小熊研究会T 「歴史認識」発表レジュメ             2003630日     

『〈癒し〉のナショナリズム』をもとにして

総合政策学部2

松成 亮太

70208141

T.『〈癒し〉のナショナリズム』著者紹介

小熊英二

 1962年生まれ、現在、慶應義塾大学総合政策学部教員

 著作に『単一民族神話の起源』『〈日本人〉の境界』(共に新曜社刊)などがある。

上野陽子

 1978年生まれ、2003年度慶應義塾大学総合政策学部卒業

 本書に収録されている『〈普通〉の市民による「つくる会」のエスノグラフィー』は、

 彼女が小熊研究会在学中に行った実地調査によるものである。

 

U.本書の形式

 本書は小熊英二氏による論文三作と上野陽子氏による論文一作および序文とあとがき

によって構成される。「新しい歴史教科書をつくる会」の運動への分析を通じて、現代

日本の社会状況の分析を行ったものである。まず小熊氏による論文二作のあと、上野氏

による実地調査と分析を述べた論考が続き、その調査をもとにした小熊氏の論文で完結

する。

 

V.本書の内容

前提、背景

1945年日本敗戦、「敗戦後」というのは「米国との敗北後」であり、同じ連合軍の一つ

である中国との敗北、また朝鮮や台湾を植民地にしていたことは忘却された。

連合国の占領(実質は米国による単独占領)を経て、1951年サンフランシスコ講和条約

(西側諸国との単独講和)および日米安全保障条約締結、翌年独立を回復する。

日米談合体制に取り込まれて経済復興・発展を急ぐ。そのためにアジアとの関係修復・

戦後補償は先送りされる。また原爆投下やシベリア抑留によって加害責任よりも被害者

意識が共有されてしまった。日米安保条約のもと平和憲法と象徴天皇制の同居で一国内

的な五十五年体制を続ける。昭和天皇の戦争責任に決着を付けられずに戦後を送る。

(改憲のテーマは九条であり、一条ではなかった)

 

世界的規模で見ると第二次世界大戦後、アジアでは混乱を経て冷戦が開始(国共内戦と中

華人民共和国の成立、朝鮮戦争と南北分断など)したために日本とアジア諸国との和解は

うやむやなまま、冷戦構造に組み込まれた。そのために戦後において台頭したアジアの

軍事独裁政権の国家戦略上、戦争被害者の声は抑圧されたままであった。

一方、日本政府は戦後、二国間条約(日華平和条約、日韓基本条約など)を通じて政府間に

よる国家賠償を達成したが個人補償は行わなかった。

89年マルタ会談にて冷戦終結、同年ベルリンの壁崩壊、東欧民主革命が起き、91年には

ソビエト連邦崩壊となる。アジアにおいても冷戦下の圧力衰退を反映して民主化が進む(

湾、韓国など)、また経済発展をみせる(NIES)。こうした状況のもと抑圧されていた被害者

の声への抑圧が緩和されて抑圧されていた声があがる。

→元「従軍慰安婦」のカムアウト(1991)、戦後補償の要求、民間法廷の開始。

 

80年台にて日本は教科書問題や靖国神社公式参拝問題などアジア諸国から批判を受けた。

日本では89年に昭和天皇死去、天皇の戦争責任に決着がつかないまま「平成」へ移行。

89年冷戦終結、91年ソ連崩壊による社会主義の失墜という衝撃を受ける。また91年に

はバブル景気崩壊後、深刻な長期的な不況に見舞われる。93年には戦後の枠組みを形成

していた五十五年体制が崩壊(「保守/革新」の消滅)

冷戦後の新たな世界秩序として唯一の超大国となった米国主導のグローバリズムが進む。

 

こうした既存共同体の解体や価値観の動揺、社会不安の増大を背景に90年代後半に「自

由主義史観研究会」が結成される。続く97年には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足。

(前者においては「自虐史観」でもなければ、「大東亜戦争肯定論」でもない第三の歴史

観という立場が言われたが、年長保守派の前者への接近、吸収により後者はネオナショ

ナリズム的な論調に変化した)

