教育の新自由主義的改革の概観

 

【目次】

T はじめに

U 教育における新自由主義的改革の時代背景

V 教育における新自由主義的改革の中身

W サービス産業、情報化と教育における新自由主義的改革

X おわりに これからの教育の試論

 

※参考文献の『現代思想20024月号』からの引用は、(筆者、2002現代思想)と略記することにする。また、『論争・学力崩壊』に関しては、(筆者、学力崩壊)と略記する。その他の文献に関しては通常通り、(著者、発行年度)とする。

 

【T はじめに】

本論では、教育の新自由主義的改革を取りあげる。本論では、まず教育の新自由主義的改革の時代背景を概観し、そして教育における新自由主義的改革の中身を概括する。なお、今回取りあげた参考文献の大半は、教育の新自由主義的改革に警鐘をならしたり、手ぬるいと批判するものが殆どであるが、本論とは目的が異なるため、骨格を成すための引用にとどめることにする。本論の目的とは、教育の新自由主義的改革を批判的に考察することではなく、あくまでも教育における新自由主義的改革に対する理解をサービス産業・IT産業との関わりを含め、理解を深めることにある。

 

【U 教育における新自由主義的改革の時代背景】

U-@政治

まず、日本において教育における新自由主義的改革の兆候が現れたのは、1984 中曽根首相の臨時審議会における教育の自由化・公立学校の民営化だという。(佐藤学、現代思想) これは、文部省(現文科省)の抵抗に遭い頓挫したが、イデオロギーとしては脈々と受け継がれることになる。同時代において、アメリカのレーガン、イギリスのサッチャーといった政権のようにネオリベラリズム的要素が強い政権だったことも付記しておこう。

その後日本において、1990年代の構造不況を経て、新自由主義的改革はその現実味を帯びることになる。1991年、中教審答申において高校教育で、選択中心のカリキュラムが導入されることが決まった。そして1995年、21世紀の学校プログラムにおいて、公教育の徹底したスリム化が図られ、「ゆとり」「生きる力」がうたわれた。さらに、小渕内閣の21世紀懇談会(2000年最終報告)において、国家のための「義務として強制する教育」、個人のための「サービスとして行う教育」という基本方針が打ち出されることになる。

 

U-A経済

特に1990年代以降、教育に関する改革において、経済界の発言が増えるようになった。というのは、世界市場における日本製品の競争力の低下、グローバリズム、IT産業の隆盛などによって、経済界が求める労働者の質・スキルが変化してきたからである。特に、従来のようなある一定水準以上の人材を大量にではなく、少数の知的エリートと多数の代替可能な底辺労働者というように変化した。この変化に応えるべく、新自由主義的改革は立ち現れたといってよい。

例えば、榊原英資の発言「…日本の生徒の学習時間は今や先進国でも最低レベル。これ以上授業時間を減らせば、日本は世界から取り残されてしまう。」(榊原英資×小野元之、2003学力崩壊、初出『文藝春秋』200112月号)これは、文部科学省の「ゆとり教育」批判として発言しているが、念頭にあるのはグローバル市場ということであろう。

 

@とAを簡単にまとめてしまえば、1980年代後半はバブル景気に埋もれ、政府も経済界も何もする必要がなかった。1990年代前半も、まだバブル意識が残存しており、何も手を打たなかった。「ゆとり教育」でよかったのである。1990年代後半になって、やっと今のままの教育では日本は立ち行かなくなると経済界が気付き、政府に働きかけた。政府にとって、現行の教育を変えるとすれば、新自由主義的改革という思考と手段しかなかったというわけである。特に「ゆとり教育」との決別を宣言した2002年遠山プランは、経済財政諮問会議からでており、政府による教育の新自由主義的改革を経済界に意識させるものであった。

 

U-B文化・思想

刈谷は、高校進学率が1974年には、90%まで上がったことを重視し、この時期に大衆教育社会の基盤が成立したとする。(刈谷、1995) また、森田は、1970年代以降、大衆消費社会が現出し、家庭文化の同質化が進んだことを重視している。そして、1973年の連合赤軍事件による政治の論理の解体、第三次産業へのシフトによる生産の論理解体によって、1980年代消費の論理が爛熟したと結論づけている。(森田伸子、現代思想) このようにして、1984年までに着々と教育における新自由主義的改革を受けいれやすい土壌が大衆レベルで育っていたという考えが妥当であろう。つまり、1970年代の消費・教育・家庭文化の各分野における大衆社会の成立によって、教育における新自由主義的改革が大衆によって受けいれられ易く、支持されるようになった基盤が成立したといえるだろう。1980年代のいわゆる「教育問題」、つまり不登校、校内暴力、体罰、管理主義、いじめといった問題がメディアによってひろく喧伝されたことも、この潮流の一角を成しているといえるだろう。(児美川孝一郎、現代思想)

 

