2002.6.23

小熊研究会1発表用レジュメ

ポストコロニアリズムと沖縄

総合政策学部3年 70101626 大賀 智洋

1:発表の概要

     ポストコロニアリズムとは何か?姜 尚中(編)『ポストコロニアリズム』より、日本におけるポストコロニアリズムを概観。

     冨山一郎の著書を参照しながら、「日本人」になることを構造的に「強制」された「沖縄人」を考察

     植民者と被植民者の「共犯関係」について

     島袋まりあの論じる「混血児問題」について

2:発表の趣旨

     「沖縄人」の「異質性」に対する日本人の「暴力」はどのくらい大きなものなのか?

     「日本人」への「同化」はどのように行われていったか?そして続いているか?

3:本論

3−A:日本におけるポストコロニアリズムについて

@ポストコロニアルというのはコロニアルな日本の現実のタブー化(イ・ヨンスク)

→敗戦によって植民地主義から脱却したのではない。「忘れること」の繰り返し。

 

・・・集団的に合理的な思考を放棄して、思考すべき問題を忘れてしまって、なかったことにするという過程の繰り返し。これが、それこそ明治維新以降の日本の中で反復されてきた「植民地的無意識」の基本構造だと思います。(小森陽一)

 

→スピリチュアル・パワーの連続性・・・「支配」意識は残っている

 

(前半略)・・・「支配」の内実というのは、いわゆる軍事力とか物質的な力だけではなくて、スピリチュアル・パワーというのか精神的な権力というのが、これが「支配」の一番大きな要素だと思うんです。しかも「支配」が廃絶されても一番根底において残るのは、スピリチュアル・パワーなんです。このスピリチュアル・パワーの連続性というのは、植民地支配の場合、非常に大きい。これが小森さんの言う「殖民主義的意識」「植民地的無意識」だと思うんです。(三谷太一郎)

 

Aアメリカからインポーズ(強制)される構造の中で、逆に自らそれをインプレイス(抱きしめる)することにより、戦前からの断絶と連続が同時につくられる(姜尚中)

→象徴天皇制の存続

 

つまり、昭和天皇の戦争責任が問われなかったことが、明治維新以降の日本の植民地侵略やそれを可能にした戦争に対する責任を問わないことを気分的・感情的に許容してしまう現実的な条件となったと私は思います。(小森陽一)

→天皇制とセットでつくられた憲法第9条による日本の「非軍事化」と、沖縄・韓国など周辺地域の軍事基地化、それを「踏み台」にした日本の経済発展(=冷戦の産物?)

 

それからこれは私の持論なんですけれども、やはり冷戦がディコロナイゼーション(脱植民地化)の凍結化を促した。(中略)つまり現実的に国際政治の現実から考えて、いかにして東南アジア、南アジア、東アジア地域を、共産中国、ソ連から守るか、それがアメリカの冷戦戦略の目的です。その観点から見ると、現実的にやはり、日本を中心にしてアジア地域の秩序、特に経済秩序を作っていかなければならないことになる。その面で大東亜共栄圏の発想との連続性があるわけです。(三谷太一郎)

また三谷は後段で、「日本が経済発展するには輸出指向でいくしかない→マーケットは韓国および東南アジア→アメリカがこのシステムを保証→植民地支配の構造が残る」とも論じている。

3−B:「日本人」志向の形成

@伊波普猷の「日琉同祖論」

「琉球人」は「日本人」であるというのではなく、両者は「同祖」であると主張するのである。(冨山一郎)

 

     「日本人」と同じ「琉球人」を発見する(=同化)だけでなく、その逆をも行う。「琉球人」と同じ「日本人」の発見。

     「琉球人」特有の徴候を、「日本人」とは異なる→他者化→客体化、の図式から切り離し、「別の類型として構成し直そうとする。」(冨山)

                   ↓

            分類不可能な「琉球人」の「個性」

     「アイヌ」「生蕃」を未開人種として分離。「琉球人」からの他者化。

 

