小熊研究会1「ナショナリズム」レジュメ 2003/07/14

総合政策学部三年 渡辺朋昭 s02521tw@sfc.keio.ac.jp

 

戦後思想」のディス・コミュニケーション化過程を追う

〜小熊英二『<民主>と<愛国>』より〜

     発表主旨

『<民主>と<愛国>』のなかで著者は、「戦後思想とは、戦争体験の思想化であったといっても過言ではない」と述べる。このように戦後思想の背景には戦争体験が存在する。また、戦後日本は敗戦による貧困状態にあり、階層格差も非常に大きかった。そのような社会状況は、戦後思想の形成と密接に関係している。

しかし、敗戦から10年ほど経つと、日本の社会状況は高度経済成長期に入ることで変化し、また人びとの戦争の記憶も風化してゆく。その中で戦後思想は、戦争体験や貧困といった背景が共有されなくなるがゆえに説得力を失うことになる。

本発表では、こうした戦後思想がディス・コミュニケーション化してゆく過程を追う。

     著者紹介

小熊英二 1962年生まれ。1987年東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、1998年東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教員。著書に『単一民族神話の起源』(新曜社、1995年)、『<日本人>の境界』(新曜社、1998年)、『インド日記』(新曜社、2000年)、『<癒し>のナショナリズム』(共著、慶應義塾大学出版会、2003年)等がある。

     主題

「戦後」における、ナショナリズムや「公」にかんする言説を検証し、その変遷過程を明らかにすることである。分かりやすく言い換えれば、戦後日本において「望ましい人間像」「理想的な国の秩序のあり方」「『国家』と『個人』の関係」というテーマについて、どのような議論がなされてきたのかを検証することが本書の主題となっている。

     研究仮説

「第一の戦後」(敗戦時〜1954年)から「第二の戦後」(1955年〜1990年)へ

第一の戦後:敗戦による貧困、秩序の不安定=混乱と改革の時代

第二の戦後:高度経済成長、秩序の安定化=成長と安定の時代

→「第一の戦後」と、「第二の戦後」では、同じ言葉が異なる響きをもっていた。

例)「民主主義」や「平等」(目指すべき目標から、批判対象として「欺瞞」、「横ならび主義」へ)

→「第一の戦後」においては、「国家」や「民族」といった言葉も、「第二の戦後」とは異なる響きをもって語られていたのではないか?

     研究手法

端的に言えば、本書は「言説分析」を研究手法としている。言説(ある社会の、特定の時代において支配的だった言葉の体系ないし構造)が、時期や社会状況の変化によって、どのように変動するのかを検証する。そこで登場する本書の重要概念は「読みかえ」「心情」という言葉である。しかし、ここではこれ以上言及しない。[1]

     本論

1.「第一の戦後」〜混乱と改革の時代〜

戦後思想[2]の背景とは何か?

(1)戦争体験と、それがもたらした心情

戦後思想は、その背景となった戦争体験を知らずして、理解することはできない。なぜなら戦後思想は、戦争体験や、それを通して植え付けられた心情をもとにしているからである。それでは、戦後思想を生み出す背景となった戦争体験とはいかなるものだったのか、そして人びとに果たしてどのような心情を植え付けたのだろうか。

@     巨大な共同意識の創出

戦争体験は、戦争という悪夢を共有した者たちによって、一つの共同体をつくりあげた。職業も地方も、年齢も学歴も異なる人びとが、多くの言葉を必要としないまま共感を通わせる基盤ができあがった。

→こうした共同意識を通じて、知識人たちの思想も一般民衆の心情とつながっていた。

A     死の恐怖と結びついた崩壊感覚

戦争体験は、少なからぬ人びとに言語を絶した心情を植え付けた。

=現存の秩序や世界を、安定した必然と考えることができない不安感

例)「その前日か前々日だかに大阪は大空襲を受け、試験問題がすべて燃え上がってしまったのか、出願者全員が無試験入学。以来、私はすべての秩序がいつかは崩壊するという度しがたい信念の持ち主になった」(小田実)

→こうした崩壊感覚から、「国家」や「公」を、人びとに根底から問い直す思想が創りださせた。たとえば丸山眞男などは、世界と未来の不安定さを前提に、国家の「建設」に参加する「国民主義」を唱えた。

(2)敗戦直後の社会状況

戦後思想は、戦争体験のみならず、戦後の社会状況も背景となっている。すなわち、敗戦直後における日本の社会状況について語ることを抜きにして、戦後思想について語ることはできない。

@     敗戦による日本社会の貧困

敗戦後の日本では、社会全体の貧困が、大きな社会問題だった。

CF)1948年当時の国民一人あたりの推定所得(国連によるアジア極東経済調査)

日本100ドル/米国1269ドル/セイロン91ドル/フィリピン88ドル/インド43ドル

こうした状況を踏まえ、当時の日本の知識人の多くは、日本を「アジアの後進国」と位置付けていた。

→人びとは貧しさのなかで、自然に政治への関心を抱いた。

=貧困という現実を目の前にして、政治について考えざるを得ない状況が存在していた。

例)「主食にイモをかじりながら、これが何故、<健康で文化的な最低限度の生活を営む>ことになるのか」(敗戦直後の飢餓のなかで、小田実とその友人とが徹夜でした議論)