【V 教育における新自由主義的改革の中身】

V-@日本において

それでは実際の教育における新自由主義的改革の中身を概括しよう。児美川によれば、それは「スリム化」、「学校と家庭、地域社会の連携」、「民間活力」の導入と「受益者負担」の増大の三点に集約できるという。(児美川、現代思想) これは具体的には、寺脇の発言、学習指導要領は全員に共通して教えるミニマム(最低線)だということです(寺脇研×刈谷剛彦、学力崩壊、初出『論座』199910月号)という象徴されるように教育内容のスリム化を図り、地域と連携した総合学習の時間であり※V-1(参考 20030705 朝日新聞 朝刊 和歌山1 P028)、そして岡山におけるブロードバンドコンソーシアムによるブロードバンドスクールなどであろう※V-2(参考 20020521 朝日新聞 朝刊 岡山1 P024)。これらはつまり、教育のサービス化を意味する。

児美川は教育をサービスとすると、消費の対象となり、子どもたちや親たちが、教育サービスの「消費者」としてのみ主体化されると主張している。

 

また、「個性」という点も教育の新自由主義的改革において、重視されている項目である。これは、カリキュラム選択性を導入し、生徒のやりたいことをやってもらおうというものである。これに関しては、諸々の批判があるが、例えば森田は、フーコーやアリエスに言及しながら、個性の開放とか自発性とかいう言説そのものが権力関係の網の目の中にわれわれを絡めとっていく力を持っていると述べている。(森田伸子、現代思想)

大内はこれらをまとめて、1970年代以降確立した教育に対する人々の消費者意識を積極的に承認し、それを前提として設計されており、消費者の選択・決定を尊重し、「よりよい教育を受けたい」という欲望を、システムの中にビルトインしたものだと述べる。

 

V-Aアメリカにおいて

日本より先駆的に新自由主義的改革を取り入れているアメリカの例をここであげることにする。もちろん地方行政が主体のアメリカは、日本とは別に考える必要があるが、日本の為政者がどのような事例をもとに新自由主義的改革を展開しようとしているのか見極めたいと思う。

 

V-A-@チャータースクール

チャータースクールとは、特別許可(チャーター)を得て開校する公立学校のことである。このチャーター交付権限を持つのが、地元の学区教育委員会、州教委などである。提唱者は概ね、地域の住民、生徒の親である。生徒一人あたり、5,60万円運営資金がチャータースクールに支援される。特徴は、設立当初からアカウンタビリティー(教育責任)を念頭においていることだ。契約期間(315年)内に教育的な成果を収められなった場合、閉校となる。※V-3

大沼は、数的には少数であるが※V-4、チャータースクールのインパクトについて、こう述べる。

これまで、「公教育」を独占してきた「教育官僚制」と「公立学校群」に対し、緊張感を与えているからである。チャータースクールに生徒が流れれば…学区教委と傘下の公立校に対し、それだけ公的資金が減る。そうした緊張関係と切磋琢磨が存在感を高めているのである。(大沼、2003

また、運営を民間企業に委託することができ、エジソン・スクール社、K12などが有名である。実際に民間企業が運営をしているのは、全米約2700校のうち15%前後である。(2002108 朝刊 東特集Z  P008

 

V-A-Aバウチャー制度

バウチャー制度とは、公的資金を支出し、生徒が公立学校から私立学校へと転校できるようにする制度のことである。私立学校といっても多くは宗教系の学校であるが、政教分離を原則とする政府が公的資金を支出することに、合憲判決が米連邦最高裁から出されたため(2002)、一応の定着が図られそうな情勢である。オハイオ州、クリーブランド市の事例では、年額最大2250ドルが支給される。

 

ブッシュ大統領の2001年施政方針演説がアメリカのとる方向性を端的に示している。教育予算の支出は教育改革と連動しなければ意味はないと指摘し、連邦資金の「ドル」をより高い「学力基準」(スタンダード)と「教育責任」(アカウンタビリティー)に向けて支出するという基本方針を示した。そして「テスト重視」を明確にし、そのうえで複数のオプションを用意するという。つまり、チャータースクールやバウチャー制度の積極的活用を図るというものである。

 

【W サービス産業、情報化と教育における新自由主義的改革】

佐々木は、IT産業と教育の新自由主義的改革について、アメリカやイギリス、韓国の事例を挙げる。イギリスでは、デジタルカリキュラムの整備がブレア首相の主唱によって進み、またデジタルTVやインターネットの利用に取り組んでいくという。また、韓国でも金大中大統領のIT政策に連動して、教育のオンライン化を進めている。そして佐々木はアメリカの事例を挙げながら、少数の教師が経営陣かデジタルカリキュラムの制作者・テクノロジストとなり、残りの大多数がテスト屋となり派遣労働者かフリーターとなる予想している(佐々木賢、現代思想)。このように、新自由主義的教育改革とサービス産業、情報化は密接に結びついている。つまり、教育がサービスとなり、学校選択の自由を消費者である生徒、その親が手にすることになり、さらに『ショッピングハイスクール』という言葉がでるほどカリキュラムが多様化し、それを生徒が選択できるようになる。これを、私は教育のハンバーガー化と呼んでいる。つまり、高いハンバーガーも、安いハンバーガーも食べることができる。店によってカラーがあり、ハンバーガーの種類はそれこそたくさんある。そして情報化と結びつき、ネット教育 e-learning が増えていくだろう(参考http://www.soi.wide.ad.jp/)。 生徒は、ネット教育によってインターネットさえあればどこでも授業を受けることができるようになる。それは、教育の脱地域化とも言い換えてもいいだろう。そして、佐々木の予想にあるように、デジタルカリキュラムは情報化なしではありえない。この佐々木の予想は、的を射ていると私は考えている。