それでも見いだされる未開を開化という連続面に設定し「改造」という実践を促しているのである。(冨山)

つまり、「琉球人」は客体である「アイヌ」や「生蕃」とは違うということ。
=「琉球人」は「がんばる」ことができる主体。

・「琉球民族」の蘇生

「琉球人」の「個性」を歴史として獲得することこそ、伊波のめざした琉球史に他ならない。伊波は、「琉球人」の「個性」が育まれた時代として、薩摩侵入以前を「古琉球」とよんだが、そこでは「個性」は「古琉球」という「琉球人」の伝統として設定されている。(冨山)

 

→「繁栄していた琉球王国時代」の「個性」の再生。「琉球人」を歴史主体として設定。

     「大国民」

→色々な「個性」を抱えながらそれぞれの「個性」を定義する、種差を定義する類的同一性の平面

=すでに「個性」では定義できない「琉球人」、「大国民」では定義できない「琉球人」と「日本人」の差異、つまり類的同一性から排除されてしまう可能性を「予感」しつつも、歴史主体として「名乗る」ことに賭けたのではないか(冨山)

・ なぜ、伊波はここまで「個性」「主体」にこだわったのか?

「アイヌ」「生蕃」などと同時期に同様な方法で日本人とは違う「他者」として「観察」が行われた。ここに包含されている占領の暴力、教導される暴力を伊波が「予感」していたからである。「名乗ることのできない」客体になってしまうこと、一方的に暴力を受容しなければならなくなってしまうことを伊波は「予感」し「身構えた」のだ。

 

Aソテツ地獄以降の「個性」の挫折

     ソテツ地獄とは

世界市場における砂糖価格の暴落を受けて起こった1920年代における沖縄経済の破綻・・・(以下略)

(冨山)

 

通常は毒抜きをして食するソテツを生のまま食べなくてはならないほど悲惨な生活状況に陥ったことに名前の由来がある。

     伊波普猷の絶望

内部における了解不能

→自らの言葉で「個性」を表現することができない。語り尽くすことのできない存在の出現。=「個性」を表現する言葉は「借り物」、観察者の言説に過ぎない。

                 ↓

「アイヌ」「生蕃」の影が再び感知される。

         ↓

「琉球人」から「南島人」へ。

→沖縄は日本の一傍系であるという思考にシフト。

→「生蕃」との関係性を受け入れる。

たとえば、伊波と東恩納寛惇の論争・・・・隋書における「流求」とはどこを指すのか?(食人や入墨、出産、葬式の儀礼が争点に)

東恩納は台湾の「生蕃」とした。=沖縄はそこまで「低劣な民族」ではない。

伊波は「南島人」とした。

→同時に、八重山と女性に対して「野蛮」「未開」を再発見する。

=伊波が「南島人」内部での「観察者」となっていくこと。

「自分の国でありながら自分で支配することが出来」ないという自己の決定不可能性とでもいうべき事態(冨山)

→「個性」の停止と「何かよくわからない他の力」=社会と制度の感知

B「沖縄人」の生活改善運動

     生活改善運動それ自体は明治期からのこと。

→「日本人」になるということ、「異質」の文化・習慣・風俗などを改めていくという運動は同化の名のもとに行われてきた。

         ↓

     どうして改善運動が日常生活まで浸透していったかが重要である。(冨山)

→ソテツ地獄による沖縄経済の凋落で、外部(おもに大阪と南洋群島)に労働力が流出したことが大きな要因。

→ソテツ地獄期以降、「改善がなされない」「特異」なる者は、犯罪者として摘発される傾向が強くなる。=「目指すべき」生活が生活道徳として受容されていく(冨山)
「道徳的犯罪者」として相互に監視されることに。

さらに、道徳が抽象的で、柔軟性を伴っているがゆえに・・・・・・

→生活の隅々にまで、「道徳から逸脱すること」の恐怖が行き渡る。=見えざる支配、「監視」

→「道徳的主体としての自己」を構成していくよろこび、自己肯定が生まれる。=これが同時に前者の監視を生み出していく。

・では、具体的にはどのように生活改善がすすめられたか?

