近代国家の形成とナショナリズムのあり方

2003年 春学期 小熊研究会T

総合政策学部4

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木村 和穂

 

このレポートでは、近代国家の形成のされ方によって、ナショナリズムの立ち上げられ方が異なることを確認する。ナショナリズムの代表的なタイプをいくつか取り上げ、それぞれの特徴を比較する。

 

1.フランス

 フランスは、近代国民国家の典型例としてしばしば挙げられる。フランスのナショナリズムの特徴を一言で述べるなら「普遍原理に根ざしたナショナリズム」ということになろう。以下、フランスのナショナリズムの特徴についてみていく。

 一般的に、ナショナリズムは、国家や自民族の固有性を自分たちにしか理解できないようなものとして掲げ、排他性を打ち出す偏狭なものとして理解されている面があると思われる。しかし、フランスのナショナリズムにおいてはこれが当てはまらない。フランスのナショナリズムは、自分たちの文化は他の世界の人びとにも理解可能で、そして実際受け入れられている普遍性のあるものとして打ち出される。このような「普遍原理に根ざしたナショナリズム」のあり方は、フランスという国家のどのような固有の形成のされ方に依るものなのだろうか。

 

 近代国民国家の理念はフランス革命によって誕生したと言われる。それでは革命政府は、どのように国民国家の形成に取り組んでいったのだろうか。

フランスの国民国家形成は、中央で起きた革命によってもたらされた価値観・政治形態を、地方へと波及させていくかたちで行われた。フランスにおいて国家(ナシオン)とは、普遍原理への到達を目指して地方勢力を打倒しながら、政治共同体を形成していくものである。普遍主義を掲げる革命政府にとって最大の課題は、残存する地方の王党派や教会勢力を打破することであった。中央政府は「自由・平等・博愛」を掲げ、封建的な地方勢力を徹底的に払拭していった。この革命政府が何を目指したかは、議会に集う代議士は、地方の県を代表するのではなく、国民全体を代表するというフランスの議会のあり方によく現れている。フランスの住民全体を一個の「国民」とみなし、代議士はその国民の一般意思を代表するというかたちをとることで、王党派の多い地方出身の議員が「県の代表」の名のもとに中央政府に反抗することを不可能にしたのである。

ここでは普遍的理念のもとに、地方の封建的中間集団を破壊することによって、身分制から解放された近代的「個人」が生み出され、普遍的理念を追求する国家のもとに結集するという図式がとられる。封建的中間集団から自由になった人びとは、地域性を超えた国家大の共同意識に目覚めた「国民」となる。そしてこのような「国民」の一般意思を最も体現するのが革命政権であるという位置づけがなされる。このように政府が国民の意思と一致した状態が「民主主義」であり、人びとの公共心は国家という場にもとめられる。人びとの公共心の対象は、中間組織に求められるのではなく、個人と国家が一体化した国民国家にたいして求められる。ここでは「個人および国家」と、中間集団とは対立項をなす。

この図式においては、地方の伝統文化・土着文化を打ち出す人びとは国家分裂主義を打ち出すものとみなされる。また、フランスにおいてナショナリズムに批判的な立場をとる人びとは、愛国心の前提となっている近代的主体の形成を疑うか、もしくは前近代的共同体を賛美するという姿勢をとることになる。

 それではフランスのナショナリズムが排他的・暴力的に働く場合は、どのような論理がとられるのだろうか。上に確認したように、フランスのナショナリズムの特徴は普遍原理に根ざしていることであった。そこでは封建制を打破することで「国民」がつられていくという認識にたっているため、「つくられるもの」は決して偏狭なものではなく、むしろ未来性があるものとして考えられる。また普遍性に依拠しているため、「伝統」より、科学技術、理性、議会制民主主義など、より進んだ普遍的なものが重要視される。このようなナショナリズムは、植民地をつくる上では「文明」の輸出という論理として働き、国内のマイノリティーに対しては同化主義として働く。例えば移民政策の局面においては、フランスに同化することができた場合にのみ国民としての資格が与えられ、同化できない場合は「文明に対し遅れた人たち」とされ人種差別の対象となる。人種差別は、人種の本質的差異を強調するのではなく、「文明的に遅れたやつら」という形態をとることになる。このようなナショナリズムのあり方は、少数民族を多数含んだ国家にありがちな形態だということができる。

 

2.アメリカ

 アメリカ合衆国の形成のされ方は、フランスとはだいぶ異なる。上に見たように、フランスの場合は中央で起こった革命が地方へと波及していくかたちで国民国家の形成が行われたが、アメリカの場合は、地方の開拓共同体が連合する形で連邦国家が形成された。以下では、アメリカ合衆国の形成のされ方と、愛国心のあり方についてみていく。