A     日本社会内部での経済的・社会的格差

1950年代前半までの日本社会では、知識人と労働者、都市と農村のあいだには圧倒的な文化的格差が存在し、話題の共有もありえないというのが常識であった。つまり、人びとが地方と階層によって分断され、均質な「日本人」などという概念が、およそ通用しない世界であった。

例)「地方が開発され、都市も農村も同じ日本だと考えるようになったのは、1960年以降のこと」(山本明)

→身分や地方の分断を克服した「国民」が成立した状況を志向した。たとえば左派知識人は、そのような分断を克服した状態を「単一民族」と表現した。それは志向すべき目標であり、人びとの参加によって「創造」されるべきものだった。

 

戦後思想は、以上のような戦争体験と社会状況を基盤として創りあげられた。そして「第一の戦後」においては、戦争の傷痕と貧困の現実が生々しく、社会秩序がまだ流動的だったため、「悲惨な日本を必ず私たちで建てなおす」という言葉が、それなりのリアリティをもって響いていた。また、左派の唱えた「私的利益の追求≠生活の向上=社会体制の変革」は当時の日本社会では、一定の現実感をもっていた。

しかし「第二の戦後」では、高度経済成長や社会秩序の安定化によって、戦後思想は説得力を失っていくことになる。そのなかで、しだいに戦後思想のディス・コミュニケーション化が進行することになる。

 

2.「第二の戦後」〜安定と繁栄の時代〜

戦後思想のディス・コミュニケーション化の背景とは?

(1)   高度経済成長による、階層の縮小化と「大衆社会化」

50年代後半から、経済の復興と高度成長によって、生活の変化が顕著になりはじめる。

例)「三種の神器」の浸透、マスメディアの発達

→地方や階層の文化的差異が縮小し、「大衆社会化」へ

→貧しさと階層格差を背景としていた戦後思想の基盤が崩れる

同時に現われたのが、体系的な思想をもたない、無自覚なナショナリズムであった(=「大衆ナショナリズム」)。高度成長の進行とともに、生活の安定をもたらしてくれる「日本」への信頼と安心が、無自覚なナショナリズムというかたちで定着していった。

(2)   戦争体験の風化

「第二の戦後」では、戦後思想の基盤であった戦争体験の風化が二つの側面から進行した。

@戦争を知らない世代の台頭

→戦争を知らない世代は、戦争体験世代の心情を理解することができない

→戦争を知らない世代にとっては、戦争体験を基盤とした戦後思想の言葉が説得力を失う

A記憶の形骸化

→戦争体験世代にとっても「戦争がすでに各人の体験と実感を超えた抽象物になりかけて」(日高六郎:1956)いた。

→戦争が美化の対象となり、また戦争の記憶が感傷的に語られるようになった

→それに対する、戦争を知らない世代の反発(戦争を体験していない世代は、年長世代への対抗手段として、戦争体験者の「被害者意識」を批判して、「加害」を強調した)

こうして戦後思想の活力の源であり、最大の背景であった戦争体験は風化する。そして戦争体験という戦後思想の基盤は崩壊していくことになる。

 

以上のような経緯で、「第一の戦後」に創りだされた戦後思想は、「第二の戦後」においてその基盤が崩壊するために、説得力を失うことになる。そして「第二の戦後」では、戦後思想は「戦後民主主義」と一括されて批判対象となっていくことになる。

     結論

「第一の戦後」において戦後思想の言葉は人びとにとってリアリティをもち、説得力があった。それは、戦後思想が戦争体験を最大の背景としていることと、当時の日本の貧困や巨大な階層格差が存在していたからであった。しかし、「第二の戦後」において日本社会は高度経済成長期に入り、階層格差も縮小した。また「戦争の記憶」も年月が経つとともに、しだいに風化することになる。そのなかで、戦後思想の言葉はしだいに説得力を失い、共有されなくなっていった。そして、ほんらいは多様で混沌としていた戦後思想に、「戦後民主主義」という一枚岩の総称が付され、「戦後民主主義」といえば「欺瞞」「近代主義」「市民主義」「護憲」であるとして批判されてゆくことになる。

     参考文献

小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社、2002年)

小熊英二『<日本人>の境界』(新曜社、1998年)

小熊英二『単一民族神話の起源』(新曜社、1995年)

小熊英二・上野陽子『<癒し>のナショナリズム』(慶應義塾大学出版会、2003年)

小熊英二・姜尚中「ナショナリズムをめぐって」(『青春と読書』集英社、20035月号)

小熊英二・上野千鶴子「戦後思想の巨大なタペストリー」(「週刊読書人」2003年1月1724日号対談)

「日本のナショナリズムを探る」(http://www.tokyo-np.co.jp/doyou/text/d80.html)

「小熊英二さんに聞く(上)(下) 戦後日本のナショナリズムと公共性」(SENKI11101111号)(http://www.bund.org/opinion/1110-5.htm)(http://www.bund.org/opinion/1111-4.htm

[1]方法論の詳細については、後の小山田守忠の発表を参照のこと

       [2]本書において「戦後思想」とは、戦争体験をもつ「戦後知識人」から生み出された思想のことを指す。したがって、戦争体験をもたない知識人とその思想は、本書でいう「戦後知識人」「戦後思想」に入らない。