A:大阪やその他の沖縄県外

勤勉性、能力の判定基準は模範たる「日本人」であるか否かにかかっていた。

→「日本人」「沖縄人」「朝鮮人」などの標識が勤勉性をつくる。

=打ち消すべき「沖縄」「沖縄人」の標識のために改善をし、「道徳的主体」をつくっていく。「日本人」になる、「沖縄人」の標識を捨てることが勤勉性を証明していく方法。

                 ↓

「プロレタリア化にかかわる営み」「(日本に比べて)低位で遅れた、負の価値をもつものとして設定され、逆に正の価値として日本、日本人が設定される(文化類型1)」(冨山)

B:南洋群島

     南洋では、「原住民は使えない」「ソテツ地獄期の労働力流出」が作用して沖縄住民が移住をはじめる。

     しかし、沖縄出身者による労働争議が起こって以来、「本土人・沖縄人」は明確に区別され、賃金格差が発生。(お上に楯突くようなやつは日本人ではない、という意識の表れか!?・・・個人的意見)また、ここでの賃金格差は「日本人>沖縄人>朝鮮人・支那人>原住民」の順である。

     沖縄人や朝鮮人は、原住民からも蔑視されることがままあった。

 

島民にいわせるとその序列は、内地人・島民・沖縄県人ということになるらしい。(中略)労働者としての半島人(=朝鮮人:引用者)にはやはり沖縄県人と大差ない位置より認め難いだろう。(中略)朝鮮の山奥から出て来て、文化的に島民より低く、日本語もろくに知らない半島人が威張るのに対して、日本語のよく出来る若い島民たちは「日本人なら日本語をしゃべってみろ」というのである。(冨山2)

      この文章は、1944年に出版された調査報告の中で梅棹忠夫が記しているものである。

 

     沖縄の人々が「ジャパン・カナカ」(カナカ、とは原住民の呼称:チャモロも同様だが、カナカのほうが「下」の位置にある)と呼ばれるのはしようがない、それだけ「沖縄人」の生活程度、風俗などが「低いのだ」と考える「日本人」。→矢内原忠雄、清野謙次ら

                  ↓

     原住民と「同じ位置」から脱却することを志向

→原住民、「土人」との比較の中で、「日本人」として上にたち、「遅れている」原住民を「指導」する立場になろうとすること。すなわち、上にたつための生活改善である。

=「統治者としての主体形成」「比較の中で、負の価値が別の場所で実体化される」(文化類型2)(冨山2)

     南洋の指導者たる伝統を沖縄人は有しているのだという発想が生まれる。→安里延

→「(南洋)群島の労働力はすべて沖縄」という状況のなかで、これまでも海洋発展をしてきた(琉球王国時代の広範にわたる貿易活動とその成功を指している!?)「祖先」への回帰、「南島日本人」としての「個性」の表出

                  ↓

     柳宗悦らによる「民芸運動」=生活上の必要など関係なく、「日本文化」の中で発見される価値が与えられる「沖縄文化」を尊重すべきである。

→他者を作り排除するという点で、「逆の立場である」生活改善の延長線上に登場する。

     文化類型1(自己を異質な存在とし、「日本人」になろうとして「道徳的主体」を組み立てる)と文化類型2(別の他者を異質な存在とみなす)ことは連続した過程である。

→この2つの過程を経て「日本人」になっていく。

3−C

@共犯の関係

     「日本人のなり損ない」として差別されてきた「沖縄人」

→「日本人」になれば差別も解消するし、努力すれば「日本人」になれる。

                 ↓

自己の中に内面化されてしまった「劣等な」沖縄文化を排除・抑圧するようになる。

=これが、植民地主義に加担すること、植民地主義の共犯としての被植民者となる。

→生活改善運動も、ソテツ地獄以降の伊波普猷の思想も「共犯の関係」を成しているといえる!?