 

 アメリカ合衆国の国家形成にかんしては、きわめて明確な歴史を描くことができる。それはイギリス国教会の支配に反発したピューリタン分離派の移住からはじまる。初期の開拓民共同体は「メイフラワー盟約」の逸話に象徴されるように、信仰に支えられた個人が盟約によって結ばれるかたちで形成された。この開拓民共同体の特徴は、自立した個人(「市民」)の集まりであると同時に、共同体(村town)を成しているという点である。自発的移民は、共通の宗教によって結ばれるとともに、共通の敵(先住民)に対して共同で戦うことで共同体をなす。彼らは、旧大陸の封建的身分制から逃れてきたため「自由」であり、貴族も王も存在しない土地へ、ほぼ無産の状態で移民してきたため「平等」であった。そのような「個人」が自発的に集まって形成した開拓民共同体は、「個人」であると同時に「共同体」をなすものとして描かれる。「自由」「平等」「個人」「共同体」が矛盾せずに成り立つのが、開拓民共同体の特徴である。

 アメリカ合衆国という連邦国家の形成は、対イギリス独立戦争に際して、各州の連合軍が連邦国家に発展するかたちで起こった。開拓民共同体(town)が連合して州(state)を形成し、それらが連合して合衆国(United States)を形成した。連邦国家という表現のなかにそのまま現れている通り、開拓民共同体は自治を保ったまま連合することで国家を形成する。連邦政府は地方共同体の外部の調整役として存在し、基本的には地方自治に干渉しない。ここでは「個人および中間集団」と「国家」は対立項としてとらえられている。この州政府と連邦政府の対立は、たとえば合衆国議会のあり方にも現れている。連邦議会は上院と下院の二院より構成されているが、上院議員は州の代表的性格をもち、上院の権限も下院のそれよりも強大である。これは州が独立国であったことに由来する。法体系もまた、連邦政府の法のみではなく、州法および一般の判例を重視する。

 共同性と公共性の理念は、パトリオティズム=郷党心として、第一に地方のコミュニティーに求められる。第二に、連邦政府への愛国心=パトリオティズムが、地方コミュニティーに対するパトリオティズムの延長として合衆国政府に求められる。この二つは潜在的には対立しうるが、二つの世界大戦と社会の現代化、そして新移民の大量流入といった事態によって、連邦政府へのパトリオティズムと地方コミュニティーへのパトリオティズムが並存することになったと考えられる。ちなみにアメリカでは「ナショナリズム」という表現は積極的には用いられないようである。「ナショナリズム」という語が使用される際は、否定的な意味で使われることが多く、連邦国家=ネーションに対する愛国心を表現する場合でも、パトリオティズムという語が使用される。国家は自由な人間の集合体であり、愛国心は自発的なものとして捉えられているため、一般的にパトリオティズムは肯定される。

 アメリカのパトリオティズムのあり方は移民の増加にともなって変化してきたといわれる。それは、移民排斥から同化主義、文化多元主義への移行というかたちで変化した。移民排斥というやり方では移民の増加および移民コミュニティー内における文化再生産に現実的に対応できなくなった段階で、同化主義政策(英語教育、生活スタイルの教育など)がとられた。アメリカの国是を教育することで、新たにアメリカ人をつくることが試みられたといえる。しかし、それも限界をむかえると、文化多元主義へと移行することになる。その段階で、従来の国是であった「移民の国」は、「多民族が共存する国」というかたちに変形される。ここでは、多民族の統合の絆としてパトリオティズムが機能することになる。もちろん現実のアメリカ社会において、「多民族社会アメリカ」は都市部だけの現象であり、多くの農村部では昔のままの生活様式であることは付け加えておく必要がある。

 それでは、アメリカ型のナショナリズムが排他的・暴力的に機能するのは、どのような場合であろうか。上に確認してきたように、アメリカはもともと「旧大陸の封建的社会から迫害をうけ、自由を求めてやってきた人びと」が作った国であるため、広大なフロンティアを「しがらみのない自由の天地」として捉える発想形態が存在する。フロンティアの拡大は、まさにアメリカの国が創られていく過程であり、それは「自由の拡大」であるという基本的な発想である。この論理でいくと、領土の拡張は「自由の拡大」と考えられ、白人による世界支配という「Manifest Destiny」の正当化につながる。アメリカによる戦争が、しばしばこの論理によって正当化されてきたことは言うまでもない。

 

3.ドイツ

ドイツのナショナリズムは、「民族の一体性」を前提としており、フランスのそれとは対称的であるといわれる。以下では、ドイツにおける国家の形成とナショナリズムのあり方について見ていく。