2001年には「新しい歴史教科書をつくる会」による歴史および公民教科書が検定を通過

した。採択率は低かった(シェア1パーセント届かず)が国民の間では、ネオナショナ

リズム的世論への傾斜に加えて、閉塞感を打ち破る新しい社会運動が起きているかのよう

な印象を与えた。

 

V−@ 第一章: 運動への考察

「つくる会」の特徴

@「反官僚・反エリート」を掲げ、「健全な常識」を唱える都市型ポピュリズム。

→「常識」に依拠するのであり、「進歩派/保守派」という意識はない。

しかし、こうした第三者的な考えが年長の保守系ナショナリストに吸収されていく。

「つくる会」の論者が「進歩派」に批判されることでその反作用として自らを「保守」

とみなすようになった。また年長保守派の接近もあった。

(元来、自由主義史観の論者である藤岡信勝氏は「右」にも「左」にも与しない「自由」

な視点から歴史教育を論じていたし、小林よしのり氏にしても官僚や市民のモラル低下

を批判していた。そのテーマが保守的な歴史観ないしはそれの焼き直しになっていなか

った。)

「左」は戦後社会の胡散臭さを表象する言説(ex.「リベラル」「民主主義」といったタテ

マエ)として毛嫌いされる。

保守思想は「〜に反対」という形式をとるが、反対する相手が動揺し(冷戦崩壊後の社会

主義)、その結果、反対する根拠もあやうくなっている。それゆえに敵にする存在を勝手

につくりあげねばならない。また自己の基盤とするものにしても家族や学校、会社とい

う共同体の解体により、それへの回帰を唱えることもできない。自己内にできる不満の

結晶も整合性のないものだが、その投影としてできる敵も支離滅裂である。

→官僚・朝日新聞・北朝鮮・左翼・モラルなき若者というどれも別種の存在が敵として

ひとつになる。

 

こうした勢力の背景には冷戦による社会主義の失墜やグローバリゼーションによる新た

な世界秩序、移動の活発化とそれにともなうナショナルアイデンティティの喚起、家庭

や学校という中間共同体の空洞化がある(→個人主義化、モラルの多様化につながる)。

その反作用として実体なき「健全なナショナリズム」の模索が活発化する。

 

A年長保守とは異なり、天皇について言及しない。

昭和天皇の戦争責任は認める、象徴天皇制も肯定するが天皇・天皇制には関心なし。

→ナショナリズムの拠り所を天皇には求めていない。拠り所のない保守は可能か?

Cf.戦後の左翼ナショナリズムは「反米愛国」をスローガンにしていた。

一方保守側は天皇制擁護・反共親米路線のもと経済進出というナショナリズムを提唱。

戦後は明治の延長であり、国体の呪縛から逃げられなかった(姜尚中)

 

ポピュリズム運動としては「反体制」をポーズにしているから注目される。

今後、政府の現実路線とも齟齬をきたし、運動は収束するだろう。→小林・西部の脱退

しかし、それ以上に大きな問題として社会不安と幻想を吸収して出現する「健全なナシ

ョナリズム」危険性、そしてそれを生んだ土壌は温存されている。

Cf.若者にひろがる「ぷちナショナリズム」(香山リカ)

無批判的・条件反射的に「日本大好き」と言ってしまう(言わされている)。

移民排斥と言う程、深刻でないがポピュリスト政治家にナショナリズムとして利用され

る危険性はある。

V−A 第二章: 「新しい公民教科書」への批判

「新しい公民教科書」、2001年に「つくる会」により作成され、検定を通過。

主な執筆者は西部邁、佐伯啓思ら。同年に扶桑社から市販される

教科書の特徴として以下の三点が挙げられる。

@全体の内容に整合性がなく、それゆえに理想の社会像が分からない

A戦後思想ないし社会を批判しているが、批判の対象にしているものが批判の論拠に

無意識的に据えられている

B歴史教科書のほうには強い欧米への劣等感が存在している

 

