のまったくない、一歳の赤ん坊、あるいはこれから生まれてくる子供にも、転向問題の重みをわかってもらうということなのだ。私たちの努力が失敗に終り、そしてそのあとに転向問題についての自覚さえもなくなる中間文化時代が二十年、あるいは三十年続くとしても、やがては日本人は過去にさかのぼって転向体験のほりおこしをするようになるだろう。自分たちの全く経験しなかった重要な体験にたいして追経験するように努力することが、思想史としての正統的な方法なのだし、また、百年の近代史の中で転向体験のつみかさなりこそ最も重要な鉱脈を蔵している部分だからだ。」(p.6)

 「転向はつねに、実行可能な非転向との対比において記述される必要がある。転向のみを描くことによっては、転向を批判する地点に達することができない。わたしたちは非転向の地点に自分をおいて転向を批判しようとするのではなく、むしろそれぞれの時代的条件の中に実現可能であった非転向の条件を知ることをとおして、両者をともに批判することのできる地点に達することを目ざしている」(p.8)