 

19世紀末のドイツ統一によって出発したこの国家は、地方分権が発達した連邦国家という形態をとった。各地方にバラバラに乱立していた政治勢力を一つの国家として統合していく際に持ち出されたのが、「ドイツ民族の一体性」という論理であった。つまり、ドイツの国家形成の過程においては、「ドイツ民族」というものが先にあり、それらが一つにまとまる手段として「国家」が用いられるということが行われた。フランスにおいて「国民」は新たに「つくられる」ものだと捉えられていたのとは異なり、ドイツにおいては「民族」はもともと「あるもの」であって、新たに「つくられる」ものだとは考えられていなかった。

この「民族」という概念は、ドイツ語でvolk(フォルク)と呼ばれ、固有の文化や言語、歴史、さらに言うと「血」を共有している人びとの集団を意味する。これは、フランスの「ナシオン」という概念が、普遍性に向かって作り上げられていく政治共同体としての側面が強いこととは対称的である。フランスにおいては、地域文化・土着文化・過去の歴史を打ち出すことは国家分裂主義を意味するが、ドイツにおいては、まったく反対に、国家の統合のための論理としてそれらは持ち出される。この対称的なナショナリズムは、先進国と後進国のナショナリズムのあり方として一般的にみられるものであるといわれる。すなわち植民地主義の先進国は、「普遍性」を強調するフランス型のナショナリズムを打ち出し、一方、攻め込まれる側の後進国は「固有の文化」を強調するドイツ型のナショナリズムを打ち出すという傾向がある。

 またドイツ語のvolk(フォルク)には、大衆という意味もある。このことは、過去の文化・土着文化を強調するようなナショナリズムが、大衆に大きく受け入れられやすいく、大衆を基盤として立ち上げられる場合が多いという事実に対して示唆的である。

 このようなタイプのナショナリズムは、どのような論理のもとに排他的・暴力的に作動するのであろうか。民族固有の「文化」を強調するドイツのナショナリズムは、民族の実在の本質性を前提にしている。そのため、フランスのナショナリズムにおいて「文明」が強調され、他民族であってもそれを採用することによって市民になれるのとは異なり、ドイツにおいては民族固有の「文化」を共有しない人びとは排除されることになる。民族の一体性を前提とするため、「純血」が強調され、異質なものと考えられた国内のマイノリティーは排斥される。移民政策においても、他民族に国籍の取得を認めることはまずない。

 

4.日本

日本は上からの急激な近代化により、強力な中央政権制の下に各種中間集団が下部組織として接続されるかたちで国家形成が行われた。中間集団と国家が垂直的に連結されたことで、自立した「個人」が析出されないまま、「忠孝一本」に象徴されるナショナリズム形態が生まれた。以下に、日本の国家形成とナショナリズムのあり方について見ていく。

 

日本の近代国家形成において取られた方針は、決して一貫したものではなかった。それは基本的に、「中央集権→自治制の導入→中央統制の復活と地方共同体の再編利用」というパターンをたどったといえる。明治政府が初期にとった政策は、地方共同体の破壊を行うと同時に中央集権化を推し進めるものであった。しかし地方共同体の否定は強い反発を招いたため、政府は統治コストを抑えるために、地方有力者を体制内に取り込む政策に切り替えた。その際にプロイセンの国家形態が模倣された。プロイセンに倣って導入されたのは、主権を持つ君主と成文法を中央に戴き、議会は身分制にもとづいた上下両院を置き、その下に地方の有力者たちが支配する地方共同体を連結するという国家形態である。地方の有力者は中央政府の下に接続されることで、政府の意図を地方共同体の末端にまで浸透させる中間管理職の役割を担う。これは、地方の有力者たちにとっても、身分の安定を維持されることになるのでメリットがあった。例えば、中央政府と中間集団の連結を「家」という中間共同体において見てみると次のようになる。中間集団の長である戸主を、「家」という中間集団の管理責任者として国家が任命する。そうすることで、徴兵や義務教育の忌避は国家にたいする「不忠」であると同時に親にたいする「不孝」であるという図式が生まれるのである。このようにして家族の共同性を国家への忠誠に連結することが行われた。

 このような国家形態においては、共同性と公共性はどこに求められるのか。結論から言うと、「中間集団」と「国家」のどちらもがその対象になりえなかった。というのも、中間集団の内部は、封建的な身分意識と権威主義にもとづく有力者支配であり、個人が主体的な意識をもって参加することのできる場ではなかった。しかも中間集団は、国家の意思に反して行動することが初めから禁じられていたため、なおさら個人が公共性の願望を託す場とはなりえなかった。さらに、中央の政府や議会においてはどうかといえば、たしかに中央には決定権限は集中しているものの、そこに集まる個々のメンバーはそれぞれの出身母体の利害に縛られているため、こちらもまた独立した公共性の場とはならなかった。このように、「個人」は垂直に繋がれた国家と中間集団の両者から束縛されているため、「個人」と「中間集団および国家」は対立項を成す。このような「公」と「私」の関係を新たに構想しなおすところから戦後思想は始まったといわれる