     精神の植民地化

→同化政策とは、日本人とまったく同じになれということではなくて、日本人のいう通りに動く人間たれと言う要求だ。(野村)吉野作造のことばより

=意志を持たない「あやつり人形」であれということ。

→「あやつり人形」であるからこそ、植民者のまなざし「沖縄は劣っている」といったものをみずから真実として受容し、自己への差別を肯定できる。

     アンヴィバレントな感情、二重の意識

→植民者の差別的視線を受け入れることが、自己自身を「植民地的他者」として差別する感情と、自己自身に差別される恐怖の感情を同時にもたせることとなる。

A暴力の問題

→暴力による「共犯」の強制。

 

何人も大勢に抗することは出来ぬ。自滅を欲しない人は之に従わねばならぬ。一人日本化、二人日本化し、遂に日清戦争がかたづくころにはかつて明治政府を罵った人々の国から帝国万歳の声を聞くやうになりました。(冨山)※伊波普猷の言葉

 

→自警団や義勇隊の暴力(沖縄人虐殺計画)に対する「身構える」「予感する」言説。(冨山)

→「かつては反日本」だったのが「帝国万歳」に変わるのはよほどの「同化をせまる暴力」があったに違いない(野村)

     戦場における「スパイ」

→異常者、沖縄語使用者、朝鮮人、支那人=生活改善運動における「道徳的犯罪」

「道徳的犯罪」の摘発=他集団との比較において「日本人」であることを主張。(生活改善運動における文化類型2)(冨山)

→米軍との接触者、移住経験者など=「道徳的犯罪」ではないもの

監視・指導を遂行してきた指導者が多く含まれる。=指導者の「裏切り」に対する「恨み」の感情が民衆の中にあった(冨山)

     戦後沖縄の暴力

→沖縄の経済的「後進性」は日本人が必要としている言説ではないか(野村)

                  ↓

基地を沖縄で維持させるためのもの。=基地に協力してくれれば「支援」をしてあげる。基地に協力しなければ、失業の恐怖が待っている。

→つまり、同化(日本人の言いなりになる)のために、恐怖・傷を与える(「遅れている」という言説)ことが必要。

B救済されることで発生する問題

 

「沖縄」は日本から「救済」を申請するように主体化されている。

=ということは、「救済」に批判的であることはイコール「沖縄人の敵」とされてしまう。

C沖縄における混血児の問題

米国人の父と沖縄女性の間の結婚は年平均236組、うまれる混血児は年平均224人

(いずれも日本全国平均より10倍以上上回っている)(島袋まりあ)

     沖縄女性と米軍兵士の間に生まれた子供の問題=雑種性、ハイブリディティ

植民者・被植民者の間の「非対称的な」関係から生まれる雑種性。

→沖縄においては、このような雑種性を激しく嫌悪する「植民地的な強姦の傷跡=基地の落とし子」とする言説と、逆に「グローバル化時代を先導する架け橋」とする言説にわかれる。

     「基地の落とし子」とする言説

→東恩納寛惇の1957年ころの著述

日本の「支配」を忘却し、戦後責任をも無視するほどの強烈な「日本人」志向と反米軍思想の中で、沖縄の混血児を「汚辱の結晶」「両親の低劣な遺伝質を受けた戦災のヒキツリ」としている。

→「日本人:沖縄人」といった二項対立に収まらない混血児は邪魔な存在であり、すなわち日本人になれない沖縄人、東恩納自身の「雑種化」が恐れられていたのではないか。(島袋)

=植民者との共犯、権力への欲望、男性中心志向が同じ沖縄人である混血児への暴力に。

だが、東恩納の立場、背後の植民地支配からの影響を考えると単純に批判はできない(島袋)