@について

エゴイズムを否定し、国家を称揚。しかし、その際の国家への奉仕と中間共同体の利害

の均衡の問題は無視。封建的な温情主義を都合よく取り上げるが福祉国家には否定的。

ポリス的な政治形態と近代国家を混同している。

保守主義(またはその亜流)は国民全体に適用不可能。

利益誘導に堕落した国体論まがいの記述がある。

 

Aについて

エゴイズムのある社会を批判しているが、その社会観はマルクス主義に近い。

エゴイズムを克服し、公共的なものへ参加せよという問題意識は戦後知識人丸山真男に

通じるものがある。しかし結論としては無内容な「歴史と伝統」に帰着。

執筆者は戦前を知らない人たち、イメージで戦前を理想化し、イメージで戦後を攻撃。

しかし、批判の思考の枠組みを構築しているのは戦後の思想。本人らは気づいていない。

 

Bについて

欧米への劣等感を基調とした比較や論理がみられる。

都合のよい解釈もあり、なし崩しの現状肯定ともとれる。

 

結論として以上のような教科書ではモラルある社会をつくれないだろう。

cf. 「教科書さえ作り直せば健全な子供が育つという考え自体が間違い」(吉本隆明)

 

 

V−B 運動の実地調査

調査対象:「新しい歴史教科書をつくる会神奈川県支部有志団体史の会」(以下、史の会)

調査期間:20014月〜20022

調査方法:主に聞き取り、一部録音あり

 

「「史の会」は1998年に行われたシンポジウムのあと発起人の呼びかけに応じて自然

発生的に発足した団体であり、発足4ヶ月後に「史の会」を名乗る。

は横浜市北部の地区センターにて月一回の頻度で勉強会を行っていた。

勉強会の方法は毎回、講師を招いて話を聞くというもの。勉強会の終了後は若手常連組

が飲み会で談笑する。

 

☆「史の会」に参加する人の分類

1.サイレント保守市民 2.市民運動推進派 3.戦中派 (以下1,,)

 

1は勉強会に参加できる程度の経済的余裕はあるが、あくまで運動には深入りせずに自

分の生活を主体に考えている。運動が「過激」「危険」」なものになるのを忌避する傾向

がある。それゆえに「天皇陛下万歳」的な保守運動には共感を感じず、実際に市民から

の支持が得られるような現実的路線がないということに不満を感じる。

 

2は1に比べて行動に積極性があるが、自分のしていることは「市民運動」であり、運

動とその結果が得られることに重きを置いている。それゆえに教科書採択戦の不振に対

しては現実的な行動(一般市民の支持を得られるための努力が必要)があるべきと批判。

年齢や職業については1と同じ層のひとが入っている。

 

3は実際に戦争体験のある少数派。皇室や教育勅語に敬意を感じる。保守思想を内面化

しており、その価値観に基づいて発言している。

 

1と2は二十、三十、四十代の人がおり戦争体験も皇室崇拝もない。一方、3の人達は

戦争体験があり、天皇への敬意を自己の価値に取り込んでいる

これら二つの集団には交流の断絶があり、勉強会にしても飲み会にしてもコミュニケー

ションがない。お互い積極的に交わろうとはしていない。

 

V−C 運動をしている人、および背景の社会について

☆「史の会」の特徴

@戦中派/そうでない者の二層で構成される

A後者は自分らを「普通の市民」と思っている(たがっている)

B後者の「普通」は空洞的である。

 

@について

前者は少数派にあたる。戦争体験あり。

天皇に対する尊敬があり、確固たる保守思想を持ち、それをはっきり語る。

戦争体験があるためノスタルジーがあると供に戦前・戦中の問題点(日本軍の不合理性

や上層部の愚劣さ)も実体験として知っている。

 