 

 戦後思想家の代表的人物である丸山真男は、日本のナショナリズムをどのように捉えていたのだろうか。論文「日本におけるナショナリズム」において、丸山は主に次の三つの指摘をしている。

第一に、ナショナリズムの形成過程において村などの中間集団/第一次的グループを排除することができなかったために、「公」と「私」のきっちりした分離がなく(「超国家主義の論理と心理」)、「私に公の思想介入」が行われる一方、「公に私の介入」=利益誘導が行われる、責任意識がない無責任の体系が形成された。丸山はこれを「前期的」ナショナリズムと呼び、その特徴を「国家を地方の延長とみなす」ものと捉え、個人の自発的内面に根ざされておらず、権威主義・同調主義に基づき、中間集団への愛着が天皇にも拡張されるものであると指摘する。

 第二に国際的観点を欠いたナショナリズムであり、対等な対話が不可能な膨張的ナショナリズムであった。ヨーロッパにおいては、キリスト教圏が広がっており、一つの普遍文化の広がりを想定することができる。そのような中から国民国家が形成されていくプロセスは「本来一なる世界の内部における多元的分裂」と理解されるものであった。よって「ナショナリティの意識の勃興は初めから国際社会の意識によって裏付けられていた」。そこには「隣には対等の国がある」という前提があり、それは政治的には内政不干渉という原則として現れた。このようにヨーロッパにおける国際関係が、対等であり対話が可能であったのに対して、日本における国際関係には対等意識がなかったと丸山は指摘する。というのも日本のナショナリズムは、ヨーロッパの外圧を前に形成されたものであるからだ。それは「こちらが相手を征服ないし併呑するか、相手にやられるか」というような二者択一的発想を生み出し、その結果、日本のナショナリズムは外へと膨張していく帝国主義となった。

第三は、日本のナショナリズムがヨーロッパのそれともアジアのそれとも区別される点についてである。 ヨーロッパにおいては、世界主義的立場をとった旧支配階級に対して、新興ブルジョワジーがナショナリズムを担ったのに対し、日本のナショナリズムの担い手は旧国家における特権的支配層であり、「彼等の身分的特権の維持の欲求と不可分に結びついて現れた」ため、国民の大多数を占める庶民の疎外を伴うものであった。また中国や朝鮮の(アジア的)ナショナリズムは、植民地支配に対する抵抗として、また、帝国主義と結びついた在来の権力者への抵抗として、「民族の独立」「社会主義革命」と結びついた形で起こったが、日本の場合はそうならなかった。

 

終わりに

 国民国家という歴史的創造物は、18世紀末にフランスで誕生して以来、多くの地域を巻き込みながら世界の秩序を再編制してきた。ナショナリズムという概念はモジュール化し、さまざまな政治的文脈で多様な形態をとって現れてきた。その多様さについては、これまで見てきたとおりである。今回は触れることができなかったが、第三世界のナショナリズムのあり方は、なおいっそう複雑なものがある。ナショナリズムの現象形態は国家の形成のされ方によってかなりことなる。同じナショナリズムという名が冠されていても、その意味や機能は文脈によって大きく異なる。これらの多様なナショナリズムを大きな枠でとらえるならば、ネーションという政治的な「想像の共同体」の思想・社会意識および運動、ということができるだろう。国民への包摂、帝国主義支配からの独立、外部への拡張、共同性と公共性の希求、他者の排除といった相互に矛盾さえする様々な運動の多くは、ナショナリズムの論理によって遂行されてきた。

 このように多様な形態をとりうる現象であるナショナリズムを理解するためには、様々なレベルでの分析が必要となる。それぞれの文脈においてナショナリズムが表現しているものを理解する必要があるだろう。

 

参考文献

斉藤真・金関寿夫 他監修『アメリカを知る事典』平凡社、1986

梶田孝道 編『国際社会学』名古屋大学出版会、1992

明石正雄・飯野正子『エスニック・アメリカ』有斐閣選書、1997

小熊英二「「日本型」近代国家における公共性」『社会学評論』第五十号(4)、2000

小熊英二「市民と武装」『相関社会科学』第四号、1994

小笠原弘親他『政治思想史』有斐閣、1987

丸山真男「日本におけるナショナリズム」『現代政治の思想と行動』未来社、1956