また、雑種性を強調することで、このような内部対立が起きることは、植民者にとっては「同化」を促進できるうえに自らの加害者性を隠蔽できることになる。

=内部対立が発生し、東恩納のように内部に「異質」を見出し批判することは、「沖縄人だって加害者・差別者ではないか」という「アリバイ」が成立するから(島袋)

     混血児を「架け橋」とする言説

→沖縄アクターズ・スクール(周知のとおり、安室奈美恵や知念里奈といった混血児を芸能界に送り出した芸能学校)の代表マキノ正幸

 

美しい沖縄の女性たちにも魅せられた。混血の多い女性たちはエキゾチックで、本当に美しかった。ぼくは沖縄の女性がすっかり好きになった。(マキノ)引用は島袋の論文より

 

さらに、もともとの沖縄の文化、程度は劣っており、混血児が芸能界で活躍することが「沖縄のイメージを高めている」ともマキノは述べている。(島袋)

→アメラジアン(米兵の父親とアジア人の母親の間に生まれる子をさす)・スクール・イン・オキナワ

この「アメラジアン」を、アメリカとアジアの2つの文化を強調するために使用している。

混血児に日本とアメリカの両方のアイデンティティを与えようとする動き。(島袋)   

→高良倉吉

東恩納のような混血児批判者の裏に植民地支配があることを無視して、混血児嫌悪を単純に批判する。そして、これまで痛みと考えてきたものを強みに変えなくてはならない、沖縄人が意識変革をしなければならないとのべている。(島袋)

=高良においては、これまでの歴史も「財産」であり、基地にはマイナス面だけでなく、「麹菌、発光体」としてのプラス面もあったという記述がみられる。

・他人が混血児を代弁し続ける問題

→福地廣昭の言説

著書『沖縄の混血児と母たち』において表象されている混血児たちは、福地らが「基地反対」を訴えるための主体位置に限定されている。つまり、沖縄女性は「保護される客体」、混血児は「暴力の結果」という位置においてのみ存在が許される。(島袋)

→日本人がジェンダーをベースに混血児(コロニアルな問題)を語る際、自己の加害者性を隠し、問わないままにしてしまうことも。=政治的な効果

     島袋は、当事者が「かわいそうな人、保護されるべき客体」という位置から抜け出し、語ることに挑戦していく姿勢が重要ではないかと問うている。

     また、「非対称的な」関係から生まれたハイブリディティを単純に礼賛することは、雑種性が生まれる原因・過程を無視し隠蔽してしまうのである。

4:ポイント・キーワード

     被植民者が植民者のいいなりになる、「共犯」の関係

     「共犯」することで内部に「劣等な」他者を発見する。(混血児や伊波の見出した八重山など)

     「共犯」するのは、そこに大きな暴力があり、沖縄の人々はそれを「予感し」「身構える」ゆえのことである。

     第2次大戦後の日本人の植民地支配に対する無意識化、その結果としての「在沖縄米軍基地」=植民地・被植民地の構造は残っている。

     「名乗ることのできない客体」からの脱却(伊波の初期の思想、島袋のいう「挑戦」)

5:おわりに(疑問点)

     仮に基地が沖縄から撤退したら(最近、そういう「憶測」がメディアに流れた)、これまでの二項対立の構造は消えるか?「共犯関係」は解消するのだろうか?混血児はどうなる?

     既存のアイデンティティに縛られない、あるいはそれを超越した「生き方」は本当に可能なのだろうか。

 

    参考文献・論文

姜尚中(編著)『ポストコロニアリズム』(作品社、2001)

冨山一郎『暴力の予感』(岩波書店、2002)

冨山一郎『戦場の記憶』(日本経済評論社、1995)

野村浩也「植民地主義と共犯化」(『解放社会学研究』14、2000)

島袋まりあ「雑種性の政治と混血児」(『解放社会学研究』16、2002)

島袋まりあ「沖縄の『混血児』とその母親を語る政治性」(『アジア新世紀3 アイデンティティ』、岩波書店、2002)