 

【X おわりに これからの教育試論】

サービス産業、情報化と新自由主義的教育改革を踏まえながら、これからの教育を考察したいと思う。サービス産業、情報化と新自由主義的教育改革が結びつくと、教育のハンバーガー化、教育の脱地域化、e-learning化、教育者の二分化、が進むことになる。日本でも、学校選択の自由において、東京都品川区や来年度からの東京都町田市のように徐々に、採用している地域が増え始めている。また、荒川区などは選択する際の指標としてもらうために学校別の学力調査の結果を今年の6月に公表しており、品川区もこれに続く模様である。学校選択制と学力テストの出身学校別の結果公表はあくまでもセットとして考えなくてはならない。これらを鑑みると、ここ数年、学校選択性と学力テストの結果公表は一つの潮流となっていくだろう。また、e-learning化については、SOIのように高等教育機関から始まり、順次中等教育、初等教育へとひろがっていくことが予想できる。e-learningは何より、その脱地域性において注目されるものであり、過疎地域での展開が注目されるが、ブロードバンドの地方への普及の遅れもあって、もう2・3年は待たないといけないかもしれない。

民間活力の導入においては、アメリカでのエジソン・スクールの例など着実に進みつつある。エジソン・スクールは全米で150校を運営する株式会社である。株式会社であるから、もちろん営利団体である。株式会社の運営については賛否両論あり、閉校するチャータースクールもあるが、特にアカウンタビリティーの面で成果をあげていることは共通の認識としてある。日本においても、ベネッセコーポレーションといった大手通信教育会社が意欲をみせている。(2002108 朝刊 東特集Z  P008

 

このように、日本においても新自由主義的教育改革は徐々に進みつつあると言っていいだろう。その際の指標となるのが、学校選択制度の導入であり、学力テストの公表であろう。最近の事例をみると、東京都が一番改革が進んでいるといってよい。

 ただ、安易に日本とアメリカを比較して、改革度合いを比較してはいけない。アメリカのチャータースクール、バウチャー制度、ホームスクーリング(家庭内での学習、主に親が教師となるが、派遣教師も多い)といったものは、当初は最貧困、最低学力層からでてきたものであり、日本とはまったく事情が異なる。ただ、簡単に異なるというわけにはいかない。例えば、私の出身地である学校選択制の導入を決めた東京都町田市は、多くの団地を抱えており、それが意味することは低所得の人も多いということである。また、高級住宅街も抱えており、所得によって学校が色分けされていくのかもしれない。

 

【注、参考】

※V-1ミカンの摘果、よく見極めて 有田の児童が体験学習 /和歌山

 地域の産業について学ぼうと、有田市立保田小学校(大宝英明校長)の3年生69人が総合学習の一環として市農業士会の協力で毎年実施している。児童らは農業改良普及センターの職員から摘果の目的などの説明を受けた後、ミカン園へ。ピンポン球ほどに成長した実を見比べながら、傷のあるのや小さいのを指で次々ともぎ取っていった。大半の児童が摘果は初めて。「命があるのに可哀想や」と言う子、持ち帰るために実を大事そうに手袋に入れる子もいた。

※U-2普通教室でパソコン授業 「ブロードバンドスクール」始まる/岡山

学校の授業に高速回線を活用する「ブロードバンドスクール」の実証授業が20日、岡山市中仙道の西小学校と、同市万倍の芳明小学校の2校で始まった。ノート型パソコンを普通教室で各自一台使えるようになり、児童たちはメールを作成したり、インターネットで興味ある情報を調べたりして情報機器に親しんでいた。

ブロードバンドスクールは、マイクロソフト社を中心に情報や教育関連会社18社で設立したコンソーシアムが実施。学校にパソコンなどの情報機器や教材コンテンツなどを無償提供して環境を整備し、高速回線を活用した授業の効果を見いだすのが目的。

2校では、40台ずつノート型パソコンが配備され、無線LANと接続することで、児童らがコンピュータールームに移動しなくても、普段使っている教室でパソコンを利用できる。

※V-3実際の閉校は、財政的な理由によるもの多い。しかし、マサチューセッツ州のリン・チャータースクールなどアカウンタビリティーを理由に閉校したチャータースクールもある。これまで、閉鎖されたチャータースクールは160校ほど。

※V-4全米の公立学校の3%前後

 

【参考文献】

・苅谷剛彦、『大衆教育社会のゆくえ 学歴主義と平等神話の戦後史』、中公新書、1995

・中井浩一編、『論争・学力崩壊』、中公新書ラクレ、2001

     『現代思想20024月号』、2002

     大沼宏史、『教育改革ワンダーランド』、本の泉社、2003