しかし後者は戦争や天皇には冷めた見方をし、語ることに自信がない。

戦争体験がないし、皇室は彼らに深い感動を起こさせない。

朝日新聞や北朝鮮、左翼、人権、ミーイズムは嫌いであり、

逆に「公共心」や「自己犠牲」というものに高い価値を置こうとしている。

しかし、会のメンバーは実際に市民運動家や左翼運動家を見たこともないし知らない。

あくまで自分の中にある否定的なイメージを投影して嫌悪している。(左翼経験なし)

→自己内の否定的イメージが及ぶものはすべて嫌悪の対象になる。

 在日コリアンや外国人労働者、「アメリカ」がいつ対象になってもおかしくない。

 敵対している(と思っている)存在がある、またそれについては無知。

Cf.「日本が好き」という人には生涯、他の選択肢は存在しない(香山リカ)

 

Aについて

後者には自分らが「右翼」扱いされるのを嫌う。

本人たちは興味ある有志が自主的に集い、「市民運動風」の活動をしていると思っている。

しかし議論を闘わせて、新しい価値観や意見を生み出す積極性はない。

議論の結果としてそうしたものが生まれることよりも、「価値を共有している」と実感さ

せてくれる言葉(普通を実感さえてくれるもの)を発し、そうした空間が生まれること自体

に満足している。他人とは安定した距離を保ちたい。その意味では「個人主義」的。

場の安定を乱すものはかえって邪魔(思想を押し付けるのは全体主義的と忌避)

Cf.本物の右翼の活動についてはダカーポ2002116日号参照

 

Bについて

後者はアイデンティティの核が不在であり、天皇なしのナショナリズムを語ろうとする

が戦争体験の不在ゆえにぎこちなく、語りに自信がもてない。

アイデンティティの核が不在=自らを表象する言葉がない→「普通」への強迫観念

戦争に対するリアリティがない分だけ「健全なナショナリズム」として純粋である。

後者にはT「サイレント保守市民」/U「市民運動推進派」がある。

Tからすると自分らは「普通」なのであり、「危険」なことはしていないと思っている。

UはTに比べて積極的に動こうとするが(あくまで「市民運動」として)他人には意見を

押し付けられないしアイデンティティの核を求めると戦中派は邪魔になってくる。

T,Uともに自分が普通であることを確認するべく、常に異常を発見したがるが、常に

不安を抱えている。そして今後も異常なものを発見し、攻撃するのを繰り返すと思われる。

結論としてこうした自分を普通の第三者的に位置づけている草の根運動が広く市民によ

って行われるならば(事実、担い手は「右翼」ではなく、平凡な市民である)ポピュリス

ト政治家の利用するところとなるか、マイノリティへの排除・抑圧の大規模な集団が結

成される危険性がある。

 

W.感想

史の会に集う人々が、自分を「普通」である、そう思いたいと強迫観念のように感じて

いる。それは価値観の多様化・共同体の解体により「普通」の基準が揺らいでいるため

に彼らが自分の中に不安を不断に抱き続けるからではないかと思う。

どうして彼らが「個人主義」にとどまることなく、「普通」の基準を自分の外へ、それも

社会状況の変化により存立の基盤危うい「保守」に求めるのか不思議である。

 

参考文献

小熊英二・上野陽子 『〈癒し〉のナショナリズム』(慶應義塾大学出版会、2003)

高橋哲哉 編 『〈歴史認識〉論争』(作品社、2002)

高橋哲哉 『戦後責任論』(講談社、1999)

加藤典洋 『敗戦後論』 (講談社、1997)

香山リカ 『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ、2002)

姜尚中・森巣博 『ナショナリズムの克服』(集英社新書、2002)

吉本隆明・田近伸和 『私の戦争論』(ちくま文庫、2002)

ダカーポ2002年11月6日号  『右翼の世界を覗いてみよう』